第9話 隠し通した実力
「では、始める」
榊冬馬の声は静かだった。
大きな声ではない。
威圧するような響きもない。
だが、その一言で、誠の周囲だけ空気が重くなったように感じた。
誠は木刀を構える。
榊は動かない。
こちらを見ている。
ただ見ているだけ。
だが、その視線が厄介だった。
力を測る目ではない。
癖を探す目でもない。
もっと深い。
誠が何を隠しているのか。
それを、最初から見抜こうとしている目だった。
誠は心の中で、もう一度条件を確認する。
勝つ必要はない。
合格に必要な判断力を見せる。
ただし、限界突破は隠す。
スキル構成も見抜かせない。
実力を出しすぎない。
そして、何より重要なのは――能力を使った痕跡を残さないこと。
誠のスキルは、戦闘中でも変更できる。
だが、切り替えの瞬間を見られれば、そこから能力を推測される可能性がある。
だから、使うなら自然に。
最初は一閃。
そして、必要な場面で蓮撃へ変更する。
蓮撃の効果は、攻撃を連続で当て続けるほど攻撃力と速度が上昇すること。
しかも、その上昇に上限はない。
青天井。
まともに使えば、時間が経つほど手がつけられなくなる。
だからこそ、今回は本来の性能を見せるわけにはいかなかった。
だが、誠が一閃から蓮撃へ切り替える理由は、単に蓮撃の方が強いからではない。
一閃は、一撃の威力を極端に高めるスキルだ。
木刀であっても、その一撃には明確な異常さが出る。
受けた相手の身体が大きく弾かれる。
木刀同士がぶつかった瞬間、こちらの力だけが不自然に勝る。
そして何より、一度使えば「今の一撃だけ、なぜあれほど重かったのか」という疑問を残してしまう。
榊のように、相手の動きの変化を見ている人間には危険だった。
対して、蓮撃は一撃目だけなら、集中力が高まった結果や、偶然鋭く入った反撃として誤魔化せる。
連続して当てなければ、本来の性能も発揮されない。
つまり、蓮撃は強さを隠したまま、必要な瞬間だけ動きを底上げできる。
今回のように、勝つのではなく、勝てる可能性だけを見せたい場面では、一閃よりも蓮撃の方が都合がよかった。
だから、切り替える。
強さを求めるためではない。
強さを隠すために。
強すぎず、弱すぎず。
それが今回の攻略条件だ。
先に動いたのは、榊だった。
足音が消える。
次の瞬間、木刀の先端が誠の喉元へ伸びてきた。
突き。
速い。
だが、見えないほどではない。
誠は半歩横へずれた。
完全には避けない。
木刀の先が、わずかに襟元をかすめる距離。
ぎりぎりに見せる。
榊の目が、わずかに細くなった。
二撃目。
斜め上からの打ち下ろし。
誠は木刀を合わせた。
重い。
ただの力任せではない。
木刀を受けた瞬間、こちらの姿勢が崩れる角度で打ってきている。
誠は半歩下がった。
下がらされたように見せる。
実際には、榊の力の流れを逃がすための後退だった。
榊は追ってくる。
三撃目。
四撃目。
五撃目。
速さは一定ではない。
わずかに遅らせる。
わずかに速める。
こちらの呼吸に合わせて、打ち込むタイミングを変えてくる。
嫌な剣だ。
単純な実力だけではなく、試験官として受験者を崩す剣。
誠は防戦一方に見えるように動いた。
木刀を受ける。
足を引く。
姿勢を整える。
また受ける。
観客席から、小さな声が聞こえた。
「粘ってるな」
「でも攻められてない」
「合格はどうだろうな」
「榊先生相手なら、あれだけ耐えれば十分じゃないか?」
誠はそれらの声を聞きながら、榊の動きを観察していた。
踏み込みの癖。
肩の入り方。
攻撃前の呼吸。
フェイントを入れる時の視線。
強い。
だが、倒せない相手ではない。
今ここで勝とうと思えば、勝ち筋はある。
明鏡止水で認識を外し、偽装で隙を作り、一閃で決める。
あるいは、直感で危険な攻撃だけを避け、観察眼で癖を拾い続ければ、榊のリズムも読める。
だが、それは駄目だ。
勝つ必要はない。
勝ち方を見せる必要もない。
必要なのは、合格できる程度の対応力だ。
榊が一歩踏み込む。
今までより、ほんの少し深い。
誠の直感が反応した。
これは誘いだ。
打ち下ろしに見せて、途中で軌道を変える。
受けに回れば、木刀を絡め取られる。
誠は一瞬迷うふりをした。
そして、受けにいく。
榊の木刀が途中で軌道を変えた。
誠の木刀に絡みつくように入り、手元を崩しにくる。
周囲から「あっ」と声が漏れた。
普通なら、ここで木刀を落とす。
誠は、木刀を手放しかけたように見せた。
だが、完全には離さない。
握りをずらし、指先だけで支える。
榊の崩しを受けながら、あえて体勢を崩す。
そして、その崩れた体勢のまま、一歩だけ横へ逃げた。
木刀は落とさない。
だが、反撃もしない。
ぎりぎり耐えた。
そう見える動き。
榊の眉が、わずかに動いた。
「今のを残すか」
小さな声だった。
誠は息を乱したふりをする。
「危なかったです」
「そうか」
榊は、信じていない顔をしていた。
まずい。
誠は内心で苦笑する。
この教師、思った以上に目がいい。
技そのものより、判断の質を見ている。
下手に隠すと、隠していること自体を見抜かれる。
なら、少しだけ見せるしかない。
ただし、見せるのは才能ではなく、粘り。
偶然ではなく、必死に対応したように見せる。
榊が再び踏み込んだ。
今度は連撃。
一撃目は右肩。
二撃目は左脇。
三撃目は足元。
四撃目は喉元。
誠は一撃目を受ける。
二撃目を下がって避ける。
三撃目は、あえて少し遅れる。
足元を狙う木刀が、誠のすねの手前で止まる。
危ない。
そう見せる。
四撃目。
喉元への突き。
誠はここで、一瞬だけ本来の反応を出した。
木刀を最短で差し込み、榊の突きの軌道をずらす。
そのまま一歩踏み込めば、胴を取れる。
だが、踏み込まない。
受けるだけで終える。
それでも、周囲の空気が変わった。
今の受けは、偶然には見えない。
榊もそう判断したのだろう。
攻撃を止め、誠を見る。
「斎藤」
「はい」
「今の反応は、少しだけ剣をやっていた者の反応ではない」
誠は答えを用意していた。
「必死だったので」
「便利な言葉だな」
「実際、必死です」
榊はわずかに笑った。
だが、目は笑っていない。
「では、もう少しだけ必死になってもらう」
その瞬間、榊の気配が変わった。
さっきまでとは違う。
試験官として受験者を見る気配ではない。
ほんの少しだけ、本気に近いものが混ざった。
誠の直感が、強く反応する。
来る。
榊の足が動いた。
速い。
今までの攻撃とは違う。
木刀が、誠の視界から消えた。
誠は反射的に明鏡止水へ意識を伸ばしかけた。
だが、止める。
ここで完全に使えば、見抜かれる可能性がある。
代わりに、明鏡止水をほんの薄く展開する。
心を静める。
視界を整理する。
榊の動きを水面に映す。
木刀は、右ではない。
左。
下から跳ね上がる軌道。
誠は木刀を合わせた。
乾いた音が響く。
受けた。
だが、衝撃が重い。
誠の身体が後ろへ流れる。
今度は、本当に少し崩された。
榊は逃さない。
追撃。
誠は下がる。
追撃。
さらに下がる。
観客席から声が上がる。
「押されてるぞ」
「でも、まだ崩れきってない」
「あいつ、よく榊先生の剣を受けてるな」
誠は呼吸を乱したふりをしながら、榊の攻撃を受け続けた。
本当は、ここで一閃を合わせれば流れを変えられる。
だが、使わない。
一閃は威力が出すぎる。
木刀であっても、ダメージ十倍。
下手に使えば、試験官を吹き飛ばしかねない。
誠は一度、榊の木刀を受けた。
その瞬間、意識の奥でスキル構成を切り替える。
一閃から、蓮撃へ。
切り替えは一瞬だった。
外から見れば、ただ構えを変えただけにしか見えない。
誠が蓮撃へ切り替えたのは、一閃ではこの場を切り抜けるには危険すぎたからだ。
一閃を使えば、次の一撃で榊の攻撃を大きく弾き返してしまう。
それは反撃ではなく、明確な異常として残る。
しかも、一閃は一度の攻撃にすべての威力を乗せる。
榊のように相手の力量を見ている人間なら、その一撃だけで誠の本当の実力に疑問を持つだろう。
蓮撃なら、最初の一撃はわずかな上昇に留まる。
連続して当てなければ、強さは積み重ならない。
だから、榊の攻撃を受け流しながら、自然な反撃を作ることができる。
勝つためではない。
不自然な一撃を避け、追い詰められた受験者が必死に反撃したように見せるためだ。
誠はすぐに反撃へ移った。
榊の木刀を受け流し、手元へ向けて木刀を返す。
軽い一撃。
木刀同士が触れた。
蓮撃の条件が成立する。
連続攻撃の起点。
誠は追撃しない。
ここで連続して当てれば、攻撃力と速度が上がっていく。
上限はない。
だからこそ、危険だった。
一度流れに乗れば、止めるまで強くなり続ける。
誠はあえて、次の一撃を外した。
榊の肩口を狙い、寸前で軌道を逸らす。
蓮撃の連続回数は途切れた。
上昇も止まる。
だが、最初の一撃で得たわずかな変化だけは残っていた。
ほんの少しだけ、身体が軽い。
ほんの少しだけ、木刀が速い。
誠はその変化を、通常の集中力が高まっただけに見えるよう利用した。
榊の連撃が続く。
誠は防御を重ねる。
そして、ちょうど良い瞬間を待った。
榊がわずかに踏み込みすぎた瞬間。
誠は木刀を受けず、半歩横へずれた。
同時に、榊の手元へ軽く木刀を伸ばす。
攻撃ではない。
牽制。
しかし、榊がそのまま踏み込めば手首に当たる位置。
榊は攻撃を止めた。
一瞬だけ、両者の動きが止まる。
それで十分だった。
鐘が鳴る。
三分終了。
「そこまで!」
試験官の声が響いた。
誠は木刀を下ろし、息を整えるふりをした。
榊も木刀を下ろす。
しばらく、何も言わなかった。
周囲はざわついている。
「三分耐えたぞ」
「いや、最後ちょっと止めたよな?」
「合格じゃないか?」
「でも、攻めは少なかった」
誠は表情を変えない。
見せすぎたか。
いや、違う。
今回は完璧だ。
一閃の痕跡はない。
蓮撃の切り替えも見られていない。
連続攻撃による上昇も、最初の一撃だけで止めた。
榊に見えたのは、追い詰められた受験者が一瞬だけ鋭く反応した姿だけだ。
能力を使ったとは、誰にも気づかれていない。
榊は記録係の教師に何かを伝えた後、誠へ近づいた。
「斎藤誠」
「はい」
「合格圏内だ」
誠は頭を下げる。
「ありがとうございます」
榊は、誠の顔をじっと見た。
「だが、一つ聞く」
「はい」
榊は周囲に聞こえないほどの低い声で言った。
「お前、最後の一瞬だけ動きが変わったな?」
誠は一瞬、返答に詰まりかけた。
だが、すぐに苦笑する。
「追い詰められて、必死になっただけです」
「そうか」
「はい」
榊はしばらく誠を見つめた。
だが、やがて視線を外す。
「なら、そういうことにしておこう」
その声に疑念はあった。
しかし、確信はない。
それで十分だった。
榊はそれ以上追及しなかった。
誠は内心で息を吐く。
危なかった。
蓮撃は強すぎる。
連続で攻撃を当て続ければ、攻撃力も速度も上がり続ける。
上限はない。
相手が倒れない限り、こちらの攻撃性能だけが青天井で伸びていく。
まともに使えば、榊相手でも勝てた可能性がある。
だが、今回は勝つ必要がない。
能力を隠し通すことの方が重要だった。
誠は待機場所へ戻った。
周囲の受験者たちが、少しだけ距離を取った。
先ほどまで、名もない受験者の一人だった。
だが、今は違う。
榊冬馬と三分間戦い、合格圏内と告げられた受験者。
その程度には、目立ってしまった。
「目立ちすぎないこと、か」
誠は小さく呟いた。
一番難しいかもしれない。
それでも、能力を隠すことには成功した。
少なくとも、榊には見抜かれていない。
試験はその後も続いた。
だが、誠は自分の試合以上に集中できなかった。
榊の最後の言葉が、頭に残っている。
最後の一瞬だけ動きが変わった。
つまり、榊は何かを感じ取ったのだ。
だが、それがスキルの変更だとは気づいていない。
誠が一閃から蓮撃へ切り替えたことも。
蓮撃によって、ほんのわずかに速度が上がったことも。
その後、連続攻撃を意図的に途切れさせたことも。
すべて隠し通した。
それは、かなり危険な綱渡りだった。
もし蓮撃を連続で使っていれば、もっと簡単に勝てただろう。
だが、強くなり続ける能力ほど、隠すのは難しい。
この学校では、教師にも注意する必要がある。
夕方。
すべての試験が終わった。
受験者たちは校舎前の広場に集められる。
合格発表は、その日のうちに行われるらしい。
広場には、重い緊張が満ちていた。
祈る者。
黙って掲示板を見つめる者。
すでに諦めたように座り込む者。
そして、誠は静かに立っていた。
やがて、教師たちが大きな掲示板の前に現れる。
紙が貼り出される。
合格者一覧。
受験者たちが一斉に駆け寄った。
歓声。
悲鳴。
泣き声。
ため息。
誠は人混みが少し引いてから、掲示板に近づいた。
名前を探す。
斎藤誠。
あった。
合格。
誠は小さく息を吐いた。
「まずは一つ目、攻略完了」
その時だった。
背後から声がした。
「合格、おめでとう」
聞いたことのない声。
だが、覚えのある気配。
誠はゆっくり振り返った。
そこに立っていたのは、黒髪の少女。
柊木暦。
終盤ボスだった少女は、感情の読めない目で誠を見ていた。
そして、静かに言った。
「隠すの、上手だね」




