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グースハウザー・ラインスが生まれたのは、国の北に位置する街だった。
人口はさほど多くなかったが、ルネサンス期の教会や富豪の家がそのまま残り、また、美しい湖と森に囲まれた国内でも有数の観光名所だった。
グースの家は、観光客で賑わう教会建築が建つ大通りから一本、奥の道に入った、静かな通りにある時計店だった。スイスの工房で修業した祖父が開き、その祖父に鍛えられた父が少しだけ大きくした店。
観光土産の時計店としてより、地元の人から腕が良いと愛されるような、そんな店だった。
グースが生まれた時から、1階の店舗と工房にはいつも色々な種類の時計が飾られていて、それぞれにめちゃくちゃな時刻を示してはおもいおもいの音で時刻を告げていた。
かち、かち、と等間隔に長針の進む音、ボーン、ボーンと、存在を主張する壁掛け時計に、凝った意匠の木の鳩が飛び出して鳴いたり、あるいは、民族衣装を纏った可愛らしい人形が躍る大掛かりなからくり時計。
生まれた時から、騒がしい家だった。
父と母と兄と、グースと、4人。普段は慎ましく、時々だけ、ちょっと贅沢をして、ごくごく幸せで分相応な家庭だったと思う。
ソ連系の、欧州でも少し特徴のある顔立ちをしたグースは、よく観光客に気に入られた。外国人はもちろん国内からの旅行者も、北方に栄える湖畔の街で、在りし日のロシア帝国を思わせる顔立ちをした子供はたいそう浪漫の対象に見えたらしい。
一緒に写真を撮って、と頼まれたことは結構あるし、そうでなくても、道に迷った観光客に道案内をして喜ばれ、見た事もない異国のおかしや玩具を貰った事もある。
あるいはグースだけでなく、街の子供達全て、人懐っこく困っている旅行者や珍しい服装の異国の人に寄って行っては、手伝いや話し相手を買って出たものだった。
けれど、それは全て、内戦が始まって変わってしまった。
独裁軍が北方地域での武器調達、配給の拠点としたその街は、やがて独裁軍と議会軍がぶつかる戦場になった。
貴重な教会建築には弾痕が穿たれ、数世紀も微笑み続けた美しいマリア像は爆撃で砕かれた。釣り人と観光客で賑わっていた湖には死体が浮き、子供達が遊んでいた森には、銃を持った兵士が潜む。
今まで、見知らぬ人を見ても物怖じしなかった観光都市の人懐こい子供達は、知らぬ大人を見れば我先にと逃げ出すようになった。そうしなければ子供を使った自爆テロを疑われて、最悪、近付いただけで撃たれるのだと、学んだから。
グースの肩には、今も銃弾が掠った痕が残っている。一度うっかり、迂闊に曲がった角の先に軍人がいて、その制止に気付くのが遅れた結果だ。命からがら逃げたけれど、肉を抉られた肩を診せる医者すら、その頃には全て独裁軍に徴集されてしまっていた。
戦闘が激しさを増すと、民間人から労働力徴集も始まったのだ。
時計職人であり、手先が器用だった父親は、臨時のガン・スミスとして強制的に独裁軍の銃器の修理をさせられた。
劣悪な環境の中、それでも家族を守る為、父は寝る間も惜しんで必死に、時計を作るための工具で、課せられたノルマをこなすために銃を直し続けた。
誰にとっても、地獄のような日々だった。
その地獄のような日々が、やがてそれ以上の何かになったのは、内戦の中期だった。
ある日、兄と出掛けた母が、帰ってこなかった。
隣人に担がれて意識不明で帰ってきた兄は、全身に大怪我をしていた。特に、金槌か何かで甲から足首を砕かれた片方の足は、ひとめで、二度と使い物にならないことがわかる惨状。
なにがあったか、12歳のグースには誰も教えてくれなかった。
けれど、なにがあったかなんて、教えられなくても分かっている。
兄が帰って来てから3日後。
全裸の母の死体が、独裁軍の士官によって、玄関に放り出された。
自殺だった。
グースの母親は、美しい人だった。
雪のようなブロンドに、大女優エリザベス・テイラーのような菫色の虹彩の、近所でも評判の美人だった。
そんな母親が、軍人に連れて行かれて、全裸で自殺した理由なんて、誰も教えてくれなくても、わかっている。
温和で物静かに、黙々と、工房で繊細な時計たちを作り続けていた寡黙な父は、死体を抱きしめて、はじめて大声で泣いた。
それから、グースの家の時間は止まってしまった。
片足が不自由になった兄は、もしも爆撃に合えば絶対に死んでしまうと、毎日ヒステリックに叫んでは暴れた。
起きているのに夢を見ている、現実を捨ててしまった父は、静かな家の中、ただ表情のない顔で機械的に銃を直し続ける。
温和で真面目な職人が忘れ去った時計たちは、もう二度と滅茶苦茶な時間を刻まない。
グースは、そんな日々の中で、ずっと隠れ続けていた。
息を殺して、目を閉じて、耳を塞いで。
悪夢のような現実の全てから、隠れたいと、思い続けながら、ずっと。




