はじまりの選択肢
「魔族って……、あの、もっと注意深く進んだ方がいいわ。魔物がいるかもしれないんだから」
「このあたりにいる程度の魔物なら、僕に挑みはしない。怯えて逃げるよ」
「……リーラがあなたに怯えているように見えるのは、見間違いじゃないのね?」
アラルドは軽く笑い声を立てた。
こんな時に、なんて軽やかな声で笑うのだろうと、呆れてしまうくらいだった。
アイリスの胃の腑は、たとえ迷いなく選んだとはいえ、村人を見捨てる決断をしたせいでずっしりと重く、痛いような気さえするのに。
「魔族って、どういう意味なの?」
「おや、君は魔族を知らないのかな」
「知ってはいるわ。シーザリア王国の北の土地を支配して、魔物を操っている恐ろしい生き物よね?」
「そうそう……大体その認識で構わないよ。ちなみに、僕も魔族だ」
アラルドはさらりと言うと、アイリスの反応を確かめるように目を眇めた。
「驚いたかい?」
「ええ……まあ……魔族というのは、山の向こうに暮らす人のことを言うのかしら? 確か、アラルドは、今は魔族が大半を支配する、デルタ小国群にいたことがあると言っていたし」
「……そうではないよ。魔族とは人族とは別の生き物だ」
アラルドはどこか不快そうに言う。
「魔族を人間の中の一種族だと勘違いするだなんてね」
どうやら、アイリスの反応はアラルドの望んでいたものではないらしい。
「アラルドはまるで人のように見えるけれど……」
「僕がただの人なら、君の大事な友人を助けることなどできないよ」
確かに、アイリスではリーラを救う方法なんて検討もつかない。そもそも、リーラの今の状態がどういうものなのかすらわからないのだ。
「あなたならリーラを治せるというのなら、なんでもいいわ」
「無知は罪だな。まったく」
面白くなさそうに言いながら、アラルドは進んで行く。そういえば、アラルドはこの奥に魔族がいると言った。
「この奥にどうして魔族がいるの?」
「僕が君たち村の人間に、ここには荒ぶる神がいるから祀れと言ったけれど、それは嘘というか……正確に言うと、魔物にとっての神であり、君たち人間にとっての神ではないんだ」
アラルドは、二股の道を右に曲がりながら、どうでもよさそうな気のない口調でそう言った。
「生贄を捧げることでこの村に生まれるのは、魔族なんだよ。だからこの奥には魔族がいると言ったんだ」
「……あなたは黒衣の神官ではないというの? エレナさんは嘘を吐いていたの?」
「嘘を吐いてもいいけれど、この先では君の信頼を得た方が面白いだろうから、正直に答えようか――信仰心の深いあの哀れな女は、騙されているだけだよ」
アラルドの言葉はアイリスの心に様々な感情を呼び起こした。今日は、一生分の感情を味わっているような気がした。
「そう……そうなの。……それじゃあ、エレナさんが信じていたものは、偽りだったということで……知ったらきっと悲しむわね」
「精霊のために働いていたと思ったら、精霊の敵を助けていたんだから、真実を知ったら憤死するかもしれないね」
アラルドはこの上なく楽しそうに言う。
アイリスは、エレナに対して放たれたその言葉にあまりいい気はしなかった。
だが、アラルドはつまり、精霊信仰を掲げるエレナの敵の立場なのだ。
そうなのであれば、敵が策に嵌る姿に喜ぶのは邪悪とまでは言えないだろう。
アイリスも、盤上遊戯で相手を負かす時に得られる愉悦くらいは知っている。
彼がそういう気持ちでいるのならば、咎めるほどのことではない――そう思ったのだけれど、アイリスが特に反応しないのを見て、アラルドは不服そうに形のよい唇を尖らせた。
「どうして怒らないんだい?」
「怒ってほしいの? 魔族って血も涙もない人たちだと思っていたけれど、悪いことをしているという自覚があるのね。驚いたわ」
「……エレナという女のことは、リーラほど好きではなかったということかな?」
「どちらも好きよ。私にとって大事な人たち……私に、この世の不思議を教えてくれた人たちだわ。だからエレナさんに本当のことは言わないでね」
「さて、約束しかねるな」
そこでアイリスが初めて睨むと、睨まれたアラルドは嬉しそうな顔をした。
アイリスは徒労を感じて溜め息を吐いて肩から力を抜いた。このひとに構うのは、時間の無駄に思えてきた。
「早くリーラを助けてほしいのだけれど、できないのかしら? あまり長い時間、リーラがこのままでいるのはよくないことのように思えるわ」
「君のその感覚は正しい。けれど少し待っておくれ。まずは説明をしたいから」
アラルドがそう言って曲がった道の先には、いつからあったのか、不思議な両開きの扉が存在していた。
木でできているのか、鉄でできているのかもわからない。
奇妙な質感の、アラルドの背丈の二倍の高さがある、とても大きな扉だった。
「まず、魔族の生まれ方について説明をしなくてはならない。魔族というのは理と理の間にある虚から生まれる……と言っても君にはわからないだろうから物質的なところだけを簡潔に言うと、魔族は迷宮の中から生まれる」
「ここが迷宮、ということ?」
「そう。この扉の奥には魔族の核がある。これが育てば魔族になる」
「ふうん?」
「わかっていないね。こんな辺境のど田舎で暮らして満足していたような女の子に、どう説明すればいいんだろうね……」
アラルドは僅かに苛立っているようだった。彼を怒らせて、リーラを助けるという言葉を反故にされたくなかった。
とはいえ、アイリスにはアラルドが何が言いたいのかわからない。
アラルドは不安そうなアイリスを見て溜め息を吐くと、肩の力を抜いて再び説明を続けた。
「魔族は、まずこの世に霊体となって存在する……そして、その霊体が地に根を張ると迷宮となる。迷宮が育つと魔族となる。ここまではいいかい?」
「……迷宮、というのはここのことで、ここが育つというのが、よくわからないわ」
「そうだね。普通の迷宮は人の憎悪や恐怖、命によって育まれ、育つと階層が深くなったり、出てくる魔物が強くなったりする」
「そう、なの……」
半分くらい理解できていなかったが、アイリスはとりあえず頷いておく。アラルドは説明を続けた。
「魔族はそうして成熟した状態でこの世に誕生するのだけれど……ここに根付いた魔族は一刻も早い誕生を望んでいるんだ。だから、迷宮もまだまだ育っていないけれど、最低限の恐怖と憎悪と命を糧にして肉を得て、生まれ出でようとしているんだ」
「焦っているのね、どうして?」
「どうやら勇者がこの世に既に誕生しているらしいね。覚醒はまだのようで、そのせいで勇者の特定はできないのだけれど」
「勇者が……それは、朗報だわ」
「僕ら魔族にとっては悲報だよ。そういうわけで、まだ世に生まれ出でてもいないうちに討伐されることを恐れて、陛下は急いでおられるというわけだ」
「…………陛下?」
「そう、僕ら魔族の王――魔王陛下だ」
じわり、と迫ってくる感覚は、恐怖に似ていた。
知らず知らずのうちに、アイリスの身体は鳥肌が立ち、総毛だっていた。
下から冷気が這い上がってくるような気がするけれど、気のせいなのかもしれない。
アイリスは薄々とながら、アラルドがどうやってリーラを見捨てさせようとしているのかを悟った。
「魔王陛下は人族の少ない辺境の地に根付いて生まれることにしたらしい。それがここだ。じっくり育つのを待てなくて、霊体となって人に憑いて操って、憎悪を集めようとしているんだよ。霊体が核から離れると、核が弱くなるから、迷宮を作り出した後の魔族は普通、そんなことはしないのだけれどね」
つまり、この扉の奥にいる核は、弱っているという。
魔王という、人類の敵の心臓のようなものがあるのだろうか。
「つまり、陛下の霊体をこの小娘から追い出せば、この娘はまだ助かるんだ――」
アラルドは、湧き上がる笑いを堪えようとして――堪えきれずに赤い唇の端々から零しながら深い森色の目を細めた。
「――君が陛下の命を見逃してくれるのであれば、助けてあげるよ。君のくだらない友人の命を!」
魔王は弱っている。今ならアイリスにさえ倒すことができるとアラルドは言うのだ。
しかし、それを見逃せとアラルドは要求している。
アラルドはアイリスに、人類全ての命とリーラの命を天秤にかけろと、そう言っているのだった。
「そう言うってことは、私でもその魔王とやらを、倒せるのよね? どうやって?」
「まずはその小娘を殺す。それだけで、憑いている陛下は大きなダメージを得るだろう」
「リーラを、殺す……」
「そう。その後、霊体が力を取り戻す前に、この扉の奥にある核を壊せばいいだけだ。子供が木の棒をふるうだけで壊せるほど脆いかもね」
アラルドはまるで、アイリスに魔王を殺せと言っているようだった。
「……あなたは、魔族なんでしょう? 魔王の味方なのではないの?」
「基本的にはね」
アラルドは肩を竦めた。
「弱い魔族は完全に従属するだろうが、僕は存在値が極めて高くてね――頭ごなしに命令をされるのも面白くないし、別に生まれてくれなくても構わないんだ」
「よくわからないけれど、あなたは魔王が死んでも構わないのね」
「そうだね。君が友人の命を絶つところが見られるのならば」
アラルドは歪んだ笑みを浮かべた。面白くてたまらないという顔をして、決断を迫られるアイリスを見ている。
「どうするんだい? なんて、決まっているけれど――さあ、リーラを殺すといい。陛下が今必死になってべったりとくっついてしまったこの女の魂から離れとしているから、その前に」
「そうすれば、魔王を倒せるのね」
「最後に核を破壊すればね」
「私に……そこまでしてリーラを殺させたいのね」
「そうだね――勘違いしてほしくないのだけれど、この娘を殺すことは絶対に必要だ。よほど強い力の持ち主でないと、迷宮の核となっている魔族の命を壊せるものではないからね」
アラルドにはいくらでも嘘を吐けたけれど、アイリスの目にはアラルドが嘘を吐いているようには見えなかった。
「君が魔王を討伐したいのなら、まずはその霊体を弱体化させることが何より肝要だ」
自らの種族の長を殺せと迫る、アラルドはひどく楽し気で、アイリスには理解の範疇外だった。
心を寄せる気にもなれなかった。
(……村の人たちはみんな、私に対してこんな気持ちを抱いていたのかしら?)
無関心は、拒絶よりも惨い仕打ちのように思えた。
けれど、そんなアイリスに対して、アラルドは機嫌のいい様子を崩さない。
アイリスの考えていることがわからないのかもしれない。
魔族にすら理解してもらえないのだと思うと滑稽に思えたけれど――これが己なのだから、アイリスにはどうしようもなかった。
「直接その女に触れないように、拳を魔法で覆うといい。そうしないと霊体が君の身体に取り憑こうとするだろう。僕が教えた魔法の発音は覚えているかな?」
「覚えているわよ」
「ならば、火などがちょうどいいだろうね。ファイアなんてどうだろう? あれなら殺傷能力も高い」
「使わせたいのね」
「どうせなら君が村人を犠牲にしてまで守ろうとした友人をむごたらしく殺すところが見たいからね」
「性格が悪いわ」
「僕は魔族だから……ふふふ……ほら、早くしないと魔王が逃げてしまう。人類の圧倒的な勝利を逃がしてしまうよ。勇者ではないと殺せはしないけれど、魔王の決定的な弱体化の好機だ。この機会を逃す人間はいないだろう。――アイリス、ほら、早く」
涙で潤んだ緑の目は熱に蕩けてしまいそうで、白い頬が紅潮した様は息を呑むほど美しい。
甘い声でアイリスを誘い、その拳で友人の命を刈り取れと迫る。
その姿はいつか吟遊詩人が語る物語で聞いた、悪魔のようだった。
「――リーラを治して」
「えっと……僕の聞き間違いかな?」
「リーラを治して、アラルド」
「もしかして僕の説明が理解できなかったのかな?」
アラルドは楽し気な様子から一変して、困惑したように眉尻を下げていた。
「ええと、誤解がありそうなところを補足するとして……まずは、そうだね、魔王が生まれた瞬間、この迷宮は解放され、内側に閉じ込められていた魔物たちは一斉に人里を目指すだろう。その数は、まだ育っていない迷宮だし、ざっと百程度だけれど――魔王陛下の迷宮で生まれた魔物だから他の迷宮の一階層の魔物などとは比べものにならないよ。君の村は一瞬にして魔物たちに蹂躙され、崩壊するだろう」
アラルドはまるで、魔王を倒して欲しいかのようだった。
彼は魔王の仲間の、魔族だと自ら名乗ったのに。
魔王が生まれた後の悲惨さを語って、アイリスに魔王を倒すよう説得しようとする彼の姿は、この村に生まれた人間としての役目を果たすようにアイリスを説得しようとする、村長にも似ていた。
「君は勿論助からない。この迷宮の奥から溢れる魔物の大群に踏みつぶされ、そこで死ねたら運のいい方だ。まかり間違って生き延びたりすると、生きながら食われたり、あるいはもっとひどい目に遭うかもしれない」
今度はアイリスを脅し始めた。その言葉に、アイリスは少しだけひっかかり尋ねた。
「……それだと、リーラはどうなるのかしら? 治っても、リーラがその後にすぐ死んでしまうのではあまり意味がないわね」
「もしも君が僕の言葉の意味を理解した上で、本気でリーラを助けたいと願っているのであれば、あの女には魔物避けの刻印を授けよう。魔物があの女を避けると知れば人間の間で勝手に重宝し、丁重な扱いをするだろう」
「そう、なら安心かしら」
アラルドは何か説明し忘れていることがないかを探すように、せわしなく眼球を動かしていた。
アイリスの反応はまるで予想外だったようで、何か自分の側に落ち度があるかもしれないと考えているかのようだった。
「――魔王が生まれれば周辺の魔物は一段階、二段階は強化される。これまでは退けることができていた魔物の侵攻に耐え切れず、この世界のあらゆるところで人々は殺されていき、第一波の時点で消滅する村や町が出てくるだろう」
「それはそれは、大変ね」
アイリスは、アラルドの必死な様子が面白くなってきて、思わず笑い含みで応えてしまった。
アラルドは信じられないという顔をして、そんなアイリスを見つめて言った。
「勇者は生まれているとはいえ、まだ覚醒はしていない。だから、魔王が生まれた影響を受けて死ぬかもしれないよ」
「そうなったら、どうなるのかしら」
「遠からず人族の版図はこの世界中から消えるだろう――そして、魔族の支配が長く続くことになる」
「え? それじゃリーラは――」
「遠からずとはいえ、人族の国を地図から消し飛ばすのに数百年はかかるだろう。そこまで寿命は続かないだろう?」
「なら、いいわ」
アイリスの答えを聞いて、遂にアラルドは口を噤んだ。
その愕然とした顔を見て、アイリスは笑ってしまった。こんな顔のアラルドはきっと珍しいに違いない。
この世でどれだけの人が見たことがあるだろうかと思った。
「なんて顔をしているの。せっかく綺麗な顔なのに!」
「君は――いや、もういい。まだ理解できていないだけだろう。本当の恐怖を知れば僕に助けを求めるだろうね。何を犠牲にしてでも」
「はいはい。さっさとリーラを治してちょうだい」
「いいよ。約束だからね、治すさ。陛下には申し訳ないが、少しばかり生贄の少ない状態で生まれていただこう。だが、生まれた後に捧げられる犠牲でも十分に育つことができるはずだ」
「それ、私に聞かせているでしょう?」
「君はきっと後悔するだろうからね。押し寄せる魔物を前にして、恐怖を感じたら僕の名前を読んでくれ。それだけで君を助けよう。なんなら心の中で助けを求めてくれるだけでもいいよ。魔物に集られて全身を食いちぎられる痛みに耐えられなくなったら――」
「ご親切にどうも。どうせその場合はリーラを殺すとか言うんでしょ? ほら、口よりも手を動かして!」
「手を動かしたって君の友人は治りはしない」
アラルドは憮然として言うと、肩を落として――というより、力を抜いたらしい。
そして目を閉じてしばしの後、アラルドはまるで見えない手に殴られたかのような衝撃に頭を揺らし、倒れた。
その瞬間リーラも倒れたから、アイリスは慌ててリーラの身体を受け止めた。アラルドはそのまま地面に転がった。
「アラルド!?」
その白かったはずの頬は、赤くなっていた。まるで殴られたかのようだった。
ここにはアイリスとリーラ、そしてアラルド以外にはいないのに。
アラルドの赤い唇の口の端からは、更に濃い赤色をした血が流れていた。それを拳で拭うと、アラルドは不機嫌に言った。
「陛下が僕の不忠ぶりにお怒りのようだ」
「……失敗したってこと?」
腕の中でぐったりと意識を失っているリーラを見下ろし、心配そうに言うアイリスを見て、アラルドはむすっとした顔で応えた。
「成功したよ、勿論。魔物避けの刻印も済んでいる。さあ、その女を渡すといい。安全な場所に送り届けてあげるから」
「そう、ありがとうアラルド」
「礼を言うには早すぎるんじゃないかい? 君が助けを求めたらすぐに戻ってきてあげるからね」
その代わりにリーラを殺すと言うのだろう。
人の機微を悟るのが苦手なアイリスが、聞かなくてもわかるくらい、アラルドの行動原理はわかりやすい。
アイリスはリーラをアラルドの腕に渡すと、しっしっと手で追い払った。アラルドは冷笑を浮かべ目を細める。
「そんな態度を取っていいのかい? 君が絶望の最中で希望を求めた時、手を差し伸べるのは――」
「はいはい。うるさいわね」
「うるさいだと!」
「もういいわよ。あっち行って!」
「――運命の時はすぐさ。半刻もかからない」
アラルドは唸るように言うと、姿を消した。腕に抱えたリーラと共に、煙のように消えたのだ。
アイリスはポカンとした後、ようやくアラルドが人間ではないのだという実感がわいてきた。
あの様子だと、本当に心の中で助けを求めただけで、助けに来てしまいかねない。
「……律しなきゃ」
気を確かに持って、己を鼓舞しなければ、助けを求めてしまうかもしれない。
口に出さないだけなら確実にできるだろうけれど……しかし今日ばかりは、心の中ですら何にも縋ることは許されない。
「いいわ……できるわ! やってやるわよ」
できないとは思わなかった。悪いものに憑かれてしまったリーラを元に戻すより簡単なことに思えた。
「それにしても、魔王……ね」
ここで、アイリスがリーラを見捨てて魔王を倒すと、きっとこの世の大勢の人が助かるのだろうか。
人類として、アイリスはリーラを見捨てるべきだったのかもしれない。
けれど、アイリスは間違いなく自分がそうすべき、魔王を倒すことが正しいのだとは――不思議と考えなかった。
(勇者が倒せばいいのよ)
魔王を倒すこと。それはアイリスにとって、勇者の職分だった。
辺境の孤児である、アイリスのすべきことではなかった。
アイリスにもできることがあるのかもしれない。
やるべきなのかもしれない。
(でも、私は勇者じゃないもの)
むしろ勇者でもなんでもない己がやるべきではないとすら感じていた。やってはいけないとすら。
「――私は、私のやるべきことをすればいいのよ、ね」
ただの孤児の少女であるアイリスが負うべきは、せいぜい村の人々の命くらいなもので、全人類については考えなくてもよいことだ、とアイリスは判断した。
だから、アイリスは村人について以外の思考を即座に放棄した。アイリスにはそれができた。
天秤にかけてリーラを選んだとはいえ、村人がどうでもよくなったわけではない。
アラルドの話では、リーラが死ぬために村人の命がどうしても必要というわけではないらしかった。
ただ、結果的に洞窟から魔物が溢れ出し、みんな死んでしまう可能性が高いというだけの話だ。
アイリスに今、できることがあるとすれば、それは村の人々の犠牲を最小限に減らすことだろう。
「あら……みんなどこに行ったのかしら」
アイリスが危険を知らせるために洞窟の外へ出ると、そこにはひと気がなかった。
村の方にも明かりが見えない。
「アラルドが話してくれたのかしら……?」
あの男がそんな気の回し方をしてくれるとは思えなかったが、逃げてくれたのであれば僥倖である。
これから村の人を探し回って、危険を知らせに行く時間はなさそうなので、アイリスはみんな避難してくれたのだと信じることにした。
そうして、アイリスは洞窟の前に立った。
(それにしても、この奥にいるのが、魔王だなんて……不思議だわ)
魔王だなんて、寝物語に聞いたことがあるような存在でしかない。
それがどれほど恐ろしい存在なのか、アイリスはまだよく理解できていない。
(アラルドも、変な人だわ。いいえ……人じゃなかったのだっけ)
きっとアラルドは、ここにいるのが魔王だなんて、アイリスに教えてはいけなかった立場のはずである。
魔王もきっと、生まれる前に勇者でもなんでもない孤児に倒されかけることがあろうとは夢にも思っていなかったに違いない。
「アラルドだってきっと、魔族の中じゃ変わり者に違いないわ」
これまでの人生で、さんざん変わっていると言われてきたアイリスだけれど、アラルドについては自信を持ってそう言えた。彼は変だ。
(アラルドに、あなただって変わり者よねって言ってやりたかった……どんな顔をしたかしら)
思い浮かべてアイリスはくすくすと笑った。
けれどすぐに、心の中でさえ、アラルドに助けを求めてはいけないのだという現実を思い出して、アイリスは慌てた。
「い、今のは違うわ。違うわよ」
アラルドのことを思い浮かべてはいたけれど、それは間違いなく命乞いではなかった。
だからだろうか、それともアイリスの心の中の声にさえ応えるという言葉が嘘だったのかはしらないが――アラルドがやってくることはなかった。
アイリスは胸を撫で下ろして、洞窟の壁に身を預けた。
「これも、何なのかしらね。迷宮ね……魔族の産屋だったのね」
迷宮というものの存在も、知らなかったわけではない。
どこそこの町の近くにあって、宝箱があるとか、これこれという魔物が出て、こんな素材が採れるとか、そんな話を行商人の話に聞いたことがある。
でもそれが、魔族の生まれるところだとは聞いたことがなかった。
行商人は知って黙っていたのだろうか? それとも知らないのだろうか?
「迷宮がお母さんのお腹の中、みたいなものなのかしら……」
人間とはずいぶん違う、と思いながらしげしげと眺める。
大量の魔物が溢れ出し、アイリスを蹂躙する時は、刻一刻と近づいている。
圧倒的な死を前にしても、アイリスの心は凪いでいた。
アイリスはそれを当然のことのように感じるのだけれど、きっと他の人たちはそんなアイリスを見て不思議がるのだろう。
そんなとりとめもないことを考えながらアイリスが時間を過ごしていると――やがて、青白く光る洞窟が、震えた。
「……お誕生日おめでとう、と言うべきかしら? ――ファイア」
アイリスは両の拳に火を纏って構えた。経験上、最も次につながる幾多の動作がしやすい態勢になる。
アラルドは魔物の数を口にした。とてもアイリス一人で手に負える数ではない。
けれどアイリスは抗うべきだと思った。焼け石に水程度にしかならなくとも。
アイリスはここに立って、少しでも多くの魔物を道連れにするべきだった。
発端は、アイリスの我儘だ。アイリスの独断で、危険を排除できる可能性を捨てた。
これはもう選択し終えたことだ。決めたことで、覆らない。
ならばアイリスはその選択の後のことを考えるべきだろう。
(上手くいけば、頑張れば、逃げられるのかもしれないけれど……)
だが、アラルドは魔物の群れからアイリスが逃げきれるとは思っていないようだった。
とはいえ、アイリスは逃げるという選択を取ることができる。最期の瞬間まで、諦めずにあがくことができるのだ。
それをせずにアイリスがここに留まっているのは、己の命を諦めているからではない。
選択の結果だ。
これが正しく、己のすべきことだと認識していた。
他の人たちが逃げ延びる可能性を、少しでもあげるために――
「私は私のできることを、しなければならないわ」
誰に強制もされていない。
それはアイリスの、心から生まれた結論だった。
……地鳴りが近づいてくる。大量の魔物が、遂に溢れてくるのだ。
身体に伝わる振動にほんの少しだけ眉を顰めつつ、アイリスは猥雑な思考を振り払った。
「……生きて、る?」
すう、と空気を吸い込み息をする。朝の空気だ。空が明るい。
頬を撫でる風は冷たく清涼で、湿っている。
アイリスは、胸いっぱいに朝もやを吸い込みながら――呼吸ができることが不思議だった。
黒い魔物の津波に飲み込まれた後、意識を失うまでの間、地獄のような痛みを味わい続けた記憶がある。
間違いなく死に至る怪我を負った。血も流れた。身体にはいくつか穴が空き、そこから覗く己の内臓を見た覚えがある。アイリスは死んだはずだった。
「怪我、が、ない……?」
己の身体を見下ろしてみると、服は破れ、血で汚れているのに、己の身体に痛みがない。
しかし血の痕はあるのだから、傷つけられたのは間違いないはずなのだ。
けれどアイリスの身体には残る傷の一つもなかった。
周辺の草木は無数の足跡に踏み荒らされ、木はなぎ倒され、根までかじられているようだった。
そういえば、洞窟から溢れてきた魔物たちはどうも空腹であるようだった。
我先にと飛び出してきて、後ろから押されるように次から次へと溢れてくる魔物たちは、アイリスを見つけるとその肉を食いちぎらんとして半狂乱になっていた。
よほどアイリスは美味しそうに見えるらしい。
だから最後アイリスが気を失う前には、確か、なくなっていたはずの右腕に左手の小指と薬指も――
「……ある……どうして……?」
「――ふふ」
「アラルド?」
抑えきれないと言わんばかりの笑い声を聞いて、即座に一人の名が思い浮かぶ。
案の定、声の聞こえた方を見れば、アイリスの後方、少し離れた場所に彼は佇んでいた。
その姿を見て、アイリスはハッとして叫んだ。
「私、助けてなんて思ってないわ!」
アラルドは、アイリスが心の中で願っただけでも助けに来てくれるとうそぶいていた。
しかし、アイリスは本当に、決して、誓って、助けを呼んだ覚えはなかった。
恐怖は確かにあったけれど、己のやるべきことを十分に理解しきっていたからだ。
アイリスが叫ぶのを見て、アラルドは虚を突かれたような顔をした。
美しい顔から力が抜けると、魔族だとは思えないようなあどけなさがあった。
「ああ……そうだね。確かに君は僕に助けを求めなかった……ふふふっ。この期に及んで、そんなことを心配しているだなんて!」
「じゃあ、リーラは無事ということよね」
「そうだとも。僕は約束を破らないからね」
「ならいいわ。……ではなぜ、私を助けたの?」
「助けてなどいないよ」
そう答えると、アラルドは再び腹部を押えて笑い出した。後から後からおかしさがあふれ出してくるらしい。
何度も笑いをこらえようと赤い唇をきつく閉じようとするのに、結局笑ってしまうらしかった。
「……どうして笑っているのよ。あなたが助けてくれたんじゃないなら、なんで私は」
「ふふふ……っ! 精霊、だよ。君を助けたのはね」
「精霊?」
「そう……君は僕の予想の何倍も深く精霊に愛されていたようだ。とてつもなく、深く深く。この世で一番にね」
「そう……なの?」
よくわからないけれど、精霊のおかげで助かったというのなら感謝しなければならないだろう。
今度、お供え物を増やそうとアイリスが考えていると、アラルドが笑いを零しながら近づいてきた。
アイリスは急いで地から立ち上がった。何故か警戒を覚えた。
ボロボロの身なりになってしまっているが、身体はいつも通り。それどころか、まるでぐっすり一晩寝て過ごしたかのように、疲労感すら消えていた。
これは、精霊が治してくれたためらしい。一体何故?
考える前に、アラルドが手を伸ばしてアイリスの頬に触れようとしてきた。
アイリスが避けるか迷っているうちに、アラルドは弾かれたように手を放した。
「アラルド? 手が……火傷していない?」
「精霊の純粋な力は、魔族にとっては劇物でね。手が焼けてしまったよ」
「精霊の?」
「そう、君が今身に纏っている力。君を癒した精霊の力の残滓が、君に残っているようだ」
アイリスは、自分ではわからないけれど、アラルドにはそれがわかるらしい。
その赤黒く焼けた手を見るに、アイリスの身体にアラルドにとって触れがたい何らかの力が残っているのは確かだった。
「大丈夫なの?」
「心配してくれるのかい? 僕は魔族なのに」
「私に触れてあなたは怪我をしたんだもの。心配くらいするのが普通でしょ?」
「ふ……ふふ、ははははははっ! 普通なものか!!!」
笑いながら、アラルドはアイリスの手を取った。ジュッ、と肉が焼ける音がした。
まるでアラルドにとってアイリスの身体が焼けた鉄か何かになってしまったかのように、アイリスの手に触れるアラルドの手が焼けただれていく。
「アラルド! 放して。あなたの手が!」
「構わないよ、これぐらいの傷なんて」
痛みを感じているのか怪しい笑顔を浮かべるアラルドに、恐れに似た感情を感じて、アイリスは無理やりその手を振り払おうとした。
けれどアラルドの力が強くて、振り払えない。
そうしている間も、アラルドの掌がじゅうじゅうと音を立てて焼け、黒ずんでいく。
「――ああ、アイリス! 君は本当に助けを呼ばなかったね。全人類とあのつまらない女を天秤にかけて、あの女を選びきった!」
「そうよ、それがどうしたのよ……あなたの手が」
「魔王の生まれたこの世界で、君は生き残った」
「そうね! そんなこと今はどうでも――」
「それなのに君は、自分の運命にも未だ気づいていない。そうだろうアイリス?」
「運命って、そんなのわからないわ。だから何よ!」
「僕はね……そんな君を好きになってしまったみたいなんだ!」
アラルドの口から信じがたい言葉が飛び出すのを聞いて、アイリスはぽかんとしてしまった。
アイリスは、頑なに手を放そうとしないアラルドを恐る恐る見上げた。
夜の闇色をした黒い髪、深い森のように輝く緑の瞳。
造作の整った美しい顔だち。その形のよい赤い唇から放たれた言葉は、改めて己の中で反芻して見ても、やはり到底信じられるものではなかった。
けれど、その瞳の中に浮かぶ光には、アイリス自身信じられないことに、見覚えがあった。
「……あなた、ギースと同じような目をしているわ」
「他の男と混同するのはやめてくれるかい?」
「同じような感情を私に対して抱いているということよ……それは何なの? 好きは好きでも、私がリーラに感じるのとは違う好き。村長が息子のギースに向けるのとも違う好き。……それは、一体?」
「今にわかるさ。僕はこれから君の心を得るために、求愛するのだからね」
アイリスの手を引き寄せると、アラルドは自分の唇が焼けるのも構わずアイリスの指に口づけた。
ギョッとして目を剥いたアイリスを笑いながら、やっとアラルドはアイリスの手を放した。
アイリスは慌ててアラルドから距離を取った。
「えっと……そう。あなたの気持ちを、私がどうこうできるわけではないから、何を言っても意味はないでしょうね」
アラルドの言葉をどう受け取ってよいのかわからず、アイリスはしどろもどろに言った。
ギースに対してその感情をぶつけられた時にはもっとなんとも思わなかったのに、アラルドに対してだけはどうしてこうも複雑な感情を抱かずにはいられないのか、アイリス自身腹立たしくなるほどわからなかった。
「でも悪いけれど、私は村の人たちを探しに行かないといけないから」
「村人たちは逃げたか、魔物に殺されたかのどちらかだよ。生きているとすれば遠くにいるだろう」
「なら、私も遠くへ行くわ。だから」
「一緒に旅をするということになるだろうね」
「えっ……と、そのつもりなの?」
「構わないだろう? 一人旅より二人旅の方が安全だ。不寝番ができるのだからね」
アラルドと共に旅をすることがそもそも自分にとって安全なのか、アイリスにはよくわからなかった。
「まあ……いいわ。あなたの言うことにも一理あるし、ついてきたいと言うのなら、そうすればいい」
「ありがとうアイリス。同行を許してくれて嬉しいよ」
「許さなければついてこなかったの?」
「うん? 僕は僕のやりたいようにやるだけだけれど」
アイリスはアラルドとの会話に徒労を感じて、黙って歩き出した。
話が通じないというのはこうまで疲れるものなのか。きっとアイリスも、これまでたくさんの人を疲れさせてきたに違いない。申し訳ない気持ちになる。
たどり着く前から、村が無人であることが見てとれた。
たどり着いてみると――遠目に見た時から薄々気づいていたけれど、村の状態は悲惨だった。
「……ここで亡くなった人がいたとしても、わからないわね」
「そうだね。魔物たちはみんな腹を空かせているようだったから、切れ端すら残さないだろう。……それにしても、この世に君の肉を喰らった魔物がいるだなんて、なんだか妬けるね?」
「嫌なこと言わないでよ。……何よその目。かじったりしたら許さないわよ」
「……傷跡も残さず治してあげると言ったら?」
「ダメよ。真剣に考えないで!」
アイリスは怒鳴ったのに、アラルドは笑っている
何がおかしいのか、笑い続けていた。アイリスは少しも面白くないのに。
腹が立ってきて、アイリスは駆け足で村長の家に向かった。アイリスの家でもある。
中はめちゃくちゃに荒らされていた。
けれど、魔物たちは先を急いだのか、そこまで念入りに家探しをしたわけではないようだった。
「何か手伝えることはあるかい?」
「暇なら土間の土を掘ってくれてもいいのよ。その下に蓄えがあるはずだから」
アイリスが旅支度をする横で、アラルドはまるで柔らかい土を掬うような軽い動作で中から壺を掘り出した。
村長はこれを掘り出す余裕もなく、この村を追われたらしい。あるいは魔物の大群にさらわれてしまったのかもしれない。
「……半分だけもらっていくわね」
他に、逃げ延びた人がいたとしたら、ここに取りにくるかもしれない。
だからアイリスは半分だけ、食料や僅かなお金を懐に入れて、それ以外は再び埋め直した。
「君のために働いた僕に褒美はある?」
「対価が必要なら頼まなかったのに。でも、何が必要なのか言ってみるといいわ」
「……要求したりしたら二度と頼み事をしてもらえなさそうだから、必要ないと言っておくよ」
アラルドが少し肩を落とした。
滑らかな動きだ。感情も露わで、わかりやすい。
彼が人間ではないだなんて、それこそ嘘のようだった。
――そう思った次の瞬間、顔をあげた彼の艶やかな笑みは毒々しいほど美しく、彼の本性を現していた。
「村人を探しに行きたいというのなら、それで構わないから――アイリス、君はシルダリア王国を目指すべきだよ」
「シルダリア? 勇者の武器があるという国?」
毒気を振りまきながら口にしたわりには、彼の言葉はただ目的地を増やすためのものだった。
でもその言葉の中に、何か罠があるような気がして、アイリスは注意深く聞き返す。
「そうだよ。あの国は遠いところにあるから、ここから道なりに向かっていけば、この村の人間たちの行く可能性のある道を辿ることにもなるだろう」
「……別に、私に構わず行っていいのよ。あなたは勇者に用のある立場でしょうしね」
私には関係ないけれど、とアイリスが胸の内で呟いた言葉を、アラルドは聞いたかのように言った。
「違うよ、用があるのは僕ではない。君さ」
「私? どうしてよ」
「――それはシルダリア王国に着いてからのお楽しみさ。けれど全てを知れば君はその義務が自分にあるのだと思い知ることになるだろう」
「ええと……私のせいで魔王が誕生してしまったから、ということかしら?」
「今はそう考えているといい」
アラルドは楽し気に微笑みながら頷いた。どうやら、アイリスが魔王を見逃したことが理由ではないらしい。
けれど、アイリスは改めて、自分の口にした問題について考えてみた。
アイリスは、自分に魔王を倒す義務があるとは考えていない。けれど、魔王の誕生に立ち会ったのは事実である。
勇者は少しでも情報を欲しがっているだろう。
アイリスは勇者ではないけれど、この世界に生きる人間の一人である。勇者に守られる存在である。
だから、勇者が望むであろう情報を手に入れたのであれば、それを届けるべきではないか?
「……そうね。いいわ。勇者もきっとシルダリア王国に向かうのでしょうし、行くわ。勇者に会ったらあなたが魔族だってこと、言ってしまうから」
「ふふ……別に構わないけれど。勇者と戦うのは嫌だね」
「勇者だって、好きで魔族と戦っているわけではないと思うわよ。必要だから戦っているの」
「ならば、僕は勇者と戦う必要のない存在でいられるように努力してみよう。僕が嫌いなのは勇者ではなく、勇者を愛している精霊だけだからね」
どうしても勇者と敵対したくないらしい。奇妙な魔族もいたものである。
しかしもとより、アイリスがリーラを見捨てるところが見られるのなら、自らの陣営の指導者である、魔王でさえ見捨てられるというのだ。
アラルドは人族にとって、絶対の敵ではないらしい。
「これから先もあなたが悪いことをしないなら、私が勇者に言ってあげるわ。あなたは悪い魔族ではないって」
「おや、僕はこの村に災いを運んできた張本人だけれど」
「そうね……でも、この結果は私が選んだものだから。あなたにだけ非があるとは、言えないと思うわ」
少なくともアイリスは、一度は挽回の機会をもらった上で、自ら放棄したのだ。
アイリスはアラルドを責めることはできないだろう。
「君はいつでも気持ちのいいほど潔いね。……好きだよ」
「きゃっ!? 耳元で変な声を出さないで!」
耳朶に息を吹きかけるような声で言われ、ぞわっと鳥肌が立った二の腕をさすりながら、アイリスは耳を守りながら駆けだした。
アラルドは笑いながら、悠々とした足取りでついて行く。
「愛しているよ、アイリス。君を愛してしまったんだ――その魂ごと、食べてしまいたいくらい」
アイリスは、長い足で簡単に隣に並んできたアラルドを睨んだ。
もしもこれが求愛だというのなら、間違っている。アイリスにさえアラルドの言葉選びはおかしいとわかる。
アイリスに睨まれたアラルドは、幸福そうに笑って目を細めた。
最果ての村中を探し回っても、アラルドの言う通り、生き残った人も、動物すらも見かけなかった。
誰も死んでいないかもしれない。それとも、みんな死んでしまったのかもしれない。
生きている方に賭けたくて、アイリスは墓を作らなかった。
そしてアイリスは、日が高いうちに村を後にした。アラルドはそれについて行く。
奇妙な二人旅が始まった。
これにておしまい。この後はだいたい地獄なので割愛します。頑張れアイリス!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
次はもっと明るいお話を書きたいですね!!!
↓ちょっとネタバレ
なんとなくわかるように描いているつもりですが、つまり勇者になるのはアイリスなのでありますが、この時点ではわからないので、アイリスは魔王を見逃してしまいます。
けれど、そのせいで世界が地獄になって大切な人たちが死ぬよりも辛い目に遭った後ぐらいに、アイリスは自分が勇者なのだと気づきます。




