Ep⑩外伝 悪役令嬢は修道院で聖女を目指すことにしました。その3
「クレア、話があるんだ」
クレアが台所で準備をしていると、ジョンが声をかけてきた。
「実は、父が王都から帰ったら、大学に戻ろうと思うんだ」
「……」
クレアは言葉を失った。よくよく考えれば当然だった。
大学生なのだから、ずっとここにいる訳がないのだ。
自分たちだって、患者たちが落ち着けば修道院に帰るのだ。
「そう、良かったわね」
クレアは何食わぬ顔でそういうのが精一杯だった。
しかしジョンはどこか傷ついたような顔をしている。
「そう?僕は寂しいよ。君と会えなくなるのは辛い」
「どういう意味?」
「その通りの意味だよ」
「……私は聖女になるのよ?」
「知ってる」
ジョンは急に不貞腐れたような顔になった。
屋敷に来てからこれまで見たことない顔をしている。
患者に向き合う時の彼は声にも表情にも威厳があった。
質の悪い患者からクレアを助けてくれたこともあった。
それが今や悪戯を咎められた子供みたいに拗ねている。
「私みたいなのがめずらしいだけでしょ?美しい顔も妖精のような手足もないのに」
「心外だなあ。君は僕が顔や見た目にしか興味ない男だと思ってるの?」
「ごめんなさい、そういう訳じゃないの。でも…」
「君は自分の魅力を分かってないんだね。太陽の下にいる君は女神みたいに美しいのに」
この健康優良児を絵に描いたような見た目を「女神のよう」などと言われたのは初めてだった。
「君が好きだよ」
”リンゴがすきだよ”というのと同じような調子でジョンが言う。
しかし、クレアは息の仕方を忘れそうになった。
「聖女に恋をして”地獄の業火に放り込まれる”なら本望だ」
「あ、あれは…ちょっと言い過ぎたと反省しているのよ」
ジョンがくすくす笑っている。
「からかってるだけならやめて」
今度はクレアが膨れてしまった。
「ふふ、ごめん。でも、僕は本当のことしか言ってないよ」
ジョンがクレアの機嫌をうかがうように見た。
「僕の母も聖女になる予定だったんだ」
「そう……なの?」
「ああ、でも父と結婚するために還俗したと聞いてる」
還俗とは修道院を出て、俗世に戻ることだ。
「簡単な事じゃないって分かってる。でも、もし君が僕と同じ気持ちなら大学に戻る前に教えてほしい」
そういって、ジョンは台所を後にした。
◇
王都から、ジョージとグレースが戻ってきた。
何故かミハイル殿下もいる。
相変わらずアンジェリカの姿を目で追っているようだ。
ミハイル殿下が少々気の毒になるほど、アンジェリカはいつも通り黙々と仕事をしている。
誰がどう見てもわかるものでも当事者には分からないこともあるらしい。
クレアは自分のジョンへの気持ちを持て余していたが、先日彼からはっきりと気持ちを伝えられた。
しかし修道院を出て還俗したとして。
この先ジョンが心変わりしない保証などどこにもない。
しかし、このまま修道院に居続けて、聖女として生きていくということは、ジョンがほかの誰かと幸せになるのを願いながら生きることになる。
そう考えるとクレアの気持ちはざわついた。
これは嫉妬というものだろうか。
なぜ彼がほかの誰かと幸せになることを願えないのか。
部屋で荷物の運び込みを手伝っていたら、グレースがクレアに声をかけた。
「なあに?随分深刻な顔ねえ」
「あの、グレース様はこれまで修道院での暮らしを辞めたいと思ったことはあるのでしょうか?」
「ああ、それはあるわ」
グレースは事もなげに言う。
「辞めたかった理由はお聞きしても?」
「そうね、若いころは色々葛藤もあったわね。あとはこのまま結婚せずに人生が終わることが本当にいいのかなあとかね」
聖女だが、とんでもないことをあっけらかんと言っている。
でも、グレースのこういう正直なところがクレアは好きだった。
「それは、やはり生涯を共にしたい殿方がいらっしゃったのでしょうか?」
「まあ、憧れの人はいたわね」
「それで、その方とは?」
「親友と結婚したから、私なんて入る隙もなかったわ」
グレースは肩をすくめて言った。
「ただ、仕事は大変なことも多いけど、やりがいもあったしね。戦災孤児や行き場のない病人が沢山いて毎日必死だったの。そうしたらいつのまにか、この年になっちゃったのよう」
あはは、と豪快に笑っている。
「……なに?迷ってるの?」
言い淀むクレアをみてグレースは彼女の気持ちを察したようだ。
「ふーん、まあ何となく察しは付くけど……」
「あの、私、本当にどうしたらいいのか……」
グレースは小さなため息をついた。
「……私はその親友を実の姉のように慕っていたの。でもまだ幼い子供二人を残して死んでしまったわ」
「そうなんですか…」
ダイアナのことだろうか。クレアはあえて聞かないことにした。
「ええ、その時は姉妹同然の親友を亡くしてとても辛かったの。でも一瞬だけ、彼の心に自分が入り込めるんじゃないか、慰めあえるんじゃないかって思ってしまったの。……最低でしょ?ほんの一瞬だったとしても、自分のことが許せなくなったの」
グレースの顔がほんのりと曇った。




