PM18:13
いたい。
いたい、いたい、いたい、いたい、いたい。
上げた悲鳴は、灰色の天井に吸い取られて消えて。
「うるさい」
ヒステリックな怒声が視界を真っ赤に塗り潰す。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!」
視界が揺れているのは、殴られているからだと理解した瞬間に世界が濁った。
壁に掛かった時計は全て停止していて、そのまま無機質な白い壁紙と一体化してしまいそうだった。曇り切った窓ガラスから差し込む光は弱弱しくて、そのぼんやりと霧を通したような光に浮かぶ時計達は、やがて気の狂った画家が壁に描き殴った立体感のない絵のように見えてくる。
いたい。
いたい、いたい。
時計の螺子を、巻かないといけないのに。
伸ばした手は絵画に届かない。
ヒステリックな怒声が停止した世界を揺らす。
「うるさい、うるさい!なんで僕だけ、僕だけなんだ!どうして、僕だけ、こんな目に!」
悲鳴なのか怒声なのか分からない、泣いているのか憤っているのかわからない。
もう、その表情も感情も、読み取れないほど遠い人だ。
「お前は絶対、僕のこと置いて逃げるだろう!爆撃が来たら、突撃隊が来たら、お前は、足の悪い奴なんて置いて逃げるんだ!」
視界が一瞬、白く染まったのは、硬い杖で殴られたからだった。
いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい……。
視界が白と赤に交互に点滅して、なにもかもが遥か遠い。
その人影で光は遮られて、白と赤の合間に見えていた灰色も、今は遠い。
いたい、いたい、にいさん、いたいよ。
影が、不意に溶けてグニャリと歪んだ。
「アーニャ」
力の抜けた声が、夢の世界を見詰めたまま滑り落ちてくる。
「アーニャ、どうしたんだい、こんなに怪我をして」
ちがう、ちがう、ちがう、ちがうんだ。
なにも見ていない目が、見ているつもりになっている目が、見下ろしている。
「外は、危ないからね、君は家にいるんだよ」
ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう。
否定の慟哭に帰ってくるのは、頬を打った冷たい痛みだけ。
「アーニャ、アーニャ、アーニャ」
見えているくせに、知っているくせに。
けれど、二度と、その眼は、真実を認めたりしないのだ。
いたい、いたい、いたい、いたい。
ちがう、ちがう、ちがう、ちがう。
「君は、ずっと、ここにいるんだ」
開かない扉、光の差さない部屋。
夢の中に生きている抜け殻の男。
ちがう、ちがう、ちがう、おれは、かあさんじゃないよ、とうさん。
いたい、いたい、いたい、いたい。
いつまで、いつまで、これはつづくの?
いつまで、いつまで、いつまで、いつまで、いつまで……。
誰か、俺に、気付いて。
息を殺して隠れ続けた。
目を閉じて、耳を塞いで、なにもかもから隠れたかった。
いつまで、隠れ続けていればいいのだ。
こんなに、どこもかしこも、いたいのに。
真っ暗な部屋の中。
机の上、黒い塊。
そうだ、組み立て方は、知っている。
いたい、いたい、いたい。
だから、もう、いいじゃないか。
あっけなく開いたドア。
あっけなく振り向いた知った顔2つ。
あっけなく、真っ赤に染まった家の床。
そうだ。
撃てば終わるから。




