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剣聖物語  作者: ははんぽ
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第3話 中盤ボス、松平義久

宿を出ると、朝の白舟はすでに活気に満ちていた。


 通りには荷車を引く男が行き交い、店先では魚を焼く煙が上がっている。

 木刀を持った子供たちが走り回り、道場帰りらしき若者たちが剣術談義に花を咲かせていた。


 そのすべてが、誠には新鮮だった。


 画面越しではない。

 背景でもない。

 決められた台詞を繰り返すだけのNPCでもない。


 人がいる。

 匂いがある。

 音がある。


 この世界は、生きている。


「……すごいな」


 誠は思わず呟いた。


 始まりの街、白舟。


 ゲームでは何度も通った場所だ。


 宿屋から道場までの道。

 鍛冶屋の位置。

 薬屋の看板。

 依頼掲示板の場所。


 その多くは、誠の記憶と一致していた。


 だが、完全に同じではない。


 道幅が少し広い。

 店の数が多い。

 見覚えのない路地がある。

 そして遠くには、ゲームに存在しなかった巨大施設――白舟剣術学校。


 似ている。


 だが、同じではない。


 その事実が、誠の胸を静かに高鳴らせていた。


「攻略済みのマップに、未開放エリアが増えてる感じか」


 誠は小さく笑う。


 道場へ向かう足取りは軽かった。


 佐伯玄馬から、昼までに来いと言われている。

 入門試験を受けるなら、まずは道場へ行かなければならない。


 ゲームでも、序盤は白舟流派道場への入門試験から始まる。


 基礎動作。

 型。

 反応速度。

 最後に模擬戦。


 試験内容はすべて覚えている。


 もちろん、この世界でも同じとは限らない。

 むしろ違う可能性の方が高い。


 だが、それでいい。


 知っていることと、知らないこと。

 その差を確認することが、攻略の第一歩だ。


 誠は通りを進みながら、周囲を観察した。


 剣を持つ者が多い。

 腰に木刀を差している者。

 真剣を布で包んで運んでいる者。

 道場着姿の若者。


 ここは本当に、剣術が生活の中心にある世界なのだ。


 ゲームの設定として知っていた時とは、重みが違う。


 この世界で剣が弱いということは、ただ戦闘で負けるという意味ではない。


 仕事を得られない。

 身を守れない。

 認められない。

 上へ行けない。


 剣術は、この世界における実力そのものだ。


「なら、剣聖の称号もゲーム以上に価値があるってことか」


 誠は考える。


 この世界で、もう一度剣聖になる。


 それは、ただゲームのゴールをなぞることではない。


 この世界の頂点に立つということだ。


 悪くない。


 いや、かなり良い。


 そう思った時だった。


 通りの空気が変わった。


 人々の流れが、わずかに左右へ割れる。


 誰かが歩いてくる。


 誠は足を止めた。


 人混みの向こうから、一人の青年が姿を現す。


 背が高い。

 姿勢が美しい。

 腰には刀。

 歩くだけで、周囲の人間が自然と道を空ける。


 ただ者ではない。


 そう思った直後、誠の記憶がその顔を捉えた。


 端正な顔立ち。

 涼しげな目元。

 隙のない立ち姿。


 見間違えるはずがない。


 松平義久。


 『剣聖物語』中盤に登場する強敵。


 名門流派の剣士であり、プレイヤーを何度も苦しめる壁の一人。


 ゲームの松平は、冷酷だった。


 実力のない者を見下し、弱者を踏みつけ、主人公に対しても徹底して傲慢に振る舞う。

 そのくせ実力は本物で、油断すれば一瞬で斬られる。


 誠も何度も負けた。


 何度も殺された。


 松平義久という名前は、誠にとって中盤の苦い記憶そのものだった。


 その男が、今、序盤の街を歩いている。


 しかも、ゲームとは違う。


 目の前の松平は、誠に気づくと穏やかに微笑んだ。


「君、入門試験を受けに行くのか?」


 声が柔らかい。


 誠は、わずかに目を細めた。


 違う。


 ゲームの松平は、こんな声で話さなかった。


 もっと冷たい。

 もっと人を見下すような口調だった。


 だが、目の前の松平は違う。


 まるで、親切な先輩のようだった。


 佐伯の言葉が脳裏をよぎる。


 ――松平義久という男を見かけても、関わるな。


 警告は覚えている。


 だが、誠は鬼畜ゲーマーだ。


 危険なイベントほど、確認したくなる。


「はい。これから道場へ向かうところです」


 誠が答えると、松平は嬉しそうに頷いた。


「そうか。なら、一つだけ助言しておこう」


「助言、ですか?」


「ああ。白舟の入門試験は、技の派手さを見る試験じゃない」


 松平は通りの端へ視線を向けた。


 そこでは、子供たちが木刀を振って遊んでいる。


「見られるのは、相手に合わせて正しい選択ができるかどうかだ。強い技を出せばいいわけじゃない。勝てばいいわけでもない」


 まともな助言だった。


 あまりにもまともすぎて、誠は逆に警戒した。


「……詳しいんですね」


「昔、似たような試験を受けたことがあるからね」


「白舟の道場で?」


 松平は、ほんの少しだけ笑みを深めた。


「さあ、どうだったかな」


 はぐらかされた。


 誠は松平の表情を観察する。


 嘘をついているようには見えない。

 だが、全部を話す気もない。


 ゲームの松平なら、こんな会話にはならなかった。


 おそらく、この時点で主人公を見下し、鼻で笑い、挑発してくる。


 それがない。


 むしろ、親切すぎる。


 それが不気味だった。


「ありがとうございます。覚えておきます」


 誠が頭を下げると、松平は穏やかに笑った。


「礼を言うほどのことじゃない。君は、少し面白そうだから」


「面白そう?」


「ああ」


 松平の視線が、誠の目をまっすぐ射抜いた。


 その瞬間。


 誠の背筋に、冷たいものが走った。


 優しい顔。

 柔らかな声。

 穏やかな態度。


 だが、その奥にある何かは、間違いなく鋭い。


 この男は、ただ親切なだけではない。


「君は、負けても折れない目をしている」


 誠は、すぐには答えられなかった。


 松平は続ける。


「剣の世界では、才能よりも厄介なものがある。負けても諦めない者だ。そういう者は、いつか必ず壁を越える」


「……買いかぶりすぎです」


「そうかな」


 松平は楽しそうに笑った。


 その笑みは、やはりゲームの彼とは違う。


 だが、誠は思った。


 性格が違っても、底にある鋭さは同じだ。


 この松平義久も、弱いはずがない。


 誠が黙っていると、松平は街の北側へ目を向けた。


 白舟剣術学校の方角だった。


「もし、白舟剣術学校に入ることになったら、また会うかもしれない」


「剣術学校……」


「知らないのか?」


「名前だけは見ました」


「なら、入門試験の後に師範代へ聞いてみるといい。君なら、きっと勧められる」


 松平は、まるで最初からそうなると知っているかのように言った。


 誠はその言い方に引っかかる。


「どうして、そう思うんですか?」


「勘だよ」


「勘、ですか」


「ああ。剣士の勘は、案外馬鹿にできない」


 松平はそう言って、誠の横を通り過ぎた。


 すれ違いざま、彼は小さく呟く。


「ただし、気をつけて」


 誠は振り返った。


「何にですか?」


 松平は振り返らなかった。


 ただ、背中越しに言った。


「この世界は、君が知っているほど簡単じゃない」


 誠の呼吸が止まった。


 今、何と言った。


 この世界は、君が知っているほど簡単じゃない。


 知っている。


 松平は、そう言ったのか。


 まるで誠がこの世界について何かを知っていることを、最初からわかっていたような言い方だった。


「待ってください」


 誠は声をかけた。


 だが、松平はすでに人混みの中へ消えかけていた。


 歩く速度は速くない。

 それなのに、不思議と追いつけない。


 人の流れに紛れ、松平義久の姿は完全に見えなくなった。


 誠はその場に立ち尽くす。


 通りの喧騒が戻ってくる。


 荷車の音。

 商人の声。

 子供たちの笑い声。


 何事もなかったかのように、白舟の朝は続いている。


 だが、誠の中では明らかに何かが変わっていた。


 松平義久。


 ゲーム中盤の強敵。


 だが、この世界では序盤から現れた。


 性格も違う。

 態度も違う。

 口調も違う。


 そして何より、誠の事情を知っているかのような言葉を残した。


「……やっぱり、ゲーム通りじゃないな」


 誠は小さく笑った。


 恐怖はある。


 警戒もしている。


 だが、それ以上に胸が高鳴っていた。


 この世界は、自分が十年かけて攻略した『剣聖物語』ではない。


 似ているだけの別物。


 いや、正確には。


「攻略不能ルート、か」


 誠は木刀を握り直した。


 予定は変わらない。


 まずは入門試験。

 次に白舟剣術学校。

 そして、松平義久の正体を探る。


 この世界がどれだけゲームと違っていても、やることは同じだ。


 観察する。

 記録する。

 試す。

 失敗する。

 修正する。

 そして攻略する。


 誠は道場へ向かって歩き出した。


 その背中に、朝の光が差す。


 まだ何も始まっていない。


 だが、誠は確信していた。


 この世界は、自分が思っていたよりずっと深い。


 ずっと危険で、ずっと面白い。


 白舟流派道場の門が見えてきた。


 高い門。

 磨かれた石畳。

 奥から聞こえる、木刀同士が打ち合う音。


 誠は足を止め、門を見上げる。


 ゲームでは、ここはただの序盤イベントだった。


 だが、この世界では違う。


 この門の向こうから、本当の攻略が始まる。


 誠は息を吐いた。


 そして、笑った。


「さあ、まずはチュートリアルからだ」


 その言葉とともに、誠は白舟流派道場の門をくぐった。

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