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夕陽亭そば勝負  作者: 杉下栄吉
22/28

出雲産の蕎麦粉

21、出雲産の蕎麦粉

 勝山の豊田家を慰問した翌日からとりあえずの通常営業が復活した。11月の途中までは約100kg残っていた蕎麦粉で通常営業を続けることはできそうだった。1日の営業を終えてコーヒーカップを洗っていた妻が

「11月から先はどんな蕎麦粉を使うつもりですか。」

と話しかけてきた。杉下もこね鉢を洗っていたが

「福井県産の蕎麦粉を使えば、間違いないかもしれないけれど、何種類かの蕎麦粉を食べてみて的川蕎麦に近い蕎麦粉を選んでやってみるというのはどうかな。」

と答えた。たしかに福井県産の蕎麦粉を使えば平均点以上であることは間違いないだろう。妻は

「営業中に他店を食べ歩いたり、蕎麦粉を試作することは難しいから、定休日の月曜日と火曜日にいろいろ歩いてみますか。蕎麦粉をお取り寄せできるものもたくさんあるからネットで取り寄せましょう。」

と言ってくれた。随分前向きになってくれた。杉下は自分だけだったらくじけてしまって、営業再開をあきらめていたかもしれないなと思い、改めて女性の強さを再認識した。

 その日の夜、2人で早速アマゾンで取り寄せることのできる蕎麦粉を検索した。アマゾンの検索欄に「蕎麦粉 国産」と打ち込むと何十種類もの蕎麦粉が出てきた。北海道産、長野県産、島根県産、熊本県産、実に様々な県の蕎麦粉がアップされていた。北海道産は地域によっても違うようで、いくつかの製粉業者のものを取り寄せる必要がありそうだった。長野県も大きな県なので、伊那谷の粉と木曽谷、松本盆地の物、長野盆地の物、みんな味が違いそうだ。

「北海道は何種類もありそうだから、直接製粉業者に電話をかけてみるとどうかしら。」

妻の提案を受け入れ、北海道の製粉業者の店名を別の検索ソフトに入力してみた。すぐにヒットしてその製粉業者の電話番号がわかった。北海道帯広市の大西製粉に電話してみた。

「もしもし、大西製粉さんですか。福井県で蕎麦屋を経営している杉下と言いますが、そちらの蕎麦粉はどの地域の蕎麦粉を使っていますか。」

と問いかけると

「我社では北海道の各地の蕎麦粉を使っております。帯広が中心ですが、石狩地方や旭川地方なども取り扱っております。」

と答えてくれた。

「うちの店は福井の在来種の的川蕎麦と言う粒の小さくて収量は少ないけれど、香りの強いこの蕎麦を栽培して、その蕎麦粉にこだわって提供してきたが、今年の大雨の災害で畑が全滅してしまい、代替の蕎麦粉を探しています。」と言うと、

「それでしたら是非北海道産をご利用ください。北海道の中でも旭川産は粒が小さく香りが強いという面で似通っているかと思います。」

と答えてくれた。そこで、試作用にすべての種類を500gずつ注文した。長野県の製粉業者からも3種類を取り寄せた。そのほかに島根県と熊本県あわせて10種類の蕎麦粉を手に入れた。福井県内の蕎麦粉についても高橋製粉に連絡してみると

「うちでは蕎麦粉は坂井市丸岡地区のものと福井市岡保地区の物を使っている。しかし手に入れるならば他に美山地区と池田地区、今庄地区の物を集める」と言っていただいた。そこで、集められる限りの蕎麦粉をお願いした。県内産は全部で6種類が集まった。

 次の定休日から1日に2種類の蕎麦粉を実際に使って蕎麦を試作し試食することを続けていった。16種類を試食するには8日、4週間かかる計算になる。最初の日に16種類の蕎麦粉を並べて、粉のままで香りを比べてみることにした。袋は密封してあったが、一部をほどき、匂いを観察できるようにした。16種類の袋をテーブルに並べ、一つ一つ開封していった。左から北海道が4種類、長野県が3種類、熊本県が2種類、島根県が1種類、福井県内が今庄、池田、丸岡が2種類、岡保、美山、そして的川蕎麦の17種類が並んだ。妻と二人で一つ一つの袋のにおいを丁寧に嗅ぎ分けようとした。しかし、どの蕎麦もいいにおいがするのはわかるが、的川蕎麦のような強い香りかどうかまではわからない。63歳という年齢が臭覚を鈍らせているかもしれない。そう考えて長女の梓と娘婿に電話をかけて来てもらった。若い2人にも香りを調査してもらった。「おれたちが香りを調べても年を取って鼻も聞かなくなったから、よくわからないんだ。この的川蕎麦に一番近い蕎麦粉を選んでほしいんだ。」というと

「わかった、お手伝いするよ。鼻が大事なんやね。」

と言って2人で仲良く匂いを嗅ぎ始めた。わからなくなると的川蕎麦に戻り、またチャレンジするのを繰り返しながらなんとか結論に至った。2人の意見では島根県と北海道の旭川、福井の池田と今庄の蕎麦粉が的川蕎麦に似ているかもしれないという事らしい。この意見を参考に今週から月曜日、火曜日に2種類ずつ作ってみることにした。娘たちに香りのチャレンジをしてもらったあと、さっそく今庄産と池田産を試作することにした。今庄も池田も山間部であり、浄法寺地区とよく似た自然環境なので期待が持たれた。長女の夫婦の意見でも可能性ありと判定が付いた蕎麦粉である。

「それじゃ、今庄の蕎麦粉から始めるよ。」

と言って杉下が慣れた手つきで蕎麦打ちを始めた。蕎麦打ちで大切なのは手際よく短時間で打ち終えることである。杉下は500g玉を約10分で麺に切り終えた。次に池田の500gの粉も10分で仕上げた。茹でるときになって1kgの蕎麦を4人で食べるのは大変だよいうことになり、従兄の定一さんにも来てもらった。5人がそろったところでぐらぐらお湯が煮立った大鍋に今庄の蕎麦から投入した。細うちの麺は約1分でゆであがった。まとめて水洗いし、5皿に取り分けてテーブルに出した。大根おろしをかけ、薬味を乗せ、だしをかけてみんな黙って食べ始めた。娘婿は

「おいしい。やっぱりおろしそばはいいですね。」

と言っていたが

「おいしいではだめなの。どの蕎麦粉が一番この店の蕎麦に近いかを決めるんだから。」

と長女がくぎを刺した。次は池田の蕎麦粉で作った麺を茹でてみた。今度は定一さんが

「こっちのそばの方が香りが強い感じがするな。的川蕎麦もこんな感じだったような気がするけど。」

と感想を述べてくれた。娘の梓は

「的川蕎麦を少しでいいから作ってくれない。比べてみないとわからないわ。」

ごもっともな話である。的川蕎麦の残りが少ないのでたくさんは作れないが、100gだけ手際よく作って、今日の最後として出した。少なく5人分に小分けしたが、一口食べて全員が

「池田の方がこの味に近いわ。」

と即答した。同様のことをあと7回続けなくてはいけない。通常営業の日はできるだけそばは食べないようにしようとみんな同様に考えたようだ。

 全部で8回の試作試食会を終え、とうとう2つの候補に絞られた。池田と島根県が残っていた。池田は足羽川の上流の町で冠岳のふもとに冠荘という宿泊施設があり、おいしい蕎麦を提供しているらしい。高い山に囲まれていて自然環境は浄法寺と似ている。日照時間が短く、米を作っても収量はあまり多くない。しかし、谷川の美しい水で育ち、味が良いことは知られている。島根県は出雲そばが有名である。島根県は山陰地方に位置し、大昔は出雲の国で国譲り伝説の残る大和朝廷と対立した地域である。独特の文化が残り、蕎麦の実は小ぶりだと製粉業者が言っていた。今日は決勝という事で娘夫婦と姉夫婦の前田さんも来てくれた。従兄の定一さんも参加して合計7人で判定することにした。

「今日は決勝ですから最初に的川蕎麦を提供します。食べきらず自分の場所に置いておいてください。最初に池田の蕎麦を茹で、最後に島根の蕎麦を茹でます。的川蕎麦を時々食べながら2つの蕎麦と比べてください。」

と杉下がルールを説明し、いよいよ池田の蕎麦を茹で始めた。お湯に入れた瞬間から蕎麦の香りが部屋中に充満した。すばやく水洗いするとつやのかかったおいしそうな蕎麦がテーブルに運ばれた。次に島根県の蕎麦を茹でた。これも強い蕎麦の香りを部屋中に充満させ、約1分でゆであがった。これも7杯に分けられ、テーブルに運ばれた。それぞれの審査委員に3杯の蕎麦が配られた。九谷焼の蕎麦皿には的川蕎麦。無地の茶色の蕎麦皿には池田の蕎麦。緑の無地の蕎麦皿には島根の蕎麦が盛られた。勝負はおろし蕎麦の状態での勝負であり、公平にするためにそれぞれに入れる大根おろしとその他の薬味はほぼ同量入れることもルールに追加した。

「では食べ始めてください。」

杉下の合図でスタートした。7人とも無言で食べ始めた。かなり難しそうである。7人とも3つの皿を交互に食べながら確認しているが、確信が持ててなさそうである。杉下が

「どっちの蕎麦もおいしいし、甲乙つけがたい。でも、どっちが的川蕎麦に近いかという観点で判定すると島根県の方が近いような気がするんだけど、僕だけかな。」

と小さな声でゆっくりと話し始めた。すると妻も

「実は私も同じ意見なの。でも高齢者だから鼻が利かないので若い人たちの意見が大切ね。」

と続けた。若者を代表して長女の梓は

「実は私もお父さんたちと同じ意見。この島根県の蕎麦はもしかしたら同じ品種の蕎麦ではないかと思えるくらい。」

と言ってくれた。すると従兄の定一さんが

「店の家族が全員島根県って言うんだからもう他の人は意見を述べる必要もないね。だけどあえて言うならば、僕も島根県がいいと思うよ。」

と同調してくれた。実は前川さん夫婦も長女の娘婿も全員が同じ意見だった。全会一致で島根県の蕎麦粉を使うことに決定した。すぐさま島根県の大村製粉に11月から毎月ごとに50kgずつ12か月連続で送ってもらえるように電話で注文を入れた。なんとなく重荷を下ろすことができたような気がして、そのあと7人全員でビールで乾杯したことは当然であった。


 店のことを心配してくれていたご婦人たちは島根県の蕎麦粉に決めたことに安堵したのか

「良かったわね。とりあえずよく似た香りの蕎麦が見つかって。営業を続けられたことはせっかく喜んでもらえていたお客さんを離さずにいられたわけだから大成功よ。それでその後の夕陽亭はどうなっていくの?」

と聞いてきて話を続けないわけにはいかなかった。


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