PM18:13(3)
「なにを、きいたんですか」
ガタガタと震えが登ってきた。冷え切った部屋の闇に沈んだ四隅から、床を這い、ベッドを伝って、ジワジワと、言い知れないナニカ途轍もなく気持ちの悪いものが、絡みついてくる。
胸の中央が、ひどく冷たい。そこで生産される血液は、きっと凍る一歩手前なのだ。けれど心臓は冷えた中身と相反して速度を増しはじめて、冷水のような血液を全身に送り出し、指先まで凍えさせようとしている。
「どこまで、あなたは、気付いたんだ」
キィンと、こめかみのあたりが鈍く痛い。冷え切った胸は酸素を取り込めなくて息苦しいのに、凍り付いた体は息を乱れさせることすらない。
どん、どん、と、体が揺れそうなほど、心臓が暴れる数秒の沈黙。
『グースハウザー』
サンダースは、至極平坦な、日常会話の中で軽く困惑したような声を上げた。
『すまない、どういった意図での質問なのか、わかりかねる』
それは完璧な逃げ道だった。
サンダースが掲示してくれた、完璧な逃げ道だった。
けれど、それはあまりにも完璧な逃げ道だった。それは完璧過ぎる逃げ道であるが故に、グースにとって逃げ道でしか、逃げ道が必要な状況になってしまったのだと確信する理由でしか、なかった。
やっぱり、気付いている、と。
ガタガタと、震えが全身を巡る。肺にドライアイスを突っ込まれたような、焼けるような冷たさが呼吸を阻害する。
「なにを聞いたんですか、俺は、なにを、言ったんですか……!」
掠れた叫びは無意識だった。殆ど何も意識できていないような真っ白な頭で、声だけが、勝手に漏れていた。
『落ち着け、グースハウザー』
サンダースの声は、硬く真剣なものに変わっていた。
『私は何も聞いていない。君は、何も言っていない。……それで、いいだろう?』
鼓動が、大きく、跳ねた。
それは、実質上、グースの感覚の肯定だったから。
「失礼します……!」
反射的に、何も考えずに、グースは受話器を伏せていた。
そこから漏れてくる全ての音を拒否するように、強く、強く、シーツに押し付ける。
ガバリと、丸まって毛布を被った。
あたたかくて柔らかくて、何からも守ってくれない1人きりの要塞の中に、頭までスッポリと埋もれる。
内戦中のデキゴトだ。
全て既に独裁軍の凶行で処理されている。
使用されたのは独裁軍制式の銃。殺されたのは、妻を失ってからノルマを守れなくなった無気力なガン・スミスと、気の触れたその長男。
毎日、毎日、人の死なんてありふれた時代に、あまりに分かりやすい構図。
いったい誰が、それ以外の要因を疑うだろう?
今更、寝言程度を証拠に、いったい誰が、グースを裁けるだろう?
そんな事は、誰よりグースがわかっている。
それでも、怖くてたまらなかった、ずっと、ずっと。
自分の罪を知られることが。
父と兄を殺した事実が。
怖くて怖くてたまらないのは、誰かに裁かれることじゃない。
本当に、本当に、怖くてたまらないのは、自分自身だ。
『撃てば終わるから』
今でも頭の中に響く声。
そうだ、そうなのだ、自分は、そういう奴なのだ。
我が身可愛さで、他者をあっけなく、あっけなく、殺せる奴なのだ。
グースハウザー・ラインスは、そういう人間なのだ。
「自分の身が可愛くて、俺は、自分だけが、逃げたくて」
2人も、それだけで殺してしまえる人間なのだ。
そういう事を、思いついてしまえる人間だったのだ、自分は。
裁かれることが恐ろしいんじゃない。
こわいのは、ほかならない、いま、ここにいる自分なのだ。
身勝手で、自分ばかり可愛い、自分自身が、一番、怖くてたまらない。
裁かれることより、そんな自分を誰かに知られることに怯えて生きている。
「許されない、俺はきっと、許されない……!」
自分が憎くて怖くて、それなのに結局、自分可愛さで生き続けてしまっている。
そんなどこまでも身勝手な己に、体中の震えが、止まらない。
鳩尾は重く沈むようで、心臓は万力で締め付けられる。
けれど、涙は一滴も出ない。
あの内戦の日に、グースの涙は干上がってしまった。
泣いても何も変わらないのだと。
苦しみはただ増すばかりなのだと。
それだけを、あの日々で、学んできた。
だから、涙は一滴も出ない。
恐怖に涙することも、懺悔に噎ぶことすらも、出来ない奴なのだ。
涙すら、一滴までも、渇き果てている。
「全部、終わっちゃえ……」
涙の変わりに落ちた掠れ声すらも、泣き声にならない自分を、消してしまいたかった。




