第24話 万響崩し
最初に来たのは、足裏だった。
砂を踏んでいるはずなのに、床そのものが斜めへ逃げる。
支えようとした膝が沈み、肩を戻すと、その肩へ別の衝撃が重なった。
誠は偽装を聖騎士へ替えた。
足元と胸の前に、光の面を置く。
押し寄せた力が止まり、耳の中へ残っていた高い音が遠ざかった。
万響崩しは止まらない。
盾の外側で砂が跳ね、黒羽の剣が次の場所を狙っている。
守りを解けば、その瞬間を取られる。
守り続ければ、黒羽が逃げる方向と攻める位置を選べる。
誠は、盾の内側で息を整えた。
勝つための時間を、ここで取る。
「そこへ籠もるか」
黒羽の声が、振動の向こうから届く。
「少し、見たい」
「趣味のためなら、降参してから見せてやるぞ」
軽口ではなかった。
誠は黒羽の顔を見た。
目は、こちらの指がまだ動くかを見ていた。
「勝つためだ」
「なら、付き合う」
黒羽が、足を踏み替えた。
光の面の外で、反響の向きが変わる。
全方向から来る。
だが、同じ強さではない。
誠は盾の縁へ木刀を出し、衝撃の一つへ触れた。
細雪で長く受けず、流れてきたものをすぐに逃がす。
次は、低い位置。
その次は、少し右。
弱くなる場所が、動いている。
波と波が重なるところでは強くなり、ずれたところでは、ほんの短い間だけ圧が減る。
黒羽は、その弱い場所へ自分の剣を置いていた。
敵が動ける場所を残した上で、そこを取る。
嫌な技だ。
同時に、誠は息を呑むほど感心した。
大きな衝撃をばら撒くだけなら、盾で待てばいい。
黒羽の万響崩しは、相手が次に何を選ぶかまで含めて、試合場を作っていた。
「見つけたか」
黒羽が聞く。
「空いてる場所は、罠だな」
「わかってて来るなら、なおさら面白え」
誠は盾を一枚、狭めた。
直感が危険を示す。
全部に反応していては、動けない。
誠は、剣先へ戻る感触を選んだ。
観察眼を使いたいが、いまは枠がない。
明鏡止水、聖騎士、細雪、直感、Over Drive。
視覚を補う一枠より、まだ残すべき一分があった。
その一分が、満ちた。
音が消えたわけではない。
世界が止まったわけでもない。
しかし、同じ波が来るまでに、指を置き直せる時間が増えていた。
Over Driveの最初の増幅。
能力値が、二乗へ上がる。
誠は、その力を全部は出さなかった。
大きく踏み込めば、黒羽へより大きな材料を渡すだけだ。
足の裏へ載せる力を、さっきより細かく分ける。
腕へ来る振動を、指先の角度だけで逃がす。
透と砂時計を前にして、何度も失敗した練習だった。
誠は、直感を偽装へ替えた。
危険を知らせる赤い火花が、視界から消える。
怖くなくなったわけではない。
何を捨てるかを、自分で決めた。
肩を少し動かす。
蜃気歩・半身。
誠が右へ出るように見えた瞬間、黒羽の剣が右へ向いた。
床の弱い部分は左へ流れる。
誠はそこへ、足を上げずに重心を置き換えた。
盾の外へ出る。
反響が、脇腹をかすめた。
防護を狭めたところへ、痛みが残る。
だが、膝は沈まなかった。
黒羽の剣が戻る。
誠は小さな盾を、正面ではなく斜めへ置いた。
八咫鏡・片鏡。
黒羽の打突が、面を滑る。
その間に、誠の細雪が木刀の先へ届いた。
水切り。
黒羽が返そうとした力を、短い接触のまま外へ逃がす。
剣先の震えが一度乱れ、床を走る波にも、小さな隙間ができた。
誠はそこを通った。
黒羽の足が、半歩引かれる。
万響崩しの中で、初めて、相手が位置を変えた。
蓮司は、立ち上がりかけた身体を止めた。
誠が倒れなかった。それだけで、叫びそうになった。
千紘は膝の鞄を抱き締めている。
「今の、一歩じゃない」
彼女は小さく言った。
「足、置き換えただけ」
自分が何度も言ったことだった。
なのに、黒羽の奥義の中でそれをやる誠を見て、知らない技のように思えた。
玲奈は、手元の紙をもう見ていなかった。
自分が書いた終点とは違うところへ、誠の剣が抜けていた。
それでいい、と声にしたくなった。
しかし、代わりに一度、息を吸った。
「やるじゃねえか」
黒羽の額に汗が浮いていた。
「俺の剣が、そんなに気になるか」
「かなり」
「なら、ちゃんと壊さず持っていけよ」
黒羽の木刀が、もう一度鳴る。
乱れた反響が、その音を合図に寄り直した。
誠は剣を止めた。
いま崩したのは、一つの流れだけだ。
黒羽は、組み直せる。
しかも、次は自分の木刀だけへ力を集めていない。
足元に残る振動の輪も、同時に動かしている。
半歩ずれれば逃げられるという答えは、もう使えなかった。
「次は、そこも閉める」
黒羽が言った。
誠が通った場所へ、二つの波が重なる。
弱い部分が別の位置へ移り、黒羽の身体もそこに合わせて動く。
誠は、逃げる場所を追うのをやめた。
足跡と木刀の音を、一緒に見る。
弱い場所は、勝手に動いているのではない。
黒羽がどこへ動くかによって、作られている。
「今度は、こっちに選ばせる気か」
誠が呟く。
黒羽は答えず、剣先を低くした。
誠は聖騎士を、観察眼へ替えた。
光の面が消える。
木刀を持つ指と、床を捉える踵が、はっきりと見えた。
もう一つ先の一分を待つ必要はない。
今ある力で、間に合う。
帰りに菓子を持つための手を、無駄に壊すつもりもなかった。
「黒羽」
「何だ」
「次の返しも、見せてくれ」
黒羽が、歯を見せた。
「取れるもんならな」




