【第1話】平穏を破るノックと、死相の巨漢
ドーーーーンッ!!
「頼もうッ! 誰かおらんのかッ!!」
ノックというより攻城槌の一撃だった。
立て付けの悪い木のドアが悲鳴を上げ、金具が外れんばかりに跳ね飛ぶ。
縁側から飛び起きた私が玄関へ小走りで向かうと、そこには血の匂いと泥の臭気をまとった、筋骨隆々の男たちが雪崩れ込んできていた。
重装プレートアーマーに巨大な戦斧。どう見ても歴戦のベテラン冒険者パーティーだ。
だが、その強者たちの顔は一様に恐怖で青ざめ、中央の二人がかりで一人の巨漢を担ぎ込んでいた。
「ぎ……ッ、が……ッ……!」
担ぎ込まれたのは、熊をそのまま人間にしたような大男だった。
身長は二メートルを優に超えているだろう。その屈強な胸板の右側には、何かの魔獣に抉られたのか、拳大の凄惨な刺創がパックリと口を開けていた。
大男は床に転がされ、喉をかきむしりながら紫色の泡を吹いている。
呼吸ができていない。完全にチアノーゼだ。
「じいさんはどこだ!? 薬草摘みのじいさんを呼べ! バルガスが……俺たちのリーダーが死んじまう!」
「じ、じいちゃんなら半年前にお墓に入ったよ! ていうか土足で上がらないで、床を拭いたばっかり――」
私が言いかけた瞬間、冒険者たちの後ろから白い法衣をまとった金髪の美男子が割り込んできた。
胸に掲げた豪奢な聖印。教会の高位神官らしい。
「どきなさい、娘さん! これ以上の問答は無意味だ!」
「え?」
「バルガス殿の胸には、魔獣の角に宿る邪悪な呪いが侵入している! 今すぐ傷口を聖別された樹脂で焼き塞ぎ、悪霊を祓う祈祷を行わねばならん!」
神官が叫ぶと、仲間の戦士たちが「よし、押さえろ!」と叫び、傷口を素手や汚れた布で力任せにギューギューと圧迫し始めた。
神官は懐から松脂の塊を取り出し、火打ち石でボッと火を点けようとする。
……は?
私の思考が一瞬、停止した。
焼き塞ぐ?
傷口を力任せに塞いで、祈祷?
「いやいやいや、ちょっと待って。関わりたくない。私はただのんびり暮らしたい町娘……余計な厄介事には首を突っ込まないって決めたんだから……」
私は後ずさりし、そのまま裏口から逃げ出そうとした。
そう、見なかったことにすればいい。私は医者じゃない。国試にも受かっていない、ただの転生者なんだから。
――だが。
「が、はっ……ごほっ……!」
床の巨漢が、血走った目で虚空を掴むように手を伸ばした。
その首元、胸元が、私の視界に否応なく飛び込んでくる。
(……待って)
私の脳内で、前世で何千回、何万回と叩き込まれた医学知識のニューロンが、音を立てて連結していく。
【視診】
・顔面、爪床に著明なチアノーゼ。
・胸骨上窩の気管が――明らかに左(健側)へぐにゃりと偏位している。
・首の右側。外頸静脈が、まるで太いロープのようにパンパンに怒張している。
・胸郭の右側が、呼吸していないのに不自然に丸く張り詰めている。
「おい、もっと強く押さえろ! 空気が漏れ出ないように完全に塞ぐんだ!」
「聖なる炎よ、傷口を焼き固め、悪霊の門を閉ざせ――!」
神官が火のついた松脂を傷口に押し当てようと振りかぶる。
その瞬間。
私の頭の中で、何かがブチリと音を立てて千切れた。
六年間。
オシャレも青春も全部捨てて、自習室で血反吐を吐きながら貪り読んだテキストの山。
指導医に怒鳴られながら叩き込まれた、救急救命の鉄則。
身体が、理性を完全に無視して動いていた。
バシィィィィンッ!!
「ぎゃっ!?」
澄み渡る乾いた音が、狭い小屋の中に響き渡った。
神官の手から松脂が吹き飛び、床を転がる。
神官は自分の赤く腫れ上がった手背を押さえ、信じられないものを見る目で私を見つめていた。
「な、何を……貴様、神聖な治療の邪魔を――」
「そこ。」
部屋の温度が、一瞬で氷点下に叩き落とされた。
言葉を発したのは、私だった。
自分でも驚くほど、低く、冷たく、底光りするようなドスの利いた声。
「そこの馬鹿二人。土足で人の家を踏み荒らすな。あと――」
私は床の巨漢を力任せに押さえつけている戦士たちの襟首を掴み、小柄な身体からは想像もつかない腕力で引き剥がした。
「傷口を塞ぐのを今すぐやめなさい。あんたたち、そいつを殺す気!?」
「な……ッ、殺す気だと!? 傷口を塞がねば血と気が抜けて死ぬに決まっているだろうが!」
「黙りなさいヤブ医者共!!」
私の怒声が一閃、小屋の空気をビリビリと震わせた。
荒くれ者たちが気圧され、息を呑んで後退る。
「気管は左に偏位、外頸静脈は高度怒張。呼吸音は消失、胸郭は右だけ奇異性過膨張……」
私は巨漢の胸に膝をつき、右胸を中指でトン、と弾いた。
――ポン、ポンッ。
返ってきたのは、人間の肉体から鳴るはずのない、張り詰めた太鼓を叩いたような乾いた鼓音。
間違いない。
教科書に載っていた、あの最悪の救急病態だ。
「……はぁ。最悪。私の平穏なスローライフ初日が……」
私は前髪を乱暴に掻き上げ、鋭い眼光で神官を睨みつけた。
「いい? 全員、息を止めて壁際に下がってなさい。一歩でも動いたら、その首へし折るからね」




