蕎麦の研究
9、蕎麦の研究
オリジナルの蕎麦について考えてきたが、結論が出ないまま退職の3月が来てしまった。このままでは蕎麦店開店は無理だと思いながら焦っていたが、退職の日を迎えてしまった。コロナ禍の学校が休業状態の中での退職だったので送別会もなければ、離任式もできなかった。同じ学校の先生方が家庭科室で送別のセレモニーだけをディスタンスを取りながら開催してくれた。みんなに暖かく見送ってもらって学校を後にして家に帰ると、妻も勤務校で同様の会をしていただいて花束を持って帰ってきた。
「37年間、ご苦労様でした。」
妻がやさしく声をかけてくれた。
「君も37年間、ご苦労様でした。退職後の生活もよろしくお願いします。」
というと微笑んでくれた。
しばらくすると姉の前田尚子が実家である杉下家を訪れた。
「2人とも退職おめでとう。お祝いにお花持ってきたよ。」
と言って入ってきた。妻が
「どうも有難うございます。今しがた2人とも学校から帰ってきたところです。」
というと
「コロナ禍で送別会もないからあっさりした退職だけど、こんなもんかなって感じだよ。」
と杉下が答えた。姉はソファーに座ったままの95歳の父のところへも行き
「おじいちゃん、元気だったか。会いに来たよ。」
と少しおどけて話しかけた。認知症で記憶があいまいな父は
「おー、おー尚子か、よく来たなー」
と言って手を振っていた。姉の尚子は杉下の3歳上の64歳、福井市内に嫁いでいる。姉がお土産にケーキを持ってきた。
「せっかくのケーキだからコーヒーを入れようか。」
と言って杉下がコーヒーを入れ始めた。最近購入したコーヒーのドリップ器具を出し、永平寺町内に新しくできたコーヒー豆専門店で買ってきたコロンビアブレンドの豆を挽いてセットし、熱いお湯を注ぎ3人分のコーヒーを入れた。杉下夫婦と姉と父の4人で食卓に座って姉が持ってきたケーキでコーヒーを飲んでいると、お蕎麦の話になった。
「このあいだ勝山へ行ったときに勝山で有名な『六助』に行ってきたんだけど、あの細さは芸術的だね。奥越の蕎麦はどの店に行っても細いのが特徴なんだよ。」
と杉下が言うと妻も
「『勝山食堂』も細く切ってるし、大野の福そばも細かったよね。」と続けた。すると姉が
「うちの旦那がこの間、長野県に出張だったんだけど、お土産に信州そばを買ってきたんだけど、有名な店の蕎麦だって言ってたけど、冷たいおろしそばにして食べてみたら、あまりおいしくなかったんだ。福井のおろし蕎麦には信州そばは合わないのかなって思ったよ。」と話してくれた。その時、杉下にヒントが見えたような感じがした。「冷たい水で洗って〆て、辛い大根おろしで食べる越前おろし蕎麦の食べ方は、福井で作る蕎麦粉だからおいしいのかな。信州の信州そばは信州の蕎麦粉で作った蕎麦を信州の食べ方で食べるからおいしいのかもしれない。」
杉下がつぶやくように話すと妻は
「駅そばとかスーパーで売っている袋めんとかは北海道産を使っているかもしれないけど、越前蕎麦とか信州そばとか山形蕎麦とかご当地の名前がついている蕎麦は蕎麦粉からこだわっていそうな感じがするわね。」
そう言うと杉下は
「丸岡のお蕎麦屋さんには丸岡産蕎麦粉使用と書いてあったし、勝山のお蕎麦屋さんでも勝山産蕎麦粉使用と書いてあるのを見たよ。こだわりの蕎麦屋さんは蕎麦粉からこだわるんだよ。」
と言って
「永平寺に伝わる蕎麦粉とか歴史的に貴重な蕎麦粉とか、この地にしかない蕎麦粉とかないかな。そんなのがあるとオリジナリティーが出てストーリーができるんだけどね。」
そう言いながら姉との会話は大きなヒントを得ることができた。
厨房での話はいよいよ核心に迫ってきた。話に聞き入るご婦人たちから
「オリジナルにこだわるというところは大切ですね。おいしいだけの蕎麦屋はいくらでもありますが、他店との差別化を図るというのは、ビジネスの基本ですよね。」
と言ってくれた。主人は話しながら自分に酔ってきたところもあるが一番話したいところに迫ってきて
「そうなんです。アマチュアが麺を打っても同じそば粉を使って打ったらそんなに違いはありません。盛り付け方とか器とかで他店との違いを出すのにみなさん苦労していますが、基本、味は蕎麦粉で決まると言っても過言ではありません。挽きたて、打ちたて、茹でたての3たてを守ればみんなおいしいと思います。でもその中でオリジナルを出すことにこだわったんです。」
と言って話は核心に迫ってきた。




