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夕陽亭そば勝負  作者: 杉下栄吉
16/28

開店

15、開店

 いよいよ12月19日 開店前日になった。家の前には看板を取り付け、屋根の上にも看板を上げた。明日の開店を前に親戚の皆さんが心配してやってきた。9時ごろには姉夫婦が開店祝いの花を持ってやってきた。義兄の前田さんは

「栄吉君、大丈夫か?退職してすぐに蕎麦屋やるなんてよくあるけど、みんな店をつぶして廃業しているほうが多いぞ。気をつけてな。」と心配してくれた。姉は

「私が信州そばは、おろし蕎麦には向かないと思うなんて言ったからおろしそばに合う蕎麦を栽培からやろうなんて無茶なことを考えたんでしょ。責任を感じるわ。」

2人は蕎麦屋がうまくいかないことを前提に話しているように聞こえた。杉下は

「1日、30食しか作らないからほとんど経費はかかりません。家の改築も何もやってないからほとんど投資もしてません。大なべの湯沸かし用のガス設備と表の看板と2階のテーブルとイスだけです。50万しか使ってません。」

というと少し安心したようだった。

「2階のテーブルから見る景色を見てください。」

というと2階へ案内した。2階はテーブルを3つといすがそれぞれ4つ。12人で満員御礼だが、窓から見える川の景色は驚いていた。「この部屋からだとこんなにきれいな景色やったんやな。尚子と結婚して38年、この部屋からの景色を見せてもらったのははじめてや。」

といって驚いていた。

「僕は蕎麦が大したことなくてもこの景色があればコーヒーを飲みに来るだけでも値打ちがあると思うんです。だからこの店の名前は『夕陽亭』にしたんです。夕陽が落ちるとき2階の窓から見ると九頭竜川の川下に太陽が沈むんです。その景色を写真に収めようと時々堤防にカメラをセットして夕陽をねらう写真家が来ています。」

 しばらくすると蕎麦を栽培してくれた豊田さん夫婦が来てくれた。豊田さんは先日お祝いに1階の座敷に置く座卓を1つ寄付してくれた。豊田さんのお義兄は

「蕎麦粉の具合はどうですか。」

と聞いてくれた。

「この蕎麦粉はやっぱりすごいです。永平寺の在来品種であることが最大の売りですけど、香りがすごい。収量が上がらないから50年前に作られなくなったけど、豊田さんに作っていただき再現できたことで『これから大切にしていかないと』と思います。蕎麦粉は高橋製粉所で10kg5日分ずつ毎週水曜日に製粉してもらおうと思っています。今のところ10kgしか使ってないのでまだたくさんあります。1日に2kgずつ使って300日営業すると600kg必要なんだけど、10月には収穫できると思うから何とかなるでしょうね。」

とお話しした。とりあえずみんな揃ったところで1階の台所のテーブルで明日に向けて練習していた蕎麦を茹でてコーヒーも味見してもらうことにした。蕎麦打ち名人の豊田さんの前で蕎麦を提供するのは気が引けるが、明日からは蕎麦の達人たちが来るのだ。気を引き締めて蕎麦を茹で上げ、4人に提供した。

「本当に香りが強いね。これはうまいわ。」

前田さんは味に高評価を示してくれた。姉も

「蕎麦の切りかたも揃っていてよく練習した成果が出ているわね。」と言ってくれた。豊田のお義兄さんは

「これは予想以上だね。蕎麦の香りがほんとに強いね。負けないくらいにだしを研究するか、ワサビなどにこだわるのもいいかもしれないね。」

専門的な指摘だ。

「ワサビ、どっかにありますかね。地元産でこだわっているもので。」というと勝山のお義姉さんが

「私も地元産ワサビ探しておこうか。」

と言ってくれた。お義姉さんは農協の経済連にお務めだ。これも専門家である。

 蕎麦を食べ終わったので妻がコーヒーとケーキを出した。

「コーヒー豆は近所に開店したコーヒー豆専門店のコロンビアブレンドを使っています。ケーキは鳴鹿へお嫁に来られた若い奥様で、吉田さんという方がお仕事に行かずお家におられる方がいて、その方がお菓子作りがとっても上手なの。初めはケーキ屋さんとかから買ってきてとも考えたけど、地元にこだわるならそっちのほうがいいかなと思って。鳴鹿の女性サークル、昔の婦人会なんだけど、その新年会で知り合ったわけ。話が弾んでとんとん拍子に進んだの。注文したら2時間以内にできるって言ってたわ。お出かけでどうしてもできない日は『本日はケーキはありません』って張り紙をすれば済むよって言ったら気が楽になってOKしてくれたのよ。」

と言っていた。

「毎日同じものを同じ品質で提供するのが大切なことはわかっているけど、あんまりそういうことにこだわらずに気楽にやったほうが長続きするかもしれないね。」

と杉下が言うと、姉が

「お客さんも始めのうちはほとんど来ないでしょ。でも、忙しくなったらお手伝いに来てあげるから気軽に言ってね。」

と心強い言葉をくれた。豊田のお義兄さんも蕎麦打ちが忙しくなったら連絡してくれたら来てあげるからね。」

と言ってくれた。いい話だが、蕎麦粉が600kgしかないので、来年以降にはお願いしたいと考えた。4人の親戚のお客さんは満足して帰っていった。明日の開店が待ち遠しくなった。

 翌日12月20日は土曜日、開店の日、杉下は朝早くに目が覚めた。起きたらやらないといけないことを復唱しているうちに寝れなくなってしまったのだ。結局寝たのか寝てないのかわからないが、横にはなっていたので体は元気だ。

 6時ごろに起きだすと既に妻は台所で朝食を作っていた。

「おはよう。ついに開店ね。がんばってね。」

と励まされた。認知症気味の父も今日は早く起きて朝ご飯を一緒に食べた。7時になり今日使う野菜を取りに畑へ向かった。畑は車で2分くらいの少し離れたところにある。畑で大根とネギを収穫して車に積んだ。ついでにキャベツと白菜も収穫して、玉ネギに追肥をした。夏になって大根が取れなくなったら買わないといけないかなと考えながら家に戻ったのは7時30分ぐらいだった。

11時開店なので蕎麦を打つのは9時からでいいが、つゆを作るのは事前にやっておかないと時間がない。つゆは福井市内の中島屋さんのつゆを参考にさせてもらった。中島屋さんはもともと勝山でお店を出していたが、福井市内に出てきて夫婦で店を切り盛りしている。杉下夫婦も何回も通い、その味のとりこになっている。特におろし蕎麦のつゆはかつおと昆布のだしに醤油とみりんとお酒を入れていると思うのだが、その割合が微妙でなかなかその味にたどり着けなかった。まだまだ研究中だ。しかし、今できる最大限のことをして開店にこぎつけた。

つゆを作り終えると、蕎麦を打ち始めた。大根とネギは食べる直前に準備しなくてはいけない。特に大根は作り置きしたおろしを出すとにおいですぐにばれてしまう。特に気をつけなくてはいけない。台所に用意した麺うち台にステンレス製のボールをこね鉢代わりに粉をふるいにかけて入れた。いつも通りの方法で、いつも通りの材料で作業を続けた。500g玉は水を入れると750gになる。両端の麺が短いところは排除すると7杯分くらいになる。これを5回繰り返して、玉の状態で冷蔵庫に保管する。11時近くなったら3玉を麺棒で伸ばして広げて麺きりをする。出来上がった21食の麺はお盆に乗せてラップをかけ、冷蔵庫にしまった。間もなく11時という頃に、近所の主婦の吉田さんが手作りケーキを持ってきてくれた。吉田さんは話をよく聞くと、以前はケーキ屋さんにお勤めしていたらしい専門家だった。子供が学校に行っている間の手仕事にという事らしい。

 厨房に夫婦2人が集まって、これから始まる試練に向けて、頑張ろうと気合を入れて玄関に『営業中』という看板を引っ張り出した。

「お客さんは来るんだろうか。」

そんな不安が頭の中を支配した。

「ほとんど宣伝なんてしてないんだから誰も知らないからわからないさ。」

心の中で自分を自分で慰めていた。妻は

「今の時代はテレビコマーシャルを出したり、新聞に広告を載せたりするよりも、SNSで口コミしてくれることが大きな宣伝なんだから、初日は誰も来なくてもいいじゃないの。弱気になったら負けよ。」

蕎麦屋を始めようと相談した時の彼女はどこへ行ってしまったのだろう。女はこうも変わるものなのか。いざとなると女は強い。そんな彼女に助けられてお湯を温めていると玄関があく音がした。

「最初のお客さんかも」

と思って玄関へ出ると、従兄の定一さんだった。

「いよいよ開店と聞いて、玄関マットを持ってきたよ。」

と言って玄関に敷くマットを準備してくれていた。夕陽亭というネームまで入っている。

「ありがとう。入って入って。」

と台所のテーブルに入ってもらい、お茶を出した。すると次から次へと石川県に嫁いだ娘や福井市内の従弟や姪や甥たちが5,6人は集まった。みんな心配してくれているのと、どんなもんかのぞきにやってきたのだ。甥っ子や姪っ子は若いので宣伝が気になっているのか

「宣伝はどんな風にしているの?」

と聞いてきた。杉下は

「玄関先の看板は10日ほど前から出しているし、知り合いには声はかけたんだけどね。」

と答えると

「それじゃ、誰も来ないんじゃない。フェースブックとかツイッターとか情報を上げないとみんなに知ってもらえませんよ。」

と言って何やらスマホをいじくり始めた。

「フェースブックには蕎麦愛好家のページがいくつもあるわよ。ここに新装開店しましたってお客さんのふりして書き込んであげるわ。あと2階からの夕陽の風景が最高って書いておくわ」

と姪っ子が言うと娘は

「インスタグラムは任せて。この店のコンセプトは永平寺町の在来品種の蕎麦『的川蕎麦』を使う事よね。それをPRしておくわ。」

と言ってくれた。若い人たちの活力は驚くものがある。

 そうこうしているうちに本当のお客さんが来てくれたのは11時30分を回ったあたりだった。年配のご夫婦といった感じの2人だった。2階へ案内するのは妻だったが、お茶を出したのは娘がやってくれた。ちゃっかりと娘は

「おろしそば4杯だって。」

と注文を聞いてきてしまった。2階にはメニューを書いたものは置いてないが、壁には在来品種の的川蕎麦 おろし蕎麦のみ 400円と書いた紙を貼っていた。杉下は大釜のお湯がぐらぐらと煮立っているのを確認して、4人分の蕎麦を大釜に投入してゆであがるのを待った。大釜からは湯気がもくもく上がって、蕎麦の香りがあたりに充満した。近くで見ていた親戚筋の関係者たちは一様に驚きの声を上げている。手持ちの柄のついた笊を使って麺をすくい取ると流しのざるに移し替え、冷たい水道水で手早く洗い麺を〆ると、九谷焼の蕎麦ざらに乗せ、4皿を作った。だしの出し方は開店直前に変更した。大きな深鉢に大根おろしをあらかじめ入れただしを4人分たっぷり入れて、好きなだけかけて食べる方式に変更した。これは夫婦2人でいろいろなところへ食べにいった経験の中で、武生の店で見たものだった。出来上がった蕎麦とつゆを妻と娘、そして姪っ子が3人で運んでくれた。2階でお客さんがどんな表情で食べているかがわからないのは残念だが風景を見てもらうには仕方がないと割り切らなくてはいけなかった。しばらくすると妻が食器を下げに行った。帰ってきた妻は

「コーヒーとケーキも欲しいって言われたわ。」

と言ってコーヒーの準備を始めた。ケーキは娘が冷蔵庫から出して、2人分を切って皿に盛った。今回は若い姪っ子2人が運んでくれた。「バイト代出さんとあかんかな。」

杉下の言葉に妻は

「宣伝のSNSもやってくれたしね。」

といって幸先の良いスタートに笑顔がこぼれた。その後もぽつりぽつりお昼の営業は3組、6人が12杯のお蕎麦と4杯のコーヒー、3個のケーキを食べてくれた。3時ころに一息ついてお手伝いしてくれたみんなに1杯ずつお蕎麦を食べてもらった。親戚のみんなは娘をのぞいてみんな帰っていった。

夕方が近づいてくると、また客足が戻ってきた。夕陽亭と言う名前から夕方を目指してきてくれたお客が多かったのだろう。4時半から立て続けにお客さんが来て、お蕎麦の注文は5時には目標の30杯に達してしまった。

「どうする、30杯いっちゃったよ。表の営業中の看板、準備中に代えるか。」

そう言うと妻は

「もう少し売れそうだけど、蕎麦がなくなったら終わりと言うのは最初からの約束だもんね。」

と言って表へ出て行って看板を準備中にかえた.2階には3組6人のお客さんが残っている。12杯の蕎麦を提供して、コーヒーを提供すると、杉下も妻も娘も3人とも2階に登り、お客さんが食後に夕陽の風景をどんな感じで眺めるのかを見ていた。

「ご主人ですか、お蕎麦もおいしかったけど、この景色は素晴らしいですね。いつもこの景色を独り占めしていたんですね。」

と50代と思われるご夫婦の奥さんが杉下に話しかけてきた。

「この景色は僕も大好きで、この景色を見ながらお茶を飲んだりするのが贅沢なひと時だったんですが、ほかの人にも見てもらいたいなと思って、お蕎麦屋さんにしたんです。」

と答えた。また、別の夫婦の70代くらいの旦那さんは

「在来品種の的川蕎麦と言うのはどんな特徴なんですか。」

と聞いてきた。杉下は

「蕎麦屋を開店するにあたり、この店のオリジナリティーをどんなふうに出そうか考えたんですが、僕の子供の時からの友達の家で昔、栽培していた蕎麦の種が保管してあるっていう話が耳に入ったので、栽培してみることにしたんです。50年前から作らなくなったという事なんですが、よく聞いてみると70年近く前まではここから東に5kmくらい行った浄法寺と言う地域でどの家でも作っていたらしいんです。香りが強く蕎麦本来の味が強い品種なんです。実の粒が小さくて収量が上がらないので、ほかの品種に変わってしまったらしいんです。その在来種の最後に残った1キロを栽培して種を増やして2年目に店を出したわけです。今年は600kg収穫できたんですが、それを使ってしまったらお店はしばらく閉店するつもりです。」と答えた。

「夕陽が落ちるまでゆっくりとお過ごしください。」

と言って1階に降りて行った。お客さんたちは暗くなるまで2階からの景色を楽しんで、帰っていった。

しばらくすると娘が

「お父さん、フェースブックの『越前お蕎麦大好き』というページにうちの店アップされてるよ。」

と言って、携帯電話を見せてくれた。今日来てくれた6組のお客さんの中にこのページの会員がいたのだろう。

「今日、開店したばかりの『夕陽亭』行ってきました。50年前まで栽培されていた在来品種の的川蕎麦を再生、蕎麦の香りが強くおろし蕎麦にばっちり。大根とネギも自家製朝どれ。2階からの景色は格別。夕方のご来店がおすすめだけど、お蕎麦がなくなったら閉店なので難しい。コーヒーだけでもいいのかな。」

と書いてあり、写真が3枚、お蕎麦とコーヒーと夕陽の風景が投稿されていた。明日の日曜日がちょっと心配になったが、肝心の夕陽亭がどこにあるのかが書いてないので大丈夫かなとも思った。


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