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遥か世界のラタトスク 二話アフター

「皆が皆、君のようであればいいのにね」


 珍しく、分室の長はそう愚痴を漏らしたが、“再生”とは、決して利点だけではない。だから、俺は返事をしなかった。


「“治癒(ヒーリング)”の導入で、救命率はかなり上がったと聞いていますが」

「あくまでも千万(この)島限定、特例法に基づく措置だけれどね。魔術(マギア)に頼りきるには、人類にはまだ少し早いんだ」


 千万島は、法律上では特別な区域として扱われており、本土とは違った行政的な仕組みが存在する。その一つが、救急時における魔術(マギア)の対人行使。つまり、“治癒(ヒーリング)”や“精神感応(テレパス)”等の魔術(マギア)を認めることで、既存の医療技術では手の届かなかった救急処置を施すことが可能となっている。要するに、黒田亘は、一命を取り留めていた。

 とはいえ、彼は回復力も衰えている年齢であり、あれから再び意識を失い、未だ覚醒には至っていない。こればかりは、現代のあらゆる技術を駆使したところで、どうにもならない。老いと、個人の心の問題なのだ。

 ちなみに、上記の処置が本土で認められていない理由は、簡潔に、責任問題である。法律上は個人の所有物である魔術(マギア)を行使し、仮に、人命に害する事態となった際、責任は個にあるのか、組織にあるのか、はたまた、国にあるのか。救命率が向上したというデータがあろうとも、この国は、なおもそんな議論を続けている。

 なお、千万島に限っては、責任は法律を施行した者、つまり、政府に帰属する。


「“治癒(ヒーリング)”も、結局は正しい応急処置があってこそだ。怪我をしてただ放っておくのと、適切な処置と管理をした上で治るのを待つのとは大違いだしね。“再生”とは違って、血液や組織の損失を補えないから。救急車が一分早く到着した方がいいって意見もあるくらいだ」

「まあ、それも当然というか、あまり言いたくはありませんが、そもそも“再生(こっち)”が普通じゃないので」


 礫で負った頭の怪我も、いつものように元に戻り、その際、流れた血液でさえも魔素で代替してしまうのが、“再生”。つまり、この身体には、本来のように体内で作り出された血液と、魔素によって作られた血液との、二種類の血が流れていることになる。まあ、どちらも素粒子レベルで同一なので、機能的には全く問題ないのだが。


「それでも、魔術(マギア)がなければ、もっと重体だったでしょう。人智を超えた理論(オーバーセオリー)の超常性というか、利便性を改めて思い知りましたよ」

「君が言う? とはいえ、その態度もいつも通りのようで安心したよ。初仕事、初現場であの事件だからね。いくらかショックを受けたかと、少し心配だった」


 自分でも白々しいとは思うのだが、あれは、どうしようもなかった。不可抗力。そう結論付けて、受け入れて、こちらは既に納得している。

 だが、割り切れなかった者達も、いたかも知れない。


「人の死は……生物学的に同種の生き物の死というのは、生物の本能を突き動かすものだ。僕達の場合は、心を。例え、実際に命を落とさなくても、そう感じるだけで、感情が揺さぶられる。大人でもそうなんだ。学生には早過ぎる経験だと思うよ」


 不死身()には、その言葉が他人事にしか聞こえない。それを知られることを何となく避けて、そうですね、と当たり障りなく応えた。


「少し、気に掛けてあげて。本当は僕の役目なんだろうけれど、きっと、君の方が上手く付き合えるだろう」


 これまた珍しく、彼にしては控え目な口振りをされて、果たして目論み通りなのか、俺は悩むことなく頷いた。






 あれから。

 俺と飛鳥馬は、救急車で運ばれる黒田を見送り、程なくして、先輩二人と六徳さんが合流。警察への引き継ぎも速やかに、間もなく引き上げた。その車内の空気は重苦しく、刃傷沙汰を目の当たりにした直後、軽々しく口を開けるような胆力を持つ者は……あるいは、気遣いが過ぎてしまったからこそ、誰も声を出せなかったのだろうか。

 それでも、藍波さんは努めて気丈に振る舞い、垣間さんは追随して、二人で雰囲気を作ろうとしていたのだが、何より、飛鳥馬の沈黙が、重かった。ただ無視をするのではなく、呆然と車窓からの夜景を眺める彼女の、普段とは違う憂いを帯びた眼差しは、先輩二人を困らせるには十分だった。

 悪意と、殺意。およそ日常では触れない、負の感情の極端。それが超常の力に乗って襲い来る、未知の恐怖は、()()()殺人未遂の域に収まらない。だから、調査室と分室という組織があるのだ。矢面に立って、その恐怖から民間人を守る為に。

 従って、俺は、飛鳥馬の心配はしていなかった。なお、ここでの『心配はしていなかった』は、こちらの無関心から出た言葉ではなく、つまり、彼女への配慮は不要……というのも語弊がありそうだが、つまり、放っておいても大丈夫という……のも、どうだろうか。いや、あの女王様には、なぜか一部に熱狂的な信者がいるので、彼女を軽んじると、場合によっては、飛び蹴りが飛んできたりして危ない。よって、丁寧に扱わせていただかないとならない一方で、腫れ物に触れるように接すると本人の機嫌を損ねるから、本当に面倒で。

 閑話休題。

 ともかく、気掛かりは他にあったのだ。出会ったばかりだが、()()の責任感は、他の二人より一層強いと感じていて、そういう人物は、無理を決して表に出そうとしない傾向にある。その意味で、飛鳥馬よりも放っておけない人物。

 翌日。そんな先輩の後ろ姿を見つけた俺は、久々原さんの指示でもあるし、と、誰に聞かれてもいない言い訳をこさえつつ、彼女が座る席へと向かった。


「お疲れさまです、藍波さん。何をされているんですか?」

「あら、京君。まだ残ってたのね」


 学園の制服姿で、レンズの薄い眼鏡を掛けた格好の彼女は、メインフロアにあるデスクの一つを占有していた。わざわざ確認をせずとも、何をしているか、なんて一目瞭然だったのだが、それでも敢えて聞いたのは、話題作りである。


「監視カメラの確認をしてるの。犯人の一派が映ってないかなって」


 モニターに映し出されているのは、様々な俯瞰視点からの映像。角度からして、街灯や信号機にでも設置されたカメラだろうか。あれらの中には一部ダミーもあり、本物は隠れるように設置されていることもある。

 本来、分室には、警察のような捜査権がない。よって、公共の監視カメラの映像を見る権限もない。設置者から許可が得られれば別だが。しかし、あの広場での事件の後、調査室は、正規の手順で分室へと協力要請をした。この映像は、そうした経緯を経て調査室から提供された資料の一つなのだ。


「何か映っていましたか?」

「調査室もチェックした後だもの。目新しいものはないわよ」


 藍波さんは、頬杖を突きながら投げやりに答えた。


「……ごめんなさい。後輩に見せる姿じゃなかったわ」


 醜態を曝してしまったと、溜め息とともに姿勢を正して、彼女は穏やかな笑顔を浮かべる。しかし、それはどこかぎこちないように思えた。

 現在、分室全体も、似たような雰囲気にある。今回の案件は、あくまでも、『黒田亘殺人未遂事件への協力』だが、“黎明の陽射し”の支部長一派による調査室職員への襲撃、また、支部への航空機の意図的な墜落事故が、無関係ではないと知らされたからだ。さらには、大規模無差別テロ計画まで控えていることで、雰囲気は温和とはいかず、一部では殺伐とし、あるいは、不安に襲われる者や、楽観的な者、ともかく、浮ついた空気だった。

 もし、久々原さんから言われてなければ、藍波さんのことも、その空気にあてられた一人として、目を向けることはなかったかも知れないほどに。


「構いませんよ。無理に笑顔を作られるよりは、どんな形であれ、自然体の方が好きです」

「……私もよ。ふふ、ごめんね。また気を遣わせちゃった」


 自然に浮かべられた苦笑いに満足した俺は、モニターに映る街角を眺めながら、話題を変えようと口を開く。


「それにしても、大変では? ずっと同じ映像ですよね」

「ええ。まだ一時間分しか見てないけど、同じ場所を見続けるのって本当に病むわよ。警察官って凄いわね」

「警察も、多分そこを褒められるとは思っていなかったでしょうね」


 おどけて言うと、「そうかしら」と彼女は可笑しそうに笑った。少しは気分転換になっただろうか。


「ただ、調査室の包囲網からは逃げられたとか」

「うーん……けど、包囲網なんて響きほど、大したことはしてないのよ。下手に追い回すと、観光客に被害が及ぶから」

「つまり、無用な混乱を避けたと」

「あら、綺麗に言うのね」


 こちらの言葉に笑ってはいるが、楽しそうではなかった。


「建前はそうでしょうけど、観光客への被害とか、厳戒体制を敷いた、なんて広まれば、この島や国にとって不利益になるもの。特に、殺人未遂なんて治安のイメージに直結するし、大事にせず水面下で解決しろとか、そんな圧力でも掛かったんじゃないかしらね。検問っていっても、ただちょっと道を狭めて、通行人を眺めてたくらいみたいよ」


 まるで、馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに両肘をデスクへと突き、掌に顎を乗せた藍波さんは、じっとモニターに集中している。しかし、その目に映る映像が、彼女の頭へ届いているかは疑問に感じた。


「垣間さんは一緒じゃないんですか?」

「……それ、どういう意味かしら。私達が常に一緒にいるべきだとでも言いたいの?」


 不機嫌そうな声色である。地雷だったか。まあ、この際だ。


「そうですね。二人揃った姿しか見たことありませんでしたし、仲は良さそうに見えたので」

「……あぁっ、もう、ごめんなさい。何かこう、やり場がなくてイライラして、つい意地悪なこと言っちゃってるの。はぁ……嫌になるわ」


 二回目の謝罪。彼女も調子が悪いらしい。


「いえ、気にしていませんよ。あんなことがあったんですから、存分にぶつけてください」

「……本当、不思議な子ね。度量が大きいっていうか、そう余裕な感じだと、何だか私も落ち着いてくる気がする」


 まだ苦笑い気味だが、後れ毛を垂らして申し訳なさそうに微笑む藍波さんは、少しは吹っ切れたのかも知れない。


「その……調人君といると、何て言うか、気が休まらないの。見られてる気がするって言うか……まあ、付き合いが長いから、お互いを知ってて、余計にね。だから先に帰ってもらったのよ。一人になりたくて」


 長い付き合いか。俺の場合、今のところ、最長で久々原さんとの三年程度。それ以上に長い付き合いの相手とは、もう何年も連絡を取っていない。あまり共感は出来ないが、彼女と垣間さんが、ただ幼少期から共にいるというような、単純な間柄ではないことは窺えた。

 まあ、この場で敢えて言及する必要もあるまい。


「だとしたら、邪魔をしましたか?」

「……ううん、そんなことないわ。ありがと。やっぱり誰かと話していた方がいいみたい。ふふっ、我が儘よね」


 それは、自然で穏やかな笑みだった。明確に何かをした自覚はないが、少しは助けになれたのだと思える。


「いえ、頼られている気がして、俺は嬉しいですよ」

「そう? ……ねえ京君。それなら、付き合ってくれない?」


 俺は、雰囲気を察して二つ返事で了承した。






「あいッ! 豚骨麺硬スープ濃いめ野菜増し、お待ちィっ!」


 騒々しい店内に、野太い声が通り抜ける。ワイワイガチャガチャと忙しない雰囲気に、俺はすっかり呑まれていた。


「うんっ、疲れてるときにはこれよね! じゃないと食べた気にならないもの!」

「まさか、あの流れでラーメン屋とは」

「何よ。入ってから文句言われても困るわね」


 目を輝かせて待っていた彼女の前に置かれたのは、成人男性でも食べきれるかと疑問を感じる程に、のっそりとした山盛りのラーメンである。というか、これはラーメンなのだろうか? 積まれた野菜で麺が見えない。もやしとキャベツと、肉? 脂?


「文句のつもりは……藍波さんって、もしかしてラーメンが好きなんですか?」

「ええ、そうよ……今更? それもお店に入るときに気付くでしょう?」

「まあ、何となくイメージが一致しなくて」


 令嬢のような雰囲気、というのは過言だとしても、それでも、育ちの良さそうな立ち居振舞いをしていたのだ。好き好んでジャンクフードを選択するとは思ってもいなかった。いや、野菜の量からして、栄養バランスはいいのだろうか? しかし、量がなあ。過ぎたるは何たらだし。


「見た目で判断するのは良くないわね?」

「あー……そうですね。以後、気を付けます」


 確かに、失礼とも取れる言動だった。人の好みはそれぞれである。


「まあ、つい最近まで一度も食べたことがなかったのは本当なんだけどね。そんなに意外だったのかしら……」


 ちなみに、俺は普通の醤油ラーメンを頼んだ。丼ぶりの上は、比較的平和な世界である。


「意外と言えば意外だったんですが、変ではないですよ。ラーメン、俺も好きです」

「ふふっ、分かってるじゃない。私だって、食べたいものが食べたいのよ」


 藍波さんは、不敵に笑うと野菜の山を掻き分けて麺を掴み、ずずっと音を立てて啜った。






「ん~っ、おいしかったわね! やっぱり脂って大事だわ。欣喜雀躍(きんきじゃくやく)ね!」

「雀躍……(すずめ)……? いや、よく食べましたね、あの量を……」


 結局、彼女はあの山を全て平らげた。男と比べれば小柄な体型なのだが、女子の平均身長程度しかないであろうこの細い身体の、一体どこにあれだけの量が入ったのだろうか。俺が同じ量を食べたら、しばらくは吐き気で動けなくなると思う。


「じゃあ、ちょっと遠回りして帰りましょうか。腹ごなしにでも、少しお散歩しましょ」

「まあ、夜風も心地いいですしね。お付き合いします」


 日も沈んだ時間帯。昨日にパトロールしていた三区と比べて、一区の人通りは疎ら。静かな路地を抜ける夜風は、食事後の火照った身体を冷ましてくれる。


「でね、調人君ってば、ラーメンばっか食べるなー、とか、そんなに食べてたら太るぞー、とか、とにかく煩いのよ」

「意外と世話焼きなんですね。カロリーの行方については俺も気になりますが」

「もうっ、女子にそういうこと言っちゃ駄目。ちゃんと陰で努力してるの、こう見えても」


 しかし、機嫌を損ねた雰囲気ではなかった。諭すような口調からは、姉気質というか、面倒見の良さが垣間見える。


「でも、付き合ってくれて助かっちゃった。私一人だと、ちょっと入りづらい雰囲気でね。そこだけは難点だわ」

「まあ、客層も大体が男でしたからね。最近は女性客も増えている、とは聞きましたが」

「まだ堂々と入るには勇気がいるわね。私としては毎日……は言い過ぎかしら。週に三回くらいは行きたいんだけど、なかなか行けないわ」


 週に三回。しかも、あの量かあ。


「……京君? 今失礼なことを考えてない?」


 飛鳥馬といい、何でそう察しがいいのか。


「まあ、女子には言えないことを」

「いいのよ、自覚してるから。ええ、してますとも! でも、私は食べたいときに食べるの!」


 言って、張った胸の前でガッツポーズである。もしかすると、彼女の摂った栄養は、ほとんどが胸に行っているのかも知れない。制服を持ち上げる胸の大きさは、飛鳥馬や同級生達よりも……いや、まあ、ただ目に入っただけなので、別にそれがどうこう述べるつもりではなく。


「……ありがとね、京君」


 風が止んで静かになると、小さな声が聞こえてきた。


「いつでも付き合いますよ」

「ふふ、ありがと。けど、それじゃなくてね」


 少しだけ逡巡した様子で、ちらりとこちらを一瞥した彼女と目が合う。


「声を掛けてくれたことよ。私が塞ぎ込んでるの、気付いてたんでしょ?」

「それは……そうですね、放っておけなかったんです」

「あら、格好いい。そうよね、京君、会ったばかりの時にも、そういうの気付いてたわよね。はぁ……私もまだまだかぁ」


 苦笑い。


「もう隠しても今更ね。さっきはね、何となく一人になりたかったんだけど、誰か話し掛けてくれないかなー、とも思ってた。やあね、私って」


 言われてみれば、もっと物陰になるデスクもあったのに、わざわざ、目につく場所を陣取っていたのだ。そこまで意識していなかったが、結果的に正解だったらしい。


「それなのに、今だって、理由も聞かないで付いてきてくれてるでしょう? 私、ちょっと感動しちゃった」

「そう大したことではありませんよ。藍波さんと話せるだけでも十分に楽しいですから」

「ふふ、そうなの? でも、それならそれで嬉しいわ。だから、ありがと」


 では、そろそろ聞いてみようか。


「悩んでいたのは、飛鳥馬のことですか?」

「……分かっちゃうのね。やっぱり鋭いわ」


 藍波さん達は、あの事件に、ほとんど関わっていない。凶行を目の当たりにしたのは飛鳥馬だけで、先輩二人が到着した頃には、既に搬送が行われていたからだ。強いて述べれば、そこには血溜まりがあったことくらいか。

 従って、事件そのものは、塞ぎ込むほどではないと考えていた。それでも、彼女は気落ちしていた。他の理由があることは、何となく察していた。加えて、彼女が飛鳥馬のことを好意的に見ていて、一方で、付き合い方に悩んでいたことを踏まえれば、自ずと辿り着く。

 込み入った話になる。そう判断したのか、「そこ、座って話さない?」と藍波さんは近くの公園を可愛らしげに指差して、場所を移すことにした。


「私はね、リーダーだから」


 そうして、彼女はポツポツと心境を話し始めた。


「みんなを束ねなきゃならない立場で、率いていかなきゃならない役目。誰よりもしっかりしてないといけない」

「それは……俺が言える言葉ではないと思いますが、あくまで学生なんですから、そう重く考える必要は……」

「ううん、別に今だけってことじゃないのよ。将来的なことも含めてね。私は、そうならなきゃならないの」


 それはつまり、組織を先導するような立場になることが、予め決められているかのよう。まあ、こちらも妙な身の上だ。彼女にも色々あるのだと思う。これはまた、別の話だ。


「だから、私は飛鳥馬ちゃんと仲良くしたかった。しなきゃいけなかった」

「リーダーの、責務として?」

「そ。ほら、飛鳥馬ちゃんってつっけんどんじゃない? だからね、せめて私だけでも仲良くしないとって。誰かを孤立させちゃうのは、リーダー失格だと思ってたから」


 なるほど。それで、無理をした様子でも、積極的にコミュニケーションを取ろうとしていたのか。飛鳥馬との間にあった、あのぎこちない雰囲気は、そういうことか。


「……飛鳥馬が素っ気ないのは、本人の責任だと思いますよ? 藍波さんが無理をすることではないのでは」

「ええ、本当にそうならね」


 そこで彼女が浮かべた笑みは、手の掛かる子や姉妹に向けるような、仕方ないな、といった感じの笑みである。


「けど、京君も、あの子がわざと他人を近付けさせないよう冷たい態度を取ってること、分かってるんでしょ?」


 勝手に決めつけている台詞だったが、俺は否定をしなかった。


「私もね、飛鳥馬ちゃんが根っから悪い子だなんて考えてないの。真面目だし、たまに優しいから。だから、色々あって、わざと距離を取ってるんだと思ってるんだけど……でも、それでもやっぱり、私達は仲良くするべきだと思う」


 どうやら、藍波さんの中では、リーダーとしての自分と、飛鳥馬を思い遣る自分と、二つがせめぎあっているようだ。リーダーの責務か、仲間の気持ちの尊重か、難しい話だろう。


「あまり、押し付けるのも良くないと思いますが」

「うん、押し付けるつもりはないわ。ただ……飛鳥馬ちゃんの場合は、無理をしているように見えるから。だから、放っておけなかった、って言うのが正しいわね」


 藍波さんはさらっと口にしたが、それは確かに、飛鳥馬の内心を表している。俺は、本人から聞かされるまで気付かなかったことを、藍波さんは、こうもあっさりと見抜いていたようだ。


「あまり近いと嫌がられちゃうからね。挨拶ぐらいが限界だったの。でも、それは必ずしてきたし、ずっと気に掛けてきたんだけど……やっぱり、冷たい対応されちゃうんだけどね」

「あー……何と言うか、お疲れさまです」

「ええ、ありがと」


 がっくりと、またしても苦笑いが印象的な彼女は、苦労人を思わせる。だが、自嘲気味の言葉は怒りを含んでおらず、そんな態度を取られ続けていても、非は、責は、リーダーである自分にあると考えているらしい。


「……私ね。あの時、あの子の姿を見て、何も言えなかった」


 俺は、黙って聞き入る。夜の静けさにも紛れそうな声を、耳を澄ませて、聞き逃さないように。


「あの子、いつもと同じ表情だったのにね。違う感じ。飛鳥馬ちゃん、悔しそうな、悲しそうな感じだった」


 ほんの数日前。

 飛鳥馬と巻き込まれた誘拐事件。俺は、彼女に誤解を与えてしまった。まあ、悪いの全てこちらだった訳だが、俺が死んだと思い込んだ彼女は、酷く後悔したようで、苦しんでいた。それはもう、あの鉄仮面が剥がれ、感情を抑えられないほどに。

 あれは、飛鳥馬の優しさだった。“呪い”に巻き込みたくなくて、他人を遠ざける為に、口調を強く、態度を刺々しく、孤独の道を選んだ彼女の、誰にも理解されない、誰よりも強い優しさ。

 そんな飛鳥馬である。血を流して倒れていた黒田の姿に対して、何も思わなかったとは思わない。その胸中は定かではないが、帰りの車中の憂いを帯びた表情は、彼女の心を表していたのだろう。


「でもね……私は何も言えなかった。あの子の、見たこともない顔を見たら、何も言えなくなっちゃった」


 藍波さんは、どこか悲しげな笑みを浮かべながら、夜空を見上げていた。何を見ているのか、その瞳の先を、俺も見てみる。


「本当に情けない。そこで初めて気付いたのよ。私は、ずっと上辺だけで考えてたんだなって」


 俺の印象では、藍波さんは、他人の感情の変化や機微に敏感だ。人当たりが良く、世渡りが巧みな彼女は、他人が嫌悪することは、きっと上手く避けられる。触れられたくない部分を躱し続けて、広く、浅く、そつなく付き合うような人柄に思った。

 それは、決して悪いことではないが、だからこそ、飛鳥馬茜音という人間の根本には、届かなかったのかも知れない。


「飛鳥馬ちゃんが本当に傷付いていたときに、何も言えなかった。怖かったのよ。次に拒絶されたら、立ち直れなくなるんじゃないかって。掛ける言葉を間違えたら、今度こそ怒らせてしまうんじゃないかって。そう思ったら、足が動かなかったわ」


 小さな身体を心細そうに縮めている姿は、嘘を吐いているようには見えなかった。


「自分に酔ってたのかしらね。リーダーとしての役目を果たしてるつもりの、理想の自分に。そんなみっともない気持ちだけで向き合っていたから、あの子が欲してる言葉が、結局何も浮かんでこなかった。私、こんなに小さい人間だったのかって、もう、それが本当に、情けなくてっ……」


 その声は、とても感情的で、強がってはいるが、頬は震え、涙を浮かべることを必死に堪えているようで。

 やはり、放っておかなくて良かった。


「俺は、間違っていると思いますよ」


 そして、藍波さんは、目元を袖で拭う。


「……そうよね。うん、決めた。やっぱり私、リーダーは辞めることに」

「あっ、いや違います。すみません、今のは言葉足らずでした。俺は、藍波さんの評価が間違っていると思ったんです」


 こちらが慌てて訂正すると、彼女は拍子抜けしたのか、首を傾げる。


「私の、って、どういうこと……?」

「飛鳥馬にはちゃんと、藍波さんの想いは伝わっています。何より、藍波さんが言いました。飛鳥馬は『いい子』だと。その飛鳥馬が、藍波さんを蔑ろにするということですか?」

「それは、そうかもだけど……」

「だから、大丈夫です。飛鳥馬も、歩み寄ろうとしているんだと思います。今は、単に素っ気なくし過ぎて、距離感がまだ分からないんじゃないでしょうかね」


 続けて、「あれで面倒な性格していますから」と、俺は、飛鳥馬を出汁にすることに何ら躊躇いないのである。


「そう、なのかしら……?」

「藍波さんの努力がなければ、飛鳥馬はもっと孤立していましたよ。今より拗らせていたかも知れません。考えたくもないですね、今よりとなると」


 しかし、彼女はまだ納得がいかないようなので、まだ意見を続ける。


「藍波さんは、自分のことを過小評価しています。俺は、飛鳥馬の態度にめげずに、ずっと付き合い続けてきた先輩は、リーダーとして、十分に責務を果たしていると思います」


 それが率直な感想だった。


「……じゃあ、私があそこで、飛鳥馬ちゃんに声を掛けなかったことは正解?」

「もっと正しい行動がなかったとは言えません。ただ、飛鳥馬を想って、悩んでの結果なら、間違いではなかったと思います」


 全てが全て、会話で解決するとは限らない。時には、言葉が余計な場合もある。世の中、正解不正解に二分出来ることの方が少ないのだ。


「というか、そもそも、あんな雰囲気を出している飛鳥馬に問題があります。付け上がられますよ、気遣いが過ぎても」

「でも、私はリーダーだし、飛鳥馬ちゃんだって落ち込んでたから……」

「それもです。藍波さんは、飛鳥馬のことも過小評価しています。あの程度で塞ぎ込む人間ではないんですから」


 どの口が、という話だが、先日の誘拐事件に比べれば、そこまで深刻ではない筈だ。あれで逞しい人間である。


「確かに、俺は今までの藍波さんを知りませんが、こうやって悩んでいる姿を見ていれば、本当に仲間想いなことくらい分かりますよ。藍波さんがリーダーをしている学生組に配属されたことは、俺にとっては幸運なことでした。だから、これからもリーダーでいてください。俺や飛鳥馬の為に」


 さても、飛鳥馬には呆れていたが。こんなに想われているのに、それをふいにするような態度を取っていたのだから、次に会ったら、一つ説教でもしてやるべきか。


「……はっ! あ、あのその、何だかごめんなさいね!? いきなりこんな話されたら迷惑よね!」

「いえ、話してくれて光栄ですよ。俺で良ければ、いくらでも聞かせてください」


 すると、藍波さんはぽかんと口を開けて、しかし、すぐに穏和に笑う。


「……もうっ。君が聞き上手なのが悪いんだから。口が軽くなって困っちゃう」


 そう言いながらも、困った様子はなく、既に、支部で見えた陰気さは窺えなかった。


「藍波さんって、結構いじらしいですよね。思いやりがあって、面倒見がよくて、しっかり者で、魅力的で」

「え、あぅ……ちょちょっ、ちょっと待って! そういうのは……はっ、反則! 反則だから!」


 はて、一体、何が反則なのだと言うのだろうか。


「せっ、先輩をからかうなんて性格悪いわよっ、京君!」

「よく言われます」

「言われてるじゃないの! 何だよ常習犯か!」


 この人、綺麗にツッコんでくれるなあ。


「すみません、面白くて」

「いえ、まあいいんだけど……でも、そういう思ってもないこと、あまり他の人に言ったら駄目よ?」

「ああ、今のは全部本心です。嘘偽りなく、本当に思っています」

「……そうっ、いうのも、ちょっとどうかと思うわね!?」


 その慌てる姿もまた、いじらしいものだ。


「あーあ、もう……まさか、出会ったばかりの後輩に全部打ち明けちゃって、手玉に取られてまあ……ふふっ、情けない」


 人は、誰かを頼れと簡単に言うが、実際、それはかなり難しい。『頼る』という行為は、一方的な押し付けと思われがちだが、双方の信頼関係で成り立つもの。そもそも、『頼』という漢字が、元は取引に由来するもので、つまり、頼るからには頼られる、または、何か見返りを与える、という相互扶助なのである。頼ってばかりの人間は、頼っているのではなく、依存しているだけ。本当の意味で『頼る』ことが出来ていないだけだ。

 だから、他人を頼れることは、非常に重要である。それは、組織として、関係性として、健全の証。誰にも頼れないリーダーというのは、誰も、誰からも信頼されていない証左であり、彼女が目指していくものではない筈だ。

 とはいえ、頼ることに弱さや恥ずかしさを見てしまうことも、それもまた、健全の証だと、俺は思うが。


「ねえ京君。今の、内緒にしてね? 私が弱音を吐いてたなんて、二人には知られたくないもの」

「そのつもりですよ。折角の秘密の話を、他の人には教えたくありませんから」


 そう、俺は空気が読める男なのだ。


「もう、何でそんなに余裕綽々なの? 困ったわ、これじゃあ私の方が年下みたいじゃない。ね」

「あー……まあ、実際に藍波さんの方が年下でしょうから」


 すると、「……うん?」と聞き返される。


「えっと、真顔で冗談を言われても私は反応に困るわ。ここは何て返すのが君の好みなの?」

「いえ、冗談ではなく。藍波さんが留年していない限りは、ですが」

「……ごめんなさい。意味がよく……えっと?」

「実は、三年間の休学があるので、学年は飛鳥馬と同じ二年生ですが、俺の歳は三つ上なんです」


 正確には、こちらに休学の意図はなく、当時、学園に届けを出した訳でもないので、除籍されたものだと思っていたのだが、久々原さんのお節介で休学扱いにされていたらしく、つまり、千代学園で二学年から復学した形式なのだ。


「……それで?」

「『それで?』と言われても。ああ、免許証でも見ますか?」


 俺は、携帯電話で電子式の免許証を表示する。それにしても、証明写真は仏頂面だ。顔が勝手に変わっていたら、それはそれで怖いのだが。


「これ、本物?」

「偽物なんか持っていませんよ。島に来る前に取ったんです」

「あら本当。私の生まれ年より先じゃない。えっと……京君? そういうことは、何というか……突然言わないでほしかったわ。何だか私、よく分からなくなっちゃったんだけど」


 なるほど、言わない限りは意外とバレないのか。同級生向けへの試金石となったのは僥倖である。


「えっ……じゃあ本当に私の二つ上? え、待って私、年上の人に『いい子』とか言ったりスカート捲ってたりしてたってこと!?」

「スカートの件は年齢関係ないのでは?」

「そうだけどっ! というか忘れなさいって言ったじゃない! 覚えてるわよねえ!?」

「しまった。いや、今思い出したんですが今忘れました」

「すっごい雑!?」


 仕方ない。忘れろと言われて忘れられる筈もない光景だったし。


「俺から言っておいてなんですが、あまり気にしないでください。失礼とか、考えてもいなかったくらいですから」

「……本当に、言っておいてって話よ」


 藍波さんは、少しむくれて、じとっとした目を向けてくる。最近分かったのは、こうしてあからさまに不機嫌そうな態度をとる時、本人はそこまで不機嫌ではない、ということだ。まあ、口にはしないが。


「はあ……分かったわ。それなら、お言葉に甘えさせてもらおうかしら。私もこっちで慣れちゃったし。だから、京君も敬語なんて使わなくていいからね?」


 それは、当然の進言だった。そう言うのではと想定済みなくらいに。


「いえ、俺は後輩ですから。藍波さんは、先輩として頼り甲斐がありますし」

「あら、もしかして口説かれてる? 年下を口説くなんて油断も隙もないわね。でも駄目。すぐに取れなくても、その努力くらいはしなさい」


 適当に褒めてお茶を濁すつもりが、見透かされてしまった。飛鳥馬とは違い、一筋縄ではいかない先輩だ。


「……では、なるべく気を付けます。俺も慣れてしまったので」

「ふふ、じゃあそれで……って、ああそういうことね! 京君って、何となく大人びて見えるなと思ってたけど、本当に年上だったの!」

「二つだけですよ? ただ、隠していた訳ではありませんが、言わずにいたのはすみません」

「ううん、いいのよ。私も、逆の立場ならそうすると思う」


 そうして、微笑えむ藍波さん。どこかの女王様とは違い、隠し事に一切怒らず、こちらの事情を鑑みてくれるとは、大人である。飛鳥馬の件ではこちらが十割悪いとしてもだ。


「でも、どうして教えてくれたの? 周りと歳が違うのって、あまり知られたくないことじゃない?」

「まあ、極力黙っていようとは思っていましたが……藍波さんの打ち明け話に触発されたというか、俺も隠し事をしたままだと、少し気分が悪かったんです」


 すると、彼女はポカンと呆ける。何度か目をぱちくりさせると、「……ぷっ!」と吹き出した。


「ごめんなさいっ……でも、京君ってなんか、いい人止まりって言われそうな人なのね」

「言いたいことは何となく分かりました。言われたことはありませんが」


 俺は、誰も特別扱いをしないから、誰かの特別になることもない。与えないから、与えられない。簡単な話だ。


「あら、私は好きよ、そういう人」

「後輩を口説くとは、油断も隙もありませんね」

「ふふっ、ごめんなさい。ちょっと、飛鳥馬ちゃんに嫉妬しちゃったのかしら」


 また予想外の単語が聞こえた。


「嫉妬? また何で飛鳥馬に?」

「え、分かってないの? もしかして、京君って結構お子様なのかしらー?」


 言いながら、意地悪そうに顔を覗き込んでくる。


「ほら、さっきのこと。京君、飛鳥馬ちゃんのことを過小評価してるって言ったでしょ? けど、それって京君は、飛鳥馬ちゃんのことをしっかり見てるってことよね」

「……そんな風に聞こえましたか?」

「そんな風にしか聞こえなかったわよ」


 ふと気恥ずかしくなってきた。いや、『見てる』というのは比喩であって、決して飛鳥馬の端正な顔立ちに見惚れただとか、さらさらと揺れる長い黒髪の優美な様に(そら)の川を見ただとか、すらっと伸びる引き締まった手足に見目奪われただとか、そういったことではなく、飛鳥馬茜音の人物像を客観的、且つ、正確に見定めたと評価されただけで、でもあいつ外見だけは完璧なんだよなあ。


「もしかして、自分で気付いてなかったんでしょ。あらあら。京君、飛鳥馬ちゃんのこと、結構気にしてると思うわよ? 見てれば分かるもの」


 ぷぷぷっ……と口元に手を当てて小馬鹿にしてくる年下先輩。


「……誤解があるようなので言っておきますが、放っておけないタイプの人間だからです。藍波さんと同じで」

「そう? それなら、お節介さんってことにしておきましょうか」


 とはいえ、まるで信じていない様子。しかし、ここで更に反論してしまえば、却って首を絞めることになりそうで、大人としては、落ち着くべき場面である。


「私ね、実は、名家のお嬢様なのよ」

「……は?」


 いきなり訳の分からないことを言い出した。


「ああ、そういう妄想ですか?」

「あのねえ……ちょっとは私のことも理解する努力をしなさいよ」


 またしても、じとっとした目を向けられる。元が可愛らしい顔付きなので、大した凄みはないのだが、さっきとは違って睨みを利かせたようで、俺はやや気圧される。


「嘘でもなくて、本当のこと。本土の田舎の方の、まあ、古臭い地主みたいな家なんだけどね。私、そこの跡取りなのよ」


 言われてみれば、育ちの良さそうな雰囲気には納得があった。跡取りという慣習にはピンとこないが。


「で、『学生の間は世間に触れてこい!』みたいに言われちゃって、それでこの島に来てるのよね」

「そうでしたか。ですが、何でそんな話を急に?」


 打ち明け話の内容よりも、彼女の心境の方が謎である。話の流れでもなかったのだから。


「これ、実はあまり話したくなかったことなの。ここにいる間は誰にも話すつもりはなかったし、どころか、秘密にしておこうと思ってたくらい」

「……それって、知られたからには消す、みたいな感じで家督争いに巻き込まれたりしませんか?」

「ないわよ……何変なこと考えてるの。確かに、家訓とかは昔のがまだ残ってたりするけど、みんないい人だから。勝手に変な妄想しないで」


 だとすると、俺はなぜ、そんなことを聞かされたのだろう。本人が秘密にしておきたいならば、明らかな矛盾だった。


「あのね、感謝してるのよ? こんな話を聞いてくれたこともだけど、さっきの悩みに、真剣に答えてくれたことも。十分過ぎるくらいなんだから。全部嬉しかったわよ。貴方の言葉、全部」


 彼女は、とても優しげな表情で、ただ、恥じらいはあるのか、俯いたまま、こちらを見ずに、そう言った。


「だから、別に何も求めてなかったのよ。でも、それだと、貴方の年齢を知っただけ得しちゃうでしょ?」

「……だから、自分の秘密も打ち明けた?」

「そういうこと。せこい女なんて思われたら心外だものね」

「……藍波さんって、いい人止まりって言われそうな人ですね」

「ふふ。嫌い?」


 好きか嫌いかを問う言葉なのに、本人は笑顔だった。


「いえ、好きな方ですよ」

「そ。良かった。貴方に嫌いって言われてたら人間不信になってたわ」


 そうして、彼女はくすくすと上機嫌に笑う。


「ね、京君。これ、二人だけの秘密にしない?」

「秘密ですか?」

「えっとね、無理のない範囲でいいの。ずっと秘密にするのも難しいでしょうし。けど、京君のことだから、歳のことって言い触らしてないんでしょう?」

「まあ、学園で知っているのは久々原さんと教師くらいでしょうが」


 教師陣は当然、生徒の個人情報を把握しているが、事は生徒のプライバシー、特に、休学や留年に関するデリケートなもの。鮫島教諭は信用に足りそうだし、他の学友達は一切知らない筈だ。


「だから、その年齢の話と、私の家の話、二人だけの秘密にしませんか? ……ってこと。その、実家のこと、誰にも言わないとは言ったけど、誰にも話せないのは、それはそれで、ちょっと窮屈というか……」


 要するに、互いに秘密を抱える間柄にありたいらしい。それが、彼女なりの信頼の仕方なのではないだろうか。


「ですが、垣間さんは知らないんですか? 幼馴染と言っていましたよね」

「ううん、調人君は……ちょっと、お互いに知り過ぎちゃってるのかしらね。却って神経質になっちゃうの」


 そういえば、見られている気がするから先に帰ってもらったと、そう言っていた。その気持ちは、何となく分かる。俺も、飛鳥馬や久々原さんと話す時と、同級生達と話す時とでは、随分と違う感覚がある。自分が不死身であると知られている、という状況では、どうしたって妙な勘繰りをしてしまうものだ。


「……ご、ごめんね? やっぱり迷惑よねっ。何でもないの、今のは忘れてくれて」

「いえ、分かりました。そうしましょう。二人の秘密に」

「え……本当? 言ったわね? 聞いたわよ? 言質取っちゃったわよ?」

「何度も聞かなくても、ちゃんとそう言いましたから」

「じゃあ決まりよねっ! では只今から、お互いの秘密は二人だけの……ちょっとした秘密とします。約束、しましょ?」


 藍波さんが、すっと小指を差し出してきた。こちらも小指を差し出して軽く絡めると、冷たくて細い指は、さらさらしていて心地いい。慣れない感触だが、そういえば、この前も交わしたものだと思い出す。約束を。


「そういえば、こういう時って『嘘吐いたら針千本』って言うじゃない? でも、よく千本も集めるわよね。数えるのも大変そうだし」

「その針千本は魚の方ですよ」

「……あっ、ハリセンボン。それなら、私達は針百本にしておきましょ。形式に倣う必要ないもの。はい、指切ったっ」


 勝手に切られてしまった。彼女の実家が古臭い名家と聞いていると、この針百本が冗談には聞こえず……いや、そんな風習とか残っていないよな? 約束を破る気はないので、杞憂と言えば杞憂なのだが。

 ちなみに、針千本の針は全部で五百本前後だそうだ。針五百本。事実は非常に語感が悪い。


「それとね? 私のこと、『星名』って呼んでくれない? 名字、あまり好きじゃなくて」

「そうなんですか? では、そう呼び……あー、呼ばせてもらおうか、星名」


 この際だ。彼女が求めることには全部応じてやる。


「あら、つまらない。こんな可愛い女子を名前呼びなのよ? もうちょっと戸惑ったらどうなのかしら」

「年上をからかうものじゃないぞ。星名もこっちのこと、名前で呼ぶか? 俺は何でもいいんだが」

「い、いいの! 私はっ! というか、『可愛い』って部分は無視? 冗談のつもりだったんだけど」

「星名は可愛いだろう」

「………………貴方、飛鳥馬ちゃんにもそんな調子なの?」

「星名だけだよ。からかいがいがある」

「もー何なのっ!? 心臓に悪いわね!」


 がーっ! と頭を掻きむしり、わなわなとした震えを誤魔化しているかのような星名は、あまり表情には出ていないのだが、耳は先まで真っ赤である。可愛い。


「年上……年上ってだけでこんな違うもの? すっごい、すっごい心臓どきどきするぅ……私、勢いで約束結んじゃったけど、これ大丈夫かしら……」


 ぶつくさと、その独り言は彼女の背中越しに聞こえるもので、はっきりとは聞き取れなかったが、悩んでいる素振りはなく、年頃らしい姿に見えて、気付けば、保護者のような温い目線を向けていたようだ。


「調子、戻ったみたいで良かった」

「……ええ、おかげさまで。京君が敬語じゃないの、なんか新鮮ね」

「戻そうか?」

「ううん、別に可笑しい訳じゃないわ。素敵。頼りがいがありそうだわ」


 ふむ、飛鳥馬に言わせれば、『偉そう』とのことで不評だったのだが、年齢が上か下か、そんな印象一つで大きく変わるものだ。まあ、皮肉気味に、小馬鹿にされている気がしないでもないが。


「それなら、今後も頼ってもらう為にも、もっとからかわないとか」

「やめて。でも……頼っていいの?」

「寧ろ、頼ってくれないと年上としての威厳がなくなるからな。そうしたら、俺はただの偉そうなへなちょこだぞ」

「何よそれ。ふふ、そんな貴方も見てみたいけど」

「やめてくれ。もっと頼ってくれ。それが一番嬉しいんだ」

「もう……そんなこと言われたら、もっと我が儘言っちゃいますよ、お兄さん?」

「別にいいんだが、『もっと』って、そんなに我が儘言われたか? あまり実感ないんだが」

「……本当、びっくりしちゃうわね、貴方の度量の広さ」


 星名はずっと微笑んだまま、「えい。えい」と頻りに腕で小突いてくる。


「……ごめんなさい、ちょっと浮ついてる。何だか、理解してくれてる人がいるのって、とっても安心出来るんだなって思って。こんなに心がほっとしたの、今までで一番かも知れなくて」

「それは良かった。大事にしないとな、自分の心は」

「そうね……そう。飛鳥馬ちゃんの心に寄り添おうとしてたけど、多分、私ちゃんと出来なかった。自分がされて嬉しいこと、知らなかったんだから」


 大事なことだ。俺は、他人の心を理解出来ているのだろうか。心を理解出来ないで、魔術(マギア)は解き明かせない。いつか、それは絶対に必要になる筈なのだ。


「でも、私、頑張るわ。飛鳥馬ちゃんがちゃんと頼れるリーダーになりたい。苦しい時に、一緒に隣に立てるリーダーに。勿論、貴方が困っている時にも、絶対一緒にいるんだから」


 少し、呆気に取られた。さっきまで、あんなに不安そうだったのに、すくっと立ち上がった彼女には、もう不安は面影もなかったのだから。

 やはり、人は弱くとも、強い。


「ああ、頑張ろう。お互いに」

「ええ、一緒に。あ、でも、これからもきっと、たくさん頼りにはしちゃうと思う……というか、するからっ! だから、私のこと……よろしくお願いしますっ! ふふっ、なんてねっ」


 腰を折ってお辞儀をしたかと思えば、くるっと回って、無邪気に笑う星名。ふわりとスカートの裾が舞い、片目を瞑って人差し指を唇に立てる仕草は、まるで、他人を翻弄する小悪魔にも、あるいは、心の内の全てを見せてくる童のようにも見えた。誰よりも立派でありたい。そんな自分を目指して背伸びをしていた彼女の、等身大の信頼。それは、何より、とても心地が良くて、自然と笑顔が綻んでいた。

 人工島。本土から百キロメートル離れた海上にある、一つの『鳥籠』。日夜続く研究も、煌びやかな街並みを訪れる者も、そこに生きる者も、誰もが、この島の存続を望んでいる……というのは、流石に主観が過ぎるとしても、破滅を望んではいないだろう。いや、もし破滅を望まれていたとしても、俺は、きっと抗った筈だ。久々原源重が、飛鳥馬茜音が、同級生が、また、目の前の夜道を、踊るように軽やかな足取りで進む藍波星名が、精一杯に生きているこの島を守る為に。

 見上げる夜空に、月がある。問題は、これからだ。何も解決していないのだから。

 それでも、今は、たまにはラーメンもいいものだな、なんて的外れなことを考えながら、上機嫌にスカートと後れ毛を揺らしている年上先輩を見ながら、夜風を堪能するくらいは、きっといい。






アフター幕間 ラーメンは戦争

「こんなところにラーメン店なんかあったんですね。メニューも結構細かいですし、こう、カフェでサイズやらトッピングやら細かく頼む感じと似てるというか」

「……」

「……あの、藍波さん?」

「静かに。今集中してるの」

「集中?」

「戦いの最中に目を逸らす武士はいないわ。これは戦なの。戦は戦いの前から始まるものよ。地理(盛り付け)、軍備(味や量)、訓練(胃の)、計略(食べ方)、どれも勝利の鍵だから」

「……メニューを選んでいるだけですよね?」

「甘いっ! そんな背脂くらい甘い考えだとラーメンに失礼でしょう!」

「はあ……ところで今の、ラーメンと絡めてウィットに富んだ比喩のつもりでしたか?」

「いいから真剣に選びなさい! あと食べ始めたら私語厳禁だからね!」


 とのことで、食事は戦さながら、真剣そのものに進むのである。


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