走り出せ
どさりと、買ってきたものが落ちた音を他人事のように聞いていた。
事務所に帰ってきたツバキを出迎えたのは、焼き菓子特有のバターの香りと――血の臭い。
事務所には血が飛び散っていた。
そしてここにいるべき主がいない。
床に転がっているのは、白銀の星のレリーフが刻印された黒い拳銃。
「なんだよ、これ」
血が飛んで、
その中に銃が落ちていて、
シルヴィアがいない。
応接室から飛び出し、私室、トイレ、シャワールーム、キッチン……全て調べた。
だが、嫌でも目が引き寄せられる銀髪の少女は見つけられなかった。
そして再び、血が飛んだ応接室に戻ってくる。
「落ち着け、クソッ落ち着け……!」
何故だ、どうしてこうなった。
情報を整理しろ。
まとまらないまま行動してもロクなことにならない。
血の乾き具合からして、襲撃があったのはツバキが出かけてすぐだ。
僅かに体を引きずったが跡があるが、すぐに途絶えている。
何か袋にでも入れられたか?
出血の量はそこまでではない……少なくともこの場で死んだ可能性は低い。
つまり敵の目的はシルヴィアの身柄そのものか?
シルヴィアの持っている魔法の知識は極めて膨大だ。
それを悪用しようと思えばいくらでも悪用できる。
仮にどれだけ困窮しても、シルヴィアはそれらを悪用しようという選択肢が浮かばないのは疑いようがないが、悪意のある連中が利用しようとするなら話は別だ。
だが、誰だ?
心当たりが多過ぎて1つに絞れない。
シルヴィアがこの街に来てから、感謝と同じくらい恨みも買っている。
大概が逆恨みだが、逆恨みだろうがだんだろうが、晴らそうとするのが裏社会の連中だ。
「クソッ、クソッ……!」
ただでさえ回転が鈍い頭が、さらに錆び付いたようだった。
心臓の鼓動も乱れ、視界が狭まっていく。
吐き出される息がいやに荒い。
その時だった。
「おーい、シルヴィア。ちょっと手を貸しとくれ。あんのオンボロ空調、また不調でさ――」
弾かれたように振り向くと、応接間の惨状に目を見開いた女将の姿があった。
血に濡れた部屋、姿の見えない少女。そして武器をぶら下げ突っ立っている男。
何も知らない第三者が見れば、どう判断するのかなんて一目瞭然だ。
「違う。これは俺がやったんじゃ――」
飛び出てきたのはあまりにも情けない、言い訳じみた言葉だった。
女将は俺の目をじっと見た後、はあと嘆息した。
「まったく、なんてザマだい」
のしのしと俺に近づき、デコピンを食らわせる。
意識が体からブッ飛びかねない威力だった。
だが、ある程度冷静さは取り戻せた気がする。
「見りゃ分かるよ。シルヴィアがさらわれたんだろ?」
「あ、ああ……」
「それなのに、あんたはここで何つっ立ってるんだい?」
そうだ。
こんなことをしている場合じゃない。
どこまでヤキが回ってるんだ俺は……!
「まったく、よっぽど堪えてると見えるね。けど、もうそんなことしてる場合じゃあないよ。さっさと助けにいきな! ここの掃除はアタシがやっておくさ。この血の量じゃ、まだ生きてるよ」
「女将……」
「あの子にいてもらわないと色々困るのさ。なんせ、魔道具をタダで直してくれるからね」
「……家賃踏み倒される可能性を考えれば、そのメリット無いも同然だろ」
「忘れたのかい? アタシの徴収から最後まで逃げられたヤツはいないんだよ」
「そうだったな」
シルヴィアも、強制労働だったり買い出しに付き合わされたり、仕事の報酬丸ごとさっ引かれたりと、なんだかんだ家賃を払わずに済んだことは1度もなかった。
「……分かった。必ず連れて帰る」
俺は頷いて飛び出そうとして、少し脚を止め振り向いた。
「あと、シルヴィアが大怪我してる可能性もあるから、その時は今月と来月の家賃チャラに――」
「それとこれとじゃ話は別さ」
返事は聞こえないフリをして、ツバキは事務所を飛び出した。




