第20話 黒羽に勝つな
榊は、紙を読んでもすぐには何も言わなかった。
角度を変えて裏を確かめ、それから見回りの教師へ発見時刻を尋ねる。
透が手帳を差し出した。
「気づいた時刻と、その前に出入りした人です。全員は見ていません」
「見た者だけでいい」
榊が時刻を書き写した。
「朝倉。誰かを捕まえに行こうとしたか」
蓮司の肩が跳ねる。
「まだ、していません」
「なら、そのままにしておけ。憶測で声を掛ければ、相手を傷つけることもある」
叱るより先に釘を刺された蓮司は、不満そうに口を閉じた。
誠は隣で、握られた拳を見た。
「自分たちの練習場所を変えた方がいいですか」
玲奈が聞く。
榊は机から校内図を出した。
「しばらくは、教師のいる区画を使え。帰りも一人にならない。道具棚の鍵は、担当者から直接受け取る」
「試合は?」
誠の問いに、榊は顔を上げた。
「この紙一枚を理由に中止はしない。中止させたければ脅せばいい、と教えることになる」
そこで少し、声を落とす。
「だが、危険を確認したら止める。その判断を隠れてかわすな」
「はい」
誠が答えると、千紘の肩から僅かに力が抜けた。
教師が仕事をしている。それが、彼女には必要だったのかもしれない。
紙の内容は、写しを残した。
筆跡だけで差出人を決めないことを、榊は念を押した。
同じ紙は学校のいくつかの窓口で使われていた。見覚えのある色だからと、誰か一人へつながるものではない。
「気になるのは、『挑むな』ではないところです」
透が言った。
「『勝つな』とある。挑戦そのものは構わないようにも読めます」
「その読みは残せ。ただし、字を書いた者が、そこまで選んだとは限らない」
榊の返事に、透は頷いた。
手帳の欄を、事実と解釈に分ける。
柊木は、入口の近くで黙っていた。
榊が彼女へ目を向ける。
「思い当たることは」
「松平の時にも、調べるなって言った人はいた」
「同じ紙か」
「違う。だから、一緒にはしない」
誠は顔を上げた。
「先生。松平は、何を調べていたんですか」
榊の手が止まる。
蓮司たちは、この名が出ると誠の声まで変わることに、もう気づいていた。
「剣籍と、学校の照合記録だ」
「闘獣階の一位も関わっている?」
「白神が確認に協力していた。それ以上は、今ここで人の名だけ渡せない」
誠は、机の角を見る。
聞きたいことはある。だが、疑う相手の名前を増やすだけでは、戻る人間は増えない。
「所在の調査は、続いているんですね」
「続いている。お前が見た朝の証言も、その一つだ」
榊は、紙を封筒へ収めた。
「斎藤。強い剣があれば、捜せる場所は増える。だが、強い剣だけで捜せるわけではない。勝って得る権限と、他人の秘密を好きに扱うことは違う」
誠は頷いた。
限界突破のことを知られたくない自分が、ほかの誰かの情報は全部見せろと言うわけにはいかなかった。
廊下へ出てから、蓮司が誠の袖を掴んだ。
「松平って、食堂で聞いた人だよな」
「ああ」
「誠は、その人を助けたいのか」
誠はすぐに、そうだと言えなかった。
初めは、自分の事情を知っているかもしれないと思った。
ゲームと違う理由を知りたかった。
親切な助言をもらい、それが奇妙だったから忘れられなかった。
「知りたいこともある。でも、帰れないなら、帰してやりたい」
「そっか」
蓮司は袖を離した。
「じゃあ、そう言ってくれよ。技のためだけに危ない方へ行ってるのかと思った」
その言葉は、少し痛かった。
誠自身、どこまでが好奇心なのか、まだ上手く分けられない。
「俺のことで、練習をやめてもいい」
言った瞬間、千紘の顔が変わった。
「何それ」
「巻き込まれるかもしれないから」
「危ないって説明するのと、私たちが帰ることを先に決めるのは違うでしょ」
玲奈も、静かにこちらを見た。
「自分で考えろと教えたのは、誠さんです」
透は手帳を閉じ、少し迷ってから言った。
「怖いです。けど、やめたいかは、別です」
誠は四人を見た。
全員が勇敢な顔をしているわけではない。透の指は、手帳の角を強く握っていた。
それでも、ここに残っている。
「わかった。わかったことは隠さず話す」
千紘は頷いた。
「それと、脅されたから余計に勝ちたいとか、そういうのはやめて」
「勝つつもりではいる」
「そこじゃない」
誠は少し考えた。
「紙を置かれる前から、勝ちたかった。そこは変えない」
今度は、千紘も何も言わなかった。
校門まで、六人で歩いた。
柊木は少し後ろを歩いていたが、誠が速度を落とすと並んだ。
「松平は生きているのか」
彼女は、すぐには返事をしなかった。
「死んだと確認した人はいない」
「それだけ?」
「今、言い切れるのは」
誠は、前の四人を見る。
蓮司が大きな声を出しかけ、千紘に何か言われて小さくした。
「帰ってきたら、怒る?」
誠が聞くと、柊木は少し眉を寄せた。
「誰を」
「松平を」
彼女は、目を逸らした。
「たぶん」
しばらくして、続ける。
「でも、その前に、顔を見たい」
誠は何も返さず、歩幅を揃えた。
門のところで、榊から借りた帰路の札を確認する。
四人を送り、誠は学校近くの部屋へ戻った。
机には、細雪の練習表がある。
その隣へ、警告文の写しを置いた。
紙は薄い。
薄いもの一枚で、四人の帰り道まで変わった。
誠は試合までの日数の下に、明日の待ち合わせ場所を書いた。
勝ち筋だけを残していた頁へ、初めて、帰りの予定が入った。




