【第8話】おかんギルドの侵略と、朝食テロ
奇跡の逆子出産から二日後の朝。
私は久しぶりに、誰の悲鳴にも邪魔されない静かな目覚めを迎えていた。
「……ふぁぁぁぁ。よく寝たぁ……」
やっぱり我が家が一番だ。
ボロ小屋の木漏れ日、鳥のさえずり。昨日の重労働の筋肉痛はあるけれど、今日こそは誰にも邪魔されず、縁側で一日中ゴロゴロして過ごすのだ。
「よし、朝ごはんの野草スープでも作ろうかしら――」
パジャマのまま寝室のドアを開けた、その瞬間。
ふわり、と私の鼻腔をくすぐる、信じられないほど甘美な香り。
香ばしく焼き上げられた小麦の香り。
ハーブと岩塩でじっくり煮込まれた、濃厚な肉骨粉スープの匂い。
搾りたてのミルクと、新鮮なバターのコクのある香り――。
「……え?」
私のボロ小屋のリビング兼キッチンに、見知らぬ異世界の絶景が広がっていた。
「あ、先生! お目覚めかい!?」
割烹着のような真っ白なエプロンを身にまとい、巨大な木べらを振るっていたのは、マーサだった。
それだけではない。
狭い小屋の中に、村の主婦や若い母親たちが十人近くひしめき合い、全員が一糸乱れぬ連携で立ち働いていた。
「こらトマの嫁さん! 先生のシーツの煮沸消毒は終わったのかい!?」
「バッチリですマーサさん! 灰汁と石鹸で三回洗い直して、天日干しにしてあります!」
「床の雑巾がけ、次亜塩素水で三往復完了しました!」
「採れたての有精卵と極上ベーコン、焼き上がりましたー!」
「………………は?」
私の口から、魂の抜けたような声が漏れた。
テーブルの上には、王侯貴族の晩餐会でも見たことがないような、超豪華な朝食のフルコースが所狭しと並べられていた。
山盛りの焼きたてクロワッサン。湯気を立てる具だくさんのポトフ。黄金色に輝くオムレツ。瑞々しい森の果物。
「ちょ、ちょっと待ちなさいマーサさん!!」
「なんだい先生、遠慮しちゃいけないよ! ほら、席に着いた着いた!」
マーサは私の肩をガシッと掴み、テーブルの特等席へ無理やり座らせた。
「な、何なのこれ!? なんであんたたちが私の家にいるの!? 鍵は!?」
「鍵? バルガスが『先生への補給物資なら通す!』って跳ね橋を下ろしてくれたよ!」
「あの脳筋門番めぇぇぇぇッ!!」
私の絶叫を意にも介さず、マーサは腰に手を当てて仁王立ちした。
「いいかい先生。あんたのおかげで、村の産褥熱は完全にゼロになった。アンナの赤ん坊も丸々太って乳を飲んでる。村中の母親たちが、あんたにどれだけ感謝してるか分かりゃしないよ!」
「そ、それは医療従事者として当然の処置をしただけで……」
「なのに! あんたのこの細い腕を見なさい! 骨と皮ばかりじゃないか! こんな粗末な小屋で、野草ばかりかじって昼寝してるなんて聞いたら、村中の女たちの名折れだよ!」
ドンッ、と私の目の前に、丼のような巨大なスープ皿が置かれた。
「今日からあたしたちが、先生の飯と洗濯と掃除をぜーんぶ面倒見てやるからね! 名付けて【エルシャ先生を守り隊】の結成だよッ!」
「おかんギルドォォォッ!?」
なにその恐ろしい組織!?
「い、いりません! 結構です! 私は一人で質素に、気ままにカップ麺……じゃなくて野草をかじって暮らしたいんです! 帰ってください!」
「何言ってるんだい、ほら、口を開けな! アーン!」
「んぐっ!? ……ん、んんんっ!?」
スプーンで無理やり口にねじ込まれたポトフ。
……信じられないほど、美味い。
じっくり煮込まれた根菜の甘みと、ホロホロに崩れる燻製肉の旨味が、前世からインスタント食品で荒れ果てていた私の五臓六腑に染み渡っていく。
「……う、美味い……ちくしょう、めちゃくちゃ美味しい……」
「だろ? ほら、肉もパンもおかわりは山ほどあるからね!」
私が涙目でポトフを飲み干していると、外から凄まじい地響きが聞こえてきた。
ズドドドドドドッ!!
ドガァァァァンッ!!
「……ねえ、マーサさん。外のあの工事音は何かしら?」
「あぁ、あれかい? 毎朝届く食材を保管する『大型保冷食品庫』と、先生の洗濯物を清潔に洗うための『専用大型洗濯場』を、外の男たちに増築させてるんだよ」
窓の外を見ると。
上半身裸のバルガスが巨木を軽々と担ぎ上げ、村の大工たちに「もっと頑丈な梁を組め! 先生の食糧庫に鼠一匹通すなッ!」と怒号を飛ばしていた。
その横では、クロが楽しそうに丸太を前脚で転がして手伝っている。
小屋の敷地が、見る見るうちに拡張されていく。
頑丈な石造りの貯蔵庫。引き込まれる清らかな小川の用水路。清潔な白布が何十枚も風にたなびく広大な干し場。
門には、最強のSランク戦士(警備)。
庭には、神話級の災厄魔獣(防衛)。
後方には、村中の主婦層が結託した鉄壁の兵站補給部隊。
「……あ、あの……私の、のんびりスローライフは……?」
私の震える呟きは、マーサの「ほら先生、次はオムレツだよ! 噛まずに飲み込みな!」という豪快な掛け声にかき消された。
私のボロ小屋は、本人の意思を完全に置き去りにしたまま、いかなる軍隊の包囲戦にも耐えうる「超一級の要塞補給基地」へと進化を遂げていた。




