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「読んで」起きたばかりのハーシュメルトが用意された服に着替えながら頼んだ。
幾日が過ぎたある朝、ルディアーノはハーシュメルト宛ての数枚の手紙を持ってかれの部屋を訪れていた。「それぞれの闘技場から前回の試合結果と収支の報告書が同封されていますが、読み上げますか?」窓際の白い円卓に手紙を並べ、優先度の高そうなものから選ぶ。
「それはいいや。まとめてテオジールに渡しておいて。お金のことはあのひとが管理してるから。あとは?」
「ザリル会場の者からです。先日の豪雨で崩落した山からの土砂が一部闘技場内に流れ込んでしまったようなので、それの除去費用についての相談があるそうです。流れ込んだ分だけでなく、崩落分すべて」
「なんでぼくに言うんだろうな」ベッドに座り、太股までの靴下を履きながらハーシュメルトは文句をたれる。「場内に流れ込んだ分はやるけど、その他のところはぼくの知ったことではないぞ。怪我人はいるの?」
「いないようです。国王さまから返答が得られないので放置していましたが、場内まで流入してきたのをきっかけにこちらに手紙を書いたとのことです。道が塞がれてしまい、町人も困っているそうです」
「わかった。どのみちきょうザリルへ行くから直接話してくるよ。ほかには?」
「クレイグさまから会食のお誘いがあります。8日は空いているか? とのことですが」
「その日の夜ぼくはどこにいるのかな?」ハーシュメルトは編上靴に紐を通しながら聞く。
「ラングリングさまのお屋敷に呼ばれています」
「そうか、じゃあぼくの空いている日を手紙でクレイグ卿に伝えて、会食の日にちを決めておいて。休日でなければいつでもいいや。もう終わり?」
上着を羽織ったハーシュメルトが鏡の前で自身の姿を確認するなか、ルディアーノは重なっていた手紙を見つけ、「あと一通だけ」と言い封を切った。
「リーズさんからです」
「めずらしいな、なんだろう?」部屋を横切って、ハーシュメルトは壁にかけてある剣闘用の剣を腰ベルトに取り付けた。
「いますぐノーラルに来てほしいそうです。急を要する話があると」
「ぼくに?」花瓶から小鳥の頭ほどの大きさの黄色い花を一輪手に取って、かれはルディアーノのそばによる。
「見覚えのある字」ルディアーノがハーシュメルトへ手紙を見せる。「きっとマックスが代筆してる」
「彼女、字が書けなかったのか。それにしても何の用事だろう。やっとぼくに戦いを挑む決心でもついたかな?」
ふたりは見つめ合うと微笑んだ。
「ぼくはもう出かけるけど、手紙を書いておいてくれないかな? ノーラルへは、そうだな、6日後に出発する。そのあいだに会食予定のあるひとに、延期を許してくれるよう伝えてほしい。あと、リーズにも返事をだしておいて」
「わかりました、お気をつけて」ルディアーノは頬にかかるハーシュメルトの髪を整える。
かれは持っていた花をルディアーノの口元に軽くあて、自身の唇にあてがうと、上着の胸元にある襟のボタン穴に挿し、「それじゃあよろしく。明日の昼には帰ってくるよ」と言って部屋を出た。
ルディアーノは返書に必要な分の紙を用意し、そのままハーシュメルトの部屋でペンを執った。
それから9日後、ノーラルにいるハーシュメルトは村を歩きながら、「ところでリーズの家はどこだろう」誰に言うともなく辺りを見渡した。
「ハーシュメルトさま、闘技場のあたりが騒がしいようですが」
場を離れていたグレンの報告を受け、山林を抜けたさきにある闘技場方面へハーシュメルトたちが戻ると、リーズともうひとり、見慣れぬロスカ人の少年が、入口を塞ぐ王宮騎士にわめいていた。人影に気が付いたリーズがハーシュメルトめがけて突進してくる。
「どうしてこんなことするの!」リーズはハーシュメルトの胸ぐらをつかんでさけぶ。「あんたが命じてるってほんとう? ほんとうだったら許さない!」
「なに、なんのこと?」ハーシュメルトは相手の手を服から引き離す。
「来て!」リーズはハーシュメルトの腕を取って闘技場へ走った。
ルディアーノと側近たちもあとを追う。会場へはいるとき、ロスカの少年もリーズの影に隠れて侵入した。所々古臭くひび割れた石畳の隙間から飛び出す雑草を踏みつけながら、リーズは場内を見通せる場所までハーシュメルトを誘導した。王座と対面する位置にあるこの場の通路と場内を区切るものは、等間隔に立つ柱と少年のひざくらいの高さの石塀があるだけなので、すぐに状況がハーシュメルトにもわかった。場内では、うずくまって子を抱えるロスカ人の女を取り囲む3人の王宮騎士が、それを庇うように説得しているひとりの王宮騎士と口論をしていた。ロスカ人の女は粗末な布を体に巻き付けたような身なりで、頭まで覆われた布からは、黒く長い髪が無造作に垂れていた。
「マックス!」
ルディアーノの呼びかけにロスカ人を庇っていた王宮騎士が場内から駆け寄ってくると、あいさつとして少女の頭を一撫でし、隣にいるハーシュメルトへ訴えた。「ハーシュメルトさま、今すぐかれらを止めてください。あの母娘には何の罪もありません!」
母娘を囲む3人の騎士が一斉にハーシュメルトのほうを向く。ロスカの母娘は恐怖の涙を流し、助けを求める目でリーズを見ていた。
「ロスカ人だろう?」ハーシュメルトは母娘から目を離す。
「ロスカ人だからって、それが理由?」リーズはハーシュメルトの肩を掴む。
「ハーシュメルトさま、あの者は以前からセザンに住んでいる者です」マクスベルト・コーマックはハーシュメルトとその側近たちに説明する。「先のロスカ人の件は侵入者と見做しての然るべき処置だとわたしは解釈しましたが、あの母娘は襲撃事件のあった4年前より昔からセザンにいるのです。ロスカ人だからという理由だけで制裁を加えていいはずがありません!」
コーマックの訴えを聞き終えるとグランディオは場内へはいり、3人の騎士に声をかけたあと、ロスカの母娘を助け起こした。
「グランディオ! 勝手なことをするな!」ハーシュメルトは石塀を越え、グランディオを追って声を荒らげた。
「やりすぎです」グランディオは少年をたしなめてからコーマックに尋ねる。「この母娘は以前からノーラルに住んでいるのですか?」
「いえ、もうすこし離れたところに」
コーマックが答えようとすると、「やめて! コーマックさん、言わないで!」リーズが口を挟む。
「どのみちこの母娘を送り返さねば。マクスベルト、案内してください。それと足を怪我しているようです、手を貸してください、アーヴィン?」
グランディオに指示された若者は不満をあらわにし、「嫌です」と返した。それどころかグレンとキースもグランディオと目を合わさず、その表情から怒りが見て取れる。
ロスカ人の幼い娘は固まった顔つきでおとなたちを警戒しており、母親は膝をついて子を抱き寄せ、何事か呟いていた。この母娘は十分にセザン語を理解していなかったが、この闘技場へ無理矢理連れてこられたとき、死の覚悟はしていたのだ。かなり衰弱し、恐怖に打ちひしがれる母娘にたいしてリーズは、「もう大丈夫だから」とロスカ語で慰めており、母親はリーズの手を握りしめ、何度もうなずいて涙を流していた。
誰も協力しようとしないので、やむなくテオジールが手を貸そうとすると、「あなたはどうかここにいてください。おねがいします」とグランディオが言い、コーマックを連れ闘技場を出て行った。
状況を飲み込めずにいたルディアーノは、いままでに感じたことのない淀んだ空気に不安になっていた。はじめから場内にいた3人の王宮騎士はしきりに若き王らのようすを窺い、グレンたちはロスカ人を見逃すグランディオへの不満をテオジールにぶつけていた。そしてリーズと言い合うハーシュメルトを心配していると、ふいにルディアーノの横に人影が現れた。リーズの影に隠れて侵入し、このときまで物陰に潜んでいたロスカ人の少年が、ハーシュメルトに飛び掛かったのだ。
「ロスカ人を殺すよう命じてるのはおまえだな! 許さねえ!」小柄で細身のロスカ人の少年はセザン語で詰め寄った。
ルディアーノは思わずかっとなり、ロスカの少年の怒りに震える手をハーシュメルトから引き離した。すると少年がルディアーノに掴みかかろうとしたため、すかさずハーシュメルトが相手の手首を捕らえ、静止した。
「やめな、コルチカ。あんたじゃ勝てない」リーズがふたりの間にはいり、ロスカの少年をハーシュメルトから遠ざけた。
コルチカと呼ばれた少年の背丈はリーズと同じくらいであったが、たくましさという体の厚みがない分リーズよりもちいさく見えた。髪の色はジーク・エリオスに似た銀髪で目は大きく、ロスカ人の特徴らしく両腕はセザン人より長かった。
「とめんなよ、リーズ!」コルチカはリーズの手を振りほどいてからハーシュメルトにこうさけんだ。「おれたちはセザン人の邪魔になるような生き方はしてないのに、どうして殺されなきゃいけないんだ!」
「嫌なら出ていけ!」ハーシュメルトは苛立つ。
「それができないからここにいるんじゃない。ロスカの内乱のこと、知らないわけじゃないでしょう? コルチカだって家族を殺されて行き場がないんだ」リーズがコルチカをかばう。
苛立ちのおさまらないハーシュメルトは、「だから何だと言うのだ! ロスカはセザン人を追い出しておいて、都合が悪くなるとセザンを頼るのか、ふざけるな! セザンはロスカの受け皿ではない!」と言い放った。
「いつの時代の話をしているの? そんな昔のこと、いつまでも根に持つなんておかしい。いまのわたしたちには関係ないでしょ?」
「いままでどれほどセザン人がロスカ人に殺されたと思っているんだ。大昔とくらべていまのセザン人の人口は一割にも満たない。まったく関係ないなど到底思えないな」ハーシュメルトはリーズに反論する。
「だからって、罪のないひとを殺していい理由にはならないよ! もちろんセザン人が苦しめられたことも知ってる! でも弱い立場のひとを見世物みたく殺すなんてあんまりだよ! こんなことして楽しいわけ?」
「セザン人なら喜ぶだろうね。ロスカは敵だ」
リーズは憤慨し、今にも爆発する怒りをこらえるようにハーシュメルトを睨む。「だからセザン人は嫌いなんだ! 誇り高いセザン人がやってることはただの虐殺じゃない! 自分たちが苦しめられたからってまったく関係ない弱いひとを腹いせに傷つけてさ、なにに誇りを持ってるわけ? セザン人はみんなおかしいよ、自分の都合だけ考えて、弱者は死んで当然みたいに扱う。あんたはいい奴だと思ったのにちがった。やっぱりただのセザン人だった!」
「なんてことを言うんだ! それでもセザン人か! きみだって4年前の襲撃事件を知らないわけじゃないだろう? 40年前の戦争で和解したのに、ロスカのおこないは条約違反だろう!」
「犯人とここにいるロスカ人は別でしょ? ひとりの悪人のせいですべてを憎むのは」リーズは急に言葉に詰まり、唇をかみしめた。「ともかく」やっとの思いで言葉を発すると、「武器を持たないひとまで襲うのはやめて」と、力なく言った。
「闘技場でなにをしてもぼくの勝手だろう」ハーシュメルトが突き放すように言うとリーズは黙った。




