取引
急激に体の温度が下がり、意識が浮上した。
体が濡れている。
水をかけられたのか――そう思った瞬間、背中が痛んだ。
「~~!」
悲鳴を必死に噛み殺し、周囲の様子を確認する。
光源は、天井に吊り下げられた魔石ランプのみ。
窓はなく、空気は淀んでいる。
地下室の可能性が高そうだ。
その後、シルヴィアは自分の目の前に立っている人物達に視線を走らせる。
白スーツの男と、バケツを持った黒スーツの男。
スーツの質の違いと立ち位置からして、白スーツの男の方が立場が上なのだろう。
「こんな状況でも探偵ごっこか?」
ペルペトーの声に、シルヴィアは不敵な笑みを返す。
「ごっこも何も、本職よ。ペルペトー」
肩をすくめるのと同時に傷が痛む。
椅子に縛られているということもあって、何気ない動作をするのにも一苦労だ。
「ほう、よく分かったな」
「初歩的な推理よ」
タングステン警部から聞いていた外見情報と概ね一致した。
が、金髪オールバックに白スーツという格好は裏社会では見ないこともないし、知り合いのホストにも似たような格好の者はいる。
が、その目――人を虫のように見る――そして虫のように潰す――その目は、裏社会の中でも注意が必要な人種特有のそれだ。
そしてその格好で最近恨みを買ったであろう人物は誰か、と言うと間違い無くペルペトーだろう。
「それで、何か用かしら? お茶の誘いにしては随分強引ではなくて?」
「俺は茶よりコーヒーが好きだ」
「私も好きよ。でも可愛そうね。あなた如きに飲まれることになんて、コーヒーも浮かばれないわ」
バケツを持った黒スーツの顔が青ざめる。
なるほど、やはりペルペトーファミリーはボスは恐れられることで、組織を支配しているタイプのようだ。
一方で、当のペルペトーは涼しい顔だ。
「浮かばれる浮かばれないの問題じゃないのさ。俺が飲むと行ったら飲む。有無を言わせず、な」
ここで挑発に乗ってくれれば色々やりようはあるのだが、迂闊に感情に流されてはボスは務まらない、ということか。
「でもお茶会以外だったら、まるで心当たりがないの。あなたとも初対面だし」
「うちの工場と転生者を壊しておいてよく言うな」
やはりバレてたか。
レコードは転生者の視界を覗くことができる。
「まあ、あれはあなたのものだったの? ごめんなさい。いきなり襲ってきたものだったから、うっかり壊しちゃったわ」
「惚けなくてもいいさ。おまえらがサツの依頼を受けて動いていたことは知っている。情報源を知りたいか?」
「結構よ。どうせロクなものじゃないでしょうから」
大方、警察の中にも協力者がいるのだろう。
「それは残念だ。まあいい、本題に入ろう。是非、俺の組織に入って欲しい」
「……は?」
聞き間違いだろうか。
何やら予想の斜め上――いや、斜め下の言葉がブッ飛んできたような気がした。
「おまえ達が工場を壊した件だが――実のところ、俺はそこまで気にしちゃいない。転生者はいなくなったし、工場もパーになったが、この2つは後からでもどうにでもなる」
「どうにでも……?」
それはおかしい。
現状、転生者を呼び出すほぼ唯一の手段であるレコードは使い切りだ。
1度召喚した時点で術式は焼き切れ、もう1度異界転生を行うことは不可能になる。
どうにでもならないはずはない……と考えたところで、シルヴィアはペルペトーの意図が読めた。
レコードは異界転生を行うためのほぼ唯一の手段。
だが、もう1つだけ抜け道が存在する。
「レコードがないんだったら、ゼロから術式を構築できる奴を引き入れればいい。そういうことさ、ブルームのお嬢様」
ギリッと、シルヴィアの歯が軋む。
「刀を持ったあの転生者は、そうやって呼び出したんだろ? 1度できたことが2度できない話は無い筈だ」
そこまで調べられていたか。
レコードは誰でも使える利点があるが、その分術式の細部を弄ることは不可能だ。
ましてや異界転生のレコードには、召喚した転生者を問答無用で傀儡へと変えてしまう術式が組み込まれている。
それを嫌ったシルヴィアは、ブルーム家の屋敷に残されていた禁書から手掛かりを得て異界転生の術式をゼロから構築したのだ。
そして今すぐ異界転生を行えと言われれば、問題無く使うことはできるだろう。
「あなたのために異界転生を行えと?」
「ああ。裏の世界じゃ、転生者の力を手に入れたところで完璧に優位になれる保証はねえ。金の卵を持っていようが、同じように持ってる奴らがゴロゴロいるんじゃ価値も減る。だが、おまえを手元に置くことで得られる利益は計り知れない。転生者が金の卵なら、おまえはさしずめそれを産む鶏だ」
鶏ときたか。
シルヴィアはペルペトーのビジネスの1つにかなりの打撃を与えた。
が、ペルペトーはそれに腹を立てることなく、襲撃者に価値を見出した。
クスリと転生者を召喚できる娘。
長い目で見てどちらが利益を得られるかと言えば、間違い無く後者だろう。
「おまけに、随分いい転生者を飼っているみたいじゃないか。スキルを無効化するスキルだったか? 転生者同士で戦うことも増えるだろうし、おあつらえ向きだ」
ツバキのスキルは厳密にはスキルを無効化するものではないのだが、わざわざ教えてやる必要もあるまい。
「私が頷いたとしても、ツバキまで協力するとは限らないわよ」
魔術的にはあくまで使い魔という体裁は取っているが、最後の安全弁を除いて傀儡化を解いているのでツバキに命令しても従うかどうかはツバキの心次第だ。
と言うか、そこまで素直に従ってくれるのであればシルヴィアの大切な出費(いや、投資と言っても差し支えない)にも文句は言わないはずだ。
「そんなのおまえが魔法を使えばどうとでもなるだろ。あんな力を持つバケモノを野放しにしている方がおかしいんだ」
すっと、シルヴィアの中で何かが冷めた。
「金は払う。ポストも相応なものを用意しよう。こちらに来て貰う時にどうも手荒になってしまったが、頷いてくれれば良い闇医者に治療させてやる」
リドーはシルヴィアに手で促した。
イエスかノーか。
シルヴィアに選ばせているようで、選択の余地はない。
断れば、そのままシルヴィアは海の底に沈むか、死なせてくれと懇願するようになることは想像に難くない。
条件としては、まあ悪くないだろう。
家が取り潰される前までとはいかなくとも、今の生活より豪華なものになることは想像に難くない。
今よりも質の良い服と、贅をこらした食事、本棚にずらりとならぶ稀少な本の数々。
そして自分の隣に立つ、瞳の輝きを失った傀儡の少年。
もちろん、答えは決まっていた。
「答えはノーよ」
ぴくり、とペルペトーの眉が動いた。
「予想外だった? だとしたら、下調べが甘くってよ」
「……理由を聞かせて貰おうか」
「決まってるでしょ? このシルヴィア・ブルームがが、おまえみたいなちっぽけな下郎に尻尾を振ると思っているの?」
鳩尾を蹴られた。
椅子と共に転倒し、最低限の処置しかされていない傷口から再び血が滲む。
空気を求めるように激しくえずくシルヴィアの髪をペルペトーが乱暴に掴んだ。
「俺は侮辱されるのが嫌いだ」
昆虫じみた面からは、怒気が滲み出ている。
「ブルーム家の人間? だからどうした。地位も名誉も何もない没落貴族だろう。お高くとまりやがって」
地位? 名誉?
それが無かったからといって何だというのだ。
「あんなもの、ただの飾りよ。下郎にはそれが分からないみたいね」
顔を床に叩き付けられた。
視界に火花が散り、鼻血が噴き出す。
だがシルヴィアは、言葉を止めない。
「いついかなる時でも気高く、美しく咲き誇れ――それがブルームの教えよ」
例え地位を失い、名誉に泥を塗られたとしても、それだけは譲れない。
そして、目の前の男は美しくない。
だからこそ話に乗ることは絶対にない
「カッコ付けやがって」
「それが私よ」
「知ってるか? そういう奴は、ここじゃすぐに死ぬ」
ペルペトーは苛立たしげに舌打ちをした。
表情が乏しいこの男に、ここまでさせたのは少し痛快だった。
「クスリを使え。そうなれば、嫌でも頭を下げることになる。その時を楽しみにするとしよう」
バケツを持っていた部下にそう命令して、ペルペトーは部屋を出て行った。
「うわー……なんてこと」
クスリの依存性は知識としては知っている。
が、体験したことはない。
ちくりと首筋に注射器の針が刺さる。
――これは、マズいわね。
クスリに蝕まれた状態で正常な判断ができると断言するのは中々に難しそうだ。
早速クスリが効いてきたらしい。
ふわふわとした気分になり、考えることが億劫になってくる。
だが、思考を止めればここで終わる――そんな予感があった。
なんでもいい、考え続けろ。
明日の天気や食べたい料理、来月出版される小説のタイトルをあらすじを次々と思い浮かべる。
だが、思考は徐々に輪郭を失っていく。
それでも抗う。
そしてふと、1人の少年を思い浮かべた。
「ツバキ……」
あの使い魔は、助けに来てくれるだろうか。
勿論助けに来てくれたら嬉しい。
しかし不安材料もある。
この前、ツバキの分のプリンをこっそり食べてしまったのだ。
当然ツバキは大層ご立腹していたが、それで愛想を尽かされ助けに来てくれない可能性もある。
食い物の恨みは恐ろしいとはこのことか。
それに、助けると言っても、それすなわちペルペトーファミリーを敵に回すという事だ。
ツバキならば構成員の相手くらいはどうとでもないだろうが、身の安全を確保するならば、シルヴィアを助けないという選択肢は充分現実的なものだ。
だけど――
「助けに来て、ほしいなぁ……」
どうしても、期待してしまう。
だって私にとって、ツバキは――




