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昼食を済ませたルディアーノが、2日前にセシルたちと別れた帰りに買った花をハーシュメルトの部屋で整えていると、いきおいよく扉がひらき、懐かしい声が響いた。
「ルディ、ここにいたのか!」
ルディアーノは、わき目もふらずに前進してくるハーシュメルトの腕に飲み込まれた。
「会いたかった。男ばかりで息苦しかった。きみも連れて行けばよかった」
身動きのとれないルディアーノはハーシュメルトの声だけを聞いていた。どうにか顔をあげると、ここ最近のすれ違いなどなかったかのようにかれは無邪気に笑っていた。
「この花、きみが用意してくれたの?」花瓶に生けられた新しい花に気付いたハーシュメルトが聞く。かれはルディアーノに添ったまま、大ぶりな赤い花に顔をうずめて香りを嗅いでいる。「花言葉を教えて」
「知っているでしょう?」
ルディアーノがはぐらかすとハーシュメルトは、「知らない」と嘘をつき、「きみに言ってほしい」ねだるように顔を近づける。
ルディアーノは相手を見つめて微笑んだ。「わたしの愛しいひと」
ソファにルディアーノと座ったハーシュメルトはたがいの近況報告を済ませたあと、ウォールレストでおこなわれた興行目的の剣闘試合のようすを伝えた。
「ウォールレストにいる王宮騎士とも戦ったし、アーヴィンとも戦った。それに、ウォールレストの南にある山から連れてきた猛獣ともね。全部ぼくが勝った」
誇らしげに話すハーシュメルトの表情は明るかったが、失った時間を必死に取り戻すべく配慮しているかのようにも見えた。
「いろいろ話したいことがあるよ、ルディ、ぼくはもう決めたんだ」
急にかしこまった口調でハーシュメルトが話し始めようとしたとき、使用人が部屋をおとずれた。
「しまった、グランディオに呼ばれていたのを忘れていた」ハーシュメルトは面倒くさいというように腰を上げ、つられて立とうとしたルディアーノにこう言った。「すぐに戻るから待ってて。きょう、ぼくはもう出かけないから、一緒に過ごしたい。ね、ぼくが戻るまでここにいて」
ハーシュメルトを送り出したルディアーノは扉を閉め、時間を潰すために本棚から一冊の本を取った。紺色に染めた布に金糸の刺繍が施された装丁を気に入って選んだものだったが、内容はアクリの海賊について書かれた本だった。
夢見心地に本を眺めるルディアーノには、ある想いが固まりつつあった。前途多難であっても己の心に素直にしたがい、どのような形であれかれのそばにいたい。ルディアーノは、かれが戻ってきたら伝えるべき言葉を頭に浮かべていた。
いまの気分では何を読もうが内容は頭にはいらない。ルディアーノは円卓に本を開いたまま花へ近寄り、先ほどのハーシュメルトの真似をして花弁に頬をよせ、愛しいひとに送った言葉を2度つぶやいた。
そのとき、聞きなれない扉を叩く音がした。急いで開けに行くと、同じ年ごろの少女が立っていた。
「ハーシュに用があるの。はいるわね」
部屋にはいると少女は辺りを一瞥し、ルディアーノにこう言った。「あなた、なんで主人が留守なのに勝手に部屋にはいってるの?」
手入れされた髪に、たくさんの宝飾品を身に着けた、一目で上流階級とわかる見知らぬ少女の強い口調にルディアーノは怯む。「あの……ハーシュメルトさまはお帰りになっております。じきに戻られると思いますが、確認して参ります」
「待ちなさい、そういう意味じゃないわ。なぜ使用人が主のいない部屋にひとりでいるのかと聞いてるの」
相手の冷たくするどい語気にすっかり尻込みし、ルディアーノは言葉に詰まってしまった。はじめて見る部類の人間であり、正しい対処の仕方を知らなかったのである。
「申し訳ございません。すぐに戻るゆえ、ここで待っているよう言われたものですから」
「もしそう言われたのだとしたら、普通部屋の外で待つのよ」少女はルディアーノを静かに睨みつける。「部屋でひとりで何をしていたの?」部屋中を歩き回り、少女は円卓に開いたまま置かれた本を見つける。「これ、ハーシュが読んでたの? あなたが勝手に出したんじゃない?」
「わたしが出したものですが、許可は頂いております」ルディアーノは次第に心細くなっていった。
「みんなそういう嘘をつくのよ」少女は本を棚に戻しながら、自分の家の使用人にたいする数々の文句までルディアーノにぶつけていた。
初対面の人間にこれほどまで辛辣な態度をとられ、ルディアーノは再生された心に毒薬をかけられたような気分になった。だが、予想が的中する場合、彼女に自分とハーシュメルトの関係を絶対に知られてはならない。ルディアーノの本能が、警鐘を鳴らしていた。
「ハーシュの使用人もいずれ一緒に王宮にはいるんでしょうから、わたしの気に入らないことはしないでちょうだい。わかったらはやくハーシュを呼んできて」
しかし少女が言い終える前に、ハーシュメルトが急ぎ足で戻ってきた。
「マリーヌ、ぼくになにか用?」
扉は開いたままだったので場の状況を感じとったであろうハーシュメルトは、部屋にはいるなりルディアーノのそばに立った。
「用がなければ来てはいけない?」
マリーヌが言うとかれは、「いや」と否定した。
「ハーシュ、あなたのところの使用人は無断で主の部屋にはいるよう教育されてるの? 貧乏人は手癖が悪いのよ。うちもそうだし、レイミーのところも物を盗られたわ。あなたも気を付けなさい」マリーヌは鼻を糸で釣られているかのように、つんとして言った。
「この子は使用人じゃない。ルディ、ごめん。すこしマリーヌと話をするからお茶を持ってくるよう誰かに伝えてほしい」
ハーシュメルトがルディアーノを送り出そうとしたが、マリーヌに止められた。
「待って。使用人じゃないって、じゃあ何なの? 見たことない子だけど、どこの子?」
「ぼく個人に仕えているんだよ。身の回りの雑務を頼んでる」ハーシュメルトは事務的に答えた。
マリーヌはルディアーノを足から頭まで品さだめをするように見たあと、視線をハーシュメルトへむける。「あなたが最近連れまわしてる女の子って、この子のこと?」
「さあ、知らないな。ぼくがよく連れまわしてるのはグランディオだよ」
ハーシュメルトが適当に返すとマリーヌは機嫌が悪くなり、「つまらない冗談はやめて。この子のこと? 答えなさい」再度ルディアーノを眺める。「でも女の子らしくない服ね。あなた名前は? ルディアーノ? 名前じゃわからないわ。あなた男?」
ルディアーノの答えは決まっていた。この高圧的な娘がハーシュメルトの婚約者とは。おさないころからやさしい人間に恵まれ武器を持たずに育ったルディアーノでは、どう足掻いても太刀打ちできるはずがない。また、策もなく捨て身の覚悟で対抗し、事を荒立てる勇気もない。穏やかな光が灯る心は、無遠慮に毒薬をかけられ完全に崩れ溶けてしまった。
「マリーヌさま、わたしは騎士見習いです。誤解を招くような行動をしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
騎士見習い、それは普段から使用している詮索されないための方便だった。
「なら男なんじゃない。それならべつにいいんだけど。じゃあ誰なのかしら、噂される女の子って」
「話に尾ひれがついてるだけだろ。みんな好き勝手言うんだから。どうせレイミーたちの誰かだよ。よく遊んでるのはそのあたりしか思い浮かばない」
「そう、ならいいけど。ルディアーノ、余計なことをうたがったりしてごめんなさいね。でも主人の部屋にひとりでいるのは改めたほうがいいわ。ハーシュは許してることかもしれないけど、他の家では許されないから。もうさがっていいわよ」




