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夕陽亭そば勝負  作者: 杉下栄吉
19/28

豪雨災害

18、豪雨災害

 学校では夏休みが終わり、2学期が始まった。学校の夏休みとは無縁の生活になって3度目の秋だが9月は何となく寂しい。夏休み明けは出せなかった宿題を督促される生徒たちは放課後残ってやらなくてはいけない季節でもある。また、急激に不登校が増える時期でもある。夏休みの生活の乱れが9月に入っても治らず、昼と夜が逆転している子供たちにとって厳しい季節だ。また、9月は残暑厳しい時期だが、ひとたび雨が降ると秋雨前線と台風が甚大な被害をもたらすこともある。

 その日は朝から天気予報で大雨注意報が発令されるのではないかと思われる天気だった。店の準備をしていた杉下は雨がちらつく中、朝の野菜収穫に出かけた。1年じゅう収穫できるように品種を変えながら大根を栽培してきたが、秋の大根にはまだ早いし、夏の大根は時期が最後でなかなかいい大根がなかった。雨の中で収穫するのは大変だったが、濡れながら大根3本とネギを収穫した。店に戻るとだしつゆづくりをして麺づくりに入った。雨の日と晴れの日はわずかだが麺の水分量を変えている。台風が近づいてきているためか、気圧も下がってきて雨のにおいが大気に充満してきている。杉下は蕎麦粉と小麦粉を混ぜて水回しをするとき、水分量に気を付けて少しずつ水を混ぜていった。気圧が低く湿度も高いので46%程度の水を入れたところでベストな感触を得た。

「今日は何かいつもと違う。」

そんな感じがして、妻に

「今日の天気はなんかおかしいぞ。店開けないほうがいいような気がするんだけど。」

というと妻は

「何言ってるんだい。お客さんがやってきて店が開いてなかったらもう来たくないと思うだろ。だから、定休日以外はきちんと店を開けることが大事だよ」

とたしなめてくれた。定時の11時開店に間に合った。雨は相変わらず止まずに降り続いていたが、午後2時ごろからは本格的に降ってきた。雨音は激しく、駐車場の車のところに行くだけでもびしょぬれになりそうだ。昼の営業の最後のお客さんが駐車場の車まで行こうとしていたので

「傘をお貸しして」と妻に言うと

「どうぞ、使ってください。」と差し出した。妻もいっしょに車のところまで行って傘を受け取って戻ってきた。戻ってきた妻もびしょぬれ。傘があってもなくても一緒だった。

「傘なんか役に立たないような雨よ」

と言って杉下の方を見つめてきた。あなたが傘持って行けなんて言うから濡れたじゃないと言いたそうだった。店の中でお昼を食べながら川の方を見ていると流れが急になってきた。

「私、嫁に来たときからこの川が、怖かったの。夢の中で川が氾濫してガラスの扉の真ん中くらいまで水位が上がってきて、窓を開けたら水が入ってくるから開けるなってあなたが言うのよ。ガラス扉の向こうは濁った水でその中にさかなとかが泳いでいて、ガラス扉が今にも割れそうになる。そんなところで目が覚めるの」

妻は大きな川の近くに立つ家に嫁いできたことをあまり良くは思っていないようだ。穏やかに流れ、夕陽に照らされている川は美しいと多くの人が来てくれるが、ひとたび天候があれると川はその表情を一変させる。杉下にとっては子供のころから何回も見てきた川の表情である。

 夕方が近づいてくると雨は風を伴って激しさを増してきた。午後の営業ではお客は誰も来なかった。あまりの雨と風の激しさに外に置いてあったバラの鉢や花のプランターを玄関に避難させた。テレビで天気予報を見ると

「北陸から東北日本海側は秋雨前線と台風21号の影響で暴風雨、昭和34年の伊勢湾台風とよく似たルートを通ることが予想される」と言っていた。九頭竜川の上流は奥越と呼ばれる地域だが、奥越も相当な雨が降っているらしい。川の流れは激しさを増し、川が流れる音がゴォーと地響きのようにうなりだした。風は普通強くなるとヒューと音がするが、川と橋の近くにある杉下の家では橋にあたる風が欄干で特殊な音を発生し、ピューピューと笛を鳴らしたように鳴っている。7時過ぎて暗くなってくるとその不気味さは一層増してきた。暗闇の中、目を凝らして川の流れを覗き込むと、時速40km以上はありそうな激しい流れで、波の高さは1m以上はありそうだ。音は激しさを増し、橋から聞こえる笛のような音も音量を上げてきた。避難勧告が出ないうちは何もすることはできないので、窓を閉めカーテンを引いて、台風が行き過ぎるのを待つしかない。63歳は高齢夫婦とは言えないかもしれないが、心細い一夜を過ごした。夜中、妻が

「岸辺のアルバムっていうドラマ覚えてる?多摩川が氾濫を起こして、新築の家が流されていくの。あれって実際の災害をドラマにしたのよね。」

夜、今から寝ようとしているときにこの話題はしんどいなと感じたが、あながち大げさな心配でもなさそうな降り方である。轟音と振動が繰り返される中、朝までなかなか寝付くことができなかった。

翌朝は台風一過、晴れ渡っていた。子供のころからこの情景は何回も見てきた。川の流れは昨晩のまま、激しい流れで大きな流木がすごいスピードで流れてきた。上流の河原にあったゴミや植物が根こそぎ流れてきているのではないかと連想させるくらいありとあらゆるものが流れてきている。その流れとは対照的に空は雲一つない青空である。遠くの方に入道雲がもくもくと沸き立っている。気温は上昇し、嵐の後の平和な世の中を連想させていたが、現実は違っていた。朝のニュースでアナウンサーが

「北陸地方は昨夜の台風で多くの災害に見舞われました。特に福井県奥越地方は九頭竜川の氾濫で床上浸水が300戸、床下浸水は2000戸を超える被害が出ました。また、山間地域ではがけ崩れが発生し、田んぼや畑では土砂が流れ込み、被害額は未定です。」

と放送していた。

 杉下は嫌な予感がした。妻も勝山の実家が心配になり、電話してみることになった。固定電話でかけてみるとなぜかつながらなかった。電話線がどこかで切れてしまっているのか、あるいは心配した人たちが奥越に一斉に電話をかけてかかりにくくなっているのかもしれない。携帯電話でかけてみてようやくつながった。妻は

「兄貴、昨日の雨、大丈夫だった。」

と聞くと豊田さんは

「大変だよ、九頭竜川は増水して床上浸水になった家もあったけど、うちの場合、山から流れてくる小さな川が土石流を起こして、田んぼや畑を土と岩で埋め尽くしてしまったんだ。一番ひどいのがおたくの蕎麦畑だよ。さっき見て来たけど土と岩が流れ込んで蕎麦は全滅だね。」

携帯電話をスピーカー状態にして話を聞いていた杉下は耳を疑った。「そんなばかな。折角軌道に乗ってきた在来種の的川蕎麦が全滅だなんて。」

目の前が真っ暗になった感じがした。

「とりあえず畑を見に行きたいんですけど、勝山まで行けますかね。」杉下の思いは通じなかった。

「勝山市の入口の北郷地区が一番ひどくて、道路も寸断されているし、電車も止まっているし、勝山には入ってこられないらしいよ。」と聞いて、肩を落とした。9月だというのに10月以降の蕎麦粉のめどが立たない。新蕎麦まであと1月だというのに。


 厨房で話を聞いていたご婦人たちはそれまでの楽しそうな話から一転して店の存続のピンチに顔色を変えながら

「あの時の雨と風はすごかったわね。覚えているわ。北海道の蕎麦粉や他県の蕎麦粉などを使っていれば何ともなかったのにね。こだわりのある蕎麦を契約農家で専属的に栽培してもらうというのはカッコいいけどリスクが大きいという事ね。それからどうしたの?」主人は

「目の前は真っ暗でした。もうやめようと思いました。的川蕎麦でない蕎麦粉で他店と味勝負なんてことになったらうちに勝ち目はありません。どの店も上手ですから。何とかしなければって強い気持ちで後押ししてくれたのはほかならぬ妻だったんです。」


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