第四章 二人の実力
カフェでチラシを広げたあの日から、俺たちの夏休みは文字通り怒涛の勢いで過ぎ去っていった。
他県で開催される『次世代ノイズ・オーディション』。その音源審査に間に合わせるため、俺たちは死に物狂いで二曲目を完成させた。一曲目の疾走感とはまた違う、胸の奥をキリキリと締め付けるようなエモーショナルなミドルバラード。俺が夜を徹して書き上げ、伏波さんに手渡した歌詞には、仮面を被らなければ生きられない人間の、剥き出しの孤独がこれでもかと詰め込まれていた。完成した音源を封筒に入れ、郵便ポストの暗がりに落とした瞬間の、あの吸い込まれるような独特の緊張感を、俺は生涯忘れないだろう。
それから一週間後、俺たちのスマホに届いたのは『音源審査通過』を告げる一通のメールだった。ネットでの二十万再生という実績も後押ししたのかもしれない。しかし、合格の文字を見た瞬間、俺たちの間に湧き上がったのは歓喜というよりも、いよいよ引き返せないところまで来てしまったという、喉の奥がカラカラに乾くようなヒリついた興奮だった。そこからの練習は、さらに苛烈を極めた。何しろ、俺たちには時間がない。そして何より、圧倒的に戦力が不足していた。
オーディションに参加する他のバンドやユニットは、ドラムやベースがいて、専属のマネージャーや機材スタッフを何人も従えているような、本格的なグループばかりだ。対する俺たちは、ステージに立つギタリスト兼ボーカルの伏波さんと、裏方ですべての音をコントロールする音響(PA)担当の俺。たったの二人きり。
「――柳くん、ここのサビに入る瞬間のディレイ、もうちょっと深くかけられる?」
冷房の効きが悪いレンタルスタジオの密室で、伏波さんが額の汗を拭いながらギターを爪弾く。
「やってみる。ただ、ドラムの同期音源とベースのトラックを俺のミキサーから同時に流すから、君のギターの生音と歌声のバランスをリアルタイムで微調整しないと、音が完全に潰れるよ」
俺はスタジオの隅に陣取り、持ち込んだノートPCとポータブルミキサーの画面を睨みつけながら、無数のツマミとフェーダーに指先を走らせていた。この三ヶ月、南校舎の空き教室で伏波さんの音を一番近くで聴き続けてきたのは俺だ。彼女がどんなタイミングで息を吸い、どんな感情を込めて弦を弾くのか、その癖のすべてが俺の頭の中には完全に叩き込まれている。ドラムやベースがいないのなら、俺が機材を使って、その場にいない演奏者たちの音を完璧に再現し、伏波さんの歌声と融合させるしかない。
「他のバンドはメンバーが多い分、ステージ上の呼吸で音を合わせられる。でも俺たちは二人だ。他のみんなより、圧倒的に不利な可能性が高い」
ミキサーのフェーダーを慎重に上げ下げしながら、俺は本音を口にした。本番のライブハウスの音響システムがどうなっているかも分からない。ぶっつけ本番に近い状態で、俺一人ですべての音のバランスをコントロールしなければならないのだ。プレッシャーで、胃のあたりがじわじわと痛む。
すると、伏波さんはギターのネックをぽんぽんと叩きながら、不敵な笑みを浮かべて俺を見た。
「何言ってるの。音響一人でも、それが柳くんだったら何の問題もないでしょ? っていうか、私にはそれだけで十分なんだけど」
「……何だよ、その根拠のない自信は」
「根拠ならあるよ。私の音を、世界で一番理解して、一番いい形に変えてくれるのは柳くんだもん。他の有象無象のスタッフが何十人いるより、柳くんが後ろにいてくれる方が、私は何百倍も心強い」
彼女は真っ直ぐに俺を見つめ、ニッといたずらっぽく微笑んだ。その視線を受けると、不思議と胸の奥の痛みが消え去り、代わりに、言いようのない絶対的な全能感が身体中を満たしていくのが分かった。そうだ。他の誰が相手だろうと関係ない。
伏波乃愛の『最初の観客』であり、彼女の音をここまで育ててきた『共犯者』は、俺なのだから。
「……分かったよ。絶対に、君の歌声を最高の状態で響かせてみせる」
何度もリハーサルを繰り返し、機材の操作方法を指先が覚えるまで叩き込んだ。
そして、ついにその日がやってきた。
八月の終わり。容赦ない夏の太陽が照りつける中、俺たちは重いギターケースと機材一式を抱え、普段乗ることのない他県行きの快速電車に揺られていた。窓の外を流れていく景色は、見慣れた灰色の通学路から、次第に深い緑の山々や、見たこともない街並みへと変わっていく。電車がガタンゴトンと規則正しい音を立てるたび、俺たちは自分たちの『安全な檻』からどんどん遠ざかり、誰も俺たちを知らない、真っ白な世界へと進んでいくのを感じていた。電車のボックス席、向かい側に座る伏波さんは、窓の外を見つめたまま一言も喋らない。いつもなら小生意気な口を叩くはずの彼女の指先が、膝の上で微かに震えているのを俺は見逃さなかった。いくら強がっていても、彼女だって本物のステージは初めてなのだ。俺はカバンの中から、炭酸レモンのペットボトルを彼女の前に差し出した。
「はい、共犯者さん。これ飲んで、少し落ち着いて」
伏波さんはハッと我に返ったように俺を見ると、少し照れくさそうにそれを受け取った。
「……ありがと。冷たくないじゃん、これ」
「贅沢言うな。ほら、もうすぐ目的地の駅に着くよ」
電車のブレーキ音が鳴り響き、アナウンスが俺たちの降りるべき駅の名を告げる。立ち上がり、重いカバンを肩にかけ直す。
改札口を抜けると、見たこともない他県の駅前ロータリーが広がっていた。
地方都市特有の、どこか広々とした空気に、容赦のない八月の終わりの西日がじりじりと照りつけている。駅の時計に目をやると、針はまだお昼過ぎを指していた。
「……集合時間まで、まだあと四時間もあるな」
俺がスマホの画面でタイムスケジュールを再確認しながら呟くと、隣に立つ伏波さんは「そうだね」と小さく生返事をした。いつもの小生意気な覇気はどこへやら、彼女は大きなギターケースを背負ったまま、所在なさげにローファーのつま先で地面を小突いている。心なしか、その顔色も少し青白い。普段は世界に逆襲するんだと豪語している彼女も、いざ本物のライブハウスを目の前にすると、押し寄せる現実のプレッシャーに呑まれそうになっているのが痛いほど伝わってきた。
このまま四時間、狭い控室や近くのベンチでじっと待っていたら、本番を迎える前に彼女の心が緊張で押し潰されてしまう。そう判断した俺は、肩にかけた機材バッグをよいしょと担ぎ直した。
「ねえ、伏波さん。せっかく遠くまで来たんだし、ちょっとそこら辺、観光でもしてみない?」
「え……観光? だって、これからオーディションだよ? そんな余裕――」
「余裕がないから行くんだよ。ここにいても、心臓に悪いだけだろ」
俺はいつもの優等生としての愛想笑いではなく、ただの柳魄栗として、意地悪く口元を緩めてみせた。
「ほら、行くよ。機材は駅のコインロッカーに預けちゃおう。ギターだけは心配だから持っていくけど」
伏波さんは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、俺の強引な誘いに少しだけ毒気を抜かれたように、「……まぁ、確かにここに突っ立ってるよりはマシかも」と小さく頷いた。
コインロッカーに重い荷物を預け、身軽になった俺たちは、駅前のアナウンスで知った地元の有名な古い神社へと足を運んだ。駅から少し歩いたところにあるその場所は、大きな鳥居をくぐった瞬間、都会の喧騒が嘘のように消え去り、鬱蒼とした木々に囲まれたひんやりとした空気が満ちていた。石畳の参道を歩くたび、ザッ、ザッ、と心地よい音が響く。
「へぇ……すごいね、ここ。なんか、タイムスリップしたみたい」
伏波さんは背中のギターケースを揺らしながら、物珍しそうに周囲の大きな木々を見上げている。風が吹くたびに、青々とした葉が擦れ合い、ざわざわと涼しげな音を立てていた。その自然のざわめきが、彼女の張り詰めていた肩の力を少しずつ解きほぐしていくのが分かった。
「でしょ。こういう静かな場所、伏波さんも好きだと思ってさ」
「私の趣味、完全に把握されてるじゃん。なんか悔しい」
伏波さんはぷいっと前を向いたが、その口元はかすかに緩んでいた。境内を奥まで進むと、古い手水舎があった。冷たい湧き水が絶え間なく流れ落ちている。俺たちは並んで手を洗い、そのあまりの冷たさに「冷たっ!」と同時に声を上げて笑い合った。顔を見合わせて笑う。その瞬間、彼女の瞳にいつもの真っ直ぐな輝きが戻ってきた。
「ねえ、柳くん。おみくじ引こうよ」
伏波さんは社務所を指差した。俺たちはそれぞれ百円玉を投じ、木製の箱から一本ずつおみくじを引き抜いた。
「せーので見せ合おう。せーの!」
広げた紙を見つめる。
「あ、私『中吉』だ。『願望――焦らず騒がず時を待てば叶う』だって。ライブのことかな」
「俺は『小吉』だな。『体調――過度の緊張は胃を痛める、休息をとれ』……見透かされすぎてて笑えないんだけど」
「あはは! 柳くん、裏方なのに私より緊張してたの? ダサいなぁ」
伏波さんはお腹を抱えてケラケラと笑った。その屈託のない笑顔を見て、俺は心の底からホッとしていた。彼女を笑わせることで、実は俺自身のガチガチだった緊張も、綺麗に消えてなくなっていたのだ。
帰り際、参道の脇にある小さなお茶屋に立ち寄った。店先に置かれた赤い毛氈の長椅子に腰掛け、俺たちは冷たい冷やし甘酒と、みたらし団子を注文した。
「んー! 美味しい! 走った後のジュースもいいけど、緊張した後の甘いものは最高だね」
伏波さんはお団子を頬張りながら、本当に幸せそうな顔をした。三ヶ月前、南校舎の四階で初めて二人でパンを分け合った時のことを思い出す。あの時はまだ、お互いに探り探りで、どこか張り詰めた空気があった。けれど今の俺たちは、言葉を交わさなくても、お互いが何を考えているのかなんとなく分かる。それくらい、濃密な三ヶ月を積み重ねてきたのだ。お茶屋の軒先から、風鈴がチリン、と涼しげな音を立てた。
夕方の本番が近づいている。けれど、もう俺たちの心に怯えはなかった。
「……柳くん」
甘酒のグラスを両手で持ちながら、伏波さんが真っ直ぐに俺を見た。
「ありがとう。連れ出してくれて。私、さっき駅に着いた時、本当は足が震えるくらい怖かったんだ」
「知ってたよ。指先、震えてたから。……でもさ、忘れないでよ。ステージに立つのは一人だけど、音を鳴らしているのは二人だ。他のどんなバンドよりも、俺たちの絆は強い。不利な可能性なんて、俺が全部ひっくり返して見せるから」
俺が本気でそう告げると、伏波さんは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから、今までで一番強い、確信に満ちた笑みを浮かべた。
「うん。私には柳くんがいる。それだけで、世界中を敵に回したって負ける気がしないよ」
スマートフォンのアラームが、集合の一時間前を告げる。俺たちは立ち上がり、お茶屋を後にした。四時間のモラトリアムは終わり、いよいよ本物の戦場へと向かう。
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ライブハウス『ノイズ・ジャンクション』のフロアは、押し合いへし合いする観客の熱気と、何台もの大型アンプから吐き出される暴力的な低音の振動で、文字通り限界まで沸騰していた。
他県で行われる『次世代ノイズ・オーディション』の本番。俺と伏波さんは、フロアの最奥にある関係者用の観覧スペースから、自分たちの出番の前にステージに上がった他のバンドたちの演奏をじっと見つめていた。
「――っ、すごいな、やっぱり……」
俺はステージから放たれる圧倒的な音の壁に気圧されながら、思わずそう呟いていた。ステージ上で躍動しているのは、地方予選を勝ち抜いてきた同世代のモンスターたちだ。息の合った歪なツインギターが火花を散らし、地を這うような重厚なベースと、人間のものとは思えない手数のドラムが、フロアの観客たちを文字通り狂乱の渦へと叩き込んでいる。
一曲のなかに詰め込まれた圧倒的な構成力、視線を一瞬たりとも逸らさせない圧倒的なフロントマンのカリスマ性。ネットの世界で二十万再生の数字を叩き出したからといって、生の現場でこれほどの熱量を持って人間を殴り続けてきた奴らの凄みは、画面越しでは決して分からないものだった。彼らの鳴らす音は、あまりにも純粋で、あまりにも美味かった。優等生を演じて生きてきた俺の小賢しい理屈なんて、一瞬で吹き飛ばしてしまうほどの本物の輝きがそこにはあった。
ふと隣を見ると、伏波さんはステージの照明を浴びて、じっと前を見つめたまま微動だにしていなかった。他のバンドの、あの容赦ない「上手さ」に圧倒されて、また緊張がぶり返してしまったのだろうか。神社での四時間のモラトリアムでせっかくほぐした心が、再びプレッシャーで押し潰されてしまったのではないかと、俺は内心焦りを感じながら彼女の横顔を覗き込んだ。
しかし、それは完全な杞憂だった。伏波さんの身体は確かに微かに震えていたが、それは恐怖や気後れによるものではなかった。彼女の切れ上がった瞳は、ステージの光を鋭く反射して、まるで獲物を見つけた肉食獣のように爛々と輝いている。その唇は、歓喜を堪えきれないとばかりに、不敵な笑みの形に釣り上がっていた。
「……ねえ、柳くん。みんなめちゃくちゃ上手いね。最高に格好いい」
ステージからの爆音に負けないよう、伏波さんは俺の耳元に顔を寄せ、弾んだ声で叫んだ。
「でもさ――負ける気が全くしないんだけど。私、今、無茶苦茶上手くいく自信しかないよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の奥の澱が一瞬で消え去った。そうだ。前の人たちの圧倒的な上手さに、心からの敬意と感動を覚えながらも、自分たちの音楽がそれを遥かに凌駕してみせるという絶対的な確信がある。根拠なんてない。けれど、この三ヶ月間、南校舎四階のあの埃っぽい空き教室で、誰の目も気にせず、ただお互いのためだけに音を磨き続けてきた俺たちには、その傲慢なまでの自信を持つ資格があった。
「あぁ、俺も同じ気持ちだ。他のバンドが何人いようが関係ない。ステージに立つのが君一人でも、音響の操作方法なら俺の指先が完全に覚えている。俺たちの音が、世界で一番強烈だってことを、今からあの人たちに教えてやろう」
俺たちは視線を交わし、力強く頷き合った。たった二人だけのオーケストラ。裏方の一人だけでも、それが俺だから大丈夫に決まっている。他のみんなより不利な可能性なんて、最初から一ミリも考慮にすら入っていなかった。そして、ついに俺たちの名前が呼ばれた。
伏波さんがアコースティックギターを抱えてステージのセンターへ進むのと同時に、俺はフロアの真ん中に設置されたPAブース(音響席)へと滑り込んだ。 ライブハウス専属の音響スタッフが、突然現れた高校生の俺を見て不審そうな目を向けたが、俺は一切怯むことなく、持ち込んだノートPCと機材をシステムへ接続した。周りに合わせて生きてきた俺の仮面は、もうここにはない。今、この瞬間だけは、伏波乃愛の音を完璧に支配する絶対的なエンジニアとしての俺が存在していた。
ステージの照明が落とされ、一瞬の静寂が訪れる。観客たちは、たった一人でアコギを抱えて立っている女子高生の姿に、どこか肩透かしを喰らったような、静かなざわめきを漏らしていた。前のバンドたちが大音量の爆音で盛り上げた後だ、弾き語りなんて退屈だと思われても仕方がなかった。
――けれど、俺たちの「逆襲」はそこからだった。俺はミキサーのフェーダーに手をかけ、指先へ全神経を集中させた。伏波さんが静かに息を吸い、ギターの第一音を爪弾く。その瞬間、俺は彼女の生音に、あらかじめ用意していた重厚なベーストラックと、心臓を直接叩くような同期ドラムの音源を、一分の狂いもなく完璧なタイミングで融合させてフロアへ解き放った。
ドンッ!!!
地響きのような重低音がライブハウスの壁を震わせた瞬間、フロアの観客たちが一斉にハッと目を見張った。アコギ一本の弾き語りだと思っていた空間が、一瞬にして、巨大なスタジアムロックのような圧倒的な音響空間へと変貌したのだ。
そして、伏波さんの歌声がマイクを通して炸裂した。三ヶ月間、俺が仮面の下から引きずり出してきたドロドロとした本音、息苦しさ、世界への違和感。それらが彼女の圧倒的な声量と、天を突き抜けるようなハイトーンに乗って、フロアにいる全員の鼓膜へ容赦なく突き刺さっていく。
俺はPAブースで、彼女の歌声の微かな揺れ、感情の高ぶりに合わせて、リアルタイムでエフェクトの深さをコントロールし続けた。サビに入る瞬間にディレイを深くかけ、彼女の声がまるで何万人もの絶叫となって響き渡るような劇的な空間を作り出す。他のバンドのようにステージ上のメンバーはいなくても、俺がここで、彼女の背後にある全ての音を完璧にビルドアップさせていた。
一曲目の疾走感がフロアを圧倒し、観客たちはいつの間にか、誰に命令されるでもなく狂ったように拳を突き上げ、身体を揺らしていた。
続けて披露した二曲目、夏の終わりの切なさと孤独を詰め込んだミドルバラードでは、俺はあえて同期の音を極限まで絞り、伏波さんのギターの弦の擦れる音と、息遣いだけをフロア全体に響かせた。静寂さえも味方につけるその緩急に、観客たちは息をすることすら忘れたように、ただただステージの彼女に見惚れていた。
最後のコードがジャラン、と鳴り響き、俺がフェーダーをゆっくりと下げていく。曲の余韻がライブハウスの暗がりに溶けていった。一瞬の、静寂。
次の瞬間、床が抜けるほどの地鳴りのような大歓声と、嵐のような拍手がフロア全体から巻き起こった
「ありがとう!!」
伏波さんはマイクに向かって短く叫び、ギターを高く掲げた。その顔は、汗と照明の光でキラキラと輝いていて、最高に格好よかった。彼女はステージの上から、フロアの遥か後ろにあるPAブースの俺を見つけ、ニッと無敵の笑顔を送ってきた。俺もまた、胸の高鳴りを抑えきれないまま、彼女に向かって親指を突き上げて応えた。
完璧だった。
無茶苦茶上手くいくというあの予感は、完全に現実のものとなったのだ。
全アーティストの演奏が終了し、ステージの照明が再び明るくなる。俺たちは、楽器や機材をすべて片付け終えた状態で、他の参加者たちと共にステージの袖で結果発表の瞬間を待っていた。ライブハウス内には、やりきった充実感と、これから勝者が決まるという独特のピリついた緊張感が漂っている。他のバンドの連中は、祈るように手を組んだり、落ち着かなさそうにメンバー同士で肩を組み合ったりしていた。
「柳くん、本当にお疲れ様。最高の音だった」
伏波さんは壁に背を預け、手元の冷えきった炭酸レモンの缶を指先で弄びながら、俺に微笑みかけてきた。激しいステージを終えた後の彼女の肌からは、まだ微かに熱気が立ち上っているようだった。
「お疲れ様。伏波さんの歌こそ、今までで一番凄かったよ。PAブースで鳥肌が止まらなかった」
「ふふ、でしょ? 言ったじゃん、上手くいく自信しかないって」
俺たちは並んで、ステージ中央に立つMCの男がマイクを握る姿をじっと見つめた。ドラムロールのような重々しいBGMが流れ、いよいよ最優秀賞の発表が始まろうとしている。周りの連中が緊張で息を呑む音が聞こえる。
けれど、俺たちの胸にあるのは、不思議なほどの静寂だった。結果がどうであれ、俺たちが他県のこの場所で、周りの目を気にする仮面を完全に叩き割り、自分たちの本当の声を世界に叩きつけたという事実は変わらない。誰も俺たちを知らないこの真っ白な世界で、俺たちは確かに、自分たちの足で立って、本物の拍手を勝ち取ったのだ。
「それでは発表します! 今回の『次世代ノイズ・オーディション』、栄えある最優秀賞は――」
MCの声が響き渡る。俺は隣に立つ伏波さんの、少し荒れた細い指先をそっと見つめた。
仮面を被り続けるだけの灰色だった俺の高校生活は、この夏、彼女と共に過ごした放課後の空き教室で、もう二度と元には戻らないほど鮮やかに塗り替えられていた。
俺は小さく息を吸い、彼女の隣で、ただの柳魄栗として、堂々とその結果を待った。




