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剣聖物語  作者: ははんぽ
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第2話 本当の剣聖物語

目を覚ました時、斎藤誠が最初に見たのは、知らない天井だった。


 木目の荒い板。

 隙間から差し込む細い光。

 どこか古い木と畳の匂い。


 誠は、しばらく天井を見つめていた。


 夢か。


 一瞬だけ、そう思った。


 だがすぐに、その考えを捨てる。


 夢にしては、感覚がはっきりしすぎていた。


 背中に感じる薄い布団の硬さ。

 鼻に届く朝の冷たい空気。

 遠くから聞こえる、人の声と剣を打ち合う音。


 すべてが、現実のものだった。


「……なるほど」


 誠は、ゆっくりと身体を起こした。


 普通なら叫ぶ場面だった。


 さっきまで自分の部屋でゲームをしていたはずなのに、目を開けると見知らぬ部屋にいる。


 誘拐を疑う。

 夢だと思い込む。

 混乱して暴れる。


 たぶん、それが普通の反応だ。


 だが、誠は普通ではなかった。


 十年かけて鬼畜ゲームを攻略した男である。


 意味不明な状況に放り込まれた時、最初にやることは決まっている。


 状況確認だ。


 誠はまず、自分の手を見た。


 手のひらには、硬い皮ができている。

 指は長く、節がしっかりしていた。

 剣を握り慣れた者の手だ。


 少なくとも、昨日までの自分の手ではない。


「身体が変わってる……いや、若返ったのか?」


 声は自分のものに近い。


 けれど、どこか違う。


 誠は部屋の中を見回した。


 小さな木机。

 古びた水差し。

 壁に掛けられた簡素な着物。

 そして、部屋の隅に立てかけられた一本の木刀。


 その木刀を見た瞬間、誠は目を細めた。


「初期装備……に似てるな」


 見覚えがあった。


 『剣聖物語』のゲーム開始直後。

 主人公が泊まっている宿屋の部屋。


 そこに置かれていた木刀と、よく似ている。


 誠は布団から出て、木刀を手に取った。


 軽い。


 だが、手によく馴染む。


 ただの木刀ではない。

 実戦用ではないが、基礎を叩き込むために作られたものだ。


 誠は軽く振ってみた。


 腕が動く。

 足が自然に位置を取る。

 腰が回る。


 不思議だった。


 ゲームでは、ボタン一つで出していた動き。

 それが今、自分の身体で再現されている。


「……面白いな」


 恐怖より先に、そう思った。


 誠は窓へ近づき、戸を開ける。


 朝の光が部屋に入り込んだ。


 窓の外には、見知らぬ街が広がっていた。


 木造の建物が並ぶ通り。

 荷車を引く男。

 店先で魚を焼く女。

 木刀を持って走る子供たち。


 そして、遠くには大きな道場の屋根が見えた。


 誠は息を止めた。


 知っている。


 何度も見た。


 何度も通った。


 始まりの街、白舟。


 『剣聖物語』の序盤拠点。


 流派選択。

 初期依頼。

 入門試験。

 最初のボス戦。


 すべてが、この街から始まる。


「本当に……剣聖物語の世界か」


 誠は呟いた。


 普通なら、ありえないと否定するところだろう。


 だが、誠は否定しなかった。


 画面に表示された文字。


 ――本当の剣聖物語へ。


 あれがただの演出ではなかったのなら、今の状況にも説明がつく。


 ゲームをクリアした。

 裏条件を達成した。

 攻略不能ルートが開放された。

 そして自分は、この世界へ来た。


 理屈はわからない。


 だが、現実として起きているなら受け入れるしかない。


 誠は、もう一度街を見下ろした。


 そこで、違和感に気づいた。


「……広いな」


 白舟は、もっと小さな街だったはずだ。


 ゲームでは、道場、宿屋、鍛冶屋、薬屋、依頼掲示板、闘技場。

 大きな施設はそれくらいしかなかった。


 だが、目の前の白舟は違う。


 建物が多い。

 人も多い。

 知らない看板もいくつもある。


 そして何より、ゲームには存在しなかった巨大な施設があった。


 街の北側。


 高い石垣に囲まれた広い敷地。

 その正門には、大きな文字が掲げられている。


 ――白舟剣術学校。


「学校?」


 そんな施設は、ゲームにはなかった。


 少なくとも、誠が十年かけて攻略した『剣聖物語』には存在しない。


 誠は窓枠に手を置いたまま、ゆっくりと笑った。


「いきなり知らない要素かよ」


 怖くはなかった。


 むしろ、胸の奥が熱くなる。


 攻略済みの世界に来ただけなら、やることは決まっている。

 正解ルートをなぞればいい。

 罠スキルを避け、最短で剣聖を目指せばいい。


 だが、知らない要素があるなら話は別だ。


 この世界は、攻略済みではない。


 まだ見ていないルートがある。

 まだ戦っていない敵がいる。

 まだ知らない技がある。


「最高だな」


 誠は部屋の中央に戻った。


 その瞬間、視界の端に淡い光が浮かんだ。


 まるでゲームのメニュー画面のように、半透明の文字が表示される。


 ――ステータスを確認しますか?


 誠の目が鋭くなる。


「確認」


 声に出した瞬間、目の前に画面が展開された。


 名前:斎藤誠

 称号:未取得

 流派:未所属

 装備スキル枠:五

 保有スキル:一


 誠は、保有スキルの欄を見た。


 そこには、見慣れた文字があった。


 ――限界突破。


「マジであるのかよ」


 限界突破。


 剣聖の称号を得た者だけが習得できる、ゲーム内最強のスキル。


 本来、一つの流派にしか入門できない『剣聖物語』において、すべての流派のスキル習得を可能にする異常能力。


 ゲームクリア後のやり込み要素。

 本編攻略中には絶対に使えないはずの力。


 それを、最初から持っている。


 この時点で、誠は圧倒的な優位に立っている。


 そう思った直後、追加の表示が出た。


 ――限界突破は一部制限状態です。


「……制限?」


 誠は詳細を開いた。


 限界突破:

 全流派のスキル習得資格を得る。

 ただし、現在の肉体では全スキルの同時運用は不可。

 装備可能スキル数は五。

 未確認スキルの使用には、観察・理解・再現の三段階が必要。


 誠は、しばらく無言で表示を眺めた。


 そして、ふっと笑った。


「なるほど。全部使い放題じゃないってわけか」


 悪くない。


 いや、むしろその方が面白い。


 二千万以上のスキルを何の制限もなく使えるなら、それは攻略ではない。

 ただの作業だ。


 けれど、使えるスキルが五つに限られるなら話は変わる。


 どのスキルを選ぶか。

 どの相手に、どの構成で挑むか。

 未知の技をどう観察し、理解し、再現するか。


 これは完全にゲームだ。


 ただし、やり直しがきくかはわからない。


 セーブもない。

 ロードもない。

 死んだら終わりの可能性すらある。


 誠は笑った。


「上等」


 簡単なゲームほど、つまらないものはない。


 誠はもう一度ステータスを見た。


 称号は未取得。

 流派も未所属。


 つまり、この世界での誠はまだ何者でもない。


 ただし、限界突破だけは持っている。


 なら、やることは決まっている。


 流派に入門する。

 スキルを確認する。

 ゲームと現実の違いを調べる。

 白舟剣術学校について調べる。

 そして、もう一度剣聖を目指す。


 いや。


 それだけでは足りない。


 この世界が本当に攻略不能ルートなら、ただ剣聖になるだけでは終わらないはずだ。


 誠は窓の外を見た。


 ゲームには存在しなかった白舟剣術学校。


 知らない街並み。


 知らない人々。


 この世界は、誠が十年かけて攻略した『剣聖物語』に似ている。


 だが、同じではない。


「ここは、俺が知ってる剣聖物語じゃない」


 誠は木刀を握った。


 手に伝わる感触が、現実だと告げている。


 ならば、この世界も攻略する。


 ゲーム知識は武器になる。

 限界突破も武器になる。

 十年分の敗北経験も武器になる。


 だが、何よりの武器は、自分自身だ。


 負けても折れない。

 理不尽を楽しむ。

 知らない敵を見ると、怖がるより先に笑ってしまう。


 そんな自分だからこそ、ここに来たのだと誠は思った。


 その時だった。


 扉の向こうから、足音が聞こえた。


 ゆっくりと近づいてくる。


 足音は部屋の前で止まり、数回のノックが響いた。


「起きているか?」


 低い男の声だった。


 誠はステータス画面を閉じる。


 そして木刀を壁に戻し、できるだけ自然な声で答えた。


「起きています」


 扉が開く。


 入ってきたのは、白髪混じりの男だった。


 背は高く、着物の上からでも鍛えられた身体つきがわかる。

 腰には木刀。

 目つきは鋭いが、ただ怖いだけではない。


 誠は、その顔に見覚えがあった。


 佐伯玄馬。


 ゲーム序盤、入門試験に登場する師範代。


 ただし、目の前の佐伯は、ゲームで見た案内役とはまるで違っていた。


 立っているだけで、空気が重い。


 佐伯は誠を見て、わずかに眉を寄せた。


「顔色は悪くないな。昨日は道端で倒れていたと聞いたが、気分はどうだ?」


 道端で倒れていた。


 誠は内心で情報を整理する。


 どうやら、自分はこの世界で誰かに拾われ、この宿へ運ばれたらしい。


「大丈夫です。助けていただき、ありがとうございます」


 誠が頭を下げると、佐伯は少し意外そうな顔をした。


「礼は宿の者に言え。私は様子を見に来ただけだ」


「それでも、ありがとうございます」


「……妙に落ち着いているな」


 佐伯の視線が、誠を探るように細くなる。


 誠は自然に笑った。


「倒れた理由を覚えていないので、焦っても仕方ないかなと」


 嘘ではない。


 ゲームをクリアしたことは覚えている。

 意識を失ったことも覚えている。


 だが、この世界で道端に倒れていた理由は知らない。


 佐伯はしばらく誠を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


「まあいい。動けるなら、今日中に道場へ来い」


「道場、ですか?」


「入門試験を受けに来たのだろう?」


 誠は一瞬だけ黙った。


 そして理解する。


 ゲーム開始直後。

 主人公は白舟の流派道場で入門試験を受ける。


 ここまでは、ゲームと同じ流れだ。


「はい。受けます」


「ならば、昼までに来い。遅れれば失格だ」


 佐伯はそう言って背を向けた。


 だが、扉の前で足を止める。


「それと」


「はい」


「最近、この街は少し騒がしい。余計な場所には近づくな」


 誠は、わずかに目を細めた。


「騒がしい、というのは?」


 佐伯は答えなかった。


 ただ、扉を開ける前に一言だけ残した。


「松平義久という男を見かけても、関わるな」


 その名前を聞いた瞬間、誠の背筋に電流が走った。


 松平義久。


 ゲーム中盤に登場する強敵。


 冷酷で、傲慢で、他人を見下す男。


 プレイヤーを何度も追い詰める、中盤最悪の壁。


 その松平が、序盤の街にいる。


 しかも、佐伯がわざわざ警告するほどの存在として。


 佐伯が部屋を出ていく。


 扉が閉まる。


 誠は、しばらく動かなかった。


 そして、こらえきれずに笑った。


「中盤ボスが、序盤に出現か」


 イベント順が狂っている。


 マップも違う。

 キャラクター配置も違う。

 ゲーム通りに進めれば勝てる世界ではない。


 だが、それがどうした。


 誠は木刀を手に取り、窓の外に広がる白舟の街を見た。


 ここは『剣聖物語』の世界だ。


 けれど、自分が知っている『剣聖物語』ではない。


「最高だな」


 攻略不能ルート。


 その言葉の意味を、誠はようやく理解し始めていた。

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