Time in(side:g)
暗闇の中、息を殺して眼下を見下ろしている。
(足元の男……カーンは、議事堂戦の生き残りなのか)
ばくん、ばくん、と極度の緊張で心臓は重く、痛いほど重く打っていた。心做しか酸素が薄い気がして鈍い頭痛もする。
(……だめだ、だめだ、だめだ!)
フルフルと首を左右に振った。
(……落ち着け、何にしても、このままじゃまずい!)
音を立てないように、ドラグノフを下ろして、そっと格子の隙間に合わせて銃口を構える。
(少将は丸腰だ。俺が……俺しか……!)
この状況を打破できる位置には、今この時、自分しかいないのは明白だった。
(カーンは真下……、ここからは狙えない)
そうであるならば、グースが照準を合わせるべきは、サンダースの背後にいる、赤毛の男だった。
(アイツを、狙うしかない)
そう、頭では一瞬で判断できている。
せめて背後の赤毛を排除できれば、サンダースが教室内部に飛び込むくらいの猶予は生まれるだろう。
けれど。
(……撃てない……!)
ドラグノフを構える手は、カタカタと震えた。
(無理だ……!こんな角度から、こんな、こんなの……!)
標的とグースの間には、サンダースが立っていた。その上、標的が構えた銃の照準は、かなりの至近でキッチリとサンダースの背中に向いている。
(格子に弾丸が掠りでもすれば、軌道がズレるかもしれない……!)
そうなれば、サンダースに当たる可能性も十分にあった。
(仮に、少将に当たらなかったとしても……、あの赤毛にちゃんと当たったとしても……)
それが一撃で相手を仕留める、あるいは行動不能にできる箇所への着弾でなかった場合には。
(少将が、赤毛に撃たれる……)
嫌な汗が全身から吹き出してきていた。
(……俺に、できるわけがない……!)
いくら〝天才〟などと呼ばれていても。むしろ〝天才〟などと呼ばれるほどだからこそ。
グースは、自分の限界なんて知っていた。
何ができて、何ができないのか。冷静に見極めて、不可能な事からは被害の大きくなる前に撤退の判断を下す。グースは、それができるからこそ生き抜いてきたのだ。
(でも、今は、今、俺が、諦めたら)
後がない事を理解していた。
もしここで、グースが撤退すれば、それは即ちサンダースにとっての詰みでもあるのだと。
〝英雄〟の詰み、即ち、それを盲信する多くの人々にとっての精神的詰み、この病んだ国が瓦解しかねないほどの、政情不安の火種だと。
今自分の判断には、自分のことだけではない、更に多くのものが掛かっていると、グースは理解していた。
「お前は殺さんよ」
眼下でカーンの声が響く。
「食堂の人質を失った今、我々が離脱するには、新たに強力な人質が必要だ」
「ああ、〝英雄〟なら不足はあるまいな」
「その通り」
カーンが嗤い、サンダースの眉が微かに上がるのが見えた。
「貴様を盲信する、貴様を無敵の何かだと信じる、馬鹿な連中がどんな顔をするか、どんな混乱が起きるか、楽しみだな!」
低く引き攣るような嗤い声に、グースの頭の中は白く塗り潰されていく。
(……そうだ)
病んだこの国が縋り付く〝英雄〟が、もしも、失われたなら。
その無敵で、決して独裁軍になんて負けないはずの最強の護りが、実は脆い、ただの人間だったと晒されてしまったなら。
今、グースの肩に乗っているのは、そういうものだ。
この国をギリギリで成り立たせている幻想だ。
酸素は完全に不足していた。
真っ白になった頭の奥では、けれど責任の重さだけがチカチカと明瞭に点滅して主張する。
(……うたなきゃ)
のろのろと、体は勝手にスコープを覗き込んだ。
(いま、おれが、うたなきゃ)
全身の血の気が引いていて、クラクラしていた。
呼吸が本気で覚束無い。
視界が、ユラユラと貧血を起こしたように揺れて霞んでいる。
体中震えていて、腕の中のドラグノフも、カタカタと、上下していた。
(だめだ、うたなきゃ、しっぱい、できないのに)
止まれ、止まれと念じるほどに、思考は白くなり、震えも、浅い呼吸も早くなって。
何か、パチンと、弾けそうな、その時。




