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神には届かない  作者: 空野
神には届かない
65/93

AM 10:05


 静まり返っていた。

 全てが、たったひとりの言葉を待っていた。

 会見場に詰め掛けた報道陣、テレビの前に集まった視聴者、ラジオに耳を済ませるリスナー。

 国中の全てが、たったひとりの老人の言葉に、耳を澄ませている。


「よって今回の突入により、突入隊には重傷者2名、突入隊と人質、立て篭り犯に合わせて軽傷者23名。そして」


 壇上に立つ義足の老人は、静かに告げる。



「突入による、死者はゼロです」



 ひゅつ、と誰かが息を飲む音がした気がした。


「人質となっていた213名、全員、無事です。重傷者も、命に別状はなしと」


 〝指導者〟たる国民議会の議長、オスカー・クロウの言葉に、そこで音が爆発した。


 歓声に包まれた会場の中、隣合った新聞記者とテレビのレポーターが抱き合って、街中でカフェのラジオに耳を澄ませていた見知らぬ人達が握手を交わす。


「奇跡です!奇跡的な、奇跡的な結末を迎えました!」


 ようやくとレポーターがカメラに向けてがなりたて、ああ、と目頭を抑えていた女記者が、ふと、我に返って手を高く上げた。


「議長!」


「なにかな?」


「では、その奇跡の立役者は、クレイガン少将はどちらに?」


 歓声の止まない国中で、それでも、その女記者の声がブラウン管を、電波を通して浸透すれば、すぅと、再び静けさは戻った。


 喜びと興奮に包まれながら、誰もが称えるべき、やはり最高の守護者だった〝英雄〟を求めて声を落とす中。


「サンダースは、食事に行っとるよ」


 ほほ、と老人は目を細めて灰色の髭を撫でる。


「大活躍した後輩に、国一美味しいタンドリーチキンを奢らねばならんのでな」


「はい……?」


 困惑する誰も彼もを、穏やかな灰色の目はゆっくり見回した。


「皆さん、サンダースは、人間です」


 穏やかで、優しくて、突き放すように矍鑠とした老人の声だった。


「私も人間です、人間なのです」


 あなた方と同じです、と。

 その声に、誰もが黙り込んで、時が止まったような沈黙がある。


「動けば腹が減り、痛ければ悲鳴を上げ、思い詰めて怖くて動けなくなり、何もかもから逃げたくて泣きわめく、ただの人間なのです」


 凍り付いたような沈黙の中、けれどたったひとり動き続ける老人の声は熱を放って続いていく。


「ならば、そのただの人間が成したことを、もしも皆さんが奇跡と呼ぶのなら」


 掌を天上に向けて、

 空に祈るのではなく、空に押し上げ讃えるように。

 老人は言った。



「人は、奇跡を起こせる生き物なのです」



 おわかりでしょう、と。


「人は何度でも戦争を起こします。何度でも、誰かの大切な相手を殺し、殺され、苦しめ、憎む」


 誰もが怯むような熱量で、誰もが黙り込むような怜悧さで。

 讃えるように掲げた掌をゆっくりと揺らし。


「しかし人は、戦争を起こした自分を責める事ができる。大切な相手を亡くして悲しみ、見知らぬ誰かの慟哭を見て、共に傷付くことができる」


 静まり返る辺りを見回し、老人は目を細めた。


「愚かで、懸命で、優しい生き物なのです。その愚直さで、懸命さで、優しさで、奇跡を手繰り寄せる、誇らしいもの」


 掌は、空を仰いだまま、その目前に佇む人々を示して。


「それが人間です。それが、この世界に暮らす、我々人類なのです」


 特別な〝英雄〟でもなく、選ばれた〝指導者〟でもない、ただの人間ひとりひとりが、そういうものなのだと、歌い上げた。


「ならば、この世界はいつか、きっと、とても素晴らしい、夢のような世界になるでしょう」


 だから、どうか、と。両手はより高く、降る光を受け止めるようにそっと掲げられ。


「そろそろ、悪夢から目覚める時です」


 〝英雄〟や〝指導者〟に、その悪夢の終わりを求めるのではなく、自ら目覚める時なのだと、宣言する。


「立ち向かいましょう、同胞。悪魔を見る夜には、届かぬ天に祈るでもなく、特別な〝英雄〟や〝指導者〟を求めるでもなく。あなた方自身の可能性を、いつか来る輝かしい奇跡のような世界を信じて、自ら、立ち上るのです」


 天を仰いでいた手は拳を握った。

 祈らず、讃えず、戦うための、形をとった。


「私は確信しています。もしも、あなた方の一人一人が自ら奇跡を起こすのならば、きっとその時にこそ、ようやくと、全ての悪夢は醒め、心弾む夢よりも素晴らしい世界がやって来るのです」


 さぁ、と再び開いた手は、差し出すように人々に向けられた。


「祈りの夜は開けたのです。我が祖国よ、進むべき朝が来ています」


 静けさが包んでいた辺りに、やがて、波のような歓喜の声と、手を打つ音が、再び響いた。


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