第22話 闘獣階十位、黒羽宗一郎
試合前の検査で、誠は木刀を二度握らされた。
手を開き、足首を回す。医務担当が、右手の古い腫れを確かめた。
「問題なし。ただし、痺れで指が閉じなくなったら申告してください」
「はい」
「昨日、榊先生にも言われましたね」
誠は余計な返事をやめた。
廊下へ出ると、四人が待っていた。
蓮司は何度も自分の帯を結び直している。戦うのは誠なのに、本人の方が緊張しているようだった。
「荷物、預かる」
千紘が手を出した。
誠は、木刀以外を渡す。
布で包んだ六人分の菓子も、彼女の鞄へ入った。
「何、これ」
「帰りに食べる」
「もう買ったの?」
「店が開いてたから」
千紘は少し黙り、包みを崩さないように抱え直した。
「じゃあ、潰さないで待ってる」
玲奈は、何か言いかけてやめた。
透も手帳を閉じていた。
もう渡すべき情報は渡したのだと、四人の立ち方でわかる。
「行ってくる」
誠が言うと、蓮司が拳を差し出した。
軽く合わせる。
その手は、五月よりも力が抜けていた。
砂は、昨日確認したものより乾いていた。
誠は試合場へ入り、足を置き直す。
浅い足跡を一つ。爪先を引くと、小さく音が鳴った。
黒羽は、反対側でそれを見ていた。
「今さら逃げねえよな」
「逃げ道は、確認してる」
「そいつは結構」
黒羽が笑う。
肩には木刀。帯の十の札は、今日は外されて審判の机に置かれていた。
勝った方が受け取る。
その小さな札へ視線を落とすと、誠は不思議と落ち着いた。
「二ヶ月、長かったか」
「短かった」
「俺は長かったぜ。誰かが俺の対策してるって聞くと、先に試したくなる」
黒羽は木刀を下ろした。
「今日は、途中で足りねえって言うなよ」
「足りなければ、その場で考える」
審判が両者の間へ立った。
決着は降参、戦闘不能、または有効な打突を審判が認めた時。
技能の使用範囲。場外への退避と、救護による中断。
知っている規則でも、誠は最後まで聞いた。
観客席の上段に、柊木がいた。
その少し離れた場所には、白い髪の生徒が座っている。
顔を確かめる前に、審判の手が上がった。
「始め」
誠は、その声と同時にOver Driveを起動した。
明鏡止水。偽装。細雪。直感。Over Drive。
五枠。
身体は、まだ何も変わらない。
最初の一分まで、ここへ一枠を置き続ける。
誰にも見えない時計を、誠は胸の中で動かし始めた。
先に動いたのは、誠だった。
半歩だけ近づき、右腕へ剣先を置く。
細雪・薄氷。音の大きい踏み込みを伴わない一撃だ。
黒羽は木刀で受けた。
触れた瞬間、水切りへつなぐ。
そのまま、剣先を外へ逃がす。
誠の足裏に、遅れて衝撃が来た。
膝が僅かに沈む。
黒羽の木刀は、もう次の位置へ動いていた。
「刃ばっかり、気にしすぎだ」
誠は下がらず、右肩を引いて避ける。
喉元を通った剣の風が、頬を撫でた。
背中に、観客のどよめきが落ちてくる。
足を出した時の振動を拾われた。
予想はしていた。だが、予想した方向とは違う。
受けた剣から横へではなく、地面を通って、自分の踵の内側へ返ってきた。
体勢を立て直す足そのものを、使わせない返しだった。
「なるほど」
「わかった顔で、食らうなよ」
黒羽は今度、自分から踏み込んだ。
木刀の先を地面へ触れさせ、低い音を出す。
反響剣・空鼓。
誠の左側で、砂が跳ねた。
避けたい方向を先に叩き、空いた正面へ剣を通す。
下がれば、踵へまた返りが来る。
誠は、そこで偽装を深くした。
肩を少し右へ向ける。実際の重心は残し、右へ逃げる印象だけを与える。
蜃気歩・半身。
水面の向こうに、身体の輪郭がずれるような使い方だった。
姿を消すわけではない。相手が追うべき一歩の始まりを、僅かに外へ置く。
黒羽の剣が右へずれる。
誠は、その下を抜けた。
しかし、足元が鳴った。
黒羽は視線と違う場所へ、反響を返していた。
「目だけで追ってると思ったか」
誠は木刀を立て、身体へ戻る一撃を受け流す。
痺れが、指の付け根へ残った。
見え方をずらしても、足は地面を踏んでいる。
隠すことと、力を出していないことは別。
訓練で確かめたことが、より嫌な形で戻ってきた。
誠は、自分の足跡を一度だけ見た。
黒羽の足跡は、その周囲へ弧を描いていた。
受ける剣士だと思っていたのに、試合場へ先に道を作っている。
観客席では、蓮司が口を開きかけて閉じた。
言いたいことはいくつもある。
だが、今日は外から手順を教えてはいけない。
千紘は、預かった鞄を膝へ引き寄せた。
誠は足を残している。転びそうになるたび、戻る場所へ爪先を置いていた。
自分が何度も止めた、あの動きだ。
それでも、黒羽はそこへ間に合ってしまう。
「黒羽先輩、足の置き場まで誘ってる」
透の囁きに、玲奈が頷いた。
「誠さんも、同じ場所へ二度は戻っていません」
四人は、声を試合場へ投げなかった。
今日までに渡したものが、そこでどう使われるかを見ていた。
誠は、二度目の水切りを途中でやめた。
黒羽が、こちらの剣先の逃げ場へ木刀を先回りさせていたからだ。
同じ形を重ねれば、もう読まれる。
代わりに、手元を近くへ置き、身体を剣の外側へ回した。
接触した刃の向きが変わる。
黒羽の袖へ、誠の剣先が触れかけた。
黒羽は、初めて肩を引いた。
「お」
小さな声だった。
誠は追わず、呼吸を一つ戻す。
「そこで来ねえのか」
「戻る衝撃を、待ってただろ」
黒羽の口角が上がった。
「見えてきたか」
「少し」
起動から、まだ一分は経っていない。
手に残る痺れと、足首の重さは本物だ。
だが、わからなかったものが、一つだけわかる形になった。
黒羽の木刀が低く鳴る。
それに答えるように、誠の足元の砂も震えた。
「なら、こっちも次へ行く」
黒羽は笑わずに言った。
「反響剣・極」




