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剣聖物語  作者: ははんぽ
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12/25

第12話 一年三組

「そこ、誰か座ってる?」


 朝倉蓮司は、誠の返事を待たずに前の椅子を引いた。

 腕には教本が三冊。いちばん上の本には、朝食の汁らしい染みがついている。


「指定席だろ」

「わかってる。話しかけるきっかけってやつだ」


 蓮司は椅子を逆向きにし、背もたれへ両腕を乗せた。


「昨日はちゃんと名乗れなかったし。朝倉蓮司。蓮司でいい」

「斎藤誠。知ってると思うけど」

「知ってる。榊先生と三分やった奴」


 もう、その説明が名前について回っているらしい。

 誠が肩をすくめると、蓮司は手のひらを見せた。


「俺なんか、振ったあとに毎回崩されてさ。千回振ってても、ああなるんだよな」


 固くなった皮の間に、新しい傷がある。

 誠は、その手から目を離せなかった。


「毎日、千回?」

「雨でもな。道場が使えない日は軒下。家の柱に一回ぶつけて怒られた」

「振ったあと、止まれるか」

「止まる?」


 蓮司が右肩を上げた。

 木刀を振る真似をしかけ、教室だと思い出したらしくやめる。


「強く振ろうとして、次へ戻す足まで使ってる。試験で遅れたのは、そのせいじゃないか」

「……見てたんだな」

「順番が後だったから」


 もっと食いついてくるかと思った。

 しかし蓮司は、手を下ろした。爪の間に残った墨を親指で擦っている。


「じゃあ、千回って、無駄だったのかな」


 誠はすぐには答えられなかった。

 悪い癖を何度も反復している。それはそうだ。だが、その言い方で片づくものではないと、差し出された手を見て思った。


「無駄なら、あの打ち込みはできないだろ。止まる方も練習すればいい」

「そっちも千回?」

「まず十回」

「十回!?」


 大きな声に、後ろの席の少女が顔をしかめた。


「朝からうるさい」

「悪い、水瀬」


 水瀬千紘は、机へ載せていた足を下ろした。

 誠を見る目が、少し尖っている。


「斎藤って、人の剣をそんなに簡単に直せるの?」

「直せるとは、まだ言ってない」

「十回で変わるみたいな言い方してたじゃん」

「十回やって、変わるか見る」


 千紘は鼻で笑った。


「私のも見る?」

「踏み込んだあと、横へ動きにくそうだった」


 言ってから、誠は少し後悔した。

 千紘の口元から、笑みが消えたからだ。


「足が遅いってこと?」

「速い。だから、止める方が間に合ってない」


 千紘は何も言わず、帯の木刀へ指を掛けた。

 抜きはしない。自分で指を離し、窓の外を見る。


「あとで、見せてよ。止まれる速い剣ってやつ」


 榊が教室へ入ってきたのは、その直後だった。

 出席簿を置く音で、椅子が一斉に前へ向く。


「今日は基礎測定だ。上手く見せるための試験ではない。自分に何が足りないか、教師と一緒に確かめる」


 誠は少し姿勢を正した。

 榊の目が、それを見て細くなる。


「隠していいものと、隠すと自分が困るものを間違えるな」




 訓練場に並ぶ三十二人は、全員が木刀を持っている。

 同じ長さの木を渡されても、持ち方はばらばらだった。

 蓮司は、順番を待つ間も握ったり緩めたりしている。千紘は剣先で地面を小さく叩き、足の置き場を確かめていた。


 九条玲奈の番になると、空気が少し変わった。

 白い袖が、型の動きに一拍遅れてついていく。どの位置で止めても、教本の挿絵にできそうだった。

 ただ、相手のいない型なのに、誠には次の剣の置き場が見えてしまう。


「何か?」


 終えた玲奈が、こちらへ来た。

 誠は口に出した覚えがなかったので、少し驚いた。


「私の剣を見て、首を傾げていました」

「失礼だったな」

「失礼かどうかは、内容を聞いてから決めます」


 言い逃れの余地がない。


「三手目のあと、必ず左へ戻るんだなと思って」

「その位置が、最も次へ移りやすいので」

「相手にも、次へ移りやすい場所を教えてる」


 玲奈の目が、誠の足元へ落ちた。

 自分ならどこを狙うか、考えているらしかった。


「入学試験で、同じことを言われました」


 少し離れていた風間透が、顔を上げる。


「でも、九条さんは四手目を変えようとしていましたよね」


 玲奈が振り向く。

 透は、しまったという顔をした。


「すみません。見ていたので」

「謝らなくても。どこで、そう思いましたか」

「剣先だけ、下へ向きかけました。足が先に元の位置へ戻ったので、やめたのかと」


 玲奈は木刀を見下ろした。

 誠も、透を見た。

 実際に何が起きたかを、随分細かく拾っている。


「そこまで見えて、試験では動かなかったんだな」


 誠が言うと、透は肩を縮めた。


「見えるのと、できるのは……」

「ああ。違う」


 その返事に、透は少しだけ顔を上げた。

 責められると思っていたのかもしれない。


 榊が誠の名前を呼んだ。

 前へ出て、木刀を構える。

 限界突破を見せる必要はない。だが、足運びまでわざと崩してしまえば、この三年間を学ぶために来た意味も薄れる。


 誠は、できる範囲の基本をそのまま行った。

 肩に余分な力を残さず、剣先を止め、次の位置へ移る。

 榊の視線が、一度だけ足へ落ちた。


「その戻り方は、誰に教わった」

「何度も失敗したので」

「失敗を教えた者の名を聞いているんだがな」


 答えられないまま、誠は一礼した。




 測定のあと、蓮司が小さな声で呼んだ。


「十回、付き合ってくれる?」


 先ほどまでの千回の話より、頼むのが難しそうな声だった。

 誠が頷くと、千紘も近づいてくる。


「私も見る。口だけじゃないか、確かめるから」

「それなら、私もお願いできますか」


 玲奈は、ごく自然に列へ加わった。

 透は二歩離れたところで、来るかどうか迷っている。


「風間も、見たいなら」

「いいんですか」

「見るだけなら俺の許可はいらないだろ」


 透は、そこで初めて少し笑った。

 四人と話していると、後ろから榊が来た。


「午後は、その組み合わせでやる」


 誰も返事をしなかった。

 榊は順番に顔を見る。


「斎藤が四人の相手だ。ただし、言われた通りに動く必要はない。言われた弱点を知った上で、どう変えるかを考えろ」


 千紘の表情が変わった。

 ただ負けを確かめる授業ではないと、わかった顔だった。


「斎藤も、見た一回だけで相手を決めつけるな」

「はい」


 その言葉は、誠にも刺さった。

 ゲームの中で何度も見た剣でも、目の前の人間は次に何を選ぶかわからない。

 四人を攻略表の四つの欄に押し込むには、まだ何も知らなかった。


 昼休みの鐘が鳴る。

 蓮司が、木刀と弁当を同じ手で持とうとして取り落としかけた。

 千紘が呆れながら木刀を取る。


「まず、一度にやりすぎるのを直しなよ」

「それも十回で直る?」

「知らない」


 玲奈が笑った。

 誠はその声を聞き、午後の四人を、少し楽しみに思った。

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