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第2話:修行開始

「そ、それじゃ……今後のことについて、もうちょっと詳しい話を聞かせてください」


俺の言葉に、リザベルさんは少しの間を置いて微笑むと、仕事モードに入ったかのように姿勢を正した。


「チートスキルなし?」

「その件については、先程申し上げました」


即答。口調は穏やかだが、顔は笑っていない。


「武器とか、防具とかも?」

「もちろんです」


きっぱりと言い切られて、思わずたじろぐ。


「けど、お金くらいはくれるんですよね?」

「真実の愛は、お金を使って手に入れるものではありません」


自己啓発本にでも書いてありそうなことを、さらっと言う。


「じゃあ、頼れる人が――」

「見知らぬ地に、知り合いはいませんよ」


それもそうだな……って、納得してる場合じゃない。


「あの、ところでその紙……」

「これのことですか?」


リザベルさんが、手に持った紙を指差す。


「それって、俺のことが書いてあるんですよね?」

「そうです」


「じゃあ、分かるでしょ?」

「何がですか?」


リザベルさんが首を傾げる。そのあまりにも悪気のない仕草に、逆にイラッときた。


「何がって――」

「それでは復唱しましょう。多良木伸彦さん、28歳。男性。居住星は地球、日本国。私立――」

「スポーツ経験ゼロ! ケンカもしたことがない! 不良に絡まれたら即行土下座で切り抜ける! 書いてあるでしょ!」


思わず大声を出してしまう。


「はい。書いてありますね」


対するリザベルさんは、カルテを確認するベテラン看護師のような仕草で、あっさりと頷く。

その淡々とした様子に、わざとらしく溜息をついてみせた。


「そんな俺が、異世界なんかに行ったらどうなります?」

「どう……とは?」

「武装した野盗にモンスターの集団。俺みたいなモブが、そんな無法地帯を生きていけるわけないですよ。あなたの言う真実の愛とやらには、辿り着けそうもありません」


俺の言葉に、リザベルさんはわずかに目を見開いた。

理由は分からないが、どうやら『真実の愛に辿り着けない』というフレーズが効いたらしい。


リザベルさんは、まるで何かと交信するかのように、真っ白な天井を見上げた。

それから、ブツブツと独り言を始め――口は動いているが、何を言っているのかまったく分からない。


「……分かりました。二年間ですね」


最後の一言だけは分かった。

リザベルさんは左右対称の、作ったような笑みを俺に向ける。


「第二天使の許可が下りました。多良木伸彦さん、あなたには地球でいうところの二年間、この部屋で修行をしてもらいます」



◇   ◇   ◇   ◇   ◇



二年後までに強くなっていなければ、確実に死ぬ。

その未来を回避するために、俺はリザベルさんに言われた通り、ここで修行を開始した。


リザベルさんの説明によると、この部屋の中にいるあいだは、食事も排泄も、何だったら睡眠さえ必要ないらしい。時間がほとんど停止している、とのことだが、理系科目がとことん苦手な俺に、詳しい理屈が分かるはずもない。


そしてこれも、理屈という点はまったく分からないのだが、この部屋の中では、疲労が蓄積することも、病気になることも、怪我をすることもないらしい。その一方で、ここで手に入れた力はそのまま維持されるという――まあ、修行をするには、これ以上ないくらいうってつけの場所ってわけだ。


とはいえ、器具もなけりゃ指導者もいない。

そんな状況で、俺にできることといえば、せいぜい筋トレくらいのものだ。


「多良木さん。喜んでください。たった今、あなたの筋力は平均的な地球人の成人男性の水準に到達しました」


修業を始めてから、今日で十日目。

リザベルさんはたびたびこの部屋にやって来ては、俺の様子を観察し、今みたいに進捗状況を読み上げていく。


「こ……これだけやって、ようやく平均ですか?」


俺は、正直な感想を口にした。他にやることもないため、ほとんど一日中、腕立てや腹筋、スクワットなど、思いつく限りのメニューを、可能な限りこなしているのだが……


「これは、特筆すべき上昇率です。なにしろ、生前のあなたは、活動停止レベルの体力しかなかったのですから」


そしてこの反応。事務的というレベルを通り越して、機械的ですらある。


「けど、まだ相変わらず――」

「生前、多良木さんが言われていた言葉を使って表現すれば、『ヒョロガリ』のままですね」


今度は、さわやかな微笑みと辛辣な言葉を俺に向ける。


この人、美人は美人だけど……一緒にいても、全然テンションが上がらない。

もう少し人間らしいというか、温かみのある言葉や励ましの言葉なんかをかけてくれないものだろうか。


俺はしゃがみこむと、わざとらしく小さな溜息をつき、リザベルさんの顔を見上げた。


「俺……ほんとに強くなってるんですか?」

「もちろんです。開始時のデータと比較すると、現在の多良木さんの筋力は平均して94パーセント上昇しており――」

「数字じゃないんですよ」


俺がぼやくように答えると、リザベルさんはほんの少し目を見開いた。すぐに、その目が昆虫を観察するかのような無機質な光を帯びる。


「実感……つまり、体験することが必要だとお考えですか?」

「ま、まあ。そんなとこです」

「承知しました。それでは、少々お待ちください」


却下されるかと思いきや、リザベルさんは意外にもあっさりと承諾した。

それからすぐ、以前と同じように、天井を見上げて何やら話し始める。


「実戦シミュレーションの許可が下りました。今からこの部屋に、多良木さんの対戦相手をご用意します」



◇   ◇   ◇   ◇   ◇



実戦? 対戦相手?


「用意するって……誰を?」

「その前に――この部屋に呼び出すことができるのは、既に活動を停止した生物だけです」


なるほど。よくよく考えりゃ、俺も死んでるんだよな。


「それともう一つ。多良木さん。あなたは、憎しみを向けることができない相手とは戦えません」


図星だ。俺は、ケンカの経験すらない典型的なビビリ。プロの格闘家みたいに、戦闘開始のゴングを聞いた瞬間、目の前の人間に殴りかかる、なんて芸当ができるわけがない。


つまり、俺はこれから、既に死んでいる、憎しみを向けることができる誰かと戦うことになるわけか。


しかし――


「そんな奴、います?」


いくら頭を捻っても、誰の顔も浮かんでこない。

『既に死んでいる』という縛りを外せば、それなりに思いつくんだが――


「一人――多良木さんと深い因縁のある人物が、多良木さんが死亡した二時間十六分後に死亡しています」

「え?」


俺が目を向けると、リザベルさんは少し得意げな表情を浮かべていた。

事務的を通り越して機械的な彼女にしては、珍しい。


「田中皇帝。17歳。多良木さん、あなたが受け持っていた生徒の一人です」

「たなか……こうてい?」


「はい。私立十六夜学園、2年B組に在籍。多良木さんが担任していたクラスですよね?」

「ま、まあ、そうですけど……変ですね。うちのクラスに、そんな名前の生徒は――」


ん? 待てよ。

こうていって……漢字ではどう書くんだ?


肯定。校庭。行程。高弟……


皇帝。


あ。


あああああああっ!


「そ、それ……こうてい、じゃないです……」

「こうてい……ではない? しかし、この漢字に他の読み方は――」


そうだ。誰だって最初は、そいつの名をそう呼ぶ。

そして必ず、ぶちのめされる。


「……カイザーです」

「か……かいざあ? そ……そんなはずはありません。日本語の音韻規則と漢字の表意機能が、完全に衝突しています」


さっきまでドヤ顔をしていたリザベルさんが、何やらぶつぶつと呟き始めた。

明らかに狼狽している。どうやら、日本のキラキラネームは、天使の計算力の範疇を超えるものであるらしい。


俺は小さく深呼吸し、因縁の宿敵――十六夜学園2年B組、出席番号十三番の男子生徒の名を叫んだ。


「間違いありません! そいつはカイザー…… 田中皇帝(カイザー)なんです!」

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