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夕陽亭そば勝負  作者: 杉下栄吉
23/28

新たな味に向けて

22、新たな味に向けて 

 島根県の蕎麦は出雲そばと言って、岩手椀子そば、信州戸隠そば、出雲割子そばで日本3大そばに数えられる。1年分の注文を終えてほっとしてからネットで調べてみるとその記述があった。杉下は

「越前おろし蕎麦よりメジャーなんだな。」

と感心した。ネット記事には、

「蕎麦粉を作るとき蕎麦の実を皮ごと石臼で挽くため、蕎麦の色は濃く黒く見え、香りが強い。食べ方にも特色があり、「割子そば」「釜揚げそば」といった独特の食べ方が広まっている。」

とあった。

「どうりで蕎麦の香りが強いわけだな。」と感心した。

9月の営業は残りの蕎麦粉を使って通常営業を続けてきた。このまま11月初めまでは続けていけるはずだ。今日もいつものように畑に行き野菜を収穫し、店に戻ってつゆを作り、最後にそばを打って営業に備えていた。開店前の10時30分ごろ杉下の妻の携帯電話が鳴った。妻は

「誰かしら、開店前なのに。」

と言って携帯のモニターを見ると勝山のお義姉さんからである。名前を確認して携帯に出た。

「もしもし、お義姉さん、お久しぶり。どうしたの?」

と聞くと

「以前、県内産でおいしい本わさびがないかって言ってましたよね。本わさびに限定すると天然ものしかなくて安定的に供給することは難しいです。県外でも良ければ石川県で栽培しているところがあります。勝山から国道157号線で谷峠を越えた白峰地区で『白山わさび』という在来種のわさびが栽培されているんです。ちなみに国内で流通するワサビの種類は、「だるま系」、「真妻まづま系」「島根3号系」のいずれかだそうですが、白山ワサビのDNA型を鑑定すると、既存の三系統とは異なるDNA配列が示されたそうです。白山ワサビは、直径約二センチほどの太い根茎が特徴で、一般的な三品種より太く、香りが強いのが特徴です。国内に流通しているワサビとは系統の違うワサビというのが、在来種にこだわる夕陽亭の蕎麦と、相性がいいんじゃないかと思ったんです。どうですか。」

電話口でお義姉さんが紹介してくれた内容を妻は携帯をスピーカーにしていたので杉下も聞くことができた。杉下は

「お義姉さん、ありがとうございます。市場に出回っているワサビとは違うオリジナリティーがいいですね。早速、次の月曜日にでも白峰まで行ってみたいと思うんですが、連絡はこっちからとってみればいいですかね。」と聞くと、

「仕事上で付き合いがあるので、私からも連絡は取っておきますが、直接電話してアポを取ってください。『豊田さんの紹介で』と言っていただければ便宜を図っていただけると思います。」

と言ってくれた。杉下はどんな香りのワサビなのかが楽しみになってきた。ワクワクする気持ちを抑えながら、その日の営業は笑顔を隠しきれない表情での営業が続いた。夕方、営業が終わるとすぐに豊田のお義姉さんに聞いた番号に電話してみた。

「白山わさび生産組合さんですか。福井県JAの豊田さんからご紹介いただいた福井県の杉下ですけど、わさびについてお伺いしたいことがあるんですけど。」と言うと

「豊田さんからのお話ですね。豊田さんにはいつもお世話になっています。先日、お電話いただいております。少しお待ちください。ワサビ販売担当の吉村と代わります。」

と言って担当者が代わった。「電話代わりました。販売担当の吉村です。豊田さんからはワサビを購入したいという蕎麦屋さんがいると聞いています。品物についてはどんなワサビかご存じでしょうか。」と言われ、

「白山わさびの評判は聞いています。素晴らしいものだと思いますが、直接、自分の目で見て自分の舌で味わってみて決めたいと思っているんですが、明日、そちらへお伺いしてもよろしいでしょうか。」と言うと、吉村さんは

「明日は午後は金沢の業者さんが来るので、午前中ならお相手できます。9時からお会いするという事でどうでしょうか。」

と提案された。杉下は

「それでは9時までにそちらに着くように出かけますのでよろしくお願いします。」と約束をした。

翌日は7時半に杉下夫婦2人で車に乗って白峰へ向けて出発した。永平寺町から中部縦貫道路を勝山まで行き、そこから勝山市内を抜けて国道157号線を進むと左手には福井県恐竜博物館が山の上にそびえたっている。右側にはスキージャム勝山の入口がある。そこからは山の中にどうしてこんなに広い道が必要なんだと呆れるくらい立派な道路が続く。ひたすら上りの道路を進むと谷峠のトンネルが出てきた。県境にあるこのトンネルを抜けると石川県白峰村に入った。そこからは幅の広い道路で下り坂を約5分走り白峰の集落に到着した。生産組合の事務所はその集落から右折して、手取川沿いに白山に向かって上流に車を走らせると、集落の端の道沿いに案内看板があった。看板の指示に従って坂を上ると、小さな事務所と2,3台停めるといっぱいになる駐車場があった。車を降りると周りは深い谷あいで四方が緑の森林に囲まれていた。この村は温泉も出ていて白峰温泉として総湯もあるし、温泉宿なども充実している。閉鎖してしまったが大きなスキー場もあり杉下もスキーブームの時には何回も来たことがあった。車を降りて周りをじっくりと見まわしたのち、事務所の扉を開けて

「こんにちは。福井から来ました杉下です。吉村さんはいらっしゃいますか。」

と挨拶した。事務所の中には40代と思われる男性と30代と思われる女性の2人がいたが、男性の方が立ち上がり

「どうもお待ちしておりました。私が吉村です。」

と言って名刺を出してきた。

「私は3年前までは中学校で教員をしていましたが、退職してからは名刺を持ち合わせていません。ご勘弁ください。私たちは夕陽亭と言う蕎麦屋を営業しております。かつて50年前まで永平寺町の浄法寺と言う地域でのみ栽培されていた的川蕎麦という在来種を使っています。粒が小さく収量が少ないので、栽培されなくなってしまった品種ですが、反面、蕎麦の香りが強い味わい深い蕎麦なんです。残念ながら今年の豪雨災害で今年収穫するはずだった蕎麦は全滅してしまったんですが、この11月からは島根県産の出雲そばの粉で代用しようと思っています。そこで、新たな目玉としてワサビにこだわろうと思って、いろいろ探していたわけなんです。そんなときに豊田さんからこちらのワサビを紹介されたんです。どうかよろしくお願いします。」

と簡単に経緯を説明した。吉村さんは

「それではまず畑を見てもらいましょうか。」

と言って外へ出るように手招きをしてくれた。

「組合の車を出しますからこちらへどうぞ。」

と言ってくれたので、「白山わさび生産組合」と車体に書かれたワゴン車に乗り込んだ。白山の上り口である一ノ瀬の手前で大きな道をそれて小さな谷に入っていった。

「このあたりは登山客もほとんど来ません。地元の者も滅多に来ない山奥ですが、この少し奥に我々がワサビ田を作った沢があります。」と道案内してくれたが、すぐに

「つきました。ここから歩いて2,3分です。どうぞ」

と言って車を降りるように促してくれた。言われるままに車を降りて谷沿いにしばらく歩くと谷川が段々畑のように造成してある場所に出た。それぞれの段にぎっしりと緑色の葉っぱの植物が生えている。あきらかにワサビである。10m以上離れているがワサビの香りが辺りに満ち溢れている。ワサビの田んぼは1段10m程度の長さで幅は5m程度だが、この段が見えるだけでも5段はある。さらにこれが谷川の両側に広がっているので、相当な大きさである。

「すごいですね。こんなに大きいと思ってもいませんでした。もう少し近くに行ってもいいですか。」と聞くと

「どうぞ来てください。」

と言って手招きをしてくれた。近くで見るとワサビだが従来知っているものに比べて明らかに太い。

「これはここでどれくらい育てるんですか。」と聞くと

「成長具合にもよりますが、2年から3年です。」

という事だった。1本1本生えているワサビを育てている水は谷川の本当に美しい水である。この水だからこそこのワサビが成長を続けるのだろう。そんな思いを強くした。

「ちょっとかじってみますか。」

と言って吉村さんがはっぱを2枚取って2人にそれぞれ手渡してくれた。谷川の水でさっと洗って茎をかじってみた。

「香りが強い。おいしい。」

強烈な刺激だった。辛さもあるが、ワサビの風味がまるで違う。口に入れて歯でかんだ瞬間にあふれ出る液体からほとばしる香りが鼻を抜けて脳に刺激を伝えてくる。その刺激は3秒後には今度は頭の頂点から出てきて目の前に下りてくるような感触があった。これだという思いを持った。吉村さんは

「ワサビ本体は事務所で試食しましょう。」

と言って再び車に乗って事務所に戻った。事務所のテーブルに座ると事務職の女性が

「ご苦労様でした。」

と言ってお茶を入れてくれた。お茶を飲んでくつろいでいると吉村さんが

「今朝、取ってきたワサビです。」

と言ってはさみで周りの茎を切り落とし、太い茎だけになったワサビをおろし金でおろし始めた。薄い緑色のおろされたワサビが皿の上に少しだけだが落ちた。

「では、試食してください。」

と促され箸でほんの少しだけ口にしてみた。先ほどの葉ワサビよりももっと刺激的で心地良い気持ちにさせてくれる。杉下が求めていた辛さだと思った。かつて池田の一福で食べさせてもらって感動を覚えた塩味のワサビ入りのおろし蕎麦を思い出した。一福のおじいさんはどこのワサビを使っていたのかは今となってはわからないが、もしかしたらこのワサビと同じ品種を使ったのかもしれない。可能性はありそうな気がした。

ここからは値段交渉とどれだけの量を分けていただけるかである。販売担当の吉村さんは何とか高く売りたいが、安定的に販売できることも重要である。

「量的には毎日2本程度、1週間で10本、1年間で50週で500本 新鮮さが命ですから毎週10本ずつ宅配業者を使って送ってもらうというのはどうでしょうか。」と提案すると

「年間500本は多すぎます。他のお客様もたくさんいるので夕陽亭さんにだけたくさん送るわけにはいきません。半分の250本にしてください。」

と言われた。毎週5本、1日1本である。

「わかりました。値段はどれくらいですか。」と聞くと

「うちでは100g2000円でどなたにもお願いしています。この値段はどの業者さんにも守っていただいています。」

と言われその値段で折り合った。交渉は成立、来週から送られることになった。

「来週から頂けるなら、しばらくはサービスですべてのおろし蕎麦に薬味として付けてみよう。」

と杉下が言うと

「それはいいわね。みなさんに喜ばれるかもね。」

と妻も賛成してくれた。吉村さんは

「ただでつけてしまうのはどうでしょうか。一旦無料にしてしまうと有料にしたときに不満が出るかもしれませんよ。」

と指摘してくれた。

「それじゃ、島根の蕎麦粉を使い始めると同時に、ワサビおろし蕎麦として50円割増しで販売するとして、それまではワサビ単品で50円とするのはどうだろう。」

というとみんなそれで納得した。「それでは来週から送っていただけますようによろしくお願いします。」とご挨拶して車をスタートさせた。 


厨房で話を聞いているご婦人たちは話の展開に

「面白くなってきたわね。今度はワサビにこだわりだしたのね。池田で食べた一福の塩そばのワサビを思い出したわけね。いい線いってると思うわ。その後の売り上げはアップしていったんでしょうね。」大きな期待をされて話しにくくなった主人ではあったが

「ワサビを提供するようになり、ワサビは好評でしたね。石川県産なので福井、特に地元永平寺に対するこだわりと言う面では薄くなるんですが、味の面では深みを出せたと思います。でも11月には的川蕎麦が底をついちゃっていよいよ島根県産を使うことになります。」


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