旅立ちの前に
夜の鍛錬を終えたナツメとツバキは、草原の上でごろりと横になっていた。
すでに冬が深まり雪でも降りそうな勢いだったが、鍛錬でほてった体には丁度良かった。
ここはナツメのお気に入りの場所だった。
特にここから見上げる星は余りにも綺麗だ。
欠点と言えば、それよりも美しく愛おしい弟が隣で寝っ転がっているので、ついついそちらに目をやってしまうことだろうか。
指令がない場合は、いつも2人で鍛錬をしている事が多い。
というか、娯楽もろくに無い『里』では鍛錬か昼寝くらいしかすることがない。
まあナツメはそれだけでも充分だったが。
「明日か……」
ぽつりと、ナツメが言った。
「明日って……ああ、仕事か」
「うむ。またツバキと会えぬ日が続く……なんと悲しいことか」
里では12になるかどうかという歳で実戦に投入される。
元服の年よりも早いが、それでも『里』で育った――否、生き残った者であれば十分通用するのだ。
ツバキもナツメも、ここ数年様々な任務をこなしてきた。
そして明日も、それぞれ違う任務に赴くことになる。
「姉上はまた戦か?」
ナツメは傭兵。
ツバキは暗殺。
一緒にいることが多い2人でも、依頼を共にしたことは1度も無かった。
「ああ。もっとも、村同士の小競り合いみたいなものらしいがな」
「ハッ、そこに姉上投入するとか、雇い主はよっぽど勝ちたいらしいな。て言うか、姉上の立場だったら、依頼にえり好みしても大丈夫じゃないのか?」
確かにそうなのだが、ナツメは基本的に依頼を選ばない。
「刀を振るえる気概があるのなら振るっておきたいんだ。どれだけ鍛練を積もうが、やはり実戦に勝るものはないからな。一見つまらん依頼でも、思いも寄らぬ手練れと剣を交えることもある。その時の喜びといったら、計り知れんぞ」
「そういうもんかね」
「うむ、そういうものだ」
「俺はそーゆー驚きとは無縁でありたいね。大体ロクなことにならない」
そう言えば以前、浪人かと思ったらその正体が天下の大将軍だったという冗談みたいな場面に出くわし、命からがら逃げてきた、と言っていた。
ナツメとしてはなんとも心ときめく状況であるが、その時の経緯を口にするツバキの表情はとてもゲンナリしていた。
とまあこのように、2人の認識にはかなりの温度差がある。
剣こそ人生、刀の共に歩み強者との戦いに心を震わせるナツメに対して、ツバキにとって刀は道具。あくまで生きていくための手段と割り切っている。
剣術だけではなく、格闘術を使うこともあればそこら辺に落ちている木の枝や茶碗まで武器にする。
肝心の剣術も、殆ど我流に近い。
しかも『決死の太刀』は不得手と来ているのだから、周囲からは落ちこぼれと蔑まれる。
幼かったナツメも、その1人だった。
今思えば、なんと浅はかだったのだろう。
若さ故の過ちと言うには余りにも罪深い。
自分の人生の中で僅かでもツバキを蔑んでいた時期が合ったという事実だけでも耐えがたい。
当時の自分を切り捨ててやりたくもなるが、そんな時期もすぐに終わった。
気まぐれに剣を交えた際、ナツメは感じた。
ツバキの剣には、ナツメの――里の人間にはない何かがある。
今はまだ未熟で荒削りだが、この剣が成長すればどのようになるだろうか。
それを見たいと思い、師範代から匙を投げられたツバキと共に鍛練をするようになった。
そうこうしている間に一緒に過ごすことも多くなって、ナツメはすっかりツバキのことが愛おしくなっていた。
同じ種、同じ腹から生まれただけの存在と思っていたのに、いつの間にか『弟』と認識するようになっていたのだから不思議なものだ。
ツバキから初めて「姉上」と呼ばれた時の衝撃ときたら。
その後2日分の記憶がそっくりぬけ落ち、その後どんな反応をしたのかついぞ思い出せていない。
今ではツバキの剣技だけでなくツバキの存在そのものを愛しているがしかし、そのように至ったのはあくまでツバキの剣技がきっかけだ。
つまり、それが無ければナツメもツバキを落伍者として今も扱い続けていたということになる。
少しでも何かが違っていたら、今とは全く違う関係になっていたかもしれない。
その可能性がある、というだけでもナツメは自分が許せなくなりそうだった。
そもそも、剣術がきっかけというのも一周回って不純ではないだろうか。
さながら、体を目当てに近づくと言ったような具合ではなかろうか。
いや、剣術はナツメにとってとても大事なものだ。
しかしナツメが彼に近づいた経緯からいくと、ツバキから剣技を抜いたら全てが無価値になるとかそう言う話になってしまわないだろうか。
なんと酷薄な女だろう――!
以前そう己を責め、額を木の幹にガンガンぶつけていたところツバキに慌てて止められたことがあった。
「姉上って、そーゆーところ結構面倒臭いよな」
と呆れをたっぷり含んだ目で見られた。
少し興奮した。
つまるところ、ナツメの憂慮は完全にひとり相撲ということに終わった訳だ。
我ながらなんとも情けない話だが、しかし当時の自分は本当に真剣に考えていたのだ。
そう、過去の自分に苦笑していた時だった。
「俺さ、今回の仕事が終わったら『里』を抜けようと思う」
なんでもないように、ツバキがそう言った。
「……は?」
聞き間違いではあるまい。
考え事をしていても、弟の言葉を聞き逃す程脆弱な耳ではないのだ。
『里』を抜ける。
何故――とは、言えなかった。
ツバキの待遇――受けている仕打ちを考えれば極めて自然なことだった。
「『里』を抜けて……どうするつもりだ?」
「旅にでも出ようかなって。あっちこっち世界を巡って……日の本だけじゃなくて、いっそのこと華の国とか南蛮とかに行くのも良いかもな」
ふう、とツバキは小さく息をついた。
その瞳には、ここではないどこか別の国の景色が広がっているのだろうか。
「ま、どこも楽園とはいかないだろうけど、ここよりはマシだろ。メシはロクに出ないし、出て来てもミョーなモン入ってるし、得物の試し切りとか言って斬りかかられるし……ハッ、思い出しただけでもロクでもねえ場所だ。この景色以外褒めるところが何もねえ」
苦々しく吐き捨てるツバキの声には、実感しかこもっていない。
当たり前だ。
ツバキにとって、故郷というのはそういう場所なのだ。
「少なくとも、この近くは無理だな。『里』の連中も追ってくるだろうし……奴らの手が届かないところまで遠いところに行く。まあ、その後どうするか決めてはいないけどな」
ああ、と納得する。
それが、ツバキが欲しいものなのか。
「う、うむ。そうか……それは、いいな」
なんとか、沈んだ声を出さないようにした。
ナツメが『里』にいるのは、なんだかんだ剣の腕を磨くのにうってつけの場だったからだ。
が、ツバキの扱いは目に余る。
一緒にいる状態であればある程度は牽制できるが、依頼で『里』の外にいるときはどうしようもない。
里長にツバキの待遇を改善するよう何度も頼んだ――なんなら今日も頼んだ――が、結果は全て糠に釘だった。
ツバキにも後ろ指を指される人斬りのような暗殺ではなく花形の傭兵の仕事を紹介してほしいが、残念ながら今のナツメにはそこに口を出す権利はない。
だったらと、『里』の中で発言力を高めるべく周囲の期待以上の武功を上げるようにしているのだが……それでもまだ先は長い。
そのように働きかけていることはツバキには言っていなかったが、とうとうツバキは耐えかねて出ていくという選択をしたようだ。
里抜けをしようものなら、待っているのは死だ。
それを承知で、ツバキはナツメに話している。
それだけナツメは信用されているということは嬉しい反面、己の不甲斐なさと、何よりツバキに置いて行かれることの悲しさの間で板挟みになっていた。
やはり、もう少し強引な手段を使っても『里』を変えようとすべきだったか――
「姉上も来ないか?」
「……は?」
ツバキが何気なく言った言葉に、ナツメはぽかんと口を開けた。
「あ、いや、迷惑じゃなかったらって話だ。バレたら殺されちまうけど……その、姉上と一緒だったら楽しいかなって……姉上?」
気付けば、ツバキを抱きしめていた。
「ぐげっ、ちょっ、姉上……!」
じたばたもがく弟の体をぎゅうぎゅうと抱きしめ、心ゆくまで堪能する。
「ああ、行く。絶対に行く! 一緒に旅に出よう、ツバキ」
ついつい、涙声になってしまった。
ツバキも暴れるのを止めて、ナツメの背中に手を回した。
しばらくそうした後、ナツメはすっくと鳳を手に立ち上がった。
「よし、もう1本だ! 明日に向けての仕上げといくぞ!」
「体力ありすぎだろ……」
「愛の力と言うヤツだな」
「どっから湧いてくるんだよ、そんなの」
「湧いてきたのではない。おまえから貰ったのだ」
そんな上等なものが、己に最初から備わっていたとは思えない。
「そんな覚えはないんだけどな」
ツバキも苦笑しつつも立ち上がった。
稽古の後、合流場所を決めて、2人はそれぞれの任務へと赴いた。
ナツメの仕事はなんなく終わった。
気のせいか、ツバキのことを想うといつもより強くなる気がする。
ツバキと共にいたい、ツバキを守りたい。
剣を極めることに加えて、弟への想いは己を強くしてくれると信じて疑わなかった。
極めるだけでなく、愛する者を守るためにも剣を振るう
それがナツメの剣の道だった。
そのはず、だったのに。
「……ツバキ?」
合流場所で目にしたのは、首だけになって転がる弟の姿だった。




