4-4a
取り残された部屋でハーシュメルトは椅子に腰かけ頭を抱えていた。やがて立ち上がると、ルディアーノに余計なことを教えたのであろう犯人と思われる人物の部屋へ直行した。ハーシュメルトは力任せに扉を叩き、返事を確認すると勢いよく扉をあけた。
「グランディオ!」
呼ばれたグランディオはテーブルの上に広げた盤ゲームの駒を掴み、ひとり模索していた手をとめ、威勢のいい少年を凝視した。「どうしました? そんなに怒って」
「ルディに余計なことを言ったな?」
「余計なこと?」
「婚約してるって話だよ、きみだろ? ルディに話したのは」
「聞かれたから答えただけですよ」
「聞かれただって? なんで知ってるんだ!」ハーシュメルトは苛立ちながら部屋中を歩き、「いつ聞かれたの」扉の脇にある棚に片肘をついた。
「この前ですよ、ハーシュメルトさま。広場で少年と決闘して酒場へ行ったとき、ルディアーノも連れて行ったでしょう? そのときに耳にしたのではないですか? その翌日です、婚約者がいるのかと聞かれたのは。ですが、なにをそんなに怒っているのです? 隠してました? いずれわかることでしょうに」
ハーシュメルトは苛立つ自分とは真逆の、落ち着いたグランディオの口調を不愉快に思いながら、「自分で言いたかった」と八つ当たりした。
グランディオは棚に突っ伏している少年の背中を見ながら思いめぐらす。「プロポーズでもしましたか?」
顔を真っ赤にして少年は振り返り、「いいじゃないか! ぼくは彼女が好きなんだ! 誰と恋をしようが誰と結婚しようがぼくの勝手だろ!」目にうっすら涙をうかべて叫んだ。
「ええ、あなたのお立場ならかまいませんけど」グランディオは棚に肘をついて顔を両手で覆っているハーシュメルトに声をかけ、「順番は考えてくださいね」と戒めた。
「なんだよ、順番て」ハーシュメルトは大きく項垂れ、「どのみち台無しだ」と嘆く。
「断られました? ルディアーノは聡明ですね」グランディオは声をたててわらった。
笑い声に反応したハーシュメルトは、グランディオがいるテーブルへ手をつく。「ひとの不幸を笑うな! それになんだよ、聡明って。ぼくが取るに足りない男とでも言いたいのか!」
「ちがいますよ」グランディオは席へ座るよう少年を促す。「ルディアーノはあなた以上にあなたの立場を理解しているという意味です」
「よくわからないな。それに、べつに断られたわけじゃない」ハーシュメルトは不貞腐れながら角を挟んだ席に着いた。
「そうですか、どちらにせよくれぐれも慎重に。ルディアーノを不幸な目にあわせたくはないですから」
「不幸になんてさせるわけないだろ」少年はむくれて言う。
「ええ、わかっているならいいですけど」
グランディオは駒をひとつひとつ丁寧に布で拭きながらケースにおさめていた。部屋にはその作業の微量な音だけが残り、グランディオの思考に置き去りにされたような不安に駆られたハーシュメルトは、不本意ながら助力を求めた。
「曖昧すぎてわからない。なぜぼくとの結婚でルディが不幸になるんだ。何よりも大切にするのに。それに順番て……なんだよ、マリーヌより先に結婚するなということでしょ? それはわかってる」
「ええ、それは当然ですが、わたしが言いたいのはマリーヌ譲より先に子どもをつくらないでください、ということです」
ハーシュメルトはグランディオの顔を見たが、かれは無表情で駒の手入れをしている。布で埃を拭き取られる駒を見ながらハーシュメルトは、「そんなの、自然のなりゆきだろ。なんでそこまでマリーヌに気を使わなきゃならないんだ」と言って視線をそらした。
グランディオは手を休め、不機嫌な少年の横顔を見る。そして視線を感じたのであろうむくれ顔の少年と目が合うと、こう言った。
「思ったより、何も考えていないのですね」
少年は苛立ちを隠すように席を立ち、部屋の奥のソファへ移動した。「ぼくがどう考えなしなのか、はっきり言ってくれない?」
「もし同時期にふたりが健康な男児を産んだらどうなるか、わかりますか?」駒をすべてしまい終えたグランディオは静かにケースの蓋をとじ、話しはじめた。「わたしが懸念しているのは跡目争いのことです。通常であれば正妻であるマリーヌ譲の子が跡を継ぐでしょう。ですが、もしルディアーノが自分の子を、と願い出たらどうします? だれだって好きな人間のほうの希望を叶えてやりたいと思うでしょう。それにルディアーノが望まなくたってあなたは他の誰との子どもより、ルディアーノとの子が一番かわいく感じるはずです。あんなに取り乱すほど好きなんでしたら。それでも感情をおさえて理性的な判断が出来たとしても、いつか自分たちが追い出されるのではないかというマリーヌ譲の不安を完全に取り去るのは不可能でしょう。あなたの気分次第でどうにでもできることなのですし、あなたは態度にでますからね。自分たちが愛されていないと悟ったマリーヌ譲は、自分たちへの冷遇を恐れて父親に相談し、邪魔者を消すようにルディアーノとその子を殺してしまうかもしれない。確実に自分の子が家督を継げるように。たとえルディアーノがすぐに子を産まなくたってどうなるかわからない。少しの禍根も残さぬよう先手を打ってくるとも考えられる」
ハーシュメルトは太ももの上に乗せたクッションに腕を置いて、グランディオの話を身動きせず聞いていた。
「なにも大袈裟な話をしているのではありませんよ。あなたのような立場なら、どの時代にも、どの国にも同様に起こり得る、そして実際起こってきた、ごく普通の話をしています。まったく想像できないとは思いませんけどね。日頃何を学んでいるのです?」
はじめのうちはグランディオはただ難癖をつけたいだけなのだ、浮かれる自分にもっともらしい説教をしたいだけなのだ、と高をくくっていた。だが、真剣な口調のグランディオの話を聞いていると、それらを考えもしなかった己の軽率さに情けなくなった。おそろく自分だけだろう、自分だけがなにも考えていなかったのだ。いまとなって思えば、外出時にルディアーノが男装にこだわるのも、恋人らしい振る舞いを避けるのも、恥じらいがあるからではない。自己防衛のためだったのだ。ルディアーノは浅はかな自分をどう思っていたのだろうか。先ほどの涙は幻滅の涙だったのか。彼女はすでに愛想を尽かしていて、こんな軽薄な男とは結婚などできないと、最後の非難の言葉は拒絶の意味が含まれていたのではなかろうか。そう思うとかれはグランディオに言葉を返す気力もなくなってしまった。
「はやくマリーヌ譲と結婚してしまえばよろしいのに」グランディオは気抜けする少年に声をかけた。「なぜ先延ばしにするのです? やるべきことを終わらせて、それから自由にすればいいのに。まだ若いのですから」
「それは前にも言ったけど、ロスカの件が終わるまで待ってほしい。あとリーズの件もね。結婚なんてしてて、もし国王さまが亡くなっちゃったらウォールフォードのひとたちはすぐにでもぼくを国王にするよう急かすだろ? 気が散るもの。リーズが王都に来るまでぼくはキングでいたい。逃げたと思われたくないからね」ハーシュメルトはクッションを抱えてソファにもたれる。
「ハーシュメルトさま、あなたの知らないところでおおいに急かされているのですよ」グランディオが呑気な少年をたしなめるように言ったが、ハーシュメルトは面倒臭げに聞き流した。
「さあ、明日からも訓練に励まなければ!」
鬱陶しいしがらみを断ち切るように少年は言い、部屋を去ろうとしたところで訪問者があった。
ハーシュメルトが扉をあけるとテオジールが立っていた。いつにも増して険しい表情のテオジールにただならぬ空気を感じ取った少年は、行儀よく振る舞い、直ちに帰ろうとしたが、叶わなかった。
テオジールがグランディオの向かいの席に着くと、少年はソファへ座り「どうかぼくへの説教ではありませんように」と心の中で願っていたが、かれの不安は的中しなかった。
「白状しましたか?」
グランディオが問うとテオジールは、「ああ」と一言、低い声で答えた。
「ノーラルで不正審判をした男、覚えていますかな?」テオジールはハーシュメルトも会話に参加するよう話しかけた。「ロスカ人の少女を殺害したことを領主に知られ、口外しないことを引き換えに息子のアルベルトを勝たせるよう要求されたそうだ」
「金品を与えていたわけではないのですね」とグランディオ。
「ああ、しかし金を受けとっている者もいるようだ。王宮騎士ともあろう者が、仕える君主を見誤っている」テオジールは語気を強めた。
「すでに常習化しているのですね。道をそれた者の名はわかりますか、何人くらいいます?」
「名が挙がったのは5人」
「では尋問しましょうか、ね? ハーシュさま、ご決断を」グランディオはソファに座る少年へ伺いをたてる。
クッションを抱えながらおとなたちの会話に聞き入っていたハーシュメルトは突然名を呼ばれ困惑した。「何を言ってるの? ノーラルの審判の人は闘技場内で不正をしたんだから、ぼくたちが制裁を加えるのはわかる。けど、ほかの手懐けられたひとたちを裁くかどうか決めるのは国王さまだろ? まずそっちに報告してよ」
「取り次いでもらえん」重苦しい空気の中テオジールが言葉を発すると、沈黙が続いた。
「だったらなおさら」ハーシュメルトは恐る恐る口をひらいた。「国王さまが決めかねているのに、また勝手に動きたくないんだけど。この前のザリルの災害のときもそうだけど、国の仕事に手をだして、でしゃばってるって思われない? あんまりアーノルフィニ家と揉めたくないんだけど」
「じきに国王となるのはあなたですよ、ハーシュさま」グランディオが言うとテオジールも少年の顔を見た。
「でもまだ国王じゃない。それに、なるとぼくが決めたわけでもない。大体、国王さまはアークやセシルの父親なんだ。友人の父親の死後の話なんかしたくない」
ハーシュメルトは顔をそむけた。相変わらずつづく沈鬱な空気にかれは気分が悪くなった。目の前にいるおとなたちが、自分の望まぬ道へ誘導しているかのような不気味さを感じていた。なぜかれらは、国王が病に倒れ国政が疎かになっているとはいえ、すぐにでも消える命だと軽くみて、次期の話を口に出し待ちわびるのか。
ハーシュメルトは黙って様子を窺っていた。おとなたちに何を言われたとしても考えを曲げるつもりはない。そもそも勝手に罪人を裁こうとするなど、いったい何を考えているのだろうか。




