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神には届かない  作者: 空野
ウェルロッドの憂鬱
76/93

10

 

 談話室にいたのは、何だかんだと二時間ほどだった。


『起きてるか?』


 小声を掛けながら覗き込んだ二段ベッドの上階。

 頭まで被っていた布団は肩まで下がっていたけれど、サンダースは変わらず眠っていた。


 こちらに背を向けて寝る横顔は、少しだけ、顔色が良くなっている気もする。

 ただ、表情は寝苦しそうだった。


 ぼんやり、その顔を眺めた。


 この国では珍しい黒髪。代々、兵器貿易商の家系でもあるから、先祖には色々な国籍の国際結婚があったらしい。

 今は閉じて見えない鮮やかなブルーアイは、確か祖父からの隔世遺伝だと言っていた。


 おそらく、同期達の誰よりもラーグハルトは知っている。


 彼の家族の事。

 好きなこと、嫌いなこと。

 癖や趣味嗜好。



 ひとりで、背負ってしまう、愚直な人柄。



 ひょっとすれば、その点では家族より知っているかもしれなかった。


 そして、その愚直さを、その誠実さを。

 友人として慕わしいと思っていて。

 その人柄になら、戦場で命を預けられると。

 軍人として、思っている。


 そこにあるのは、ただ純然たる友情だ。


 信頼と親愛と、敬意。

 ただただ、純然たる友情であると胸を張って言うことができる。


 けれど。


 遠くに聞こえる同期達の賑やかな声を聞き流して、深夜、眠る友人にふと込み上げるものは何であろう。


 完璧を目指して努力する背中。

 撫でてくれる手を知らないと言った声。


 孤独ではない。

 愛されていないわけでもない。

 幸か不幸かならば、幸福な環境。


 けれど、どうして。

 いつも、さいごは、ひとりで立向かうのだ。


 その愚直な誠実さを。

 その称賛すべき危うい強さを。

 何もかも持っているのに、何にも縋れない手を。



 ただ、抱き締めてやりたいと思う。



 それは、友情の好意とは違う気がした。


 友情としての心は、抱き締めるのではなく、支えるのだと、そう叫んでいるから。

 友として軍人としてのラーグハルト・フライムは、彼を支える事、彼の右腕であることを、既に決めていた。


 けれど、一方で。

 ふとした時に抱き締めたいと思う部分は、彼の盾でありたいと思うのだ。

 背中を預かるのではなく、その全てを守ってやりたいと、そう思うのだ。


 その感情の名前は、既に知っている。

 故郷に置いて逃げてきた感情だ。


 可愛らしい幼馴染みの少女に抱いた時には、フワフワと心地よくて、世界中で一番幸せだと思えた感情で。

 無邪気な年下の少年に抱いた時には、世界に押し潰されそうに感じた、重い感情だ。


 不思議と、少年に感じた時ほどの絶望感はなかった。

 けれど、幼馴染みに感じた時のように、フワフワと幸福に跳ねる何かもない。


 ただ。

 この静かな年跨ぎの夜半の空気のように、胸が痛いほど清澄で穏やかな気分だった。


 遠く、遠く。

 外の通りを、車が駆け抜けていく音がした。

 時計の秒針が、カチ、カチ、と少しずつ進む。

 少し、寒いなと思って。


 ぼーん、ぼーん、と、鐘が鳴る。


 年が、明けた。


 談話室の方から、歓声が聞こえてくる。


 さざ波のように。

 それは言葉として明瞭に聞き取れるわけではないけれど。

 おめでとう、おめでとう、と。

 新しい〝今〟を喜び合う声だと分かる。


 それに気を取られていた時。

 すぅ、と、視界の端で毛布が動いて、我に返った。


『あ、わり。起こしたか?』


 サンダースが、鳴り響いた歓声の為にか、眠そうに目を開けていた。


『……とし、あけたのか?』


 掠れた声で、視線をさ迷わせて時計を探すので、ああ、と、頷いて応じる。


『明けたよ。おめでとう』


『おめでとう』


 幾ばくか眠気の覚めたような表情でサンダースは答えて、首を傾げた。


『談話室、行かなかったのか?』


『行ったけど、飽きたから戻って来たとこ』


 肩を竦めて、ラーグハルトは両手いっぱいの見舞品をベッドに手放す。


『皆さんから、ヒーローへの新年の供物だぜ』


 何か食えそうか、と訊くと、サンダースはコーラを指さした。


『喉は乾いた』


『じゃ、コーラで年明けの乾杯でもするか』


 栓抜きを手に取って、ベッドの木枠に寄り掛かる。


『座ったらどうだ?』


 サンダースはフラフラと起き上がると、熱っぽい顔で、自分の隣をポンポンと叩いた。


『多少狭いが。座れるぞ』


『狭いし、お前が楽なようにしてろ』


 気にするな、と笑って手を振って。

 コーラの瓶を開け、手渡してやる。


『わるい、ありがとう』


『どういたしまして』


 渡しながら、はたして病人にコーラは良いのだろうかと思いつつ、それでも、飲めるならいいかと納得した。


『固形物は何か食えそう?』


 自分も適当にサイダーの缶を開けて問うと、やめておく、とサンダースは答えた。


『固形物を入れたら吐く』


『そりゃ切実だな』


 苦笑いして、開けたばかりの缶を緩く掲げる。

 二段ベッドの上階に座るサンダースと、梯子の二段目に足を乗せて、最上段に片腕で寄り掛かるラーグハルトと。

 少しだけ、目線はラーグハルトの方が低かった。


『新年おめでとさん』


『おめでとう、ラーグ』


 2人きりの、新年の挨拶。

 遠くに聞こえる喧騒をBGMにして、ぼんやりと、去年の事を話し続けた。


 楽しかったこと、大変だったこと。

 腹が立ったこと、嬉しかったこと。


 すると、やがて。


『そうそう。それで、そん時に教官が……、おい、サンダース?』


 返事が途切れたのに気付いて、ふと視線を上げると、壁に凭れて相手は船を漕いでいた。


『おい、こぼすなよ』


 苦笑いして、不安定に緩く握られていたコーラの瓶を取り上げ、寝ろ、とベッドを叩いてやる。


『わるい……』


 もぞもぞと大人しく布団に潜り込む姿に、ふぅ、と思わず息の抜けるような笑いが漏れた。


『……おやすみ、サンダース』


 壁の方を向いた横顔。

 ポンポン、と軽く額の少し上を平手で抑えると、ああ、と夢うつつに返事をする。


『おやすみ、ラーグハルト』


 そのまま、すぐに寝息が始まった。

 規則正しい布団の上下は、今度こそ本物。


 顔色は良くなっていた。

 寝苦しそうな様子もない。


 すぅすぅと、眠る顔を見下ろした。


 辺りは静かだ。


 遠く、談話室のざわめきは、遠く。

 開けたばかりの新年の、ひんやりと心地よくて、澄んだ空気。


 ああ、まったく。


 心の中で、そう言った。

 声に出さないまま、ひっそりと。


 やっぱり、俺は君が好きなようだ。


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