Ep⑨外伝 悪役令嬢は修道院で聖女になることにしました。その2
「実家の商売が軌道に乗り始めた頃、父は侯爵様に私を近づけようとしたの。まだ18歳だったわ」
メアリーは家業を大きくするために、侯爵家とつながり持とうとした父親に差し出されたということだろう。
「侯爵様にはすでに奥様がいらっしゃったから、初めは嫌だったのよ。でも実際にお会いしたら、とても素敵な方でね。すらりとして精悍な顔立ちに穏やかで優しいところに惹かれてしまったの」
メアリーはうふふっと微笑んでいる。
「私はこの紫がかった目が大嫌いだったのだけど、侯爵様はラベンダーのように美しいとほめてくださったの。そうしたら、自分の目がとても特別なもののような気がしてきたの。若い時の恋ってそれぐらいすごいものなのよね」
クレアは不思議に思った。大嫌いだったものが何より特別なものになるなんてことが起きてしまうのだろうか。
「奥様とは”白い結婚“だとおっしゃってたわ。だから自分がお慰めしてあげたいと思っていたの。毎週のようにうちを訪ねてくださって……そして1年ほどして彼の子を身ごもったわ」
思い出をひとつづつ大切に取り出すようにメアリーは続けた。
「息子が生まれた時はとても喜んでくださったし、それこそ週に何度も訪ねてくださって、とても幸せだった」
メアリーはそこまで言うと、大きなため息を一つついた。
「でも奥様にとっては“白い結婚”ではなかったのね。奥様はただただ不器用なだけの方だった。実は心から旦那様を愛していらっしゃった。それを知った侯爵様は”間違い“に気づいて奥様をとても大事にされるようになったの」
「…そんな」
クレアの表情が曇った。
「そうして“強くなった奥様”は息子を庶子として認める代わりに、私が修道院に入ることを条件にしてきたわ」
修道院に入るということは、この場合、侯爵様と二度と会うなということと同義だ。
クレアは何も言えなかった。
ただただメアリーの不遇を気の毒に思うことしかできなかった。
「侯爵様としても元公女の奥様をないがしろにするわけにもいかなくてね、私を傍に置いておくことはできなかったの」
「そんなの無責任すぎませんか?」
クレアはだんだん侯爵と侯爵夫人に腹が立ってきた。
「そうね。でも、悪役令嬢は退場するのが筋書ってものなのよ。だから思い切って修道院で聖女になることにしたの」
メアリーの顔にはどこかすがすがしささえ感じた。
「それにね、この仕事も始めてみる意外と悪くなかったのよ。やりがいもあったしね」
そういうと、メアリーは誇らしげな表情を浮かべた。
それはクレアも知っている。
メアリーが孤児院を立ち上げるために、実家や実家の伝手を頼り、貴族たちに手紙を送り、時に交渉し、何とか方々から資金を集めたと聞いていた。
「孤児院を立ち上げて数年たったころだったわ。ひと際大きな額の寄付が寄せられたの。差出人にはイニシャルと”私のラベンダーへ”」と書かれていたわ」
クレアは侯爵の図々しさにイライラしてきた。
しかし、メアリーはなんだかニコニコしていた。
「調べなくても誰かわかったわ。覚えていてくれたのねえ……。それに”私の”なんて可笑しいでしょう?会えなくなって何年もたってるのに、いまだに自分のものだと思ってらっしゃるのよ。ふふふ。それを見たら侯爵様がなんとも可愛く思えて、何もかも許せてしまったのよ。」
「振り返ってみると、人生で唯一愛し愛されることを教えてくれた人でもあるの。彼を愛したことも、その結果として息子を授かったことを悔いることなどないもの。おかげで息子は実家で育ててもらえることになったし、医科大学の費用も出してもらえたしね」
そういってメアリーは片目をつぶった。
「むしろ、これでよかったのよ。息子を戦場に送り出さなくていいんだもの」
メアリーが伏し目がちになった。
「騎士団を持つ侯爵家の令息たちは、そうはいかないでしょう?」
クレアはメアリーが手放したものと、守り抜いたもののことを思った。
クレアはメアリーに聞きたいことがあった。
「侯爵様に会いたいとは思われますか?」
「そうねえ、会いたいと思っていたこともあるし、恨んだことがないと言えば嘘になるわね。でも、もし会えていたら、許せなかったんじゃないかと思うの」
「それに、綺麗な思い出のまま後悔と一緒に彼の中に閉じ込めておきたい気もするのよ。女の意地みたいなものかしらね。私って結構意地が悪いのかもしれない」
メアリーは笑っている。
これぐらいの意地悪は許されるべきだろうとクレアは思った。
「クレア、人生は最後までどうなるか分からないの。意図せず誰かを傷つけることも、幸せにすることもあるの。どんな選択をしても後悔は残るかもしれない。ならば自分の気持ちの動いた方にかけてみてもいいんじゃないかしら」
ラベンダーの良い香りが鼻腔に広がっていた。
メアリーと彼女の最愛の人をこの優しい香りが包んでいたこともあったのだろうかとクレアはぼんやりと考えていた。




