読書と腹筋
レムリア大陸新暦529年。
大陸全土を巻き込んだ世界戦争を人類最後の戦争としてから百年、世界は未だ平穏を保っていた。下降気味だった人口も戦争前よりも増加し、大陸は発展の一途をたどっている。その要因としてあげられることがいくつかあるが中でも『科学』の発達が大きい。
今まで神の御技である『魔法』を模した『魔術』が世界を統べる技術であったが、戦前の科学の発見、戦中の各国が競い合うような勢いの科学の発展がこの世界の技術に革命をもたらした。自然の理を解し、再現、応用と科学は急速に発達していった。
やがて魔術と科学は融合し、『錬金術』をベースに第三の技術として今日の世界を作り上げているのである。
「『その具体的な成果として《銃》が挙げられる。銃の技術は戦前からすでに確立していたが精度は悪く、弾の飛距離も弓と同等であり、あくまで護身用としての面が……』」
「フンッ、フンッ、フンッ、フンッ、フンッ」
穏やかな陽だまりが落ちる秋の午後、郊外にある白壁の二階建て一軒家では愛らしい二人の女の子が飲み物を側に置き各々の午後を優雅に満喫していた。
二階の一部屋。東側と西側にベッドが一つずつ設置され、その周りにそれぞれの棚や机が置かれている。西側の机には水色の半袖ワンピース姿のクロエがイスに座り読書に勤しんでいた。私自身は中間辺りの壁際で小説を読んでいたが何か面白いことが置きそうな気配を感じ、見るとはなしに二人を眺めていた。
「『しかし、魔力に反応する《燧石》と呼ばれる鉱物を内蔵することにより、火薬を充填する手間を省……』」
「フンッ、フンッ、フンッ、フンッ、フンッ」
その反対の東側のベッドではクロエと同じ型のレモン色の半袖ワンピースを着たシロネが仰向けでベッドに横になり、膝を曲げて上半身だけを起こす運動を繰り返していた。いわゆる腹筋である。
「『また弾丸を溜める弾倉を組み込むことにより連発銃の開発に……』」
「フンッ、フンッ、フンッ、フンッ、フンヌゥウウウウウ!」
「やかましいぃっ!」
「ウッ!」
紙を裂くように穏やかな雰囲気に破ったのはクロエだ。持っていた本を閉じ対面のシロネに向かって勢いよく投げつけたのだ。
「さっきからフンフンうるせぇー!」
「フン?」
「腹筋ぐらい黙ってやれや!」
「フンフン」
「そばでフンフン言われたら頭に入んないんだよ!」
「フーン」
「喧嘩売ってんのか!」
ぎゃーぎゃーわーわーと先ほどまでのまったりとした空気はどこへやら、シロネが飛びかかってきたクロエを返り討ちにするとクロエの腕を取り、両足で固定して十字固めを決める。
見事な関節技であった。
「ギブギブギブギブギブギブ!」
「フハハッ、近接戦であたしに勝てると思うたか」
シロネが愚か者を見下す目つきで実の姉の顔を見る。
そのクロエは苦痛に顔をゆがめていたが私の顔を見やると救援の声をかけてきた。
それよりお前ら、さっきからワンピース姿で組つ解れつするなよ。
はしたないことこの上ない。
「くっ、そこの暇神。黙って見てないで助けてくれー!」
「…………」
「すみません、死神さん。助けてください」
意外なほどすんなりと下手に出るクロエだった。それほどまでにシロネの十字固めが効いているらしい。しばらくそのままでいればいい、と思ったが後々どうして助けなかったと責められそうな気がしたので救いの手を差し伸べることにした。
死神なのに救いの手とはいっさか滑稽ではあるが。
「シロネさん、それくらいにしてあげたらどうですか?」
「んー、もう少しで靭帯が切れるからちょっと待っててー」
「容赦無いなあオイ!」
かわいい顔で恐ろしいことをのたまうシロネである。
私が思わずシロネの頭を叩くと彼女はクロエの腕を放し、仁王立ちで仰向けのままのクロエを見下ろしていた。
「腹筋の力を思い知ったかー!」
「うう、腹筋は関係ないだろ……」
うめきながらクロエは自分の腕をさすり、涙目で妹を睨む。
子供同士の喧嘩、それは強い者が勝つ弱肉強食の戦争であった。
「それにしてもシロネさん、そんなに腹筋を鍛えてどうするんですか? ダイエットが必要なほど太っているようには見えませんが」
「そんなの六つに割れた腹筋が欲しいからに決まってんじゃん」
これは思いがけない回答だった。
まさか六つに割れた腹筋を欲しがる女の子がいるとは驚きである。というよりは驚きしかない。
「わたしは嫌だぞ、マッチョマッチョな妹とか……」
「でも腕や脚は太くしたくないんだよね、腹筋だけムキムキがいい」
「何がそこまでシロネさんを腹筋に駆り立てるのでしょうか……」
しかし、そのわけのわからなさこそが人間を人間たらしめる所以なのかもしれない。
などと深いんだか深くないんだかわけのわからない感想を抱いているとドアがノックされ来客を告げる。続いてドア越しに男性の低い声が通る。
「クロエ、シロネ、夕食は何がいい?」
この家の主で二人の保護者兼後見人のハインツ・グレゴリーだ。
二人に仕事の紹介をしており、依頼人はこの男を通して盗掘いわゆる墓荒らしの依頼を行うことになっている。それは子供たちと依頼人を直接会わせないためであり、彼なりに子供たちを守っているようであった。
仕事の都合で数日に渡って家を出ることが多いということしか知らないが一体何をしている人間なのだろうか。調べてみてもいいがその情報にイマイチ価値を見出せないのも事実である。そんなことをするぐらいならまだこの双子姉妹を見ていたほうが可笑しく過ごせるだろう。
『肉』
何が食べたいと聞かれ、二人揃って短く端的に肉と答える姉妹に一抹のワイルドさを感じる。
人間の子供というのは肉が好きなものらしいがそれにしたって『肉』は無いだろう。せめてハンバーグやステーキなどどう調理するかぐらい答えるべきだと思う。
『肉、焼く、かぶりつく。以上』
「ほんとワイルドだなあ……」
原始人かお前らは。
野菜を食え野菜を。
このくらいの女の子というのは食生活に気を使い始める時期だと思ったが、この二人に限っては食べたいものを食べることで一致しているらしい。
「ん、その声は死神か。君も食べていくか?」
「いえ、お気になさらず」
死神を普通に夕食に誘うとは、この保護者ありにしてこの双子ありか。
もしかしたら私が死神であることを信じていないだけで、子供のごっこ遊びに付き合っている程度のつもりなのかもしれない。それもさもありなん。
「遠慮はいらない。肉を焼くだけだから一人増えても困ることはないぞ」
なるほど。二人のオーダー通り、『肉、焼く、かぶりつく』方向で決定しているのか。
「あの~、失礼ですが野菜は頂けますでしょうか?」
夕食に誘われておいて注文を付けるのも非常識ではあるがアレルギー持ちの人間が事前に確認するようなものだと思うことにする。正直な話、死神の私に食物の摂取など無意味に等しいが肉、肉、肉のフルコンボで攻められるは精神的にキツイものがある。色取りの問題的に。
「野菜ならピーマンと人参がある。よし、それも一緒に焼こう」
「えっ……」
「は?」
告げられた追加事項に目をぱちくりと丸くする二人。
そこまでショックを受けることだろうか。
「というわけでクロエ、シロネ。今夜はピーマンと人参と肉の野菜炒めだ。残した野菜の量だけを小遣いを減らすからな」
そう言いい残してハインツの気配が遠ざかっていく。
先手を打つとはさすがこの二人の保護者である。
小遣いを減らす罰というのは一見地味のようだが、二人にはずいぶん効果があるらしく絶望的な表情で床に手をつき打ちひしがれていた。
「…………」
「…………」
「…………」
私のせいで夕食が肉から野菜炒めになったわけで多少の申し訳なさとそれに起因する気まずさを感じてしまう。夕食が好きな料理(肉、焼く、かぶりつく)ではなくなってしまうのは子供にとっては非常にショックな出来事だと想像に難くない。
「ごっごめんね、二人とも。私のせいで夕食が肉から野菜炒めになって……」
言葉だけ聞いたらむしろ感謝してほしいくらいだが、あえて言わない。言うべきではない。それくらいの分別は持っているつもりだ。
「今度の仕事のとき、ただで見張りしてあげるから」
「…………」
「…………」
お詫びを提案するが二人は膝を抱えて顔をうずめてしまう。
体育座りとかいう人間の学校でよく用いられる姿勢だ。
それが部屋の隅で二つ並んでいるというのもいささかシュールな光景であった。
私はどうしたものかとため息を吐く。
「じゃあ、見張り+死霊退治。仕事をしやすいように墓場の死霊を祓ってあげる。ね、これでいいでしょ?」
「うん、オッケー」
「それでいいよー」
即座に顔を明るくする演技派姉妹だった。
今までの態度は演技か。死の神さえ騙すとは空恐ろしい奴らである。
「このアホ姉妹が……」
「えへへっ」
「にししっ」
「可愛い子ぶってももう騙されないからなオイ!」
されど人間の男というのはこういうのに弱いらしいことが私の中の統計上明らかである。
世の中の男どもよ、授業料だと思って素直に騙されるがいい。いい夢が見られるはずだ。
「ごっごめんね、死神。シロネのせいで見張りと死霊退治と墓堀りを約束させられて」
「ごっごめんね、死神。クロエのせいで部屋の掃除と筋肉のマッサージを約束させられて」
「されてねえことの方が多いぞアホ」
と突っ込むのはいいが、さっきのこいつらの言葉明らかに私の口真似だろ……。
やはり馬鹿にされているのだろうか。
「クロエさん、シロネさん。あまり私の口調をからかわないでください。自分の素を見られるというのは私にとってはかなり恥ずかしいことなんです」
「素なんだあれ」
「猫被ったり猫被らなかったりどっちやねん」
お前らが言うな。
あとどうでもいいがシロネの「猫被らない」という表現はけっこうツボに入った。
死神たちの間で流行らせたいぐらいだ。
「でもわたしたちの前では素でもいいと思うけどね」
「あたしたちにツッコミを入れるときだけ素というのもあれだし」
「……急にデレないでくださいよ、鳥肌が」
二人に無言で蹴られた。足の裏で蹴る、いわゆるマフィアキックという奴だった。
二人は私を蹴り終えるとシロネはベッドに座り、クロエはベッドの上に立つ。クロエが軽く片手を振るといつの間にか白の封筒が彼女の手に握られていた。
「死神。早速だけど、約束を果たしてもらうわよ」
「まずは部屋の掃除からな」
大鎌を具現化し、柄の部分でシロネの頭を叩く。
ああ、幾分スッキリした。
声にも軽やかさが戻ったようだった。
「依頼ですか。お求めの品は何になります?」
「フリアデネの短剣」
聞いたことがある。
フリアデネの短剣というのは元天使現悪魔のフリアデネが作った短剣のことだ。
第五天出身の悪魔――フリアデネ。
第五天というのは七つあるとされる天界の階層、その五番目のことだ。
天使でありながら罪を犯した者どもが住まう世界。それが第五天。つまりは天界の獄舎である。
そこの住人であったフリアデネが作った短剣は天使たちの叫び声や悲鳴、怨嗟の声を浴びせられて作られたという。そのため悪魔が持つと切れ味や魔力が増大し、逆に天使が使うと周囲や自身を切りつけてしまうらしい。
「あくまで噂でしか知りませんが心清らかな人間が持つと周囲や自分を傷つけてしまい、邪な人間が持つと周囲を傷つけるとのことですが実在するのですか? そのフリアデネの短剣は」
「本物かどうかは知らん。ただそう呼ばれているらしい」
いわゆる妖刀や呪いの剣の類だろう。
闇落ちした錬金術師や死霊使いなどの魔術師が好んで作ったり使ったりしそうな武器だ。使うと言っても彼ら自身が使うのではない。誰かに持たせてその効力を試すために使うのだ。
「でもよかったじゃないですか、そんなものが地上に出てなくて。お二方への依頼ということはすでにどなたかの墓に副葬品として埋葬されているのでしょう?」
短剣の魔力に魅入られた人間がともに埋葬することを望んだのか、それとも短剣を破棄することも隔離することもできなかった人間がこれ幸いに守り刀として埋葬したのか。どちらにしても世に出ないほうが人間にとって幸せなのは確かである。
「うん、そうだけど。世の中には変わった人たちがいてね」
クロエが眉間に指を当て押しほぐす。理解できないといった顔だ。
ちなみにシロネはベッドに座ったまま寝ている。変なところで器用な奴だ。
「死後、フリアグネの短剣とともに埋められた人は地獄でフリアグネと会うことができると言われているの」
「……会ってどうするんでしょうか?」
元天使とはいえ現悪魔であるのだから会っても碌なことにしかならないと思うのだが。
「そこから先は知らんがな。依頼人はただ持っていたいだけかもしれんし、そこら辺は信仰の自由って奴でしょ」
「そうですね、悪魔になる天使がいるぐらいですからね」
人間も天使も悪に落ち、悪魔だけが悪であり続ける。
それは種族として善な存在などありえないということなのかもしれない。
性悪説性悪説。
「性悪説って奴か」
「微妙に違うような気もしますがだいたい合ってるということにしておきましょう」
チンピラと殺人鬼ぐらい違う気がするがまあ許容範囲だろう。
「クロエさん、シロネさん。初めて会った時にも言いましたが、私はあなたたちの行為を善とも悪とも賞賛も糾弾もしませんし、人間が勝手に作った道徳倫理に私まで縛られるつもりもありません」
珍しくクロエは神妙な顔で私の話に耳を傾ける。
シロネは相変わらず寝ている。
「それでも悪と自覚した人間の善くなろうという意思は、それはそれで尊いものだと思うのですよ」
善くあろうという意思。
それが人間を人間たらしめる因子。
天使から悪魔になった者はいても悪魔から天使になった者はいない。
人間だけが悪から善となれるのだ。
きっとその意思こそが世界を平和にも破滅にも導くのだろう。




