3-2d
「どうも思わないよ」
「ほんとうに? セザンのひとは自分たちがセザン人であることに誇りを持っていて、純血であることにとてもこだわっているでしょう?」ルディアーノはわずかな明かりで見えるハーシュメルトの表情を注視していた。
かれはルディアーノから目を逸らし、しばらく黙ったあと、「確かにぼくも自分がセザン人であることに誇りを持っている。多くのセザン人がきみの言うように純血にこだわっているのも事実だ。けどねルディ、ぼくは外国は好きなんだ。その国の文化や風習にも興味がある。ぼくの本棚にはアクリやリクトワールの本も並んでるだろ? 言葉もわかる。といってもまだ勉強中だけれどね」と言って笑った。
その言葉を聞き、ルディアーノは恐る恐るたずねる。「わたしが純粋なセザン人でなくても、ハーシュさまはなんとも思いませんか?」
「なんとも。まあ、そうなんじゃないかなとは思っていたから。きみの、その」かれは言いながらルディアーノを手で示し、「見た目で」と付け加えた。
まずまずの事の運びにルディアーノは安堵し、吐息を漏らした。
「きみのお母さんが異国のひとってところかな?」
ルディアーノは頷き、「わたしのお父さんは純粋なセザン人なのですが」と、静かに打ち明ける。「おっしゃる通り、お母さんがセザン人ではないのです。打ち明ければ嫌われると思ったから、なかなか言い出せませんでした」
「純血でも混血でもきみはきみだもの」ハーシュメルトは前置きし、「ぼくはきみが好きだよ」と締めくくった。謎多き少女の庭に足を踏み入れ、心地よい朝日に照らされると、ハーシュメルトは大切にしまっていた好奇心を取り出した。彼女のことをもっと知りたく、彼女を形成する事柄と関わりたかったのだ。直前のかれの発言に恥じらいうつむくルディアーノに、かれは聞く。「きみのお母さんはどこの国のひとなの?」
伝えるべき本題はこれなのだ。ルディアーノは混血であることを認めてもらいたかったわけではない。だが、少女の心に一抹の不安がよぎる。自分の意志で歩もうとする勇気を押さえつけるものは悲しくも、大好きな両親の言葉であった。だれにも正体を明かせぬまま孤独に耐える日々は苦痛でしかなかったが、一度知れ渡れば好奇の目で見られ、場合によっては命の危険に晒される可能性があると言い聞かされていた。孤独から救ってほしいという願望と、両親の教えに背く罪悪感にさいなまれ、ルディアーノは言葉を失ってしまう。
思考のなかで迷うルディアーノを見て、これが彼女を迷いから救うきっかけになるか自信はなかったが、かれはこう助力した。「ぼくが当てようか?」
手応えがあったためかれは気を良くし、「アクリかな」と呟く。「アクリ人の内に秘めたる精神、とでもいうのかな、そんなようなものがきみの中にも感じられるもの。ぼくは考えたんだ。きみにあってセザンの女の子にないもの。それはね、奥ゆかしさだよ。こまやかな精神というのはアクリ人の特徴なんじゃないかな。それにね、アクリの王さまは代々女性が受け継いでいて不思議な力が使えるみたい。天候を操ったり、未来が見えたり、死者と会話したり。本当かな? ぼくはすこし疑うけどね、でももしそんな不思議な力が存在するなら、きみの神秘的な雰囲気はアクリの王さまの血が多少なりともはいっているから、ということにならないかな、どう? ちがうかな?」
ハーシュメルトが話し終えるとルディアーノは小さく首を横に振った。
「ちがう? じゃあ、リクトワールか。リクトワールは長年戦争をしない国だからな。きみの穏やかな雰囲気は争いを好まないリクトワール人の血がはいっているからか。広大な大地にあるリクトワールは自然豊かで住みやすいところだと聞いたことがある。資源が豊かだからひとの心も豊かで……そうか! そういうことか! あそこはひとの心を豊かにするという芸術なんかも発展しているんだ。きみの幻想を愛する心はまさにリクトワール人の心じゃないか。もしかして、きみのお母さんは芸術家だったの?」ハーシュメルトは真実に辿り着いた達成感と、ルディアーノの深淵に手を触れたよろこびに包まれた。
しかしルディアーノはまたも首を横に振る。
ハーシュメルトの心から光が消えた。アクリもリクトワールも違うとすれば、残る国はあとひとつしかない。以前、ルディアーノとはじめて会った日、あんなにもうろたえ怯えていたのには理由があったのだ。ロスカを憎むセザン人の前で正体を明かす恐怖はどれほどであっただろうか。心にかかる雲をただちに取り払うのは難しいが、不可能ではない。どんな血がはいっていても、ルディアーノはルディアーノに違いないのだ。たとえロスカの血でも、彼女の美は汚されない。ハーシュメルトは己に言い聞かせ、なるべく平静をよそおいたずねた。
「ロスカなの?」
かれは随分覚悟を決めて最後の答え合わせをしたつもりだったが、ルディアーノはまたしても否定した。
「どういうこと? アクリもリクトワールもロスカもちがうんじゃ、いったいきみのお母さんはどこから来たの?」ハーシュメルトは身を乗り出す。
「信じてもらえるか」
「きみの言うことは疑わない」
ルディアーノはこみ上げる想いを押さえられなかった。何重にもかけられた錠を外し、自分の選択が取り返しのつかないあやまちとならぬよう、ふたりのあかるい世界が変わらぬよう、かれを引き離す破滅の言葉とならぬよう祈りながら、ルディアーノは答える。
「エルトリアです」
「エルトリア?」
固まった表情のハーシュメルトにルディアーノはひどく動揺し、次に切り出すべき言葉を失う。
「エルトリアって、架空の、世界だろ?」ハーシュメルトは一語一語ゆっくりとたしかめる。
「たしかに、わたしも実際に見たわけではないのですが、お母さんは不思議なちからを持っていて」話の途中で思い立つと、少女はランプとハーシュメルトの手を取り、部屋の奥の棚上に生けられた花の前まで移動した。
「どうしたの?」ハーシュメルトは受け取ったランプを棚に置く。
少女は花に手をのばすと、急に思い出して涙ぐむ。「ああ、この花! 呪うだなんて、ほんとうにごめんなさい。明日、別のものに変えておきますね」
不意をつかれ、ハーシュメルトは笑う。「いいよ、このままで。きみにだったら呪われてもかまわない。それより、なにをしようとしているの?」
「枯れている花があれば良かったのですけれど」そう言ってルディアーノは葉の一部を裂いた。「見ていてください」葉の裂け目に手を当て、何事かを呟くと、葉は元通りに治っていた。
「どういうこと?」
「お母さんの力はもっと強くて、ひとの怪我を治せたり。でもわたしはこれだけ」
「もう一回やって!」驚いているハーシュメルトは葉をちぎり、ルディアーノに手渡してからランプを近づける。
ルディアーノが同じ力をみせるとかれは興奮して、「すごい! こんなことが実際に起こるなんて!」治った葉をなんども指でさすっていた。「エルトリアの、魔術……ということ?」
ルディアーノは頷く。
青い髪、緑色の瞳、そして目の前で見た不思議な現象。冷静に照合すれば、ハーシュメルトの知っている物語上のエルトリア人の特徴は、完全にルディアーノと一致していた。「ぼくは信じるよ、きみのお母さんがエルトリアから来たってこと」まだ混乱していたが、かれはそう伝えた。
ハーシュメルトの気持にルディアーノは、「良かった」と呟いた。
「ほかに知っているひとはいるの?」
「ハーシュさまだけ」決して誰にも悟られないよう、両親からきつく注意されていた、とルディアーノは伝える。
「どうして、ぼくに?」
「この世界にわたしを知るひとがだれひとりいないと思ったら、怖くなって」
「それで、ぼくに?」
ルディアーノの頷きを見届けるとかれは、一応は信頼を勝ち得ているのだと誇らしくなり、無邪気にはしゃぐ心を精一杯静めて言う。「それじゃあ、ぼくたちふたりだけの秘密だね」そして微笑む少女の両腕にそっと手をかけ、「話してくれてありがとう」と伝えると、歩み寄ってきたルディアーノを受け止めた。
「こうなったらぼくの秘密も告白する。といってもきみのほど重大なものではないけれど。ぼくの家名を教える。スフォルツァ。ハーシュメルト・スフォルツァ、これがぼくの本名さ」
その後しばらく愛しいひとのなにもかもを包み込むように抱きかかえ、小鳥のさえずりのように愛の言葉を囁き合い、ごく親しい者のあいだでしか許されないほど密接し向き合い、そのままルディアーノの真心に、ハーシュメルトは自身の純愛を重ねた。




