若き女騎士の受難
夕刻を過ぎ、世界に夜の帳が下りようとしている時分。
森林王国ラクリースの王家に仕える王国騎士クロエは、総勢八十名の兵を連れて、王都近隣の村まで討伐任務に来ていた。
村に突如現れたというアンデッドモンスターの群れ。
討伐に訪れてみれば、驚くべきことに、そのすべてが食屍鬼と呼ばれる種類の強力なアンデッドのようだった。
そうと分かった時点で、一度撤退して、より大きな戦力を整えてくるべきだったのだ。
だが敵を甘く見たクロエ指揮下の騎士たちが、突撃の指示を出してしまった。
総指揮権はクロエに与えられていたのに、若い女騎士であるクロエを軽視したほかの四人の騎士たちは、彼女の意向を無視して勝手に指示を出し、荒くれ揃いの兵士たちもそれに従ってしまった。
その結果が、このザマだ。
「なんだこいつら、動きが速ぇ……! ゾンビとは違うぞ!」
「ぐわぁっ! き、牙が鎧を貫いてきやがった……!」
「か、体が麻痺して……動かねぇ……! これは、麻痺毒……!?」
グールと交戦した兵士たちは苦戦し、次々と傷つき、打ち倒されていく。
スケルトンを上回る俊敏さと、ゾンビのそれをはるかに凌ぐパワーとタフネス、金属鎧をも穿つ鋭い牙と爪、そして爪が持つ麻痺毒。
同数以上の兵力で挑んでいるはずなのに、王国軍の兵士たちのほうが明らかに劣勢で、部隊が全滅するのは時間の問題だった。
「く、クロエ様、このままでは……! て、撤退の指示を……!」
「最初から出しています! 従わない人たちがいるからでしょう!」
悲鳴のような部下の声に、クロエは苛立ちを隠せないまま言葉を返す。
その部下とて先ほどまでは、ほかの騎士たちの指示に従っていたのだ。
ちなみに、良く言えば「勇敢に」馬上突撃していった四人の騎士たちは、いずれも一体や二体のグールを馬上槍で貫いた後、グールに馬を攻撃されて落馬。
そのままあっという間にグールどもに群がられて、全身を覆う板金鎧などほとんど何の役にも立たないまま、抵抗むなしく無惨に殺された。
その騎士たちも、決して弱かったわけではない。
日々の訓練に加えて強力な武装で身を固めていることもあり、一人ひとりが一般兵士数人分に相当する戦力を持っていたはずだ。
だがそれが、あっさりと全滅した。
グールが強いのだ。
冒険者ギルドが制定しているモンスターランクはE+。
定石で言えば、最低でも兵士五人がかりで一体のグールを討伐するべき相手である。
しかしそれが、なんと五十体ほども群れを成している。
異常事態だ。
とてもではないが、八十人などという寡兵で対応できる相手ではない。
だというのに、脳筋の騎士や兵士たちが己の武力を過信した結果がこれだ。
今やグールも数体が倒れて動かなくなっているが、味方の兵たちはその三倍以上の数が地に倒れ伏し、もはや助からない状態だ。
「私に統率力がなかったから……!」
クロエは悔しさに歯噛みする。
神童などと呼ばれて育ち、剣術の試合では男の騎士たちを打ち負かせても、実戦の結果がこれでは何の意味もない。
勝手に勇んだほかの騎士や兵たちが悪いんだと罵りたくなる気持ちをぐっとこらえ、クロエは自分が今するべきことは何かを考える。
そして、こう叫んだ。
「全軍に告げます! 私、騎士クロエが斬り込んで、グールどもをできるだけ引き付けます! 皆さんは仲間の援護をしながら撤退してください! 敵を倒すことよりも、一人でも多く生き延びて王都に帰還することを優先して!」
クロエは馬から飛び下りて剣を抜き、グールの群れに向かって駆け込んでいった。
「──てぇやあああああっ!」
グールの麻痺爪によって動けなくなった兵に、一体のグールが食いつこうとしていたところを、突進の勢いのまま剣で突きかかる。
体当たり同然でグールの胸を貫通した剣を引き抜くと、反撃を防御しつつそいつを蹴り飛ばして、近くにいた兵士に声をかける。
「麻痺した人は背負うなりして、なんとか連れていって! グールの麻痺爪の効果は、六十秒ほどもあれば解けるはずです!」
「あ、ああ……! 分かったぜ、嬢ちゃん。恩に着る!」
「嬢ちゃんって、そういうところが……! ──ああもういいです、早く行ってください!」
さらに近くにいたグール三体が、同時にクロエに襲い掛かってくる。
クロエは決して遅くはないそれらのグールの攻撃を、どうにか回避し、あるいは剣や盾でさばいて、なんとか隙を見て反撃を繰り出していく。
だが──
「くっ……さすがにこの数は……!」
クロエ一人では、あまりにも多勢に無勢だ。
百人に一人の若き凄腕剣士も、グールという精鋭モンスター数十体の群れには敵うはずもない。
一体、二体、三体と死力を尽くしてグールを斬り倒していくうちに、彼女の周囲を十体、二十体、三十体という数のグールが取り囲んでいく。
クロエの息も上がってきて、もはや退路も断たれた。
こうなってしまえば、もう生きて帰ることは不可能だろう。
(私の人生って、何だったんだろう……)
クロエはなおも剣を振り、盾でグールの爪をさばきながら思う。
こんなところで無駄死にをするために、私は生まれてきたのか。
ならばせめて、一秒でも長く──
部下たちが逃げるための時間を稼がなければ。
「──このぉおおおおおおっ!」
さらに一体、二体と、グールを斬り倒す。
だがもう腕も脚も鉛のように重たくなって、動かなくなってきた。
もはやこれまでか。
ずいぶん頑張ったな。
クロエはついに、がくりと膝をつく。
グールの爪が、牙が、クロエに迫ろうとして──
「──うぉおおおおおっ! 嬢ちゃんを守れぇえええ!」
「「「おぉおおおっ!」」」
撤退したはずの兵たちがなぜか戻ってきて、グールの群れに突撃を仕掛けた。
数十体のグールと数十人の兵士たちで、再びの乱戦が巻き起こる。
「なっ……!? どうして戻ってきたんです! なんで命令を聞いてくれないんですか!? バカなんですか!?」
クロエは悲痛な声で叫ぶ。
だが兵士の一人は、クロエに肩を貸して立ち上がらせると、こう返事をした。
「いやぁ、最初は嬢ちゃんの言ってたことのほうが正しかったからよ、今度こそ嬢ちゃんの命令を聞こうと思ったんだけどな。──でもよ、嬢ちゃん一人見殺しにして逃げるのは、やっぱ無理だわ。俺たちゃバカだからよぉ」
「うっ……うううっ……本当にバカ……! バカばっかりです、あなたたちは……!」
クロエは涙を流す。
その言葉は決して、心からの罵倒ではなかった。
だがそんなことがあろうとも、彼我の戦力比が変わるわけではない。
グールの爪によって、牙によって、次々と兵士たちが傷つき、やがては倒れていく。
そのうちに少しだけ体力が回復したクロエも参戦するが、戦いの趨勢が大きく変わることはない。
「ぐぅっ……!」
そしてついにはクロエも、グールの爪による攻撃を受けてしまう。
片腕を軽く切り裂かれた程度で重傷ではなかったが、問題はグールの爪にある麻痺毒だ。
毒は急速にクロエの全身を蝕んでいき、彼女から体の自由を奪っていく。
やがてクロエの体が完全に麻痺し、剣を取り落としてしまう。
カランと、女騎士の剣が地面に転がった。
対峙していたグールが、ニタァっと笑ったような気がした。
食屍鬼は新鮮な女騎士の肉を貪ろうと、クロエに近づいてきて──
──ぐしゃっ!
そのグールの体が、爆散して飛び散った。
いったい何が起こったのか、クロエには理解できなかった。
ただクロエの目の前には、斧を振り下ろした姿勢から肩に担ぎなおす、一人の男の姿があった。
「……ふぅっ。ギリギリセーフと言っていいのか、やや手遅れと言うべきなのか」
男の年齢は四十歳ほどだろうか。
中年ながら、たくましい肉体を持った戦士だ。
とりわけ美形というわけでもないのだが、精悍な顔つきをしており、その全身からは格好いい男特有のオーラのようなものがあふれ出ていた。
「あんたが指揮官だよな。何なんだこの異常な数のグールの群れは? ──つっても、麻痺してちゃ答えられねぇか」
斧使いの男はそう言いながら、クロエを守るように前に立つ。
そんな斧使いの男に、別の三体のグールが襲い掛かっていく。
(あ、危ない……!)
麻痺したクロエは、心の中で叫ぶ。
グールは並みの戦士では、一対一でも太刀打ちできる相手ではないというのに、それが三体同時。
だが、斧使いの男は──
──ぶんっ!
無造作な、しかし目にも止まらぬような斧の一薙ぎ。
それで三体のグールの胴体がすべて、上下真っ二つにちぎれ飛んでいた。
分断されたグールの体は、いずれも地面に落ちるか倒れるかして、びくびくと痙攣した後に動かなくなる。
(う、嘘ぉ……!?)
クロエは自分で目の当たりにしてすら、目の前で起こったことを信じられなかった。
技の冴えがどうとかいうレベルではない。
同じ人間とは思えないほど、そもそもの格が桁違いだ。
また、見ればその斧使いの男のほかにも、おそるべき力を持った援軍が現れていた。
クロエと同い年ぐらいの三人の少女たちが、可憐に戦場を駆け回り、剣や魔法でグールの群れを次々と蹴散らしている。
どこか神々しい衣装に包まれた少女たちの姿は、天使か、伝説の戦乙女のようだ。
(だとしたら、目の前のこの斧使いの人は、神様……? ううん、そんなわけがない。でも──)
──まるで、物語に出てくる英雄のよう。
若き女騎士クロエは、自分を守って前に立つ男の背中を見て、そんな風に感じてしまうのだった。





