↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖物語  作者: ははんぽ
PR
16/25

第16話 五月の入れ替え戦

鷹宮慎也は、試合場へ入る前に一度だけ左手を握った。

 親指の付け根に、白く残った傷がある。

 黒羽宗一郎は、その手を見てから木刀を下ろした。


「治ったか」

「お前を殴る分にはな」

「剣で来いよ」


 二人が笑った。

 観客席の誠は、その短いやり取りで、今日の試合を見に来てよかったと思った。

 記録にある敗北は一行だ。しかし、あの手で一年、何度剣を握り直したのだろう。


 蓮司たちは隣へ座った。

 透が手帳を開く。千紘は前の席の頭を避け、足元の見える位置へ座り直す。玲奈は審判が説明する使用範囲を聞いていた。


 反響を使う試合のため、床の振動は外周で受け止められる。

 観客へ届くのは、響く音まで。防護の担当者が四隅で札を確かめ、審判が開始を告げた。


 鷹宮の一歩で、砂が後ろへ飛んだ。


 疾駆・風切り。


 木刀を振る速さより、距離が詰まる方が速い。

 黒羽の右腕を打つと見せ、鷹宮は接触の直前に手首を返した。先端が下へ回り、膝へ向かう。


 黒羽が受けた。

 乾いた音がし、鷹宮の身体がわずかに浮く。

 だが、倒れない。左足を先に引いて、返された力を流した。


「同じ手は、もう受けねえ」


 鷹宮が二撃目へ移る。

 今度は強く当てない。木刀の先を触れさせ、黒羽が返す前に離す。

 三撃、四撃。

 黒羽の袖をかすめた時、観客席から声が上がった。


「押してる」


 千紘が囁いた。

 誠も頷く。


 単に速くしたのではない。

 相手が受け取りたい大きな衝撃を渡さず、小さな接触で防御の形を動かしている。

 去年負けた先にある剣だった。


 黒羽の木刀が、低く鳴った。


 反響剣・送り鐘。


 鷹宮は打ち込んだあと、肩を引いた。

 返ってくるはずの衝撃を待つ。

 何も来ない。


 ほんの一瞬だけ、足が止まった。

 黒羽はその瞬間に、半歩前へ出た。


 かん、と高い音が遅れて響く。

 鷹宮の左腕が外へ開いた。


「今の、さっきの打ち込み?」


 透が手帳へ線を引く。

 誠は、鷹宮の肩が開いた位置を見ていた。

 返す時刻を選んだだけではない。待った相手が次の動作へ移る、その瞬間を選んでいた。


 鷹宮は歯を食いしばって剣を戻す。

 黒羽の一撃を避け、横へ走った。

 速い。避けたあとの姿勢も、綺麗に残っている。


 その二歩目が、砂へ沈んだ。


 反響剣・帰り鐘。


 腕へ返した衝撃とは別の、溜めてあった一打が、地面を通って戻ってきた。

 鷹宮は右足で踏ん張り、膝をつく寸前で止まる。

 そこへ木刀が迫った。


 受けた音が、場内へ響いた。


「鷹宮先輩、まだ止めてる!」


 蓮司が身を乗り出す。

 黒羽の剣が喉へ届く寸前で、鷹宮は鍔元を差し入れていた。

 片膝のまま押し返し、立つ。

 左腕が震えている。


「これだけか、黒羽」

「まだ立つなら、次もある」


 黒羽の声から、軽さが減った。

 鷹宮は笑って、また走る。


     


 勝負が終わったのは、それから十数合あとだった。


 鷹宮が左から入り、黒羽の木刀を弾いた。

 返りが来る。わかっている。鷹宮は踏み込まずに待ち、来た振動へ膝を合わせた。

 誠は、上手いと思った。

 だが黒羽は、木刀ではなく肩で鷹宮の剣を受けた。


 鉄響身。


 身体の表面で受けた力が、足まで流れる。

 黒羽自身は動かず、その力だけが相手の足裏へ返った。

 鷹宮の踵が浮く。

 黒羽の木刀が、胴の前で止まった。


「勝負あり。勝者、黒羽宗一郎」


 拍手が起こった。

 歓声の中で、鷹宮は自分の左手を見ていた。

 黒羽が手を差し出す。


「去年より、ずっと嫌だった」

「慰めるな」

「慰めで肩を打たせるかよ」


 黒羽が羽織の袖を上げる。

 赤い痕が、そこに残っていた。

 鷹宮はその痕を見て、ようやく手を取った。


 誠は拍手をやめられなかった。

 新しい技を見た興奮だけではない。

 負けた側にも、去年から積み上げたものが残っている。それを勝った黒羽が、ちゃんと見ていた。


「どうだった」


 隣の蓮司に聞かれ、誠は少し考えた。


「強かった。二人とも」

「だよな」


 透は手帳の最後に、鷹宮の剣筋を一本書き足している。

 千紘は自分の左足を見下ろしていた。玲奈もまだ試合場を見ている。


 その時、黒羽がこちらを向いた。


「おい、木刀を持ってくれた一年」


 指を差され、誠は周りを見た。

 皆の視線が、既にこちらへ向いていた。


「俺か」

「ほかに三本のうち一本を運ばされた奴がいるかよ」


 黒羽は、肩に残った赤い痕へ袖を戻す。


「何か、見つかったか」

「返すタイミングが、打った順番と違う」


 黒羽の目が少し細くなった。


「それで?」

「足から返す時と、木刀から返す時で、構えが違う。まだ見分けられないけど」

「へえ」


 周囲の話し声が小さくなる。

 誠は気にせず、試合場の足跡を見た。

 黒羽が動かなかったように見えた場所にも、僅かに踵を回した痕がある。

 あれをもっと近くで見たい。


「次は、お前が試すか」


 黒羽の問いに、誠は顔を上げた。

 蓮司が隣で息を止める。

 遠くの観客席にいた柊木が、こちらを見た。


 予定していた返事はなかった。

 だが、木刀を合わせた時の感触まで知りたかった。


「二ヶ月後に」


 声に出すと、日付が急に近くなった。

 黒羽は一度だけ眉を上げ、笑った。


「名前を覚えとく必要があるな」

「斎藤誠」

「わかった。七月、待ってる」


 隣で、蓮司が頭を抱えた。

 誠は、七月までの日数を数え始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。