PM16:22
(食堂に、異常なし)
スコープの丸い枠の中に見える食堂には、相変わらず大勢の人質達が不安そうに犇めいていた。
(……なにも、すること、ないな)
スコープから目を離したグースは、ベッドの上に転がっている受話器を見詰めた。ついさっきまで、この受話器の向こうには〝英雄〟がいたのだと思うと、奇妙な非現実感がある。
(会見に行ったって、言ってたっけ)
〝英雄〟は報道陣に対する事件説明の会見に出ている、と、さきほどサンダースの代理だと名乗って電話に出た男は言っていた。ラーグハルト・フライム大佐と名乗った軍人は、明るくて少し軽い、けれど気の良い青年という印象だった。
『一時間もしねぇうちに、あいつ帰ってくると思うから。それまでは悪いけど俺で我慢してくれなー』
そう言って軽快に笑うバリトンの声は、上下に厳しい軍隊生活に馴染んだグースでもなんとなく気軽に話しかけやすい空気を出してくれて。
しばらくはスコープ越しに見える食堂の状況などを報告したり、雑談をしたりして過ごしていたのである。しかも、その結果として、グースの実況する食堂の状況、特にテロリスト達の動き方から、どうやら相手は3人1組で定期的に見回りをしているらしいことが判明するという成果もあったのだが。
その重大な成果を上げてからは、なんとなく会話は途切れていた。
気が合わないわけでもないし、話し掛ければ無駄話でも喜んで聞いてくれる、あるいは話題を求めれば、それこそ嬉々として面白おかしく何か話出す人物のようだとは、分かっているけれど。
なんとなく、グースは沈黙して受話器から離れていた。
ベッドに倒れ込んで、クリーム色の天井を見上げる。
「……会見、早く終わらないかな……」
呟いて、目を閉じれば瞼の裏に浮かぶのは不安そうな人質達の姿だ。
(きっと、人質の家族も、友達も……見ず知らずの人達も、みんな、国中、不安だ)
会見場には多くの報道陣が集まるだろう。
この事件は国民からの関心が高いだけでなく、報道する側の人々にとっても、1人の普通の人間として不安な出来事に違いないから。
家族が、自分が、友達が、今、すれ違った見ず知らずのあの人が。
次の瞬間には砲撃で木っ端微塵に吹き飛ぶかもしれない、理不尽な密告をされて、独裁軍に拷問され殺されるかもしれない。
そんな日々の不安を、この事件は思い出させる。
何も悪いことなんてしていないのに、理不尽に、ある日突然、身近な誰かが、自分が、すれ違う他人が、苦痛と恐怖の末に殺される感覚。もう終わったと思いたかったその状況は、実は、まだ終わっていないのだと、この出来事は思わせる。
だから、きっと誰もが会見場に釘付けになる。
こんな出来事はすぐに終わる、絶対に大丈夫、怖い事は全部終わらせる。
そう言ってくれる〝英雄〟を、求めて。
一度本当に、怖い事を終わらせてくれた人から、その言葉が欲しくて。
きっとみんな、会見を見ている。
「サンダース・クレイガン、〝救国の英雄〟」
天井を見詰めていた目を閉じて、グースは目を閉じる。
「全部、終わらせてくれたひと」
内戦を知るこの国の人々にとって、その名前は、聖なる祈りに、ひとしい言葉。
神にでも祈るように呟いて、グースは毛布を引き寄せた。
薄い水色の毛布を被ると、夕暮れに冷えた空気が遮断される。夕日が差し込む小さな部屋は、まるで燃えているように真っ赤だったけれど、肌に触れる空気の温度は下がっていた。
目を閉じたまま耳を澄ませば、上階のどこかを見回りしているらしいテロリストの足音が微かに聞こえる。
ぎし、ぎし、と。家鳴りなのかもしれない、けれど足音なのかもしれない、微かなその音。
ここにいれば見付かりはしないという、絶対ではないけれど、まずまず信用できる仮初の安心。
死と隣り合わせなのに、中途半端に防壁があるという、クッキリとは現れず、けれど去りもしないモヤモヤとした慢性的な不安感。
ああ、まるであの頃だと、グースは思う。
外では議会軍と独裁軍が殺し合いをしていて、けれど、自分は家のベッドの中で眠ろうとしている。戦車や爆撃機の前では、あってなきような薄い我が家の壁に、それでも仮初の安寧を見て眠るしかなかったあの頃。
手を伸ばせば、まだ近いところにあるその記憶を、ふと、辿った。




