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神には届かない  作者: 空野
ペッパーボックスの黎明
89/93

2

 

 ドン、と壁に背中がぶつかった。


「ってーんですけど」


 叩き付けられたのはコンクリが打ちっぱなしの体育倉庫の壁だった。

 それに寄り掛かったままでいると、制服越しにもじんわりと冷たさが滲んで来る。


「この後に及んで態度がでけぇなぁ!」


「状況分かってるのかよ、コイツ」


 目前にいるのは上級生。


「状況?さぁ、馬鹿の群れに絡まれた、って感じっすかねぇ」


「ああ!?」


 単純な挑発に乗って振り下ろされた拳を、頭を右にすらっと傾けることで回避する。

 コンクリの壁に背を預けたルイの顔面を捉え損ねた拳は、そのまま、その固い壁を思いきり殴り付けた。


 ぐぅ、と呻いて自分の手を抱える上級生に、だっせ、と遠慮なく笑って、ルイは腕組みした。


「キャーせんぱぁい、壁なんか殴っちゃって大丈夫ですかぁ?悪いのは運動神経?視力?それとも、あ、た、ま?」


「て、てめ……!」


「ほんっとうに、てめぇクソ生意気だなぁ!」


 唸る上級生は、倉庫の中に5人。


(入口に下っ端っぽいの2人。見張りだな。ボール入れの横に1人。で、目の前に、でけぇ猿2匹)


 鼻で笑いながら、ルイは状況を確認した。


(……ちょっとヤベェかも、こりゃ)


 元々、この生意気な性格が一部の上級生の反感を買っているのは知っていた。

 しかし、ルイと言えば、上級生でも恐れるブラッディ・ギャスパーの好敵手。一筋縄ではいくまいと、返り討ちを恐れた上級生から、直接的に、いわゆる〝呼び出し〟などを受けたことはなかったのだが。


(とうとう来ちまったなぁ。しかも最悪のパターン)


 下級生から、教官が呼んでいる、と言われたのだ。

 つい先日に少しやらかしをしていたから、用具庫の片付けを手伝うように言っていたと言われれば、ああ罰か、と自己完結してしまって。


 それが、間違いだった。


(はめられたな)


 教官はどこだと少し奥に入ったところで、急に扉が閉じられた。

 そうして5人相手に壁際まで追い詰められてしまったわけである。


 これが校舎裏なり体育館なり、もう少し広い場所ならやりようはある。

 2、3発殴って隙を作り、さっさと逃げ出して、人目のある場所まで走れば良いのだ。


 けれど、ただでさえ狭い上に用具でごみごみとした倉庫の中。

 おまけに扉は閉じられている。姿が見えないだけで、扉の外にも仲間がいて、開かないよう抑えている可能性まであるだろう。


 脱出するには、少なくとも室内にいる5人全員ノックアウトする必要があった。


(殴るだけならともかく、ノックアウトってのはなぁ。できるかねぇ……。微妙だよなぁ……。まぁやるしかねぇんだけど……)


 少しでも怖気を見せれば嬉々として一斉に殴りかかってくるのは目に見えていたから、薄ら笑いで余裕そうに挑発などしてみるが、内心穏やかではない。


(いや、まじで、これどうしよう?)


 思案した瞬間、今度は胸倉を掴もうと手が伸びて来て。


「気安く触んじゃねぇよ」


 反射的にピシャリと払いのけると、それが乱闘開始の合図になった。


 殴る蹴るで飛び掛かってくる二人に、これはもうやるしかなかろうと、拳を握って応戦する。


 背後が壁だから背中を警戒する必要はないのが、不幸中の幸いだった。

 伸びてくる手を叩き払い、ヒョイとしゃがんで拳を交わし、そのまま回し蹴りで相手の足を掬って転ばせて。


「わりぃけど、KO狙ってくかんな!病院送りになっても加害者そっちな!」


 転んだ相手の頭を本気で蹴り飛ばして一人沈め、何とかなりそうか、とほんの少し、思った瞬間。


 ガラガラ、と音がすると同時に、目の前にオレンジ色の球体が迫って来た。


「な」


 咄嗟に両腕でガードして、ああこれはバスケットボールだと気付いた時には、近くにいた一人から一発キツイのを貰ってしまっていた。


(やらかした!)


 思わず膝を着いて思った。


 ボール籠の横にいた一人。距離があるからと油断していた。

 そいつが、ボールをぶつけてきたのだ。


『ケチな戦い方するくせに、お前は詰めが甘ぇんだよ』


 いつかギャスパーに訓練戦闘時に吐き捨てられた言葉が、ふと思い出される。


「るせーよ、知っとるわ」


 幻覚のギャスパーに悪態を吐いたものの、その時には後の祭りで、膝を着いた隙を突かれて、そのまま床に俯せに押し付けられて馬乗りされていた。


(やばい)


 相手は自分より体格の良い上級生だ。

 元々がトリッキーな俊敏さを売りとするルイでは、ここまでモロに抑えられてしまえば、力尽くで跳ね除けることはできないし、技術的に抜けるにも限度がある。


「抑えた!」


「頭の上でキーキーうるせぇよ、猿!」


 舌打ちしながら威嚇も込めて怒鳴り返し、ルイは半分地面に押し付けられて狭まった視界で辺りを見回す。


 打開の芽は、今のところ、ない。


(やべぇな。まぁ病院送りまでボコボコにすると、さすがに教官に後で色々あるだろうから、そこまではねぇだろうけど)


 脳内が嫌に早く様々なことを考えた。


(……勉強料だと思って殴られるしかねぇのか、これ)


 少し諦めの境地に達しつつ、でもなぁ、とふと思う。


(ボロボロで帰ったら、グースの奴、静かにキレんだろうな)


 普段、冷めているように見えるけれど。その実、一度、線を越えればルイよりも、あのギャスパーよりも、強情で、激情な同室者を思った。


(淡泊だけど、根は素直なヤツだし)


 だいたいいつも淡々としているけれど、何も思っていないわけではないと、知っている。

 感情表現を抑えることが無意識のうちに沁みついていて、自分を隠すことが習慣になっているだけだった。


 本当は、その内側で、きちんと喜んでいるし、悲しんでいるし、怒っている奴なのだ。


(ま、同族だからな、それはわかるよ)


 だからきっと、身内がボロボロで帰れば、静かに激怒するのは目に見て、ルイは思わず場違いに笑った。


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