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神には届かない  作者: 空野
神には届かない
21/93

PM16:01


「なるほど。スコープと内線で食堂の様子を把握か。よくそこまで咄嗟に考えたものだ。凄いな、君」


『恐れ入ります……!』


 電話の向こうから返ってくる声に、サンダースは思わず笑いそうになる。いかにも緊張している声だ。


(まぁ、〝英雄〟様が相手じゃ、無理もないか)


 ただでさえ気が張り詰めている状況で、更に気を使わせるのは少し気の毒な気もしたが。

 電話の向こうの彼を本物のグースハウザーとして扱う事にした以上、万一それが偽物であった場合や、何か問題が生じた時、責任を負うのは通話相手だ。つまり、グースの通話相手になるというのが、現時でかなりハイリスクな役目である以上、必然的にそれを担うべきは責任を持てる人物、サンダースという事になる。


(できるだけ、気楽に話せればいいんだが)


 心底、そう思った。通話が切れるのが怖い、と訴えた細い声には、実はかなり動揺したのだ。泣く寸前の子供のような、精彩に欠けて細く震える声は、確かに耳に残っている。情に流されただけで本物と判断したわけではないが、いくつかの資料や客観的なデータ以上に、あの声は彼を本物だと思わせた。

 こんな声を意図して出せる偽物なのだとしたら、そいつはテロなど起こすより、舞台の上や政治の世界で活躍した方がよほど世界を変えてしまえるに違いない。

 だから純粋に、大人として、思う。

 子供に、まだ10代の少年に、こんな声を出させる世界ではいけないのだと。

 事件対策の指揮官という立場に加えて、大人として、この通話は切ってはいけないのだと思う。追い詰められている相手の精神的砦でなければならないのだ。


(……しかし、立場も年齢も全然違うわけだ)


 心理的に安心させてやるべき立場なのに、逆に緊張させている自覚はある。さて、どうしたら距離を詰めて貰えるものかと、ちょっと手負いの野良猫にでも接するような気分になって。


(18歳の時、何を考えていたか……。思い出せん、9年も前だぞ……)


 ふいに、自分が随分と年を取ったような気がして少し落ち込んだ。三十路を超えるまでは若いつもりでいたが、そうか、本当に若い子供達に比べれば、もう結構なオトナなのか、と軽く衝撃を受ける。


(……とにかく、何か話題になりそうなネタはないのか)


 意図的に年齢の事を頭の隅に追いやって、サンダースは考えた。


(ご趣味は、ってのも、ベタな見合いかって話だしな)


 データが足りないのだと思って目の前の机に積まれている書類をゴソゴソと、グースに関する情報を探す。


 対策本部の小屋の中には、少し汚れて曇った窓ガラスを通して朱色の残光が差していた。


 やや薄暗さを感じながら、肩と頬で受話器を挟んでパラパラと書類を捲る。無意識に軽く動かした足の先、黒いブーツの表面も、夕日を受けて燃える炭のように淡い赤色を灯していた。


(……内戦孤児、狙撃に天才的センス、平均成績は中の上、難点を上げるならばいささか何事にも興味や関心が薄い、居眠り常習犯、と……)


 逃げ出せた士官学校関係者などから集めた情報を集約すると、だいたいそんな内容だった。

 資料にクリップで止められている身分証用らしき写真に写っているのは、煙る雪燈のような冷たいブロンドの少年だ。やや愛想がない顔でカメラを見ているのは、青みが強くほぼ紫と言えるブルーグレーの瞳。


「……失礼な質問だったら、申し訳ないが。グースハウザー、君は、ソ連系か?」


 なんとなく、顔立ちからそんな気がして問い掛けた。タタールの軛による混血以来か、欧州でも特徴的な顔立ちを持つソ連系に、写真の少年は見える。


『はい、母方はソ連系です』


 グースは受話器の向こうで頷いた。


『あの、それって……なにか、問題が……?』


「ああ、いや、そういうわけじゃない。なんとなく君の資料を見たら、北欧系かソ連系の気がしたので、つい」


 緊張で硬くなった声に苦笑いして否定し、サンダースはパイプ椅子の背に寄り掛かった。


「私は実家が武器商で、兵器貿易もしているんだ。ガキの頃から色んな人種の人間を見る機会があったせいか、どうも相手のルーツが気になるクセがついている」


『へぇ、そうなんだ……。……あ、すみません!そうなんですね』


 納得したように軽く頷いてから、慌てたように取ってつけられた敬語に、少し笑った。


「別に怒らんよ。状況が状況だし。他に私の面目を保つ必要がある誰が聞いているでもない。親戚のお兄さんくらいの扱いでいい。あ、オジサン扱いは、少し傷付くが」


『いえ!そんな、いや、無理です、それは』


 大慌ての声に、サンダースは声を殺して今度こそケラケラと笑う。


(私も、士官学校の頃はこんな感じだっただろうか)


 上官に対して殊勝に気を遣っていた頃を懐かしく思い出そうとして記憶を辿るが、無意味だった。どうやらサンダースは昔から、グースより捻くれていたようだ。

 生意気で不遜。まさにそんな子供だった記憶しかない。


(ああ、そういえば上官に、この作戦どう思うと訊かれて、正直にボロクソ言ったりしたなぁ)


 あの時は、周りの同期や先輩の方が真っ青だった。けれど、ラーグハルトだけは囃し立てて状況を悪化させて喜んでいた、と思い出してまた笑う。

楽しい頃だった、本当に。


 笑い声は殺していたが、グースは受話器越しにも気配で何か違和感に気付いたらしい。


『少将?』


 訝しげな声に、いや、と、見えていないのは承知で首を左右に振る。


「我が身を省みていた。……グースハウザー、君は、良い子だな」


『はい?』


 グースは不思議そうに聞き返したが、それにサンダースが答えるより早く、響いたのはノックの音。


「少将、御報告が」


 聞こえてきたのはリンドマンの声だ。


「入ってくれ」


 資料を置いて、受話器を握り直しながら入室を許可して、サンダースは再び受話器の向こうに意識を戻す。


「すまない、少し、受話器を伏せる。切りはしないから、安心してくれ」


『あ、はい』


 こちらの状況を音で悟ったのか、慌てたようにグースは答えた。


『すみません、お気遣いを……』


「かまわんよ。では、また」


 ゆっくりと、受話器を机に伏せて、顔を上げる。

 ドアを開けて、斜陽を背負ったリンドマンが入って来た。丁寧にドアを締め直す彼に、どうした、と問い掛けると、振り向いて。


「テロリスト達から新たな電信が。例の要求について、受理期限は、明日の17時丁度だと」


 相変わらず淀みない言葉に、スッと、自分の表情が渋くなるのを感じる。


「……我々が要求を受理しなかった場合は、どうすると?」


「人質の半数、106名を、射殺するそうです」


「……過激なトマト祭りになりそうだ」


 うんざりと、額を押えて首を左右に振る。


「祭りの開催予定時刻は17時か。それまでに、なんとかしろと……」


 溜息を吐いている間に、リンドマンは再び次の報告を続ける。


「受理期限についても指揮官クラス会議で話し合う必要がありますが。その前に、記者会見の準備が整いました」


 報道抑制の為の会見。もうそんな時刻かと、サンダースは視線を室内の壁に掛けられた古い時計に向けた。


「すぐにお出になれますか?」


「ああ、わかった、すぐに支度する」


「30秒で支度しろよ」


 立ち上がった瞬間、声が増えた。

 振り向けば、やはり、真っ赤な光景を引き連れて、ラーグハルトがドアを開けている。


「フライム大佐、ノックは?それに、ちゃんとドアは閉めるものです」


 ムッと眉を寄せて振り向くリンドマンに、まぁまぁ、と片手を振って。


「空気の入れ替え、大事だぜ、これ」


 開いたままのドアの枠に寄り掛かったラーグハルトは、ニッと笑った。


「で、サンダース、お前が不在の間の全体指揮権は、俺に委任でオーケー?」


「フライム大佐、貴方はいつも……」


 苦い顔で小言を始めようとするリンドマンに、サンダースも、まぁまぁと、手を翳してから。


「ああ、指揮権はお前に委任する。頼むぞ、相棒」


「やだもー相棒だなんて!張り切っちゃうわ、いってらっしゃい、マイハニー」


 問に頷いたサンダースに、ラーグハルトは軽い仕草で敬礼して見せた。


「私がハニーはないだろ、せめてダーリンにしろ。いや、どっちにしても気持ち悪いから言い直すなよ」


 軽い仕草のラーグハルトにリンドマンが再び何か言う前に、サンダースは素っ気なく答えて椅子に掛けていた軍服の上着を羽織る。


「げぇ、気持ち悪いとか、いくら俺でも傷付くわぁ」


「大丈夫だ、お前、負傷しても治るの早い体質だろ」


「ハートは特別性なのよ!」


「特別に早く治るのか、それはよかった」


 ついでに将校用の手袋を嵌めながら適当に受け流して、ふとラーグハルトの肩越しに外を見れば、どこか現実味のない朱色の世界の中、部下達がせかせかと動き回っている。


 なぜだか、ジョルジュ・デ・キリコの絵を思い出した。輪で遊ぶ少女が、1人、街の中にいる絵だ。奥の方には、誰かの長い影だけが描かれていて、肺のあたりが、キュウと苦しくなるような郷愁が浮かぶ、そんな絵。


(タイトルは、なんだったか……。街、街……ああ、そうだ、〝街の神秘と憂鬱〟)


 ほんの数秒ほど、時間がそこだけ切り取られたように、思考して。けれどタイトルの閃きと共に、ハッと、サンダースは元の時間に戻って来た。 


「……なるべく早く帰るが、何かあったら頼むぞ」


 胸に残った奇妙な息苦しさを与える絵の残像を振り払い、そう、声に出す。


「どんな無茶な対処、判断をしてもいい、お前が最善だと思うなら。全責任は私が引き受ける」


 すると、ラーグハルトはケラケラと笑った。


「わーぉ、男前過ぎて惚れ直すわ、そのセリフ」


 トン、と、ドアから背を放してこちらを向いた長身は、一寸の狂いもなく、完璧で洗練された敬礼をして見せる。


「確かに承りました。御帰還、お待ち致します」


 軽くて飄々とした皮を被って、本当は、誰より優秀な男なのだ、この右腕は。

 完璧な副官の態度で頷いて見せて、けれど、ふっとラーグハルトはいつものように旧友の顔で微笑んだ。


「こっちは俺がシッカリ守っているから、そっちもキッチリ、キメてこいよ、相棒」


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