表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/8

遥か世界のラタトスク 二話後編

 翌日。

 いまいち身の入らない授業も終えて、放課後。他の学生が課外活動に精を出し、勉学に励み、中には、逢い引きでもしたりと、輝ける青春を謳歌している頃に、そうした世俗に疎い俺は、相も変わらず人の好さそうな笑みを浮かべる、なんとも胡乱な人物と、彼の趣味であろうガラス製や透明色のインテリアが目立つ現代的な雰囲気の一室で、職務として膝を突き合わせていた。

 その複雑な間柄に、青い春らしさは、まるで無縁だった。


「改めて、ようこそ修司君。ここが僕達、特殊事象調査分室の本部だよ」


 特殊事象調査分室。それは、人智を超えた理論(オーバーセオリー)への対応を主とする調査室の、そのサポートを目的として設立された民間組織。ありとあらゆる超常の矢面に立つ調査室(エージェント)を、陰から支える専門家集団である。

 『調査室』に対し、通称『分室』と呼ばれる彼らは、はっきり述べれば、実態のよく分からない組織と思われがちだ。表立って動くことはなく、その活動が大々的に公表されることもなく、しかし、名前だけが一人歩きする組織とは、実は珍しくはないのだと、これは久々原源重の談である。


「いやあ、この場に君を招ける日が来るなんて感慨深いね。長生きはするものだ」

「また大袈裟な」


 久々原さんとは、そこそこ長い付き合いになるが、いまいち壺の分からない人だ。


「何にせよ、今後ともお世話になります」

「ふふ、こちらこそ。君なら、僕の想像以上の働きをしてくれると期待しているよ」


 この過度な期待も、この人の特徴の一つだろう。


「さて、昨晩のことだけれど……」


 と、彼が口にしたところで、壁掛けの大きなテレビが、ちょうどその映像を映し出した。久々原さんがリモコンで音を大きくすると、リポーターの男がビルを背景に喋り出すところである。


『こちら墜落現場です。墜落した「Jエア・エクスプレス1010便」は貨物輸送便で乗客はおらず、パイロット二名の死亡は今朝がた確認されたとのことです。一方でビルは当時、火災報知器の誤作動があった為に無人で、地上での死者は奇跡的にゼロ人とのことで、運輸安全委員会が事故調査を始めている模様です。ご覧の通り、ビルは半壊し、機体も後方部分が辛うじて残されているくらいで……』

「というか、分室本部にテレビなんて置いてあるんですね」

「そこかい? まあ、マスコミのほうが情報収集が早かったりするからね。この件については違うけれど」


 そう言いながら、彼は音量を落とした。


「君はすぐ追い返されたんだっけ」

「調査室職員はまだしも、俺は非公式で協力していた立場ですから」


 不死性なんて、あの場では何の役にも立たない。次第に集まってくる野次馬が向けるであろうレンズに映るわけにもいかないので、人目を忍んで立ち去るしかなかった。

 なお、学園へは直帰せず、礼華さんが予備にと車に積んでいた上着を羽織り、魔素理論研究所へと移動。知り合いの博士に、あのごたごたで“再生”した際、体内に溜まったままとなった血を抜いてもらって、寮へと戻ったのが夜十一時過ぎ。そんな経緯である。


「……これが、本当にポルターガイストの力か」


 彼は、テレビ画面を見ながらぽつりと呟いた。飛行制限のある千万島では、行政の許可なくヘリコプターを飛ばすことは禁じられているので、報道陣はビルの前に集っているようだが、それにしたって、凄惨な有り様だ。ビルの半分が倒壊し、瓦礫の山は真っ黒に焦げている。機体の一部は焼け残っているが、ほとんどは粉々か、燃えて瓦礫の一部と化している。


「まあ、公には事故扱いだ。そもそも、証拠がない。もしかしたら、フライトレコーダーには不審なデータが残っているかも知れないけれど、現状で、これがポルターガイストによるものだと考えているのは君と、あとは桐澤君くらい。僕もまだ半信半疑だね」

「では、この事故に関しては、調査室は動いていないんですか?」

「テレビで言ってた通り、今は運輸安全委員会(JTSB)の管轄のようだ。魔術(マギア)の疑いが出てくれば調査室も動くだろうけれど、幸か不幸か、世間的には、これは単なる事故。地上での死者がいなかったのも大きい」

「学園でも、午後には忘れられている程度でしたね」

「SNSの動向もそんな感じだ。どころか、島が沈まなかった方が印象的だったみたいだね。建造物として当然の想定範囲内なんだけれど、安全性が証明されて好印象だったくらいだよ」


 とはいえ、放火と見ていたのは、見通しが甘かった。例の研究室や、『鎖』とやらに関わる証拠の隠滅が、航空機の意図的な墜落による破壊という形で果たされてしまったのだから。

 加えて、より事態は深刻となった。遥か上空を飛ぶ航空機すら、強引に引き摺り落とせる規模のポルターガイストが野放しという事実は、非常によろしくない。島の安全どころか、普通に戦争の火種だ。国どころか、テロ組織だって目をつける。墜ちた飛行機が国内の会社だったのが、まだ救いだった。

 ともあれ、こんなことを公表する訳にもいかず、ポルターガイストという力については、当面は調査室職員にすらも伏せる方針で、礼華さん、久々原さんの三人で暗黙とした。これは、切るタイミングを間違えたら世界大戦にもなりかねないという、とんでもないジョーカーである。


「ともかく、この件に関して僕達が出来ることは、今のところない。慌ただしくて申し訳ないけれど、君には今日から分室の職員として働いてもらう訳だし、この件は一旦忘れて、こっちの仕事に切り替えよう」

「了解しました」


 そうして、“被検体”と“管理者”の間柄から、職員と室長という間柄へと移ったのだった。






 久々原源重が室長を務める分室という組織の本部は、彼の趣味なのか、全体的に小綺麗、且つ、機能的にまとめられている。モダンデザイン、とでも言うのだろうか。黒っぽい落ち着いた色を基調に、白をアクセントとした内装。見通しのいい廊下に、部屋を区切る壁はガラス製で、フロアを広々と感じる。質実、また、整然とした雰囲気は、あるいは、理想が過ぎて隙がないような気さえするが、まあ、これは自分が場違いである、という自意識から出た言い掛かりに過ぎない。

 そんな分室は、千万島の一区にある調査室ビルの、その地下にある。六角形とやや珍妙な建物の形状は、千万島全体のおよその形状に倣っており、『六角形』がこの島のシンボルマークなのだ。廊下敷きの絨毯にも六角模様があしらわれているが、そうでなくとも、街灯や公共施設の外壁、モニュメント、等と島のあちこちで見られる形状でもある。


「あまり人数はいないんですね」

「基本的には職員は出払っているからね。事務仕事もあるけれど、大概は外に出ることが多い。ここにいても、超常現象なんて起きないから」


 それもそうだ。オフィスデスクやパソコンは目に入るのに、それを扱う人が少ないのは、そんな理由らしい。


「そういえば、具体的な内容については聞いていませんでしたが、分室はどんな業務を?」

「その辺りも含めて、これから会う子達に聞くといいよ。一応は君の先輩になるけれど、彼らと交流を深める為にも話題は取っておくべきだ」

「確か、『学生組』でしたか。飛鳥馬もそうでしたね」

「そう、飛鳥馬君と君を含めて四人。少ないけれど、優秀な子達だよ」


 とすると、他にも二人が、既に分室職員として超常現象に関わっているらしい。彼からしても自慢の職員なのか、にこりと得意げ。飛鳥馬も能力は優秀だし、とすれば、先輩方もさぞ優れた人物に違いない。

 やがて、辿り着いたのは、『第二休憩室(Lounge2.)』と記された白いドアの前。中央の摺りガラスから向こうは覗けないが、人影は動いているようだった。ノックをして、「入るよ」と声を掛けながらノブを引く、我らが室長。

 すると、部屋の中には、なぜか上半身裸でポーズを決めている男と、一方、こちらはちゃんと制服を着ているものの、顔を赤らめて慌てた様子の女の姿。居合わせた四人が思わず固まったのは、言うまでもあるまい。


「……邪魔したね?」

「ああっ、誤解です室長っ! 違います、目を離した隙に脱衣されて! 私はそれを止めようとしただけでっ!」

「おいおい、そう慌てるな。そんな気が立ってる姿を後輩に見せるものじゃないぞ」

「あなたは何を裸で常識人ぶってるのよっ!」


 ややあって、仕切り直し。


「こほん……改めて、私は藍波星名(あいばほしな)。千万学園の三年生で、学生組のリーダーを務めてます。えっと、頼りないかも知れないけど、よろしくね」


 そう名乗ると、彼女はにこりと微笑む。喋り方や佇まいも、物腰柔らかに落ち着いた雰囲気だったが、耳の先の火照った赤さが、先の狼狽を隠し切れずにいた。体型は中肉中背。細身の飛鳥馬とは違い、彼女にはメリハリというか、女性らしさがあった。顔つきは、これまた美人だが、親しみ易そうな印象で、髪は後頭部でシニヨン状に綺麗に束ねられており、可愛らしく揺れる後れ毛が印象的。制服は襟元からスカートの裾まで整えられていて、几帳面な、しっかり者のよう。三年生ということは、上級生である。先輩らしい、大人びた人だった。


「で、俺は垣間調人(かきまつきと)。同じく分室所属の千万学園三年生。名前は『調べる人』って書いて『つきと』な。趣味は身体を鍛えること、好きなプロテインはホエイ。よく使う器具はベンチプレスで、好きなジムは」

「いいから。その辺にしてちょうだい」

「ん、そうか?」


 続けて挨拶をした彼は、上裸の初対面とは裏腹に、爽やかな印象。端正な顔立ちで、やや中性よりの男前、といった雰囲気だ。短髪の髪は逆立てられ、にっと小気味好く笑う、爽快な男子学生である。身長はこちらよりもやや低いが、細身ながら、筋骨隆々。捲った袖から覗く腕は逞しいものの、汗臭さを感じさせない人である。


「それで、こっちは既に話してあった、今日から分室所属になる京修司君。君達と違って力はないけれど、とても優秀な子だよ」


 こちらのことは説明済みのようなので、簡易的に、よろしくお願いします、とだけ口にすると、二人から改めて「よろしくね(な)」と丁寧に返事があった。


「この部屋は学生組の控え室だね。まあ、元は会議スペースとして使ってた場所だから、ちょっとオフィスっぽさがあるけれど、そこは我慢して」


 内装は外と変わらず、モダンな雰囲気。会議室としての名残なのか、ソファーとテーブルが並ぶ一画があるが、それでも十分に広々としている。ロッカーや更衣室、キッチンまで設置され、控え室どころか、ここだけで暮らせるのではなかろうか。ガラステーブルにはティーカップにお茶菓子まで揃えて……。


「学園寮でも思いましたが、久々原さんの金銭感覚狂っていませんか?」

「そう? 僕、これでも倹約家だよ。散財するのは好きだけれど」

「散財しているんじゃないですか」

「いやいや、これは投資だから。未来ある若者への先行投資」

「そうやって綺麗事を言って、結局金遣い荒いだけですよね」

「うっ……そりゃあ、如月(きさらぎ)君にも程々にしてくれと言われてるけどさあ」

「言われてるんかい」


 如月さんは、確か室長補佐だったか。経理も担当しているのなら、大変そうだなあ。


「と、とにかくあとは藍波君に頼んであるから。六徳(りっとく)君も来るし、質問があれば遠慮せずにね。まあ、君には無用の心配だろうけれど」

「分かりました」

「頑張るんだよ。藍波君と垣間君も、よろしくね」


 そう言い残して、分室長、兼、学園理事長、その他、NPO法人の役員だとかで忙殺されている彼は、この場をあとにした。


「大事にされてるのね」


 藍波さんが優しげな口調で言った。


「そうですか?」

「元から結構世話焼きの人だけどね。君とは友達みたいに気楽に話してる感じ。室長の初めて見る顔だわ」


 まあ、秘密の共有がある、という点で、確かに彼とは親しいと思うが、大事にされているかどうかは少々疑問。彼としては、扱い易い駒をその時まで丁寧に取っておく、みたいな心境ではなかろうか。別に、どうでもいいのだが。


「じゃあ改めて、よろしくね。えっと、『京君』って呼んでいいのかしら?」

「そうですね。京都の『京』の字で『かなどめ』です」

「あっ、読み方じゃなくてね、呼び方。名字呼びでいいのかなって」

「ああ、なるほど。はい、何でも好きに呼んでください」


 どこかぎこちない会話に、ふと互いに愛想笑いを交わして茶を濁す。いやあ、慣れないものだ、挨拶というのは。


「悪いな。こいつ、後輩とどう接すべきかって緊張してるだけなんだよ」

「あのね、そうやって私の心情を恥ずかしげもなく暴露するのやめて」


 然れど、穏やかに垣間さんを制する彼女の頬は朱に染まり、少し不器用な人柄が窺い知れる。


「違うのよ。分室って個性的な人が多いから、接し方に迷うことがあってね?」

「個性的……まあ、分かります」

「……おかしいわ、私まで視界に入ってる気がするんだけど。もしかして、調人君と一緒に私まで変人だと思われてない?」

「星名も十分変人だよ。そこの鏡の前で自己紹介の練習とかな。普通はしない」

「ちょっ、見てたなら言いなさいよっ!」

「いや邪魔しちゃ悪いと思って」


 ということは、先程の自己紹介は、練習の賜物なのか。緊張しいのようだが、悪い人ではなさそうだ。今は、鬼気迫る表情で同級生に詰め寄っているが。


「ま、まあともかく、仲良くしてくれると嬉しいわ。言ってしまうと、危険が全くない仕事じゃないから、一蓮托生みたいな部分もあると思うの」

「仲間として互いに助け合っていこうって話だ。勿論、学園の先輩としても頼ってくれていいぞ。これからよろしくな、京」


 なんとも先輩然とした、息の合った二人である。久々原源重をして優秀だと言わしめる理由が、何となく分かったようだった。


「こちらこそ、よろしくお願いします」

「はいでは早速ですが、君にも恥ずかしい思いをしてもらいます」

「……何て?」

「大丈夫よ、優しくするから……!」


 それは、にこやかな、あくどい笑顔であった。






 ほどなくして。


「うん、良く似合ってるじゃない!」


 蓋を開けてみれば、ただの着替え。分かっていたので、別にがっかりとかはしていない。なお、ちゃんと更衣室で着替えた。


「やっぱり、身長高いといいわねえ。その上着、丈が長いから、低いと胴長に見えちゃうのよ」

「分室の制服は、何と言うか……慣れませんね」

「最初は恥ずかしいでしょ? でもよく似合ってるわよ。格好いい格好いい」


 イメージとしては、軍服。本職のそれと比べればカジュアルな装いだが、学園の制服と比べれば派手であり、堅苦しくもある。首元までピッチリと閉じるジャケットに、タイトなシルエットのカーゴパンツは機能性を重視しているのだろう。全体的に黒で統一された色調で、襟や袖の縁を沿う白いラインが目立っている。裾が長い上着も相まって、とにかく着慣れない。

 ただ、間接部には見た目以上のゆとりがあるし、生地は伸縮性があって丈夫そうだ。ブーツは意外と軽いし、激しく動く妨げにはならなさそうなので、業務遂行には問題ないだろう。安っぽさはないし、丁寧に作り込まれている印象ではある。


「京は細身で身長あるし、ビシッと決まって似合うよな。馬子にも衣装って感じだ」

「まあ、最低限見られる格好なら良かったです」

「京君、今の調人君のは誤用だから、失礼なこと言うなってちゃんと言っていいからね?」


 垣間さんは、ジャケットを羽織らずワイシャツ姿で、やや着崩している着こなしは、士官候補生の若者、といった風情。一方で、藍波さんはきっちりと着こなしている。どちらも雰囲気によく似合っていた。

 なお、女性職員については、ジャケットやブーツは同じものだが、パンツルックではなくスカートだ。彼女は膝丈まであるスカートに、厚手のタイツを合わせて着用していた。どこかあどけなさの残る女子学生が軍服を着こなすギャップは、彼女をより一層魅力的に思わせる。

 ちなみに、基となっているのは調査室の制服なので、昨夜、礼華さんが着ていた服とよく似ている。尤も、随所のデザインが微妙に違っていたり、また、こちらの胸元には分室を意味するエンブレム、あちらには特殊事象調査室を表す『S.P.I.B.――Special Phenomenon Investigation Bureau――』の文字が入った警察官章があったりと、見る者が見れば、一見して明確に区別可能な作りにはなっている。


「勤務中は必ずこの格好ですか?」

「いいえ、本部内に限っては私服でも大丈夫だけど、私達は外に出ることが多いからね。着ている時間の方が多くなるわ」

「外というのは、具体的には?」

「そうね、まずはそこから話しましょう」


 言うが否や、藍波さんは、部屋の隅からホワイトボードをカラカラと引きずってくると、置かれていたペンの蓋をキュポン、と取った。


「では京君。そもそも、分室ってどういう組織か。答えてみてちょうだい?」


 教鞭を振るうかのような光景は、服装も相まって、士官学校にでも来た気分にさせる。


「調査室の補佐を目的とした団体です。人智を超えた理論(オーバーセオリー)の対応には魔素理論への理解が求められますが、その知識を持つ人材を新たに養成する時間はなく、手っ取り早く、外部に専門の組織を作った。そんなイメージですね」

「うん、ざっくばらんだけど正解ね。優等生じゃない」


 まあ、ほとんどは久々原さんからの受け売りだ。礼華さんから聞いた話では、専門知識を持つ人間を特別職として採用する動きがあるようだが、そちらは警察官の規則的に芳しくないらしい。


「けど、実は分室って、調査室の備えっていう側面もあるのよ」

「備え?」

「そ。補佐するだけじゃなくて、場合によっては独立して動くことも考慮されてるの。指揮系統は調査室直属じゃなく、あくまで独立した組織なのね」


 ホワイトボードに記された『調査室』と『分室』という文字の間に、縦線が引かれる。


「君が言ったように、人智を超えた理論(オーバーセオリー)を相手にする調査室だけど、不測の事態が起きないとは限らない。もし、調査室が何らかの理由で機能停止してしまった際、完全下部組織だと、分室まで止まっちゃう。いざという時、それは困るわ」

「なるほど、フェイルセーフの役割ですか」


 そういえば、先日の誘拐事件でも、分室は調査室とは別に動いていたが、あれがこれか。治安維持のシステムに冗長性を持たせることも、この島には必要なことなのだろう。


「つまり、分室というのは、日頃は調査室の業務への補佐を務めながら、万が一の際には、人智を超えた理論(オーバーセオリー)への独立的な対処能力を備えた組織、というのが正確ね」

「だから、優先順位がちょっと特殊なんだ。人智を超えた理論(オーバーセオリー)に脅かされる人命の保護や治安維持ってのが含まれるから、必ずしも、調査室の補佐に徹する訳じゃない。まあ、それは調査室側でも言えることだが」


 とすると、分室という組織は、思ったよりも自由と責任の付きまとう組織らしい。いざとなれば、調査室(飼い主)の意に反して動けてしまうのだから。


「結構複雑なんですね」

「複雑だし、大変よ。特に講習受けたり、月に一度は警察との合同訓練にも参加義務があったりね」

「あれなあ。星名は最初の訓練で三日間全身筋肉痛になってさ。逆にこっちの仕事が出来なくなって」

「わ、私のことは別にいいでしょ!? 今はもうならないしっ。というか、あれは忘れたいわ……」


 俺は体質(?)的に筋肉痛にはならないので、愛想笑いをしておく。


「ともかく、分室は捜査に直接参加する訳じゃないから、基本的には裏方、万が一の為の人員なのよね。でも、いざという時には動けないと困るから、日頃から励んでないとならない。勿論、専門家としての役割もあるけどね」

「特に学生組(俺達)は、()()()()()()の意義を求められてる。俺にしか出来ないこと、星名にしか出来ないこと、そして、京にしか出来ないこと。室長は、そういうのを見越して俺達を引き入れてる」


 『ならでは』か。恐らくは、形式ばったものではなく、寧ろ、その時に型を破るようなことを、久々原さんは期待しているのだろう。でなければ、学生を雇う理由にならない。


『期待しているよ』


 改めて、重いと感じた。


「そんな訳で、日々努める分室職員ですが、平時では、やることがありません。補佐って言っても、毎日事件がある訳でもないし、そこからさらに補佐を依頼されないとならないから、実際に携わる案件はもっと少ないのよね」

「それはそうでしょうね」

「そこで、私達の主な仕事。それはずばりっ、警邏になりますっ!」


 ホワイトボードに大きく文字を書いた藍波さんは、くるっと勢いよく振り向き、後れ毛を揺らしながら自慢げである。


「警邏……パトロールですか?」

「そ。ほら、よく街中で警察官を見掛けるでしょ? あれね」


 あれか。よく漢字で書けるなあ。


「……ところで、垣間さん、いつ脱いだんですか?」

「ああ、筋トレは筋肉の動きを見ながらやった方が効果的なんだよ」

「いや理由を聞いた訳では」

「気にしないで。調人君は『五分に一回筋肉と対話』が座右の銘の人だから」

「それは、単なる一人二役では?」

「知らないわよ。私は蛋白質と意志疎通出来ない系の人間なの」


 まあ、姿見の前で真剣にダンベルを持ち上げる様は、彼がハンサムなのもあって、とても絵になってはいるのだが。脳筋とはよく言うが、筋肉が脳なのかも知れない。


「でね。知っての通り、警邏業務は本来警察の仕事で、分室の役割じゃないんだけど」


 こっちも慣れているなあ。


「下世話な話、分室の資金って公金なのよね。もっと言うと、公務員と同じで自治体の予算から出されてる。民間団体ではあるんだけど、半官半民みたいな。詳しい話は条例が絡んでくるから、今は省きましょう」

「つまり、税金で活動する都合上、暇に飽かして怠ける訳にはいかず、警察の業務を一部引き受けて、実績を作っている、ということですか?」

「あら、理解が早くて助かるわね。有り体に言っちゃうと、そういうことよ」


 如何にも久々原さんらしい考えだと思った。まあ、分室が調査室ビルの地下で多少サボったところで、誰が苦情を入れるのか、と思うが、それを容認すれば、職員の士気や気質も下がるだろうし、新入りがわざわざここで茶化すものでもない。


「ちなみに、警邏は調査室にはない仕事だから、もし、以前に街でこんな格好で巡回する人を見掛けてたら、きっと分室職員だったわね」


 スカートをちょんと摘まんで、軍服めいた制服を見せびらかす藍波さんに、へえ、と感嘆する。もしかしたら、彼女ともどこかですれ違っていたのだろうか。


「女性用の制服はスカートなんですね」

「ええ、そうよ。普通の履き物もあるんだけどね、可愛いし、私はこっち。どこか変なところとかあるかしら」


 すると、ひらひらとスカートをなびかせるように、彼女は腰を右へ左へと捻る。


「いえ……ただ、素朴な疑問で他意はないんですが、激しく動く場面で困りそうだな、とは」


 彼女が履いているのはタイトスカートではなく、学園の制服と同様、折り目があってふわっとしたタイプのスカートだ。動き易そうには見えるが、とはいえ、適しているとも思えなかった。


「ああ、そういうこと。それなら大丈夫。ほら、中はちゃんとタイツ履いてるから」


 言って、藍波さんは再びスカートをちょんと摘まむと、なぜか、唐突にへその辺りまでぴらっと捲し上げた。


「運動用だから厚手だし、結構動けるのよね。ね、大丈夫でしょ?」

「いや、大丈夫、では……」


 確かに、それはスポーツタイツのようで、肌の露出は一切ないし、何なら、それを履くだけでランニングしている人もいる。格好は、何らおかしくないだろう。

 だが、それをスカート越しに見るとなると、話が変わるのが不思議なもので、俺は油の切れた金具のように、ぎこちなく首を回して視線を逸らした。


「え、嘘……何か変? 下着の線とかも見えない筈なんだけど……京君、遠慮しないでいいから、ちゃんとこっち見て教えてくれない?」


 年頃らしい、健康的な脚。その脚線美が、タイツではっきりと露になっていて、ブーツを履いていて長く見える脚も、また、スカートの内側からシャツの裾が見えていることも、下腹部がちらりと見えていることも、加えて、無垢な瞳でこちらを見詰めてくるのも、もしや、全て狙ってやっているのだろうかと、どぎまぎしながらも頭は必死に言い訳を探していた。


「いえ、大丈夫です。変なところは何も。俺が気にし過ぎたというか、まあそんな感じなので、とりあえずスカートを下ろしてください」

「そうなの? よく分からないけど、じゃあ」


 そして、ようやくスカートの幕が徐に下りていくと、ふと現れた垣間さんが、脇から口を挟んでくる。


「……星名。お前は何でまたそうなった」


 溜め息混じりに、「俺には服を脱ぐなと言っておいて」と続けた彼が呆れた様子でいると、藍波さんはきょとんと固まる。


「何でって、タイツ履いてるから大丈夫ってことを教えてただけじゃない」

「その格好の何が大丈夫なんだ、はしたない……言っておくが、自分からスカートを捲るのは完全に痴女のそれだぞ。リーダー自ら風紀を乱すな」


 やれやれ、と彼は首を振り、一方、スカートの裾ははらりと垂れ下がった。


「……ね、ねえ京君? もしかしてこれって、凄い恥ずかしいことだったりした?」

「まあ、何と言いますか、一般的には……?」


 言葉が見つからず、目を逸らす。


「ああ、京は気にしないでいいぞ。こいつ箱入りっていうか、そういうのに疎くて無自覚にやらかすんだ。京に責任はない」

「はあ……その、ありがとうございます?」

「ああやめて!? お礼はいいから、そのどうしようもないものを見る目をやめてっ! 言っとくけど、見せびらかすとかそんな趣味、私にないからねっ!?」


 顔を真っ赤にして慌てる藍波さんは、最初の大人びた雰囲気もどこへやら、何となく、不憫である。


「いい!? 京君。次に私が変なことをしてたら、すぐにちゃんと教えなさい。それと、今のは速やかに忘れること」

「りょ、了解です」

「あと、調人君は覚えておきなさい……」

「何で俺だけ!?」


 そんなこんなで和気藹々としていると、コンコンとノックの音がする。見れば、既に開いている扉口に、一人の男が立っていた。


「六徳さん」

「こっちに気付かないなんて、随分と楽しそうで。いやはや、すっかり馴染んだようですなあ、京さん」


 どうやら、会話に割り込む機会を窺っていたらしく、彼は薄ら笑いを浮かべながら、ノックしていた右手を怠そうにジャケットのポケットへと突っ込んだ。


「それと、盛り上がるのは結構だけどね。ほら、一人、入りたそうにしてましたよお」

「着いたばかりです。別に入りたそうにしていた訳じゃありません」


 六徳さんのあとに入室してきたのは、飛鳥馬茜音。時刻は夕方五時の十分前。業務開始が五時からなので、彼女らしく、生真面目な出勤時間だ。


「おはよう、飛鳥馬。何を遠慮していたんだ?」

「おはようございます、京君。入ろうとしたら主任が来ただけだと言ったでしょう」


 そうは言うものの、彼女のことだから、会話が盛り上がっているところに参入出来なかったのだと思う。まあ、そんなことを詳らかに明かすつもりはないが。


「飛鳥馬ちゃん。その……お、おはよ?」

「……おはようございます」


 一方の藍波さんは、飛鳥馬とは奇妙な空気を作る。怖じ気づく先輩に対して、ばつの悪そうに後輩が応じた様子。はて、過去に何かあったのだろうか。


「さて、京さん」


 改めて呼ばれて、向き直る。


「お仕事については聞かれましたか?」

「何をしているか、くらいは」

「結構です。あとは現場で覚えましょうかねえ。室長からも、ビシバシ扱いてほしいとのことですから」


 そう。さっきまで、この場で人の好さそうな笑みを浮かべていた久々原源重は、何を隠そう、実は最も容赦がない。獅子は子を谷に突き落とす、というが、彼なら笑みを浮かべたまま突き落とす。


「という訳で、ようこそ、特殊事象調査分室へ。歓迎しますよ、『室長のお気に入り』さん」


 個性的な人間が多い分室。その筆頭は、何を隠そう、室長本人なのではないかと、誰にも向けられない呟きを、俺は胸の内に秘めた。







 少々遡り、これは先刻、俺が学生組の控え室へと連れられる直前の、室長室内での話である。


「そうそう、先だっての誘拐事件について、真相は伏せてある。率直に言えば、解決したのは()()()()()


 分室の職員ではなく、“被検体”としての会話であることを、条件反射的に理解していた。


「理由は、少し複雑だね。あの時、君は“再生”を使わずに火鞍君を撃退してみせた。しかし、大怪我を負った姿を飛鳥馬君に見られてしまったことに起因する」


 先日の事件にて、誘拐犯、火鞍乾一が扱う魔術(マギア)によって、俺は大火傷を負った。

 火傷だが、医療には『火傷指数』という言葉がある。これが大きいと死亡率が高まっていく、救急救命でよく使われる指標だ。簡単に言えば、火傷の面積が広いほど、火傷の程度が深いほど、指数が増す。それが七十を超えると、死亡率は九割を上回るのだが、あの時はその前後くらいか、かなりの重症だった筈だ。“再生”が強制的に発動しようとしていたくらいだから。


「誘拐事件は解決したものの、君が黙って姿を眩ましたことで、心配した彼女が君を探し回った。実際には、君は死の淵から一瞬で回復して、何事もなく研究所にいた訳だけれど、それを知らない飛鳥馬君の動きによって、あの誘拐事件には、『大怪我を負いながらも誘拐犯を倒したヒーロー』の存在が生まれてしまった」

「あー……あの場で飛鳥馬に“再生”を隠したのが仇となりましたか」

「しかも、飛鳥馬君には結局バレたしね。色々と裏目裏目の出来事だったかな」


 しかし、久々原さんは「まあ、責めるつもりはないよ」と続ける。


「で、辻褄を合わせる為に、書面上は別人を仕立てた。架空の人物をでっち上げて、その()に怪我の療養と報復を懸念という理由から遠い地に行ってもらってね。誘拐の動機が魔素理論研究所絡みだったのが幸いかな。研究機密漏洩の恐れがある、と言えば深くは追及されないし、報告書は機密文書扱い。大怪我を負いながらも誘拐を解決した名無しの英雄の素性は、僕の名の元に秘匿され、君は全く無関係な人間として、この場に残れるようにした」


 これもまた、分室という組織の独自性か、それとも、単に久々原源重の力か。何にせよ、彼が今も分室長の椅子に座っているのなら、全ては丸く収まった、ということだ。


「ただ、懸念が生じた。君の分室への採用理由だ」

「犯人逮捕に協力したことになっていれば、その功績を理由に出来たから、ですか?」

「そう。分室は能力優先の組織だ。大きな功績があれば誰も文句は言わないけれど、逆も然り。かと言って、“再生”を明かすことも出来ないから、君の雇用を不思議に思われることもあるかも知れない」


 要するに、俺は彼のコネで雇用された、と周囲には思われる。逆の立場なら、そう考えると思う。


「まあ、心配せずとも、君は“再生”抜きでも十二分に優秀だ。それだけの知識と能力を持ってる。調査室第一班班長とだって肩を並べられるんだからね。でも、理解されるにはきっと時間が必要になる」

「つまり、それまで頑張れ、と」


 結論を口にすると、彼は満足そうに頷いた。


「僕としては、君がどうやって彼らの信頼を勝ち取っていくのか、それも見ものかな」

「また他人事のように……そもそも、無理に雇わなければ、久々原さんだって苦労はしないでしょう」

「損得勘定さ。君の力は……ああ、“再生”じゃなくて君個人についてだけれど、やっぱり、分室にとって惜しいくらいの人材ではあるからね。それに、治安維持の一員として超常に触れる機会が増えるのは、“再生”を解明したい君にも好機だろう?」


 その通りだった。いくら超常に近い島だとしても、歩いて石を蹴るように遭遇する訳ではない。機会が増えれば情報も得られる。それだけでも、分室に所属する利点は大いにあるのである。


「何にせよ、決まったことだ。“被検体”を近くに置けるのは、“管理者”としても好ましいしね。ふふ、君はどんな働きを見せてくれるのかな」

「妙な期待をしないでください」


 とはいえ、彼は恩人。“再生”を隠してくれることも、この島で暮らせるようになったことも、彼のおかげ。それがどんなに妙な期待であっても、俺は善処するしかない。分室に勤めることが彼の望みなら、死なない身体に鞭を打って働くだけである。






 よって、先の六徳さんの物言いは、予め覚悟しておいた範囲内。まあ、彼の場合は、少し違う考えからの思惑があるのだろうが、ともかく、分室という一風変わった組織に属するにあたり、治安維持に尽力する彼らが、新入りに対して懐疑的であることも想定していたし、それでも力を尽くすだけだ、と、そのように伝えると、藍波さんは、「しっかりした考えねえ」と感嘆とした様子だった。


「主任にも悪気があったんじゃないと思うのよ。ほら、私達の仕事は普通の仕事より責任重大というか、難しいとかじゃなくて、生半可な気持ちでやってほしくない、みたいな、そういうことが言いたかったんだと思うわ」


 ちなみに、件の六徳さんは、飛鳥馬と垣間さんを連れて、パトロールの引き継ぎ事項の確認に向かった。こちらは控え室で、藍波さんから説明の続きをされている最中である。


「ですが、藍波さんも六徳さんと同じことを思われていませんか?」

「あら……何でそう思ったのかしら?」

「後輩との接し方に緊張すると話していたのは、それもあるんじゃないかと」


 そう指摘すると、彼女は観念したように微笑む。


「……はっきり言うと、京君って、この前の事件の被害者じゃない?」

「はい。六徳さんと、飛鳥馬にも助けられました」


 先日の誘拐事件にて、当初は、俺は純粋な被害者だった。その際、誘拐犯から助け出してくれたのが、今、口にした二人だ。


「確か、藍波さん達もいたと聞きましたが」

「ええ。と言っても、調人君と二人で後方支援というか、いつもは六徳主任が責任者なんだけど、あの時は主任本人が動いてたから、代わりにね」


 きっと、抜け目のない久々原さんのことだから、こちらが死なないのをいいことに、学生組に現場経験を積ませようとしたのではなかろうか。まあ、推測に過ぎないが。


「私が思ってたのはね、正しくは、大丈夫かなって心配なの」


 藍波さんは、心境を語り始める。


「勿論、室長がいい加減な人選をするとは思ってないけど……この仕事が怖いとか、嫌になったとかで、後輩が辞めちゃったりしたらとか、そういうことをね、ちょっと考えてた」

「まあ、つい先日の事件の関係者ですから、不安も当然だとは思います」

「ふふ、自分のことじゃないみたいに話すのね」


 “再生”があるからか、どこか他人事のようなこちらの内心を見抜いたような言葉だった。


「けど、もう心配はしてないから気にしないで。いい子だもの、京君」

「……そうですか?」

「ええ。私がその……見せてる時に言ってくれなかったのは、ちょっと意地悪だなって思ったけど、でも、真面目なのは伝わったし、ちゃんと話を聞いて、こうやって自分の意見も言ってくれるじゃない? だから、京君となら、私も一緒に仕事したいと思えたわ」


 こちらとしても、藍波さんとは上手くやれそうな気がする。何となく、話し易い人だと感じていた。


「それと、飛鳥馬ちゃん」


 意外な名前の登場に、飛鳥馬? と俺はそのまま聞き返した。


「飛鳥馬ちゃんとは、この前の事件で初めて会ったんでしょう?」

「忘れるには難しい人間ですよ」

「そうね」


 綺麗な顔立ちや容姿もだが、それよりも性格の強烈さは、一度会えば忘れない類いの人間だ。


「飛鳥馬ちゃんって、凄くいい子なんだけど、どこか壁を作ってるような子じゃない? その飛鳥馬ちゃんと親しげにしてたから、京君もいい子なんだなって思えたのよ」

「それだと、警戒心の強い猛獣に懐かれていたから、みたいな理由に聞こえますが」

「あら。ふふ、言われてみると……って、笑っちゃ駄目ね。それだと飛鳥馬ちゃんが動物みたいじゃない」

「実際、動物みたいな雰囲気はあると思いますよ」

「そうね、あるわね!」


 即答だった。共通の認識である。


「私的には猫っぽいと思うのよねえ。可愛いんだけど、釣れない感じ? あとふさふさの狼とか、飛鳥馬ちゃんってすっごい動物の雰囲気してて、もう可愛くてっ!」


 猫や犬の耳を着けた飛鳥馬茜音の姿は、面白いくらい易々と想像ついた。きっと、二人とも同じような姿を思い浮かべていることだろう。

 どうやら、彼女は、飛鳥馬のことが好きらしい。まあ、人として、というより、愛玩動物に向ける慈愛の心っぽいような、要するに、面倒見のいい人なのだろう、藍波星名という人物は。思えば、二人が挨拶を交わしていた場面は、素っ気ない猫と、恐る恐る機嫌を窺う飼い主の様相に見えなくもなかった。互いに不器用、ということか。

 こんなこと、飛鳥馬に知られれば、怒らせるだけだろうが、こうして会話の種になるのだから、あれも悪いばかりではないらしい。


「ちなみに、京君なら飛鳥馬ちゃんのこと、どんな動物だと思う?」

「俺なら、ハムスターでしょうか」

「ハムスター?」


 こちらとしては、つくづくそう感じていたのだが、まるで想像がつかないようで、藍波さんは小首を傾げる。


「意外ね。警戒心が強そうとか、そういうこと?」 

「いえ、最初は確かに警戒心が強いんですが、案外ころっと懐いてきたり、そういうちょろいところが」

「へえ。君、そんなこと考えてたんですか」


 さて、ご存知だろうか。ハムスターという生き物は、時に噛みつく凶暴性を秘めてることを。


「……飛鳥馬、いつからそこに」

「私がどんな動物に思えるか、という辺りです。随分と愉快な話をされてますね」


 件の人物の登場に、藍波さんと二人で顔を強張らせるが、どうやら、先輩の言葉は聞かれていなかったようで、タイミングがいいのか悪いのか。


「で。私、君に懐いた覚えはありませんが」

「そっ、そうだな。勘違いだった。飛鳥馬はそんな単純な性格じゃないよな。もっと、あれだ、面倒くさいよな」


 すると、彼女はにこりと笑顔を浮かべる。その怖いくらいの笑顔は、そういえば、いつかの甘味処でも見たもので。


「歯を食い縛ってください」


 飛鳥馬を動物に喩えるなら、馬。彼女の足癖は、かなり悪い。






「じゃあ、改めて説明するわね」


 向かい合い、藍波さんは話し始める。

 ここは三区。昨夜に訪れたオフィス街ではなく、商業施設が集中する繁華街エリアである。


「分室の担当は、主にこの三区。車での巡回班と、徒歩での巡回班、それぞれ二人一組で業務にあたります。やることは、とにかくぐるぐる回ること。街中で問題があれば、その都度対処します。基本的には注意で済ませますが、あまりに悪質だったら応援を呼んでちょうだい。場合によっては警察を呼ぶから。私達に逮捕の権限はないのよ。現行犯は別だけど」


 現在地は、交番前。ここまでは、六徳さんが運転する三列シートのワゴン車で送ってもらった。彼はここから車で巡回しつつ、徒歩組のバックアップを行う手筈になっている。


「まあ、今日はおっさんは一人で大丈夫です。というか、他の班との兼ね合いもあって、人数が足りなくてねえ。私らは調査室と違って大所帯の組織じゃないし、よくあります」


 運転席の窓からひらひらと手を振る六徳さん。これでも元刑事で、久々原さんの懐刀のような人物だ。俺も何度か世話になった。


「室長からは、京君は物覚えがいいから、とにかくやらせるのが一番だって言われてるんだけど、大丈夫そう?」

「大丈夫です。習うより慣れろ、ですね」

「あと……さっきの飛鳥馬ちゃんのこと、大丈夫?」

「ああ、平気です。もう慣れました」

「そ、そう? 意外と逞しい子なのね、京君って……」


 日が沈みつつある街角で、藍波さんは苦笑いだった。


「本当なら、私がリーダーとして間に入って、京君と他の職員との仲を取り持つべきなんだと思うんだけど……私、飛鳥馬ちゃんからは快く思われてないのよ。ごめんなさい」

「そうなんですか? それは」

「あっ、でも私が悪いのっ! ちょっと、しつこくし過ぎちゃって。さっきも言ったけど、飛鳥馬ちゃん、どこか壁を作ってる子だから」


 ちなみに、当の飛鳥馬は垣間さんと共に車の後方にて、携行品やルートの最終チェックをしている。


「だから、京君が入ってくれて助かったわ。飛鳥馬ちゃんのこと、お願いね……って、入ったばかりの子に言うのも変だと思うけど」

「いえ……分かりました、気を付けておきます」

「優しいのね。ありがと」


 どことなく無理をした表情の先輩であったが、少しは憑き物が落ちたのか、それでもやや強張ったような笑みを浮かべた。なるほど、久々原さんが困る訳だ。分室の問題児め。


「いやあ、青春してるねえ」


 車の窓枠に肘を乗せ、楽しげに笑う彼の姿が疎ましく見えたのは、言うまでもあるまい。


「主任……野暮な言葉を掛けるくらいなら、部下に助言の一つくらいないんですか?」

「いやいや、おっさんが出しゃばってもねえ。尻拭いくらいは年寄りでも出来るから、若者は伸び伸びと自由にやってください」

「それは放任と言うのでは?」


 すると、藍波さんの指摘に「はっはっは」と大袈裟に笑いながら、六徳さんは、窓から引っ込む。そんなおっさんに二人で呆れていると、飛鳥馬達が合流する。


「えっと……ともかく、今日のところは飛鳥馬ちゃんの指示に従って。意外とそんなに大変じゃないし、肩肘張らないで、気楽にいきましょう」

「だな。この格好で険しい顔して歩いてたら、何事だって思われる。この仕事で大事なのは、()()を見せびらかしながら、平和そうな顔をすることだ」


 言いながら、垣間さんが自身の胸元を指し示す。六角形の模様に『B.B.』と印字された、分室の組織章。


「飛鳥馬ちゃんも、最初は負担が増えちゃうかも知れないけど、よろしくね」


 すると、飛鳥馬はこくりと頷いて、無言で視線を交わす。恐らくは、任せろ、といった彼女なりのポジティブな意思表示のつもりなのだろうが、一方の先輩は、ただじっと向けられる後輩の鋭い視線に戸惑いを覚えていて。

 その様は、やはり、警戒心の強い動物と、接し方に悩む人のようであった。


「飛鳥馬のことは任せてください」

「は? 何で君に任されるんですか」

「……ふふっ。じゃあ、二人ともお願いするわね。では、学生組一同、今日も平和の為に頑張りましょう!」


 その号令で、俺達は夜の街へと繰り出した。






 千万島街区第三区画、通称『三区』の賑わいは、この島の一つの名物だ。大都市そのものの街並みに、高層建築こそ少ないが、見渡す限りの繁華街。人の波はどこも活気に満ちていて、整然と並ぶビルの間をライトレールが走っていく光景は、とても、海の上にあるとは思えないだろう。

 夜になれば、また一段と華やかだ。レストランや居酒屋から聞こえてくる楽しそうな声が、六角形をあしらった街灯に照らされた大通りまで聞こえてくる。行き交う人々は笑いながら、何を食べようか、明日はどこへ行こうかと、まるで、平和を絵に描いたような夜景ではないか。

 そう、平和。無論、これが僅か一日の巡回業務による成果ではなく、日々積み重ねてきた地道な努力の賜物であることくらいは分かっている。俺がこの服に袖を通すずっと前から、同じことを繰り返してきた者がいたから、今日の平和があるのだ、と。

 とは、分かっているのだが。


「……案外、やることないんだな」


 拍子抜け、と述べてしまうと不謹慎だろうが、あれから歩き続けて一時間弱、これといって何かが起きる訳でもなく、途中、巡回ルートを少し外れた石畳の広場のベンチに腰を下ろすと、つい思ったことが口から出てしまっていた。

 昼間は利用者も多いであろう憩いの場は、夜間となれば人気はなく、時折、通りを行く観光客が目に入る程度。静かな公園の夜に、分室の黒い制服は、よく溶け込む。


「忙しくない方が望ましい仕事ですよ」

「まあ、分室の暇は平和の証か」

「不満でも?」

「いや、仕事だと考えると、罪悪感ってほど後ろめたさはないんだが、少し落ち着かない」

「まあ分かりますが、いずれ慣れますよ。慣れた方がいいかは知りませんが」


 この休憩も、適度に休息を取れ、という分室、もとい、久々原さんの方針によるもの。歩き疲れて治安維持に支障が出れば、それこそ本末転倒であろう。

 しかし、楽しげに談笑していては、通りすがりに妙なクレームを入れられる可能性がある。ベンチの両端に、不自然な間隔を開けて座っていることには、そんな理由がある。

 ところで、飛鳥馬と楽しげに談笑した記憶はないが。


「ちなみに、一つ疑問があるんだが」


 改めて切り出すと、「何ですか?」と飛鳥馬は目線だけをこちらへ向ける。


「仮に揉め事を見つけたとして、仲裁するんだよな」

「当然です」

「……飛鳥馬が?」

「君は直球に失礼ですね」


 とはいえ、自分で心当たりがなければ、失礼とも思うまい。彼女自身、意図して他者との空白を望み、それを態度に出して冷酷を気取っているのだから。やはり、面倒な人間なのである。


「まあ、私も自分で話し上手とは思いませんが、この格好をしていれば、大概は丸く収まります」

「そういえば、()()を見せびらかすのが仕事だと垣間さんが言ってたが、そういうことか」


 少し視線を落とすだけで、上着の胸元に付いたエンブレムが目に入る。


「私達の服装は、超常が介在した特殊事象事件に対応可能な人間であることを示しています。そうした存在の姿を見せることで周囲に安心感を与えることが、この巡回の最大の目的です」

「平たく言えば、一種のパフォーマンスか。超的な力を持つ人間がいれば、それを取り締まる人間もいる。それで治安は維持されているんだと、対外的なアピールにもなる」


 軍服のようなこの服装は、この人工島において、安寧の象徴。関係のない者が袖を通すと罰せられることもある、それだけ重い服である。

 余談だが、丈が長いので、物理的にも少々重い。


「現状、調査室や分室のような組織は千万島だけのものです。その名前は特別なものとして、敢えて誇張して言えば、畏怖されるもの。なので、諍いに遭遇しても、基本的に何もせずに収まるケースがほとんどですね」

「そりゃあ、効果抜群だろうしな」

「は?」


 首を傾げる飛鳥馬であったが、彼女がこんな不思議そうな顔でなく、さも真剣な顔をしていたなら、一般人はそれだけで怯むだろう。美人の真顔は恐いのだ。そういえば、巡回の途中、そんな視線を向けられたこともあった。


「それより、分室と調査室って混同されがちだと思うんだが、その辺りはどうなんだ?」

「……正確には、調査室と誤解されることが多いです」


 飛鳥馬は、やや納得いかない様子ながらも、律儀に答える。


「調査室は警察組織として一般にも知られてますが、分室は特殊事象への情報保護という理由から組織構成を公開していないので、知られる機会が少ないのが原因でしょうね」

「その場合、例えば、向こうはこっちを警察と勘違いして接してくる訳だろう? それを訂正したりはしないのか?」

「その際は身分を明かします。特に秘密というものでもないので」


 逆に、訂正しないようであれば、その方が問題になりそうだ。民間組織とはいえ、立場は企業ではなく行政寄りだろうし。


「いずれにせよ、調査室や分室の名前を出せば、大抵は協力的ですし、諍いや不審者に遭遇するよりは、道を聞かれる方が圧倒的に多いので、そちらの危惧をした方がいいかと」


 道か。千万島で過ごして二年になるが、ずっと引きこもりのような生活を続けてきたので、道を聞かれてもからっきしだ。分室という組織も、色々と大変らしい。


「まあ、それも平和の裏返しか。六法全書よりは観光雑誌でも読んだ方がいいかもな」

「そうですね。お薦めの雑誌を貸してあげましょうか?」

「……それは冗談で? それとも本気で?」

「冗談に決まっているでしょう。観光案内をしたいなら、そちらに就業してください。あと、君が先に読むべきは分室の定款です」


 定款あるのか、分室。飛鳥馬の口から聞くと、なぜか面白い単語に感じた。


「ところで……先程の話なんですが」


 飛鳥馬は神妙に切り出した。


「何の話だ?」

「君と、先輩でしていた話のことですけど」

「……まだ折檻し足りないのか?」

「違いますよ。何ですか、人を小馬鹿に。君、私のことを暴力人か何かと思ってません?」


 そんな指摘も冗談半分で聞き流し、じゃあどうした、と問い掛けるも、返答がなく、聞こえなかったのかと横目で様子を窺えば、何やらもじもじと、やがて、こんなことを言い出した。


「私は、先輩方と仲良くするべきでしょうか」


 思わず、は? と情の欠片もない言葉が口から出そうになって、話題的に止した方が良さそうだと咄嗟に呑み込んだ自分は、それなりに、飛鳥馬茜音という人間に慣れてきていると感じた。


「先輩って、藍波さんと垣間さんか? 嫌いなのか?」

「いえ、悪感情を持っている訳では。ただ、その……」

「ああ、“呪い”があるからか」


 飛鳥馬茜音が抱える、“呪い”。彼女は無自覚にその力を振るい、周囲の人間に不幸をもたらしてきた。多くの超常が蔓延るこの島においても、その能力は、きっと誰からも歓迎されないであろう一つである。


「これまではどうしてきたんだ?」

「これまでは……極力、他人に近付くこと自体を避けてました。何が切っ掛けで、不幸にしてしまうかが分からないので」

「あー、条件が分からないのも厄介だな。あらゆることに怯えなくちゃならないか」


 こちらに宿る“再生”も、呪いのようなものだと思っているが、誰かを直接的に不幸にするものではない。気味悪がられることもあるが、まあ、副作用みたいなものだと思うし、特に気にしたこともない。

 だが、彼女にまつわる“呪い”は、必ず誰かに厭われるのだ。呪いとは、悪意。飛鳥馬はいつでも、人の悪意から決して逃れられない。


「それなのに、飛鳥馬は何で分室に?」


 いつか聞こうと思っていた。そんなものを抱きながらも、こうして街を見回って、誰かと関わる仕事を続ける理由を。


「一つは、解決策を探す為です。同じような力を持つ人に出会えれば、何か道が開けるのでないかと室長に言われて」

「確かに、この島で最も超常現象に出会う機会が多いのは、分室か調査室だろうな。調査室は警察官しか配属されないし、分室に所属出来るなら、またとない機会だ」


 それは、こちらにも心当たりがあることだった。“再生”を解き明かす為には、多くの人智を超えた理論(オーバーセオリー)に触れる必要がある。でなければ、この足はもっと重かったと思う。


「それで、他にもあるのか?」

「……馬鹿にしませんか?」

「そんなに言い難いなら聞かないが、その時はいっそ信じられないくらい笑ってやる」

「それはそれで、少し見てみたいの反則では?」


 すると、飛鳥馬は意を決したように口を開く。それは、少々意外な理由だった。


「“呪い”が、怖かったからです」

「……怖かった?」


 疑問ついでに彼女を見やると、代名詞とも言える無表情の横顔。『怖かった』。過去形か。


「人を不幸にする力があるんです。それが、いつか自分に返ってくることも、あるいは」

「人を呪わば穴二つか。飛鳥馬にしてみれば、これほど怖い言葉もないよな」


 “呪い”は、未解明、未実証の謎現象。真偽も然ることながら、そもそも、定義すら曖昧だ。ランダム比較試験(RCT)でも行えば、存在の実証くらいは不可能ではないが、そんなことをする物好きは、今のところ現れていない。

 だから、彼女はこの島においても、ひとり孤独。誰にも理解されない力を、誰にも求められない孤独を、ずっと一人で抱え続けさせられるのは、正しく呪いだ。


「分室に所属しているのは、誰も巻き込みたくないという思いがあった反面、一人でいるのが怖かったからです。元が特殊事象への専門組織なので、安心感がありました」

「まあ、久々原さんや六徳さんあたりは他人との距離を取るのが上手いし、簡単に呪われそうな気はしないしな」

「それに、社会に貢献することで、自分を肯定したかったのもあります。私は、呪われるような人間ではないのだと。自己満足ですよ」

「……そうか。飛鳥馬でも、そういうことを考えるんだな」

「当たり前です。人を何だと思っているんですか」


 女王様は不機嫌そうだった。だが、自身の胸中を淡々と語れるのだから、流石の胆力である。


「『怖かった』だから、今は違うのか?」

「そうですね、今は不思議と……悪くないです」

「悪くない」

「ええ。どうにかしてくれると言った人がいますので」


 飛鳥馬は、こちらを揶揄うかのように微笑む。確かに、そんな楽しげな表情を浮かべられるのなら、とっくに過ぎたことなのだろう。“呪い”はきっと、以前ほど、彼女の心を蝕んでいない。


「ということは、改めて、先輩との距離を測りあぐねている訳だ」

「言葉選びに若干の悪意を感じますが、概ねそういうことですね」


 結構ではないか。“呪い”だ何だと悩むよりは、ずっと健全だ。


「じゃあ立ち戻って、先輩達と仲良くすべきかだが、話は簡単だ。仲良くした方がいい」

「……意外ですね。そう積極的な意見を言う人ではないと思ってましたが」

「使えるものは使わないと勿体ないぞ。人付き合いなんて、その最たるものだ」

「前言撤回します。驚くほど腹黒い理由でした」


 心外である。こちらは悩み相談に乗っているというのに。


「逆に、関係性が悪くていいことはない。人付き合いを避けるにしても、コントロール下で最低限をする方が、却ってしなくて済む。どちらにせよ、わざと悪態を吐いたり、冷たい態度で突き放すような行為をするのは、あまり賢いとは言えないな」

「……結局馬鹿にしてませんか?」

「まあ、黒歴史なんて誰にでもあるものだ」

「く、黒歴史……」


 すると、飛鳥馬は項垂れてしまう。つい流れで、彼女のアイデンティティを揺るがしてしまった。


「とは言え、“呪い”なんてものが相手なら、振り回される方が当然で、普通でいられる方が異常だよ。それに、他人を遠ざけることも別に無駄じゃない。そうでもしないと、飛鳥馬の中で折り合いがつかなかったんだろう? だとしたら、それは必要なことだった」

「それは……では、私はどうすれば」

「一つ思ったのは、あまり気にするなってことだな」

「……は?」

「いや、一応理由はあるんだ。投げた訳じゃない」


 それは、ここ数日考えていたことである。


「まず、飛鳥馬の“呪い”は、恐らくそこまで強いものじゃない。強制力とでも言うか、本来起こる筈のなかったことを引き起こすほどではないと思う。例えば、機械的な故障とかを強引に引き起こせるなら、この付近だけ故障率が高くなるという統計が残される。調べてみないと分からないが、不自然な壊れ方をしていればメーカーだって疑問に感じるだろうし、そういう動きが企業にあれば、久々原さんが気付く。その辺の心当たりはどうだ? まあ、傍目には分かり難いかも知れないが」

「まあ、言われてみると……」


 “呪い”の具体例を聞いてはいない――デリケートな話題なので、現時点で触れるべきではないと考えていた――が、そうしたはっきりとした原因があるなら、オカルトに結び付けられることもなかったのではないかと思えた。


「で、そこで考えたのが、()()()()不幸に近付いている可能性だ」

「私が……?」

「『不幸が飛鳥馬の周りで起きる』んじゃなくて、『飛鳥馬が不幸に寄っていく』んだ。それで、不幸な出来事の場面には飛鳥馬がいることが多くなって、結果、“呪い”を振り撒いているんじゃないかと誤解された。それが、今のところ、俺が考えてる“呪い”の正体だ」


 これならば、まだ多少は科学的であろう。ただし、いくらか疑問はある。


「ですが、私にそんなつもりは……」

「……だよなあ。結局、その『どうして』って問いに答えられないただの推測で、悪いんだが、まだ検討がついてない。全然仮説だよ」


 無力感から、ふと夜空を仰ぎ見ていた。


「……考えて、くれてたんですね」

「どうにかするって言ったんだ。頼りにならなくて悪いが」

「いえ……頼ってますよ、君を。とっても」


 穏やかな、その声が聴けただけでも。


「そんな訳で、色々考えてみたんだが、とりあえず、飛鳥馬の“呪い”は、元から起きる筈だったことに関係するんだと思う。だから、『あまり気にするな』。不幸は変わらないし、変えられてもいない。違いは、そこに飛鳥馬がいるかいないかだ。そう考えると、俺は逆に、積極的に関わるべきだと思うくらいだぞ」

「それは、どういう?」

「考えないか? ニュースで見る事件現場に、もし自分がいたらって。そうでなくても、知り合いに不幸が起きる場面に出くわすなら、それを防げるかも知れないだろう? それなら却ってチャンスじゃないか」

「チャンス……それは、考えてもみませんでしたけど……」


 驚かされたといった様子の飛鳥馬は、次第に笑い声を漏らし始めた。


「……ふふっ。チャンスって、君、それはちょっと、ふくっ……おかしくありません? くっくっ……」

「ん、そうか? いい考えだと思ったんだが」

「だって、チャンスって……君、ヒーロー願望でもありましたか?」

「あー……いや、別にそういうのはなくて。ただまあ、助けられるなら助けたいかな。手が届くだけでもさ。それに使えるなら、何でも使いたい」

「……そうですね。君はそういう人でした」


 そう納得しながらも、飛鳥馬は最後に「……ぷふっ。あー、笑いました」と目尻を人差し指で拭った。


「これで、面倒な飛鳥馬様の背中を押せたことにはなったか?」

「だから、一言余計なんですよ、君は。何をにやにやしているんですか」

「まあ、不安なら、俺も連れていってくれ。飛鳥馬が行く先に不幸があるなら、一緒にいれば、何とか出来る。俺にとって“呪い(それ)”は、全く迷惑にならないから」

「……はい。少し、考えておきますね」


 人を呪わば穴二つ。それが因果応報というのなら、人を呪わまいとする彼女の努力こそ、いつか報われてほしいものだ。

 ともあれ、長話をしてしまった。立ち上がり、ジャケットの裾をぱんぱんと叩いた。


「そろそろ戻るか。サボって悪印象持たれたら、仲良くするどころの話じゃないしな」

「ええ、私の悪評まで広めたくありませんし」

「既に俺の悪評があるみたいな……おい広めてないよな? というか飛鳥馬、この前あの寮長に……」


 言いながら、言葉に詰まる。遠目に、一瞬だけだが、表の通りを歩く、とある人物。スーツケースを引いた、中年の男。

 見覚えがある。最近だ。どこだったか。学園ではない。魔素理論研究所? いや、所員ではない。出入り業者でもない。あるいは、インターネット上でとも思ったが、この目で見た記憶がある。そうだ、確かもっと驚いた顔をしていて……。

 思い出した。あの夜の、()()男。

 服装はスマートカジュアルに整っていながらも、背を丸め、傍から見れば、幸の薄そうな男という印象。やや下を向き、何か後悔を抱えて、あてどなく歩いているような姿に、記憶が重なる。


「……京君?」

「悪い、急用が入った。久々原さんには伝えておくから、先に戻ってくれ」

「は? え、ちょっと待っ」


 平穏とは、麻薬である。それがずっと続くと錯覚する。気付くのは、いつも崩れた時ばかりだ。






 慌ててあとを追い、表通りに戻った。夜と言えども、まだ七時過ぎ。三区の街並みはまだまだ眠らず、それは一長一短の好不都合であった。

 目的の背中を見つけると、人混みを利用して視野から外れる。三十メートルほど先を歩く男の後ろ姿が、過ぎ行く人波に見え隠れしていた。足取りに迷いは見えず、ただし、視線はずっと俯きがち。周囲から浮いて見える物悲しげな雰囲気だが、どこか目的地があるようだ。まだ繁華街の最中で、行き先の見当はつかないが。

 さて、現状、情報不足である。

 昨夜の件で、“黎明の陽射し”千万島支部は、危険な組織と判明した。特に、ポルターガイストの存在。まあ、航空機すら墜とすあれを、どう()()のかという懸念は置いておき、ともかく、野放しには出来ない。せめて、調査室の監視下に置くべきだろう。

 では、あれから何か動きはあったのだろうか。ポルターガイストは封じたろうか。支部長とやらは捕まえたろうか。であれば、あの男は無関係なのだろうか。それとも、捜査が全く進んでいないのだろうか。あるいは、捜査が進展した上で彼は参考人から外れたのだろうか。もしくは、彼は調査室から逃げている途中なのだろうか。はたまた、事情聴取の帰途だろうか。何が起きているのだろうか。


人智を超えた理論(オーバーセオリー)を相手にする調査室だけど、不測の事態が起きないとは限らない』


 藍波さんの言葉が過る。何かの前触れでなければいいが。

 何にせよ、やはり、情報が足りない。

 昨夜の件は、“被検体”としての仕事である。よって、礼華さんへ直接コンタクトを取る訳にもいかず、一度、“管理者”を挟まなければならない。ついでなので、飛鳥馬と別行動をしていることも、久具原さんに伝えておこう。

 そんな思考から、やや歩を緩め、携帯電話を取り出そうとポケットに手を突っ込むと、袖がくいっと引かれる。そこには予想外の、あるいは、予想通りの人物がいた。


「飛鳥馬。どうした? 帰ったんじゃなかったのか」

「……一度だけ、その他人の神経を逆撫でするような物言いは聞かなかったことにしてあげます」


 飛鳥馬は身体をわなわなと震わせている。ストレス性の情緒不安定症状だろう。


「そうか。とにかく急用が出来たから、先に戻ってくれて構わない……ああ、『構わない』というのは、遠慮するなという意味で、久々原さんには俺から電話しておくし、六徳さんにも伝えてもらうから心配は要らないぞ」

「懇切丁寧な焼き直しをありがとうございます。それが遺言でいいんですね」


 よくないです。


「ま、まあ落ち着こう。ほら、事実として、俺は飛鳥馬より頭はいいと思っているんだが」

「潰す」

「間違えました! というか、この格好で騒ぐと目立つんだ!」


 人通りのある道で立ち止まっているものだから、がやがやと周囲がうるさくなってくる。

 仕方なく、俺は飛鳥馬の手を引っ張って物陰に引っ込む。これはこれで問題になりそうだとも思ったが、何だか妙に疲れて、どうでもよくなっていた。


「と、とにかくだ。言いたいことは素直に教えてくれ、頼むから。これでも鈍感だと自覚してるし、直していくつもりはあるんだが、はっきり言われないと分からない」

「そのくらい察しなさい」

「話を聞け」


 彼女からは、時折、会話する気がないのではないかと思うほどの豪送球が飛んでくる。こんな調子で交友関係なんて築けるのだろうか。


「……はぁ。ですから、私もついていきます。置いていったら許しませんからね」


 文面からしてみれば、いじらしさを感じる台詞に思えるだろうが、実際は、尋常でない圧と、下劣なものを見るような眼差しで言われているので、冷や汗が止まらない。


「粗方の見当はついています。君が仕事を簡単に放り出す人間ではないことも。誰を追っているんですか?」


 流石は分室職員か。ただ怒り任せに追ってきた訳ではないらしい。少々呆気に取られたが、これは、彼女達の職務からは外れていることである。


「いや、申し出はありがたいんだが、追うだけだから一人で十分だ。飛鳥馬は先に」

「そういう話ではありません。二人一組で行動する意味くらい、さぞ頭のいい君なら分かりますよね? 君はもう分室の職員で、私達はバディです。それと」


 反論を挟ませる余地を残さず、飛鳥馬は捲し立てる。


「私の問題に君を巻き込む代わりに、君の問題には私を巻き込みなさいと言いました。文句ありますか?」


 ともすれば、こちらの胸ぐらを掴みそうな勢いで詰め寄る姿に、文句なんか出る筈もなく、気圧されて、ビルの外壁に背中をぶつけたこちらの胸に、とん、と人差し指が突き立てられた。


「以上です。それで、他に何を言わせるつもりです?」

「……いや。悪いが、一緒に来てくれるか?」

「まったく。それと、謝罪も要りませんから、次からはちゃんと巻き込んでください」


 妙な言い回しをして、飛鳥馬は満足そうに鼻を鳴らす。つくづく、勝てそうにない相手だと思った。

 まあ、調査室が携わるであろう事件だ。分室も全くの無関係ではない。そうして自分で自分に理由を作って、改めて、彼女に向き直った。


「まずは追いかける。事情は追々説明する」

「分かりました。今は従います」


 そうして、先の通りを早足で進みながら、同時に、俺は久々原さんへと電話を掛けた。


『はい、久々原』

「京です。今いいですか?」

『うん、緊急なら対応しよう』

「助かります。早速ですが、昨夜の報告は礼……桐澤さんから聞いていますよね?」

『畏まらなくていいよ。勿論、報告は聞いてるけれど、今のところ、話はそこで止まってるね』


 つまり、“管理者”としては報告されているが、分室長としては話が通っていない、ということだ。調査室は、全ての案件で分室に補佐を依頼することはない、と藍波さんが言っていたが、分室に依頼するまでもないと判断したか、あるいは、調査室内部でまだ混乱が続いているか。どちらかであれば、今は後者が有力だろう。


「その際、エレベーター前ですれ違った男を見掛けて、今、あとを追っています」

『なるほどね。じゃあ現状維持で。こっちで桐澤君に確認を取る。飛鳥馬君とは一緒かい?』

「はい」

『それなら、そのまま二人で。気を付けてね』


 そして通話は切られた。相変わらず、見透かした人だ。


「しばらく様子見だ。急ごう。早く見つけないと、この先で完全に見失う」

「この先……駅ですか」

「ああ。多分、ライトレールでどこかに向かうつもりだ」


 ライトレール。車の個人所有を認めていないこの島における主要な交通手段の一つで、路面電車のようなもの。三区内にもいくつかの駅があり、その一つの駅前広場に、既に辿り着いていた。

 これに乗られると、行動予測は一気に難しくなる。島の全域となれば、調査室総出でも、捜査に何週間掛かるか分からないくらいだ。最優先で調べるべきは駅構内であり、付近の施設に入っただけなら、あとからでも間に合うだろう。

 ただ、困ったことに、三区の駅前となると、人混みは都心のそれと同等か、それ以上。どこにこれだけの人がいたのかと感心するほどだが、不幸中の幸い、雑踏は分室の格好を隠す手助けをしてくれる。近くには交番があり、警察関係者であっても、それほど人目を引く様子はなかった。


「京君、その人の特徴は?」

「ああ、黒っぽいジャケットに灰色のスーツケースを引いて」

「もしかして、あの人ですか?」


 男を見つけたのは、飛鳥馬だった。聞く前から当たりをつけていたのだろう。指差す先の男は、既に駅構内にいて、向かう先は改札口。


「行こう。ライトレールに乗るなら、こっちも乗り込まないと」

「あの、私この格好で乗ったことないんですけど」

「いや、そんなことで恥ずかしがるほど繊細な性格じゃな痛い痛い痛いいちいちつねるな!」


 喚きつつ、程なくして、こちらも改札口へと到着。発着時刻が表示されている電光掲示板を見上げながら改札機を通ろうとすると、しかし、不意に腕をぐいっと引かれた。


「こっちです」


 飛鳥馬は改札機の静脈認証には手をかざすことなく、分室の身分証を窓口に提示する。


「特殊事象調査分室です。乗らせてもらいます。内密にお願いします」


 真顔のまま早口で告げ、困惑気味の駅員の「ど、どうぞ」という返答も聞かずに、早歩きで通過。俺は何も提示していないのだが、同じ格好だからか、そのまま通れた。


「あんな使い方が出来るのか」

「使えるものは使わないと勿体ないですからね」

「運賃ぐらいは経費で落ちないのか?」

「騒がれたら困るでしょう。ああやって言っておけば、向こうも大事にはしないでしょうから」


 確かに、何も言わずに乗ろうとすれば、駅員が何事かと話し掛けてくるかも知れない。乗車料金の免除ではなく、釘を刺す意味での提示だったのか。咄嗟によく頭が回るものだ。


「飛鳥馬」

「何ですか?」

「腕、もう離してくれてもいいんだが」

「早く言いなさいっ!」


 駅員が困惑していたのは、俺が腕を引かれていたのもあると思う。まあ、剣呑な雰囲気から多少は察してくれたろうが。

 階段を上り、高架のホームに出ると、例の男は端の方に立っていた。俺達は彼から離れて電車を待ち、その間に飛鳥馬へ事情を説明する。


「反魔術(マギア)団体、ですか」

「の関係者かも知れない、だな」

「また妙なことに……まさか、危険な真似はしていませんよね?」


 瞼をやや伏せて、こちらをじとっと睨んでくる。彼女は、こちらの“再生”を知りながらも、そもそも怪我をするなと気遣ってくる稀有な性格であり、その気持ちは受け取っておく反面、礼華さんの盾になったことは、墓まで黙っておこうと誓った。

 すると、携帯電話が振動し始める。ポケットから取り出すと、画面に表示されている十一桁の数字は、登録がなくとも嫌と言うほど見て覚えてきた羅列である。


「はい、京で」

『やっほーっ! 修司ぃ、元気してるぅー!? (あ・い)・し・て・る・ぜっ……』


 切った。


「……あの、質問しても?」

「いや、知り合いの番号だと思って出たんだが、いたずら電話だった」


 俺は、分かりきった飛鳥馬の質問に先んじて答えた。音声は周囲にまで漏れていたようで、視線が痛い。例の男とは距離を開けておいて良かった。


「はあ……『修司』とか『愛してる』とか聞こえましたが」

「十中二百くらいで聞き違いだ。気にしないでくれ」


 気の所為だ。流石のあの人でも、こんな傍迷惑なことはしない筈だ。


「電話、また掛かってきてませんか?」

「幻想振動症候群という現象があってな。着信やメッセージが待ち遠しかったりすると、物音とかをバイブレーションと勘違いすることが」

「待ち遠しく思ってるんですか?」


 詰んだ、か。


「……一応弁解しておきたいんだが、さっきのは本当に質の悪い嫌がらせで、真に受けないでくれると助かる」

「君の態度を見てれば分かりますよ。それよりも、早く出た方がいいのでは?」


 無視をすれば、それはそれであとが怖いので、仕方なく通話状態にした。


「はい、京です」

『なぁんで切りやがったぁ?』


 内耳を舐められるかのような喋り方は、案の定というか、怒っているらしい。機械越しでも殺気をひしひしと感じる。


「いえ、悪意だけを煮しめたような言動だったので、てっきり特殊詐欺かと」

『いやあ、修司が学生の女と一緒だって聞いたからさ。あることないことを叫んでみたらどうなるかなって』


 いたずら電話じゃないか。


「それで、本来の用件は?」

『久々原さんから聞いた』


 礼華さんの声が瞬時に張り詰める。終始この調子であれば、素直に尊敬出来るというのに。


『その男の素性は判明してる。そいつ、支部の近くでタクシー拾っててな。利用履歴からIDが判った』


 ホームの柱の陰から覗くように、俺は彼を見やる。


『名前は黒田(くろだ)(わたる)。年齢四十一。職業はネット中心で活動しているフリーランスの批評家、兼、ブロガーといったところだな』

「というと、ブログを書く人のことですか?」

『ああ、そのブロガーだよ』


 仲介人(ブローカー)の聞き違いかと疑ったのだが、そんな間違いがあるかと、ほとんど形式的な質問である。


『ブログの内容についてはよく分からなかったが、その界隈ではそれなりに有名らしい。ここ最近は更新してなかったみたいだがな』

「『その界隈』? よく分からなかったというのは」

『そのままだ。電話越しに話しても理解出来ないだろうし、それはあとにしろ』


 要領を得ないが、彼女がそう言うなら、従うのが無難だ。久々原さんとでは出る幕が違う。


『黒田のIDの履歴も辿ってるが、お前、今三区の一番駅にいるのか? ホームのどっちだ?』

「外回り側です」

『ってことは港直行か。なるべく島内(こっち)で締めたかったんだが……チッ、思うようにいかないな』


 苛立っているのが声色から感じ取れた。彼女がここまで悪い感情を目立たせるのも珍しい。何となく、嫌な予感がした。


「礼華さん。もしかして、まずいことになっていませんか?」


 そう問うと、やや逡巡があった。それが何を意味するかは、次第に明らかになっていく。


『率直に言うと、連中に逃げられた』

「……は?」

『消息不明だよ。支部長一派、全員が完全に雲隠れした』

「雲隠れって……では、例の魔術師(メイジ)の行方も、全く?」

『そういうことだ。正直、詳しい状況がこっちも全然分かってない。連中、IDの履歴も防犯カメラにも全く痕跡を残さず消えやがった。分かってるのは、奴らに出し抜かれたってことだけだ』


 思った通り、想定外の事態になっているらしい。不安が嫌な形で的中していく。


「そちらはどんな状況なんですか?」

調査室(うち)か? こっちはまあ、最悪の一歩手前くらいだ』

「具体的には?」

『連中が消えたことで、勝手に踏み込んだ責任を問われてる』

「……それは、確かに良くはない状況ですね」


 藪をつついて蛇を出すどころか、蛇にはするりと逃げられ、突いた責任を追及される。この場合、最も危惧すべきは、内輪揉めに終始することだろう。組織内に監視の目を向け、結果として、外部の犯罪者を取り逃がす、なんて愚かしい結末がなければいいのだが。


()()()()()も、ちょっと今は切れなくてな。ただでさえ持て余すってのに、この状況で出してただの大法螺扱いになったら、それこそ最悪だ』

「難しいですね。本来なら総力を挙げて取り組む案件を控えて、内部分裂ですか」

『マジでとんでもないことをしてくれたよ』


 随分とやつれたような、そんな声色。あの超人が、たった一日足らずでここまで逼迫させられているのだから、彼らは一体何者なのだ?

 すると、間もなく駅のホームにライトレール到着のアナウンスが響く。


『……現状、手掛かりは黒田(そいつ)だけだ。とにかくお前はそのまま追え。何か動きがあったらすぐに知らせろ』

「了解です」


 アナウンスが終わる頃には、通話は切れていた。話を断片的に聞いていたらしい飛鳥馬は、いつも通りの無表情だが、やや緊張しているのは伝わってきた。


「君の望み通り、忙しくなりそうですね」

「人聞きの悪い言い方をするな。まあ、道案内よりは役に立てそうなのが事実なんだがな」


 やがて到着するライトレールに、俺達は軽口とは裏腹な覚悟をして、乗り込んだ。






『島の外に出られると、単純に捜査に時間が掛かる。こっちに移送する訳にもいかないしな。危険な魔術師(メイジ)を野放しって時に、内と外じゃ大違いだ。それに、島にいるっていう閉塞感も、取り調べじゃ割りと違うんだよ』


 こちらから投げ掛けた疑問に、イヤホンからはそんな答えが返ってきた。

 千万島のライトレールは、環状運転である。形状は円形とは程遠いが、商業区である三区のレールは、島の玄関口である二区と繋がっており、この区間は、特に観光客が用いている。

 例の男、黒田亘がそのまま次の一区へと乗り過ごせば良かったのだが、彼は二区で降車した。二区は、港と物流の区画。千万港直結の駅で降車する理由は、そのほとんどは、定期船への乗船が目的だ。

 よって、黒田の目的も島外へ出ることだと、そう予測するのは簡単だった。


『だが、連絡船を止めることは出来ない。出島停止措置もだ。現状、奴は逮捕状も下りてない一般市民で、調査室もそこまで強権じゃない。当然だがな』


 千万港のロビーは、大型の空港のように整然とした造り。出入島には個々に手続きが必要であり、現在、黒田はその手続きを進めていた。夜間は連絡船の運航ダイヤも減るのだが、あと三十分もすれば、船が出る。それがタイムリミットである。

 そんな状況を説明すると、飛鳥馬はこう纏めた。


「つまり、船が出るまでの残り三十分以内に、逮捕に足る証拠を集め、出島を阻止しなければならない、ということですか」


 港のロビーには、疎らに人気はあるのだが、念の為、俺達は彼に見つからないよう、二階の吹き抜け部分から彼を見下ろしている。


「室長から連絡がありました。先輩方は主任と合流し、車でこちらへ向かうそうです」

「分かった。とは言っても、俺達がここにいても何も出来ないんだが」


 現在、黒田亘に不審な動きはなく、雲隠れしたという支部長一派と連絡を取った素振りもない。となると、彼は“黎明の陽射し”とは全くの無関係だったのだろうかと、そんな考えが頭を過る。あの場ですれ違ったのも、単なる偶然か。


『あんまり急かしてくれるなよ。こっちも大変なんだぞ』

「今は何を調べているんですか?」

『奴の行動を遡ってる。島に来た三か月前までな。ネットで稼げる奴はいいね、どこでも職場に出来て。ほとんどホテル暮らしだぞこいつ』


 礼華さんとの通話はイヤホンに接続し、先程から繋ぎっ放し。なお、通話料金については、これは“被検体”として与えられている携帯電話なので、気にしていない。久々原さん持ちだ。バッテリー切れは心配だが。


「移動するようです」


 飛鳥馬の声で改めて男を見ると、彼は手続きを終えたらしく、スーツケースを預けてロビーを進んでいく。


『搭乗口か? つっても、修司達にそこまで追ってもらうなら、港側にも話を通さないとな』

「いえ、そっちではなく、一度外に出るみたいですね」


 こちらの予想に反し、足取りは入り口の自動ドアへと向かう。視界に入らないよう、後ろから追う格好で階段を下っていく。


『外って、港の外か? その近くだと、正面にでかい広場があるのと、あとは港湾病院かビジネスホテルがあるくらいだろ』

「搭乗手続きは済んだようなので、後者ではないでしょう。時間を潰すつもりかも知れません」

『だといいね。注意して追ってくれ』


 了解です、と応答してあとを追うと、やはり、彼は港の前にある広場に向かう。玄関口である千万港に隣接し、言わば、島の顔とも言える港前広場は、都会的な街並みの中で広々とした、洗練された景観だ。多くの者がこの島への期待を胸に訪れる場所で、彼は、暗い夜空に煙草の煙を吹かし始めた。


「……何だか、寂しげですね」


 寂しげ。そう、寂しげだ。昨夜、すれ違った際にも感じた。心残りとも違う、何かを喪ったような、寂しげな表情。なぜ、そんな表情を浮かべる?

 この時、ふと理解した。


「礼華さん、接触します」

『あ? おい待て、接触って黒田にか!?』

「多分、話を聞けます。通話は繋げておきます」


 通話状態のまま、携帯電話を胸元のポケットにしまう。最初は『待て!』やら『おい!』やら喚いていたが、それも次第に止んでいく。どの道、こうせざるを得ないのは分かっていただろう。

 夜の広場に、煙草の煙が揺らめき昇る。飛鳥馬は何も言わずについてきている。俺は男の背後から、しかし、警戒されないよう、十分過ぎるほどの距離を空けて口を開けた。


「ここは禁煙区域ですよ」

「ん……そうなのか。最後に島を見ておこうと思ったんだが、それは済まない。近頃は肩身が狭くなった」


 そう言いながら、黒田は、取り出した携帯灰皿に煙草の先端を擦り付ける。声には覇気というか、芯がなく、疲れているような、ともすれば、船の上で消えてしまいそうな雰囲気さえした。


「煙草の煙こそが最も喫煙者を苦しめているのでは?」

「……ああ、上手いことを言うね。まあ、自然にやめられるようには出来ていないものだ。そうしたものを広めておいて、今度は勝手に吸えなくなる、そういう理不尽を分かってもらいたいんだな、きっと」


 彼は、世間話のように口ずさむ。この格好を横目に見て、慌てる素振りがなかった。


「それで、何の用だろう。調査室の……いや、その徽章は調査分室か」

「その通りです。昨夜以来です、黒田亘さん」

「昨夜? ……そうか、あの時の」


 そこでようやく、黒田の顔に警戒が浮かぶ。


「……悪いけど、話すことは何もない」

「そう前置きするということは、色々と知っているようですね。昨夜の襲撃や、『鎖』に、墜落事故についても」


 腹の探り合いであれば、こちらは、あの人の好さそうな笑顔を貼り付けた腹黒“管理者”を相手に、日常茶飯事である。彼相手なら、巧いこと煙に巻かれるところだろうが、黒田からは、そんな気配は感じなかった。互いに無言の時間が進み、しかし、僅かな間に耐えきれなかったのは、彼だった。


「……どいてくれ。確か、分室には逮捕権がなかった筈だ。これは任意聴取だろう?」

「その通りです。あなたに手を出さないことは約束します」

「それはつまり、どういうことかな?」

「この距離は必ず保ちます。なので、その安全な立場から少し、話に付き合ってみませんか? 船の時間までの暇潰しにでも」

「……ハハッ。なるほど、大胆不敵な青年だ。いいとも。どうせ、私の素性が掴まれている以上、海の向こうで、もっと態度の悪い相手に同じことをするだけだろうしね。まだ若者と話せるなら、そうしよう」


 これは、交渉だった。イヤホンからは礼華さんの声は聞こえないが、静観を決めたらしい。まずは順調、ここからは慎重に。


「ただ、彼らについては話せない。それでもいいなら付き合おう」

「……そうですか。では、こちらの考えを聞いてください。相槌も、したくなければ結構です」


 ()()()()。意図的か無意識的かは分からないが、その言葉を口にするだけの意味を、俺は既に察している。


「結論から言いますが、あなたは、反魔術(マギア)思想団体、“黎明の陽射し”千万島支部の内情を、ある程度知っています。ですが、昨夜の一連の件と直接的な関係はなく、恐らく、彼らとは仲違いをしています」


 この推論は、こちらの考えを整理するのと同時に、礼華さんと飛鳥馬に聞かせる意図もあった。丁寧に順序立てていく。


「こうして島から出ようとしているのに、焦る素振りがなかったのが不思議でした。昨夜の時点で、あなたは支部に向かった調査室職員を目撃していましたから、自分が捜査対象になることも考えたでしょう。この段階で考えられるのは、あなたは彼らの内情をまるで知らない無関係な人間か、もしくは、彼らの裏の顔を、そして、職員を襲撃して口封じを果たす計画までを知っていたかのどちらかです。当然、前者でないことは、今の反応から窺えました」

「……なるほどね。後者なら、私は、君達がてっきり死んだものだと思い、自身に捜査の手が及ぶことを考えず、のこのこと島を出れると思い込み、だから焦っていなかったことになる」


 相槌は不要とは言ったが、あるに越したことはなく、声の抑揚、口調の速さ、休符の長さ、言葉選び、そうした話し方一つでも、得られる反応は異なるもの。一方的に語るだけでなく、これは説得であり、対話であることを意識する。


「一方で、現在、支部長一派は行方が分からなくなっています。IDにも痕跡を残していません。明らかに調査室を警戒した動きです。にもかかわらず、あなたはライトレールを使い、乗船手続きを終え、堂々と履歴を残している。彼らの内情を知っていた、言わば仲間同士で、行動に明らかな食い違いがある。これにも二通りの理由が考えられます。一つは、支部長一派は、あなたとの繋がりを探られることはないと高をくくっている可能性。支部を訪れた職員を消し、彼ら自身も姿を眩ませれば、あなたとの繋がりを示すものは何もなく、わざわざ、あなたにまで痕跡を残させまいとする必要はないと考えたのなら、辻褄は合います。ただし、これは不自然でしょう。彼ら自身は姿を消す周到さに対して、あなただけ無警戒というのは」

「どうだろうね。彼らの囮として、わざと目に留まるよう動いたかも知れない」

「不要です。事情を知るあなたを泳がせるリスクに対し、得られるメリットが皆無です」

「では、彼らにとって、私はそこまでの存在ではないんだ」

「職員の襲撃計画まで知っているあなたに対し、その程度のリスク管理しか出来ないのなら、ここまで後手には回っていません」


 同じ理由から、いくつかの可能性も捨てられた。組織的に未熟で統一されていない、または、何らかの理由から別行動をしていたが行動が徹底されていなかった、といった、要するに、楽観的な見方は全て排するべきだろう。


「残る可能性は、そもそも、あなたと彼らで連携を取る関係にないこと。つまり、仲違い。不和が生じている可能性です。だから、姿を隠すという慎重な行動に移った彼らに対し、それを知る由もなく、焦ることもなく、普段通りに移動していた。それに、どうせ逃げるなら昨夜か、今朝にでも島を出られたでしょうに、今晩まで待つ必要がありません。推測ですが、職員の襲撃か、航空機墜落か、あなたはどこかの時点で彼らに賛同出来なくなって、決定的な仲違いをするに至った。そして、本当に計画が実行されたことを報道で知り、島を去るべきかどうかを悩み、最終的に、見て見ぬ振りをして島を出ることにして、次の便に乗ることになった」


 支部のエレベーター前ですれ違った際の、彼の曇った表情。あれには、襲撃計画を知りながらも、何もせずに立ち去ることを選んだ彼の、後悔や、後ろめたさが含まれていたのだ。そう考えれば、納得がいった。


「ですが、仲違いをしたからと言って、あなたを解放する理由にはなりません。内情を知っているのだから、警察に駆け込まれでもしたら困る筈です。あなたからしても、彼らの行いに賛同出来なかったのなら、直接でなくとも、匿名での通報なりで計画の阻止を考えるでしょう」

「そうかな? もし私が君の考えの通り、彼らの事情に精通していたとして、元は仲間の彼らを必ずしも裏切るとは限らないのでは?」

「あるいは、あなた自身に何らかの罪の自覚があれば、全てを黙殺して忘れようとするかも知れませんが、もっと現実的というか、もっと効果的に、もっと確実に、あなたに沈黙してもらう方法があります。脅迫です」


 支部長一派との関係性は知らないが、仮に、黒田が『警察には絶対に言わない』と口にしたところで、彼らがそれを鵜吞みにするかと言えば、ほぼ確実に、しないだろう。何せ、調査室を敵に回すことも厭わない連中だ。そんな彼らが取り得る方法で、中でも、()()()便()()ものが、脅迫。


「内容は、多々あるでしょう。肉体的な報復を約束するものか、地位や金銭面を脅かすものか。何が効果的かは人それぞれで、これは一概には言えません。ただ、個人的に、最も汎用性があり、最も効力のある、最も下劣と考えられる脅迫というのが、一つだけあります。恐らく、支部長一派も、それをあなたに迫った。だから、あなたは何も対抗出来ずに、島を去るしかなかった」

「……ここは、便宜的に聞いておくべきかな、それが何なのかを」

「人質。違いますか?」


 その推測に、彼は何も言わなかったが、背後の飛鳥馬や、イヤホン越しに礼華さんも、息を呑んだような気配がした。


「……聞く限り、彼らの計画は順調のようだね。君が、なぜかここにいること以外は。一緒にいたあの女性も無事ということかな?」

「はい」

「そうか……どうやら、昨夜には大きな誤算があったようだが、それにしたって、まるで見ていたかのように話すものだね。昨夜と今しがた、たった二回私を目にしただけで、本当に今の推論を組み立てたのか?」

「ある時点での姿から前後を推し量るのは、物理学の世界ではよくあることなので」

「なるほど、調査分室か。魔術(マギア)の専門家と呼ばれる訳だ」


 黒田は、そう納得したものの、降参や、観念した様子ではなく、ただ、ある程度はこちらを認めたような、そんな雰囲気で、含み笑いを浮かべていた。


「慌てていない様子からして、この場を監視されている訳ではなさそうですね」

「監視なんて要らないんだよ。私に構うほど彼らも暇ではないし、実際、私にそんな度胸がないと分かっているんだ」


 人質なんて取られれば、普通は動けなくなるもの。その人物が大切であればあるほど、『もしも』を恐れてしまう。現実に、それでも立ち向かおうとする勇者がいるなら、それは、彼が考える頭もないくらいの馬鹿であるか、人質への思い入れが薄いだけであろう。この行動に、勇気はない。


「君に、大切な人はいるかね?」


 いません、と答えてもいいのだが、何となく、この会話を聞いている二人に聞かれたらまずいような予感がした。寒気というか、無言の圧というか。

 それに、俺は誰かを大切に思うことはなくとも、誰であっても大事にしたい。人に特別な興味はないが、人が嫌いなのではない。助けられるなら、助けたい。手の届くだけでも。


「それは、返答に困りますね」

「私はね、怖いんだ。とても。人間はいつかいなくなると、生と死を理解した()()()でもね、この『怖さ』は、そんな道理じゃ推し量れないよ。日々をのうのうと生きて、たまに映画か何かで人の死を見るくらいじゃあね。嫌だと、感情が拒むほどの『怖さ』が、もうずっと、心から離れないんだ」


 心臓を鷲掴むかのように、彼は自身のシャツの胸部分を強く握り締めていた。

 感情は、心拍数を変化させ、実際に心臓の鼓動を変える。身体に鞭を打つのだ。逃げろと。あるいは、戦えと。そのどちらもが出来ず、()で雁字搦めになるから、人は苦しむのである。


「だから、私は何も話せない。この会話が彼らの耳に届いてなくてもだ。君は推論を口にしただけに過ぎない。洞察力は、恐らく大したものなのだろうね。でも、私の懸念は、何一つ取り除かれていないことを忘れるな」

「そうですね。言った通り、話を聞いてもらっただけです。ですが、こちらにも譲れないものがあります」


 さて、ここからが本題だ。


「譲れないもの……?」

()()が何だったのか。いえ、何が目的だったのか。根拠はありませんが、今の話で確信しました。ただの悪い、俺が勝手に考えていた最悪のシナリオを実行するだけの覚悟が、彼らにはあることを」


 言い回しをやや妙に感じたのか、黒田は訝しげにこちらを見ていたが、これは、まだ通話状態にしてある携帯電話の向こうにいる礼華さんへと、どちらかと言えば、伝えるつもりだった。


「調査室職員の襲撃。あれは捜査の阻止が狙いでしょう。支部への墜落事故。あれは証拠隠滅が主目的だと思われます。ですが、どちらも()()()()()()()ことでした。正確には、もっと事を小さく出来ました。わざわざ襲わずとも、知らぬ存ぜぬを貫けばいい。証拠隠滅であれば、持ち出して処理すればいい。そう出来たのに、そうしなかったことを、試しているようだと感じた人がいます」


 一応は、名前を伏せて。通話口の向こうでも、誰が聞いているのか分からないのだ。


「試したのであれば、本番があります。姿を消したのは、逃げたのではなく、備える為。あなたは、これから行われることにこそ賛同出来なかった。脅迫までされたのは、支部長一派には、どうしても阻止されたくない計画が控えていたから。職員を襲撃するという、長期的に見れば短絡的に思える行動も、それまでの時間稼ぎです。彼らには、ある計画があります」

「……なるほど、興味深い推測だ。でも、一体どんな計画だね?」

「反魔術(マギア)


 黒田が、言葉では共感しつつも、内心では侮っているような口調で話すものだから、俺はバッサリ切り込んだ。『根拠はない』と発言したが、それはただの事実であって、決して、自分に自信がないからではないのだ。


「支部長一派の思想は反魔術(マギア)です。一方で、彼らは魔術(マギア)を使ってこちらを襲撃し、航空機を墜とした。おかしく思いましたが、あれらが一つのテストだったとしたら、とある筋書きが浮かんできます。つまり、同じか、もしくは、より大規模の襲撃を、魔術(マギア)を使って起こそうとしている。なぜか。反魔術(マギア)の為です。反魔術(マギア)を目論み、魔術(マギア)を用いて、大事件を引き起こすつもりでしょう」

『おい、まさか……』


 これまで静観していた礼華さんが、思わずといった雰囲気で口を挟んできたが、構わず、結論を述べる。


魔術(マギア)を用いた大規模無差別テロ。それが、彼らの目的です。そうですよね?」


 この結論を、彼は、突飛に思ったのかも知れない。返事がなかったのは、言葉が見つからなかったのだろう。そんな様子だった。


「ちょっ、ちょっと待ってください……先程から言ってる『墜落事故』って、昨夜の、あの事故のことですか?」


 そういえば、飛鳥馬には教えていなかった。というか、勝手に話してしまったが、まあ、後の祭りか。


「あれはポルターガイストによるものだ。証拠はないんだが」

「……では、次はもしかしたら、もっと大型の旅客機が、今にも、多くの人がいる場所に墜とされるかも知れないということですか!?」

『チッ……マジでテロかよ。当然、世間の魔術(マギア)に対する心象は最悪。反魔術(マギア)の思う壺だよな』


 この世界は一度、魔術(マギア)への恐怖による大混乱に陥っているのだ。その際は、幸いなことに、すぐに混乱は収束しているが、再びそれが起きた場合、どうなるかは分からない。いや、恐らくは、その時には抑圧された感情が、数年経って弾けることになるのだから、碌なことにならないことだけは察しがつく。


「……譲れない、というのは、この島の平穏か」

「それも少しはありますが、単純に、助けたいだけです。手の届く範囲にいる人を」

「はは。そうか。君は強い人間だな」


 それは、どこか嫌味に聞こえる言葉であった。


「私は弱いんだ。苦痛に耐えることも、変化にも、逃げることばかりを選んできた。(ほう)(しょう)()(じゃく)だの、意志薄弱だのと思われようが、怖いことはしたくないし、誰かの怒りを買うなんて以ての外だった」

「それは当然でしょう、誰であっても」

「いいや。他人に縋らず、自分を貫き通す。私を言いくるめたりせず、言い訳もせず、自分の間違いも欠点も、あまつさえ、私の弱さすらも平気な顔で認めているような、そういう者を前にすると、私は酷く惨めでね。分かるだろう?」


 問い掛けておいて、彼は、まるで同意を求めていなかった。こちらの気持ちなんて分からないだろうね、とでも言いたげではないか。


「世の中には、逃げたければ逃げてもいい、みたいな姿勢を、さも綺麗事のように語る風潮があるだろう? そんなメッキ仕上げの張りぼてな言葉を有難がるのは、君らみたいに強い人間だけであって、逃げた者は、酷く惨めな己をずっと後悔するんだ。そうして、心の揺らいだ弱い人間を、強い人間が惑わすんだよ。それでいいんだと。自分は味方だと。彼らの自尊心を満たす為にね。世の中は、そういう風に出来ている」


 それは、言うなれば、心の弱肉強食であろうか。弱いものが強いものの糧になる。そんな自然の摂理。弱者の救済。弱い者を見捨てない。そうした『善意』は、人間に心があるから生じるものであって、心が生物としての()()の一部に過ぎないならば、心も結局は、生物として従うべき自然の摂理には抗えない。


「それで、君は私に何を求めるのだろうか。君の『譲れないもの』の為に、私はこの恐怖を君に委ね、心を明け渡して、君の慰めを受け入れて、改心すればいいのか? ああ、そして私は、また逃げればいいんだね。この恐怖が、ずっと続く苦しさが、全部なくなると思うと、私はやはり、嬉しいよ。頭では、なんて惨めだと思っていながら、早く、この苦しさから解放されたくて仕方がない。それが、弱い人間の心なんだから」


 と、ここまでほぼ一方的に語るものだから、口を挟む隙がなく、彼が語り終えて、やや間を置いて、終わったことを確認してから、俺は答える。


「こちらとしては、特に何も求めるつもりはありませんが」


 淡々と告げると、彼は「……何?」と意表を突かれたようだった。


「最初に言ったように、話をしただけです。向こうの計画についての確信を得られたので、それで十分でした」

「なっ……いや、だって、彼らは無差別テロを企てているんだ、まさか、野放しにする気か!?」

「それは阻止します。どういう形で人質を取られているのかは分かりませんが、それもなんとかします。ですが、無理に協力は迫りませんし、あー……まあはっきり言うなら、あなたの罪悪感については、どうでもいい」

「……は」


 これまでは、努めて寄り添う話し方にしてきたが、そろそろ、それも不要だろう。


「今の理屈に文句はありませんが、一つ言うなら、俺は『強い人間』ではありませんよ。弱っている人を見て、見て見ぬ振りが出来ない善人でもありません。テロに巻き込まれるとか、人質に取られただとか、そういう理不尽は見過ごしませんが、転んだくらいで手を差し伸べる気はありません。あなたの心とやらがどんなに悲鳴を上げていようが、俺は無視します」

「それは、だから……君が強い人間だから、弱い人間の心が分からないだけだろう……!」

「別にそれでも構いませんが、強い人間は弱い人間を助けるべき、みたいな理屈に勝手に巻き込まれても、何もしませんよ」


 自身や他人を強いだの弱いだの、どう思おうが自由だが、こちらとしては、どうでもいい。強いも弱いも、例えば、男や女、背が高い背が低い、といったのと同じことで、では、男だから女だから助けるとか、背が高いから背が低いから助けるとか、俺にはそんな認識でしかない。そんなことで動いてたまるか。


「ついでに言うと、わざと突き放して心変わりさせよう、みたいなことも特に期待していません。あなたには何も求めていません。協力する気になるなら助かりますが、なければないで、どうにかします。どちらでもいい」

「……それが、君の言う『譲れないもの』か? 弱い人間を見捨ててまで、島の安寧を取ると!?」

「そうですよ。というか、どちらも同じで、対等に扱います。その時、理不尽かどうかが違うだけ。今、本当に助けるべきは人質の方であって、あなたじゃない」


 興味がない。無関心。それが、俺の原動力なのである。


「……無理だ。救えない」

「当て付けですか?」

「そうじゃないっ……! そうじゃなくて」

()()()()()()のだよ」


 不意に、知らぬ男の声が、闇夜に届く。


「っ……! 止まりなさい、さもないと」

「『さもないと』? やれ」

「まっ、ずいッ……!」


 飛鳥馬の行動は、ほとんど反射的。突然の闖入者に対し、彼女だけが携帯を許されているテーザー銃を、腰のホルスターから引き抜こうとしたのだ。だが、現れた男は、たったそれだけを不愉快そうに、くいっと顎を向けると、直後、彼女に向かって、何かが一直線に飛来する。その正体が、石かコンクリートか、何にせよ、拳大の石片だと気付いた頃には、俺は、飛鳥馬の腕を引き寄せていた。

 間もなく、頭に響く鈍い衝撃。頭蓋に伝わる強烈な振動が音の一切を掻き消し、揺さぶられた脳の電気信号が一瞬途絶すると、次は、痛覚の信号が怒涛に流れ込んでくる。鈍器で殴られたような痛み、とは、これのことだ。脳の混乱を伴う激痛である。

 ただ、僅かに意識を失いつつも、何とか踏みとどまり、「京君っ!?」と金切り声を発した飛鳥馬にも支えられていたことに、ややあって気付いた。


「フン。此奴と話をつければ済む。黙って見ていろ」


 まるで、そうすれば見逃してやる、とでも言いたげな男の横顔を睨みながら、しかし、頭を押さえている手がぬるりと湿って、視界は赤く染まっていた。


「天花寺……! “黎明の陽射し”の支部長が直々か……」

「その肩書きは既に不要となったがな。今はただの、貴様の友だ」


 その男の声は、例えるなら、毒。気味のいい、低く柔らかな声色が、すっと耳に入ってきて、妙に頭に残る。言葉の一字一句が嫌味たらしく挑発的で、だからこそ、意識の隙間に、奥深くへと、易々と侵入するのだろうか。


「『友』だと……? よくも、そんな戯れ言をぬけぬけと……!」

「そう睨むな。私には貴様が必要だったのだぞ」

「必要だったのは、私の知識だけだったろう!」

「それでも感謝するべきではないか? 貴様は己を弱いと蔑み、強いと感じた者に依存してきた。寄生させてやったのだ。我々に必要とされて、さぞ満たされたことだろう?」


 目に入った血を拭って、ようやくしっかりと見られた。黒っぽいチェスターコートに革靴、中折れハットを被って、フォーマルな杖を突く、がっしりとした体格の男。壮年の顔つきは彫りが深く、眼光は威圧的。『天花寺』と呼ばれていたが、彼が、例の支部長であろうか。

 さて、状況はまずい。何より、あのポルターガイストだ。こちらは昨夜、文字通りに手も足も出なかったし、下手に刺激をすれば、次こそ飛鳥馬を庇いきれないかも知れない。“再生”の露呈を承知で突っ込むとしても、動きを止められてしまえば、それまでだ。どうにも相性が悪いのだ。ああいう類いの力とは。


「飛鳥馬、前に使ってた閃光弾とか持ってないか?」

「いえ、あれはパトロールでは許可が……それより京君、血が……」


 心配そうな表情の彼女に、大丈夫だ、とだけ答えて何とか立ち上がるが、痛みと流血で足がもたつく。ふらふらと揺れる身体を飛鳥馬に支えられた様を情けなく見たのか、天花寺は、横目に見てほくそ笑んでいた。


「まあ、便利な力であることは認めるが、故に人は堕落する。神が気紛れに与えた玩具でつけあがって、やはり、これは人には過ぎたものだな」

「天花寺っ……その力をこれ以上悪用するな! それは、あの子のものだろう!」

「悪用だと? 何を誤解している。それが()()()()()だ。そうだろう? 月城(つきしろ)(かなで)


 月城奏。それが人の名だとすぐに分かったのは、天花寺の陰に隠れるように、一人の姿があったからだ。頭から足先まで、一切の肌を暗い色合いの長い外套――衣服というより、大きな布を被ったような状態――で覆い隠して、目深に被ったフードの暗闇から、長々と垂れるぼさぼさの前髪の奥に、辛うじて素顔を覗けるが、生気を感じさせない、死人のような雰囲気。物言わぬ傀儡、とでも述べられるのだろうか。

 だが、そんな姿にも、情のある目を向ける者がいた。


「奏……本当に、昨夜のあれは、君が……」

「その通り。その本人が、貴様に会いたいと言うから連れてきてやったのだ」

「私に……?」


 信じられなさそうに驚く黒田だが、同時に、どこか嬉しそうでもあって、奥の少女に向けられている目線には、期待が込められていた。

 それが誤りだと、疑いもせず。


「違うッ……目的は()()()だ!」


 叫ぶが、遅かった。黒田はこちらの意図をまるで理解せず、ただ茫然と、順にこちらと、月城奏を見やった。その頃には、気付けば、彼と少女の間に、銀色のナイフが浮かんでいた。

 駆け出す。自分から滴った血で一歩目をやや滑らせて、それでも走ったが、遠過ぎた。手を伸ばしても、全く届きそうにないほど先で、ナイフの切っ先が、ずぶっと、黒田の胸にめり込んでいく。刺さったというより、刺されたような光景。それが、目に見えない力によって、ひとりでに行われた。

 であれば、足を止めずに、そのまま天花寺へと突き進む。彼らの目的が果たされた瞬間こそ、唯一の突破口だと思った。逡巡はなかった。ここで食い止めなければ、無差別テロまで、手掛かりがない。強引にでも、捕えなければならない。足の筋肉に全力を込め、石畳を蹴った。

 幸い、ポルターガイストには一つだけ弱点がある。行使には位置情報が必要、という点だ。話からして、ポルターガイストの魔術師(メイジ)は、あの月城奏という少女。彼女の視界から隠れるように、天花寺を陰にして走れば、直接的に使われることはない。彼我の距離は二、三十メートル程度。数秒で届く。

 だが、彼らも当然、反応した。自身の弱点くらいは把握していたろう。視界から隠れるように走るこちらへ、天花寺は驚いたのか、目を見開きながらも、しかし、的確に杖を投げてくる。それはヘリコプターの羽のように回転し、ほとんど眼前で投げられたものだから、避ける間もなく、咄嗟に腕を構えて防ぐ。変哲のない杖だ。バシッ! と、痛みこそ、先の石礫に比べて大したことはなかったものの、ほんの僅かに怯んでしまい、次に彼を視界に収めた頃には、背後の月城奏がこちらを目視し、今度はまた別のナイフが、銀の刃を向けて飛んで来るところであった。

 然れど、突如として、ぐいっと腕を引かれ、刃は眼前を通り過ぎる。


「一人で突っ走らない」

「……悪い、助かった」


 止まる気配のない頭の出血で濡れた瞼を掌でグイっと拭って、飛鳥馬がじっと視線を向ける先に、踵を返して早歩きで去ろうとする大柄な背中と、顔だけはぼーっとこちらを見ながら、半身のような体勢のまま歩く少女の姿。


「追うべきですか? 下手に刺激して、取り返しのつかない結果になったら……」


 言われて、ふと思う。航空機を上空から引き摺り下ろせる力があるのに、先程から、大したことをされていない。試す必要は、もうない筈だ。最初の礫は飛鳥馬への警告だったとして、俺にナイフ一本を差し向けるくらいなら、服ごと引っ張って上空にでも放り投げればいい。確実に殺せる。調査室の職員を殺せて、分室を殺せない訳がない。

 つまり、出来ない? 何らかの条件があるか、それとも、最初から全力を出すことは出来ない? だから、試運転が必要だった?


「いや、今ならいける。ナイフや何かを飛ばすので精一杯なんだ」

「本当ですか?」

「多分」

「……分かりました。信じますからね」


 その台詞を合図に、二人で同時に駆け出した。飛鳥馬は、かなり足が速い。とはいえ、こちらも瞬発力には自信がある。彼らとの距離は、あっという間に縮まる。


「きてる」

「くそッ、これだから狗どもは……! 止めろ、絶対にこちらへ近付けさせるな」

「どう、やって?」

「……何でもいいから放り投げろッ! 木でも石でも、その辺にあるもの全部だ!」


 天花寺の怒鳴り声を切っ掛けに、傍らの少女は立ち止まり、周囲の木立からバキバキと音が響くと、無理に裂かれたらしき腕くらいの太さの枝が、ささくれ立った方を先端にして飛来する。鋭利ではないものの、速度があるので、肉くらいには軽々と突き刺さるだろう。


「二手に分かれる。俺が注意を引く。飛鳥馬は反対側からテーザー銃であの魔術師(メイジ)と止めてくれ」

「……了解です」


 少々異論がありそうだった彼女は、それでも、それを吞み込んで、左右で別れた。こちらは左へやや迂回しながらも、ほぼ直進して矢面に立つ。

 木の枝の即席槍は、全く問題にならなかった。ナイフと違って、先端から刺されない限りは、特に危険ではないからだ。速度はあるものの、単調な軌道しか描けないようで、時に躱し、時に掴み、時に叩き落して、魔術師(メイジ)の少女に肉薄していく。回り込むようにして近付く飛鳥馬から注意を逸らす為だ。

 テーザー銃――簡単に述べれば、銃の形をしたスタンガン――の射程距離は、ワイヤーを射出する都合上、よくて十メートル。可能なら、もっと接近するべきだろう。つまり、こちらもそれほどには肉薄しなければならない。まだ先だった。

 とはいえ、港前広場は、清掃の行き届いた公園である。また、看板やダストボックスといったものも設置されておらず、要するに、ポルターガイストで操れる物が、ほとんどない。目に見える物を軒並み操る脅威的な力だが、物がなければ、宝の持ち腐れ。飛ばせるだけ、コインの一枚でも、宝ならまだマシであろう。思った通り、今の出力は、なぜか昨夜の一パーセントにも満たないくらいで、精々、成人男性一人分の力、といった程度だ。理由は分からないが、この好機を逃す手はなかった。

 ほぼ目と鼻の先まで迫り、『月城奏』と呼ばれた少女の、フードの奥が見えるほどまで近付いた。それでも、なおも少女の顔には、焦燥も、敵対心も、何の感情の色も窺えず、青白い不健康そうな肌に、唇や頬はがさがさで、目が合っても、まるで焦点が合っていないような、不気味な姿。胸や肩の上下で辛うじて呼吸を感じて、ようやく生きていると察した。

 分かった。この少女が、『被検体』だ。

 すると、またしても、ぐいっと身体が引っ張られる。今度は飛鳥馬の仕業ではなく、服ごと横に水平移動させられたような感覚は、昨夜と同じ、ポルターガイストだと直感する。しかし、抗えないほどではなく、やはり、出力が段違い。唐突にやられたので、体勢は崩されたが、これならば、誰かに服を引っ張られて、じゃれつかれているくらいの感覚であり、動けない訳ではなかった。

 だが、それで十分だったのだ。


「動くな」


 またしても、知らない男の声がしたと思った直後、俺はガクッと膝を折られて、気付いた時には、後ろから首を絞められていた。チョークスリーパー、裸絞め、等と呼ばれる、腕で気道を押さえる拘束技。


「そこの女も止まれ。動けばこの男の首を折る」


 こちらより、一回りも二回りも太い腕。背中越しでも伝わる体格の良さ。天花寺でも、勿論、月城奏でもない、また別の誰か。

 しかも、この男、見様見真似でなはい。気道を押さえ込まれ、呼吸も、言葉も碌に発せられず、もう視界がぼやけてきていた。腕を引き剥がそうにも、酸素が不足して、力が入らない。足から力が抜けていくと、苦しさからじたばたと、無様に足掻くも空しく、次第に地面へと押さえ込まれてしまう。


「暴れるな。本気で折るぞ」


 折ってみろ、と言いたいところだが、死なないにしても、“再生”は拘束を解く力ではない。折られて、戻って、また折られて、の繰り返し。意味がない。


「銃を捨てろ。地面に置いて遠くに蹴り飛ばせ」


 捨てるな、と目で訴える。飛鳥馬は、俺が死なないと知っている。順序は変わるが、この男をテーザー銃で無力化してから、その後、月城奏を押さえればいい。まだ、挽回は出来た筈だった。

 ただ、俺は何となく、彼女がどうするか、分かってしまった。


「……分かりました。危害を加えないと約束してくれるのなら」

「いいだろう」


 飛鳥馬が、テーザー銃を蹴り飛ばす。銃にしては軽々と、カラカラと地面を滑っていくそれを見届けると、男は腕をふっと緩め、身軽な動きで離れる。急に解放された気道に空気が流れ込んで、ごほごほと咳き込み、それが収まった頃には、男も、月城奏の姿も消えていて、地面に突いた掌から、地面の冷気が伝わってきた。


「京君!」


 駆け寄ってきた飛鳥馬は、絞められていた首に手を添えてくる。


「……悪かった、油断した」

「違います……! 私が勝手に解放しろと、君の言いたいことも分かってたのに……」

「いいんだ。助けられたな。前の逆だ」


 責める気はなかった。本心だ。首に添えられている彼女の手を、軽く二回叩いて、ぼんやりとしていた視界が定まるのを待った。

 完敗だった。呆気なく、無様に。






 すぐに戻ると、倒れた黒田と、転がったワイヤレスイヤホンが目に留まる。最初の攻撃で耳から外れていたのか。道理で静かだった訳だ。


「礼華さん、天花寺を取り逃がしました」

『状況は分かってる。検問を敷いた。ただ悪い、検問優先で分室(そっち)の手も借りちまったからな。応援に手を回せなかった』

「いえ、逃がしたのは俺の失態です。すみません」

『いや……ま、あまり気にするな。それより、黒田はどうだ? 救急は手配したが』


 礼華さんにしては珍しく、気遣ってくれたのだろう。とはいえ、いつもの彼女と比べて口下手な台詞には気付かない振りで、俺は気を引き締める。


「腹部中央への刺創です。深さは恐らく十センチ以上、本人は意識昏迷の状態。出血量は……かなり。地面に流れているくらいです」

『服が多少吸ってるとして、百か二百ミリ弱ってところか。少しマズイな』


 一般的に、出血量が一リットルを超えると、所謂、出血性ショック状態となる。無論、体格でこの目安は増減するのだが、せめて、あと十分以内には止血、及び、輸血が必要だろう。

 不幸中の幸いか、二区には大型病院がある。定期船内での急な体調不良や感染症に備えなければならないからだ。狭い区画なのも幸いで、そう絶望的な状況ではない。


「京君、応急手当は」

「刺創の場合は止血くらいしか出来ないな。タオルでもあればいいんだが」

「あります、ハンカチですけど。使えますか?」

「いいのか? 汚れるが」

「その為に用意していたんです。私も押さえましょうか?」

「いや、素手だと感染症がある。気持ちだけで十分だ」


 俺も、ハンカチの一枚くらい携帯しておくべきか。ともかく、ナイフが刺さったままの傷口を包み込むように、灰色のハンカチを這わせる。痛むだろうから、圧力はほぼ掛けられないが、ないよりはいいだろう。傷を空気に触れさせないことが大切なのだ。

 ちなみに、俺には感染症も効かない。正確には、体内で細菌は増殖するのだが、症状に出ない。まあ、そのままだと歩く病原体なので、今夜も、あとで知り合いの博士の厄介になる必要があるが。


「あれが、奏か……」


 俺達は、喉を嗄れさせた彼を見下ろす。どうやら、ハンカチの振動だけでも痛んだようで、意識がはっきりとしたようだ。


「喋ると痛むのでは?」

「痛むよ……ハハッ、痛い。普通に暮らしてると忘れるけど、痛いというのは、こんなに辛い感覚だった。それを私は、あの子に強いた。恨まれて当然だ」


 血濡れた自身の掌を、後悔を滲ませながら眺めている彼に、俺も飛鳥馬も、返す言葉を見つけられなかった。


「……人質は、あの魔術師(メイジ)のことだったんですか」

「ああ……あの子にね、私は、自由を与えたかった。天花寺の元で、研究を強制させられ、私も、それに参加していた。だから、これは因果応報、なんだろう」


 彼にとって、『大切な人』だったのは、月城奏だったのか。だから、彼は、月城奏に直接手を下させる一連の計画に賛同出来ず、仲違いをした。だが、主導権を握る天花寺に抗えず、もしかすると、反対に、月城奏に襲わせるぞ、といった脅しに屈して、島を離れるしかなかった。


「君……確か、名前、京といったか」


 苦しそうに息を切らして、瞳を揺らし、それでも喋り続ける黒田に、俺は簡潔に、はい、と答えた。


「頼む……天花寺達の計画を、止めてほしい」

「月城奏に手を汚させることを、ではなく?」

「いや、そうだね……私は、犠牲になる人よりも、奏の方が大切だ……あの子に、これ以上の罪を、背負わせたら駄目だ……!」


 彼は力強く話すと、すぐに「ゴホッゴホッ!」と咳き込み、じわりと傷口から血の染みが広がる。飛鳥馬は、思わず浮かべた痛々しい表情を隠すように、目を逸らしていた。


「では、協力してください。全てを話してください」

「……分かった。もう、逃げる意味もない。でも、話すだけの時間が、私にあるかどうか」

「いえ、話すのは回復してからで結構です。今はあまり話さずに」


 すると、黒田は、黙ったままこちらを見て、何度か瞬きをする。


「まさか、死ぬとでも思ったんですか? 不安は分かりますが、滅多刺しならまだしも、一回刺されたくらいで死にはしませんよ。相当悪い場所でない限り。まあ、死ぬほど痛むとは思いますが」


 痛むのは、まだ脳が正常に機能している証拠。大量出血となれば、血中酸素濃度が低下し、各臓器が酸素不足で機能を停止していくが、最初の予兆は脳に現れる。救急救命の現場で、意識の有無が重要視されるのは、それで容体の程度が分かるからだ。


「それに、あなたが死ねば、月城奏にさらに十字架を負わせることになります」

「それは……良くない。奏には、忘れてほしくはないが、重荷には、なりたくない」

「では、死んでも生きることです」

「……はは。私は、普通の人間なんだがな」

「『弱い人間』ではないんですね」

「……何、を」

「そんなものなんでしょう。強いとか、弱いというのは、結局は」


 要は、気の持ちよう。強い人間も弱まるし、弱くても、強く出れる場面もある。自身に都合のいいように、弱いと強いを使い分けて、本質的には、誰だってどちらでもない。人間は、どうしたって優劣をつけたがる生き物なのである。それだけだ。


「救急車、来ましたね。あの……あと少し、頑張ってください」

「ああ……まったく、情けない。けど、ありがとう」


 俺よりも口下手な飛鳥馬ではあるが、然しもの彼女も、重傷人には悪態を吐かないようで、であれば、見目麗しく、優しいだけの飛鳥馬茜音は、男には覿面な存在となる。天然か意図的か、どちらにせよ、男殺しもいいところだ。


「……何か失礼なこと考えてませんか?」

「気の所為だ。今は考えなきゃならないことが多いからな」 


 そう誤魔化しがてら、音のした方向を見やる。救急車に警察車両、複数のサイレンが重なり、俄に騒がしくなった夜の街並みは、まだまだ波乱を予感させた。


「止めましょう。必ず」

「……そうだな」


 俺に出来るのは、死なないこと。死ぬ恐怖を、俺は知らない。

 だから、それを乗り越えられる『人間』を、強いと感じる。最期の瞬間まで、完璧に舗装された道を歩むだけのこちらに対し、不安定で、でこぼこな、酷い悪路を懸命に歩む彼らを、俺は、本質的に弱いと思ったことはない。

 これは、一つの対抗意識。人より恵まれておいて、人に出来ないことの一つとして成し遂げられないのかと。自分を不死身と鼻を高くしておきながら、人より弱くちゃ意味がない。彼らを認めているからこそ、彼らを超えるべきとの、ただの自尊心。俺も所詮は、誰かを助けることで自分を満たす、弱肉強食の従僕の一人。尤も、こちらは『人でなし』で、『化け物』で、彼らのことは、心を満たす糧としか思っていないが。

 要するに。

 やはり俺は、別に人が嫌いではないのだ。彼らの為なら、いくらでも、命を懸けよう。





後編幕間 瞬間脱衣

「ところで、本当に垣間さん、いつ脱いだんですか?」

「『いつ』も何も、普通に脱いだだけだぞ?」

「普通にでも脱がないでほしいんだけど、私は」

「ほら見てろ。こうして、こうして、こう」

「……ん? あれすみません、見逃しました。もう一度お願いします」

「そうか? まあいいけど、着るからちょっと待ってろ」

「………………おっそいわね! 調人君、服着るのもったもたしておっそい!」

「いや着るの慣れてないんだよ」

「何で着るのだけ慣れてないのよっ!?」

「いくぞ? ボタン外して、胸元緩めて、こう」

「……あれ、ん? いや、最後の瞬間だけ、どうしても瞬きしたら服が消えているんですが……」

「そうね、これどんな服着てても手品みたいにぱっと脱いじゃうから、本当に気にしちゃ駄目よ、京君」


 結局、彼の謎として残されるのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ