荒れ果てた蕎麦畑
20、荒れ果てた蕎麦畑
豪雨から1週間過ぎた。ようやく勝山市内へ行く国道も復旧し、荒れ果ててしまった蕎麦畑を見に行けるようになった。杉下は夫婦そろって勝山の豊田家を訪れるために災害見舞のお金とお酒を持って車で出発した。鮎街道を20分ほど走ると、車は永平寺町から勝山市に入る。最初に通過するのは勝山市北郷町である。最も激しい災害があった場所である。九頭竜川が国道の脇を流れているが、川の反対側は一面田んぼで道路より2mほど低く、道路が堤防の上を走っていることがよくわかる。集落は川から遠く離れた山際に並んでいる。この道路の両側には1週間前の大災害の爪痕が色濃く残っていた。市内に向かう車の左側の田んぼは、収穫を直前に控えた稲が、洪水で堆積した砂の中に、びっしりと埋まっていて稲穂が一定方向に向かって倒されていて、激しい洪水の様子が連想できた。右側の河原には激しい流れに耐えた野生の木がまだ残っているが、その枝には上流から流れてきたと思われる木くずやビニールごみ、草などが乾燥して、見るに堪えない乱雑な風景として残っていた。1週間で何とか道路だけは清掃を終えて開通にこぎつけた突貫工事の様子がしのばれた。
北郷から勝山市内に入り、左に少しだけ山間に入った地区が荒土地区、豊田家のある地区である。豊田家の敷地に入ると、前庭に車を止めた。家の敷地に入るには用水路を横切るのだが、この用水路も激しく増水したのだろう。上流からのごみが散乱しているし、用水路の川底は水面近くまで砂が埋まっている。増水して流れが速い時に土砂を運び、流れが緩くなると土砂を堆積していったのだ。用水路としての機能を回復させるためには江堀が必要だろう。どこの村でも農村ならば春先に江堀をして用水路の送水能力を高めるものだが、この秋のうちに作業をするのだろう。古民家風の家の玄関の戸を開けて「こんにちわ」と声をかけると豊田家の奥さんとお義兄さんが出てきた。
「この度は大変な災害でお見舞い申し上げます。」
と挨拶して持ってきた金封とお酒2本を手渡した。お義兄さんは
「ほんとにすごい雨風でしたね。田んぼも畑もだいぶやられました。市役所と農協で被害の全容を調査してますが、どれくらいになりますかね。農業をやめる農家もかなり出るでしょうね。いっしょに蕎麦畑見に行きますか。」
と言われて
「是非連れて行ってください。」
と答えると早速外に出た。3人で家から山の方に向かって300mくらい歩いたところに問題の蕎麦畑があった。そこに行きつくまでも激しい水害の爪痕が残っていた。蕎麦畑は野向地区から流れてくる川の脇にあった。川が近いという事は水やりは比較的簡単だが、水害の危険性は高いという事が今回実証された。
蕎麦畑は砂と石とで埋め尽くされていて、砂の表面には水が流れた方向を示す筋がくっきりと残っている。ここが蕎麦畑であったことはほとんどわからない。砂に埋まって枝先だけが見える植物を見て、蕎麦だと断定できる人は植物学者しかいないと思えた。この畑で来春、蕎麦の種まきができるのだろうか。20kgの種を集めたので何とかなると思っていたが、そう簡単にはいかないことがよく分かった。
「お義兄さん、この畑、4月に蕎麦の種まきできますか。」
豊田さんに聞いてみると、
「秋のうちに砂の除去ができればいいんですが、砂を除去してもごみやら石やらとんでもないものがたくさん入っているから、農作業ではなくて農業土木が必要です。」
と言った。
「4月の種まき、どっか他でやりますか。」
と不安そうに聞くと
「安心してください。どこかに植えますから。来年の11月にはまた600kg収穫しますから。」
と言ってくれた。せっかく在来品種の蕎麦を再生させたのである。そんなに簡単にあきらめるわけにはいかない。県立大学で提供していただいた10kgの蕎麦の種を豊田さんに渡して、来年も栽培をお願いして家路についた。




