第七十四話 戦は始まらない
○
アルカニック・インペリアルがオルベイルに敗北した瞬間を目の当たりにしたスヴェントヴィト帝国軍の兵士達は、その事象に対して強い絶望の感情を顕にした。
彼らは、皇帝の棺によって統率されており、それを操るキール皇帝に、絶大な信頼を寄せていた。
故に、その大元が敗北した事は、即ち全軍が敗北した事に等しい。
そして、そこに生じた絶望の感情に舌鼓を打つ者がいた。
アナンタの使徒、タヴだ。
「私の描いた計画とは違ったけど、まあ、お陰でいい感じにニンゲンの絶望の感情を得られたわ」
アナンタは、大地や生物から生じる生体エネルギー「レイ」を吸収し、自らの生命の糧としている。
特に、知的生命体のレイは感情と共に発露する傾向が強かった。
加えて、絶望や恐怖による無気力感は、人間から必要以上のレイを漏出させる。
だからこそ、アナンタの使徒は人間を恐怖させ、絶望させる事を愉しみとしている傾向が強かった。
タヴは、すぐにその場に漏出したレイを吸収し、その力を増していき、その身体を異形の姿へと変質させていった。
○
「……ッ!」
「どうしたの、シイナ?」
シイナが何かを感じ取った事を、アルエはすぐに察した。
感情を表に出さないシイナの事をすぐに理解出来るのは、幼馴染の為せる業か。
「一世、今から指定するポイントに、タワーランチャーを撃ち込め!」
「ど、どうしたんだ?」
「早くしろ、手遅れになるッ!」
鬼気迫る表情のシイナの言葉に、一世は「分かった」とだけ告げると、タワーランチャーを指定された座標に向けて放った。
そこは、肉眼では何もないように見えるが、兵士達の絶望から生じたレイが、その場に渦巻き、巨大な何かを作り出そうとしていた。
それがカタチになる前に、シイナは一世に命じて、それを破壊しようと試みたのだ。
しかし、一手遅かった。
タワーランチャーの一撃は、その場にあった「何か」によって弾かれ、そして何もない筈の岩場から、異形の存在が姿を現す。
「アナンタの獣……いや、使徒かッ!」
明らかに知性を持って行動しているその化け物の動きを見て、一世はすぐにその正体を察した。
「アナンタの使徒……だと?」
聞き慣れぬ呼称に、キール皇帝が反応する。そう、この国では、その存在は遥か昔に記録から抹消されているのだ。
「獣どもの、上役だよ」
機体を再生させつつ、立ち上がろうとするアルカニック・インペリアルに手を差し伸べつつ、一世が簡単に説明する。
「なるほどな……今回のアナンタの獣の大群、奴が手引したという訳だ」
事の成り行きを理解し、キール皇帝は眼前に迫る化け物を見やった。
幾本もの触手や節足が生えたその姿はまさに醜悪そのものと形容できるが、その胴体部は何処か女性的なフォルムを見せていた。
そして、それが只者では無い事をすぐに理解すると、エイレーネーの無人機を残して全軍をその場から後退させる。
「あの敵は、我ら聖封騎士団と世界のアルカニック・ギアが抑え込むッ!」
「元からそのつもりだ!」
二機のアルカニック・ギアが雪原に並び立ち、その後ろにエイレーネーが控えている。
そして、遅れる形でマルコのウィルハンドとポーロのテンペランスが参戦する。
「おいおい、皇帝陛下。こりゃ一体どういう事ですか?」
「見ての通りだ。この者達と共に帝国の外敵を排除する」
「そういう訳で、よろしくなお二人共」
先程まで、命のやり取りをしていたにも関わらず、一世はまるでその事を気にしていないかのように二人に挨拶を交わした。
「そして、女帝の使い手も、その支配を解こう」
キール皇帝のその言葉と共に、エイレーネーは支配から開放され、メアリは自意識を目覚めさせた。
「あれ、私……今まで何を?」
「メアリ、良かった……」
「アルエ、私、何でこんな所にいるの?」
メアリは現状を理解できていない様子であったが、アルエは眼前に敵が迫っているとだけ伝えると、その言葉を受け止めて臨戦態勢に入った。
「行くぞ、皆!」
一世の号令と共に、五機のアルカニック・ギアが一斉に動いた。
○
十四基のアルカナの棺が、一つの目的の為にその力を振るう。
エイレーネーの生み出した軍勢を皇帝機が支配し、教皇の棺の連帯管制能力の庇護下に入る事で、一糸乱れぬ統率を以って周辺の雑兵を蹴散らしていく。
そこに生じた穴を抜け、オルベイルが一気に敵の懐へと入り込む。
それは、オルベイルがアナンタの使徒が繰り出す四方からの同時攻撃に晒される事を意味していたが、しかし正義の棺が生み出す絶対障壁は、その攻撃を物ともしない。
「援護するぜ!」
「ありがたい!」
マルコとポーロのコンビネーション攻撃が、アナンタの使徒の触手の数を減らし、強固な防御に覆われた本体を丸裸にする。
「おのれぇーーッ!」
名も知らぬアナンタの使徒の断末魔が、雪原に木霊する。
しかし、オルベイル……一世はそれに躊躇する様子を見せない。
ただ黙って死神の鎌を構え、使徒の首を落とした。
その一撃は、アナンタの使徒に絶対的な「滅び」を与え、その巨体を構成する細胞を、一片残らず塵芥へと転換させていった。
その力は、人には振るわない。人を害する「敵」に対して向けるのだ。
アナンタの使徒を撃破した事で統率を失ったアナンタの獣は、その後間もなくエイレーネーの生み出した無人機の数の暴力によって蹂躙され、程なくして騒乱は終結した。
○
帝都周辺の混乱を平定し、一世達はそのまま帝都に滞在する許可を得た。
だが、それを経てもなお、ギルドと帝国の間に蟠りが消えた訳ではない。
ともかく、一世達はキール皇帝への謁見を賜り、機甲ギルドと、ギルドと結託している導師ジョウの腹積もりを、自分が知る限り説明した。
「五年の内に、ドゥクス・アナンタが復活する。その意見は、導師ジョウがこの国に居た時に聞かされていた」
「では、何故彼らと敵対を?」
もっともらしい質問を、一世はキール皇帝へと投げかけた。
「それは、帝国とギルド、お互いが敵対したまま長い歴史を積み重ねすぎたが故だ。それにドゥクス・アナンタの復活を、ジョウの口以外で証明している者は少ない。仮にそれが事実だったとして、両者の溝が世界の滅亡までに埋まる筈が無い」
そう言ってキール皇帝は玉座から立ち上がり、ゆっくりと一世の方へと歩るいていく。
「そして、私は帝国の鉄道網を利用して巨大な電磁フィールド発生装置を作り出し、この国自体を一つのアーコロジー化しようと考えていた」
一世の後ろで、ネインが「アーコロジーって?」と囁き、すぐにその隣に立っていたアルエから「外からの補給を受けずに生産と消費をまかなえる施設の事」との説明が入る。
一緒にここまでやって来た少女の博識な一面を知りながら、一世はキール皇帝と顔を突き合わせる。
「……だが、アーコロジー化した所で国民全てを保護出来る訳ではない」
苦しい表情をして、キール皇帝が俯く。
そう、スヴェントヴィト帝国の地下都市郡のインフラでは、この国境内に住む人間全員を養うだけのリソースを生み出せない。
ギルドとの戦争を口減らしに利用し、更に電磁フィールド敷設工事に携わった貧民達を犠牲にしなければ自分の企みが成立しない事を、キール皇帝は一世に対して告白する。
その表情は、重圧に押し潰されそうな、苦渋に満ちた物だった。
「けど、それは皇帝が必死に考えて考えて、考え抜いた末の救済なんでしょう?」
だが、一世はそれでもなお、キール皇帝に手を差し伸べた。
「幼稚な考えだと、笑わないのか?」
「国を守ろうとした国家元首を笑うなんて、失礼にも程があるでしょ」
キール皇帝は、目の前の少年の手を、「ありがとう」と言って握り返した。




