表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神には届かない  作者: 空野
神には届かない
31/93

PM18:13(3)


「なにを、きいたんですか」


 ガタガタと震えが登ってきた。冷え切った部屋の闇に沈んだ四隅から、床を這い、ベッドを伝って、ジワジワと、言い知れないナニカ途轍もなく気持ちの悪いものが、絡みついてくる。

 胸の中央が、ひどく冷たい。そこで生産される血液は、きっと凍る一歩手前なのだ。けれど心臓は冷えた中身と相反して速度を増しはじめて、冷水のような血液を全身に送り出し、指先まで凍えさせようとしている。


「どこまで、あなたは、気付いたんだ」


 キィンと、こめかみのあたりが鈍く痛い。冷え切った胸は酸素を取り込めなくて息苦しいのに、凍り付いた体は息を乱れさせることすらない。

 どん、どん、と、体が揺れそうなほど、心臓が暴れる数秒の沈黙。 


『グースハウザー』


 サンダースは、至極平坦な、日常会話の中で軽く困惑したような声を上げた。


『すまない、どういった意図での質問なのか、わかりかねる』


 それは完璧な逃げ道だった。

 サンダースが掲示してくれた、完璧な逃げ道だった。

 けれど、それはあまりにも完璧な逃げ道だった。それは完璧過ぎる逃げ道であるが故に、グースにとって逃げ道でしか、逃げ道が必要な状況になってしまったのだと確信する理由でしか、なかった。

 やっぱり、気付いている、と。

 ガタガタと、震えが全身を巡る。肺にドライアイスを突っ込まれたような、焼けるような冷たさが呼吸を阻害する。


「なにを聞いたんですか、俺は、なにを、言ったんですか……!」


 掠れた叫びは無意識だった。殆ど何も意識できていないような真っ白な頭で、声だけが、勝手に漏れていた。


『落ち着け、グースハウザー』


 サンダースの声は、硬く真剣なものに変わっていた。


『私は何も聞いていない。君は、何も言っていない。……それで、いいだろう?』


 鼓動が、大きく、跳ねた。

 それは、実質上、グースの感覚の肯定だったから。


「失礼します……!」


 反射的に、何も考えずに、グースは受話器を伏せていた。

 そこから漏れてくる全ての音を拒否するように、強く、強く、シーツに押し付ける。


 ガバリと、丸まって毛布を被った。


 あたたかくて柔らかくて、何からも守ってくれない1人きりの要塞の中に、頭までスッポリと埋もれる。


 内戦中のデキゴトだ。


 全て既に独裁軍の凶行で処理されている。

 使用されたのは独裁軍制式の銃。殺されたのは、妻を失ってからノルマを守れなくなった無気力なガン・スミスと、気の触れたその長男。

 毎日、毎日、人の死なんてありふれた時代に、あまりに分かりやすい構図。

 いったい誰が、それ以外の要因を疑うだろう?

 今更、寝言程度を証拠に、いったい誰が、グースを裁けるだろう?


 そんな事は、誰よりグースがわかっている。

 それでも、怖くてたまらなかった、ずっと、ずっと。



 自分の罪を知られることが。


 父と兄を殺した事実が。



 怖くて怖くてたまらないのは、誰かに裁かれることじゃない。

 本当に、本当に、怖くてたまらないのは、自分自身だ。



『撃てば終わるから』



 今でも頭の中に響く声。

 そうだ、そうなのだ、自分は、そういう奴なのだ。

 我が身可愛さで、他者をあっけなく、あっけなく、殺せる奴なのだ。

 グースハウザー・ラインスは、そういう人間なのだ。


「自分の身が可愛くて、俺は、自分だけが、逃げたくて」


 2人も、それだけで殺してしまえる人間なのだ。

 そういう事を、思いついてしまえる人間だったのだ、自分は。


 裁かれることが恐ろしいんじゃない。

 こわいのは、ほかならない、いま、ここにいる自分なのだ。

 身勝手で、自分ばかり可愛い、自分自身が、一番、怖くてたまらない。

 裁かれることより、そんな自分を誰かに知られることに怯えて生きている。


「許されない、俺はきっと、許されない……!」


 自分が憎くて怖くて、それなのに結局、自分可愛さで生き続けてしまっている。

 そんなどこまでも身勝手な己に、体中の震えが、止まらない。

 鳩尾は重く沈むようで、心臓は万力で締め付けられる。


 けれど、涙は一滴も出ない。


 あの内戦の日に、グースの涙は干上がってしまった。


 泣いても何も変わらないのだと。

 苦しみはただ増すばかりなのだと。

 それだけを、あの日々で、学んできた。


 だから、涙は一滴も出ない。


 恐怖に涙することも、懺悔に噎ぶことすらも、出来ない奴なのだ。


 涙すら、一滴までも、渇き果てている。


「全部、終わっちゃえ……」


 涙の変わりに落ちた掠れ声すらも、泣き声にならない自分を、消してしまいたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ