島根蕎麦
23、島根蕎麦
11月になり、的川蕎麦の蕎麦粉が底をついた。いよいよ明日から出雲そばの粉を使うことになった。出雲そばの粉は先週今月分50kgが宅急便で送られてきた。ワサビは9月後半から毎週送られてきている。朝、畑に行き野菜を収穫することも、店に戻ってだしつゆを作ることも同じ。しかし今日から1年間は出雲そばの粉を使って蕎麦を打つ。
「いよいよ今日から新しい蕎麦粉ね。私は店の中の掲示物を貼りなおすわね。」
と妻は言って、昨夜一生懸命パソコンで作った張り紙を店内に貼った。
「お詫び 今夏の豪雨災害で当店看板商品の的川蕎麦を栽培していた畑が全滅いたしました。つきましては11月15日より約1年間島根県の蕎麦粉で代替させていただきます。今後とも御贔屓にお願いいたします。」
「新メニュー ワサビおろし蕎麦 450円
白峰の白山わさび 香りが違います。」
お詫びの紙は店内に3枚、新メニューも3枚貼った。
杉下の蕎麦打ちは蕎麦粉が代わったからと言ってさほどの変化はなかった。先日、試食で食べてみたときにもそれほど味の低下はなかった。いろいろ試食して選んだ甲斐はあった。11時になり最初のお客さんが来た。妻がお茶を入れて注文を聞きに2階まで上がっていった。
「いらっしゃいませ。申し訳ございませんが9月の豪雨災害で当店契約農家の蕎麦畑が被災しまして、的川蕎麦がご用意できなくなってしまいました。代わりにできるだけ近い味が出せる蕎麦粉を県内外から探しまして島根県の出雲そばに使っている蕎麦粉を仕入れまして、代用させていただくことになりました。どうかよろしくお願いいたします。」と説明すると、
「あ、それでいいよ。おろし蕎麦2つ。あれ、新メニューもあるの。あの紙に書いてあるやつ。ワサビおろし蕎麦、いいな それじゃおろし蕎麦1つとわさびおろし蕎麦1つでお願いします。」
と注文をいただいた。妻が1階まで下りてきて、注文を杉下に伝えると、煮えたぎった大釜に2食分の蕎麦を入れて茹で始めた。その間に大根をおろし、ワサビも1人分おろした。大根おろしもわさびもおろしたてが命。出来ることなら食べるテーブルの前でおろしたいくらいだが、新鮮さを大切にしたい。ゆであがった麺を冷水で一気に洗い、蕎麦ざらにもりつけ、だしつゆは別容器に大根おろしと共にたっぷり入れて提供する。ワサビは約2グラムを蕎麦の上に乗せた。妻がお盆に乗せて2階に上がってお客に提供すると、そのタイミングで杉下はお客の反応を見るために足音を立てないように気をつけながら階段を登って2階へ行き、ドアの陰から客の様子を観察した。
「この客は月に1回くらいやってくる蕎麦通だ。SNSにアップするかもしれない。おろし蕎麦から食べ始めた。普段とあまり変わらない感じだ。続いてワサビおろしそばを食べ始めた。一口食べて蕎麦を改めてのぞき込んでいる。少し感情が沸き上がったのかもしれない。まずいという反応ではない。おいしいという反応だ。」
大体の反応を確認して、階段を再び音を立てないように気をつけながら下りて行った。
次の客が来た。2人連れだ。60代の夫婦。これも常連の蕎麦通だ。注文はおろし蕎麦とワサビおろし蕎麦2つずつ。同じような注文だがこれからしばらくは同様に続く感じがした。手際よく4杯分の蕎麦をゆで、4杯分の大根おろしを作り、2杯分のワサビをおろした。それからも順調に客が入り、午前中の営業で15杯の注文が入った。午前中最後の客が帰り際に厨房に顔を出し、
「ご主人いますか。」と言ってきた。杉下は
「はい、どうしましたか。」と言うと
「この店の的川蕎麦、以前からファンでして、今日、張り紙を見て残念でした。でも、食べてみてビックリでした。見事に再現されているというか、以前より香りが増しているかもしれません。それにあの新メニューのワサビは素晴らしいですね。どうやって探したんですか。」と聞いてくるので
「蕎麦粉はいろいろ取り寄せて試食してみたんです。出雲の蕎麦に出会ってこれだと直感しました。ワサビは親戚にJAの職員がいまして、その人の紹介で取り寄せることにしました。市場に出回っているワサビとは品種が全く違うんだそうです。唯一無二のワサビと言うわけです。」と答えると、
「今日は感動させていただきました。ごちそうさまでした。」
と言ってお勘定をして帰っていった。
お昼の食事をとりながら休憩時間を過ごしているときに妻が
「頑張ってきたかいがありましたね。豪雨災害の時、もうやめようと考えたときもあったけど、目の前の困難に対処することに楽しみがあった気がするわ。退職してゆっくり過ごそうなんて考えていたけどスリル満点の3年間だったわ。これからもいろいろあるのかな。」とやや感傷にふけって話している。杉下も
「僕だけだったらきっとやめていただろうね。君が後ろから力強く押してくれたから乗り越えてこれたんだよ。ありがとうね。」
と言いながら食後のお茶を飲んだ。
厨房で話を聞いていたご婦人たちは
「よかったわね。数々の困難を乗り越えてピンチをチャンスに変えていったのね。それもこれも奥さんのおかげよ。繁盛する店はおかみさんで持ってる店が多いのよ。大事にしなさいよ。」
どこかで聞いたようなセリフだったが
「本当に妻のおかげだと思っています。」
と言うとご婦人たちは
「勝山の新しい蕎麦畑の収穫は済んだの?」
と聞いてきた。
「もう今では勝山の蕎麦で営業していますがそこまでにはまだ一山あるんです。」と答えた。




