↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖物語  作者: ははんぽ
PR
25/25

第25話 もう攻略済みだ

黒羽の踵が回った。

 誠は、波が来るより先に木刀を下げた。


 足元を叩くはずの衝撃へ、剣先を添える。

 受け止めない。細雪・水切りで、流れの一部だけを斜めへ逃がす。

 大きな音は出なかった。

 しかし黒羽の右足が、予定より短い位置へ着いた。


「そこまで見たか」


 誠は答えずに前へ出る。

 肩の動きは右へ。本当の重心は、その内側へ。

 偽装は、黒羽の感覚のすべてを騙せない。

 それでも、目と床から来る情報が食い違えば、選ぶまでに僅かな時間ができる。


 誠は、その時間を取りにいった。


 明鏡止水、観察眼、細雪、偽装、Over Drive。

 五つ。

 守りの盾はもうない。

 その代わり、黒羽の一つ一つの修正を、見てから選べる。


 黒羽の木刀が、床へ触れた。

 次の波は、誠の足元ではなく、その後ろを叩く。

 逃げ道を消してから、本体の剣が来る。


 誠は後ろへ下がらなかった。

 前に出る足も、大きくは使わない。

 身体の位置を少しずつ変え、剣の届くところまで詰める。


 黒羽の羽織の裾が、砂を払った。

 右足を回した瞬間だけ、木刀を支える左指が緩む。

 五月の記録には、見えなかった場所。

 そこへ、誠は剣先を置いた。


 こつ、と小さな音。


 一本目の水切りで、木刀の震える向きをずらす。

 二本目は、同じ場所へ出さない。身体を外へ置き直し、返そうとした側から触れる。


 黒羽が剣を引く。

 誠は、追わない。

 引いた木刀を床へ戻すための場所に、先に自分の剣を置く。


 細雪・糸ほどき。


 新しい力が生まれたのではない。

 ここまで別々に練習してきた、動き出し、接触、力の逃がし方を、黒羽の次の動作へ合わせてつないだ。

 振動を生む剣と、振動を運ぶ床。

 その受け渡しを、一つずつ間に合わなくする。


 万響崩しの音が、低く濁った。


     


 黒羽は、笑った。

 額の汗が目へ入っても、拭こうとしない。


「俺の奥義を、ばらすかよ」

「組み直すのが速いから、追いつく方も忙しい」

「口は、まだ回るんだな」


 黒羽が一歩引いた。

 誠は、追撃の途中で足を止める。


 床に残っていた波が、黒羽の剣へ寄っていた。

 拾ったものを広く回すのをやめ、一本へ集める。

 その剣が下がると、空気まで押し込まれたように重くなる。


 万響崩し・返潮。


 全部を集めた最後の返し。

 黒羽は、自分に残っていた逃げるための振動まで、そこへ渡した。


 誠はその足を見る。

 先ほどまで、どちらにも動ける場所へ置かれていた踵が、今は正面を向いている。

 広い技を一点に集めたことで、黒羽自身も、その一撃のあとへ賭けていた。


「これで、終わりだ」


 黒羽の声は静かだった。

 誠も頷いた。


「そうだな」


 外周で、教師が防護を強めた。

 審判は、どちらかが動けなくなればすぐに止められる位置へ入っている。

 誠はその姿を一瞬見て、黒羽だけへ向き直った。


 黒羽が踏み込む。


 誠は明鏡止水の認識除外を、一瞬だけ深めた。

 攻撃するためではない。

 自分へ剣を合わせる、その目測だけを外す。


 床全体を襲う反響は、認識から外れても止まらない。

 だから誠は、残る波の薄いところへ、ちゃんと足を置いた。

 そして、自ら剣を出す直前に領域を解く。


 黒羽の目が、再び誠を捉えた。

 剣を修正する。速い。

 その修正まで含めて、誠は木刀を添えた。


 細雪・糸ほどき。


 強大な一撃を、力で受け流すのではない。

 黒羽の剣が、最後に進む向きを決める手元へ触れる。

 力が一本へまとまるより早く、ほんの少し、終点を外へずらす。


 黒羽の木刀が、誠の肩の脇を通った。

 その後ろで砂が跳ね上がる。

 凄まじい音がして、外周の防護面が白く光った。


 誠は、黒羽の懐へ立っていた。


 もう大きな力はいらない。

 一閃も、蓮撃も、この一撃には選ばなかった。

 無防備になった喉元へ、木刀を正確に止める。


 黒羽は、息を吸ったまま動かなかった。


「そこまで」


 審判の声が響いた。


「勝者、斎藤誠」


     


 最初は、何も聞こえなかった。

 耳の中に、反響の低い音だけが残っている。

 やがて観客の声が押し寄せ、誰かが自分の名前を叫んでいるとわかった。


 誠は木刀を引き、Over Driveを解除した。

 増幅された力が元へ戻る。

 罰のような反動はない。試合の最中に受けた脇腹の痛みと、長く握っていた右手の熱が、ようやくはっきりした。


 黒羽が、喉元へ指を当てた。


「止めたな」

「試合だろ」


 黒羽は、一度だけ目を閉じた。

 その顔から、負けた実感を隠そうとする笑みが消える。


「……負けた」


 短い言葉だった。

 誠はその声を、歓声よりはっきり聞いた。


 黒羽は、手の木刀を見た。


「次は、同じ最後にはしねえ」

「だと思う」

「それでも、もう攻略済みか?」


 誠は少し笑った。


「今日の剣はな」


 黒羽が顔を上げる。


「次は、また知らないものを見せてくれ」


 黒羽は、今度こそ声を上げて笑った。

 こちらの肩を叩こうとし、誠が脇腹を押さえているのを見て、手を止める。


「悪い。そこ、返したな」

「しっかり」

「医務室へ行け。勝った奴が先に倒れたら、俺の評判が悪い」


 彼は観客席へ向き直り、木刀を上げた。


「文句はねえ。俺の十位は、こいつだ」


 再び歓声が上がる。

 誠は四人のいる席を見つけた。

 蓮司は立ち上がっている。千紘は、預けた鞄をまだ抱えていた。

 玲奈は口元を押さえ、透は手帳を拾おうとして、また落としていた。


 誠は、木刀を持っていない方の手を上げた。

 指は、全部動く。

 それを見せるつもりだった。


 千紘が、ようやく鞄から手を離した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。