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遥か世界のラタトスク 二話前編

『千の理を以てして、万の未知を解き明かす』


 そんな理念を掲げる、研究機関複合海上都市、千万島(ちよろずとう)。本土からおよそ百キロメートル離れた洋上に浮かぶ巨大人工島は、今日も、海に空にと忙しなく、この沖合い一帯を賑わせていた。

 始まりは、一つの理説。

 遡ること、十年。一つの研究グループが、『魔素』という素粒子に基づいた理論を発表した。魔素理論。それは、あらゆる現象を一つの体系の下に表す統一理論であり、人類に超常の力をもたらす拡張理論。超能力に心霊現象、魔法に呪いにあらゆる異能、どんな神秘(オカルト)をも科学(サイエンス)にする破天荒な理説に、世界は間もなく傾倒する。ニュートン力学、相対性理論に続く、新たな物理科学史の始まりだった。

 その変容は、今もなお、余波を残す。

 ある国は、権利を声高に主張し。

 ある国は、断じて荒唐無稽だとした一方で、秘密裏に研究を進めている噂が囁かれ。

 ある国は、軍事利用だと他国を批難し。

 ある国は、これまでの友好関係をも覆した。

 世界情勢すら目まぐるしく移り変わり、『第二次冷戦時代』とまで揶揄される波乱の時代。また、人権問題の沸騰に国際法の再制定と、先進、後進どちらも問わず、あらゆる諸国にとって、怒涛の時代の幕開けでもある。当然、極東の島国も例外ではなく、しかし、大胆不敵にも先陣を切って、やがて、海の上に『楽園』を築き上げるに至った。これは、魔素理論研究という分野において、どの国よりも先を行く、という強固な意思の表れであった。

 さて、そんな経緯から成るこの島では、日夜、様々な研究が行われているが、千万島は、観光地としても有名である。海上都市。その魅力的な響きに、今日も多くの観光客が訪れる。

 四月は下旬。海の上であっても、穏やかな日差しは春らしく、心地のいい陽気な一日。波は穏やか。空には白い雲。渡り鳥はいつの間にか、ここを経由地としたようだ。防風林を揺らす海風が吹く沿岸部とは対照的に、内陸部は都会的な街並みで賑わいを見せる。端然と並ぶビル群には街灯や街路樹が置かれ、見映えにまで拘った店舗の数々は、都心の繁華街の様相だ。奇抜な形状のオブジェが印象的な公共施設があれば、ホテルや海水浴場、水族館に競技場、等のレジャー向け施設に、中には鬱蒼とした森林地帯まで、およそ海上とは思えない広大な景色が、目一杯に広がる人工島である。

 そして、海上()()。つまり、ここには人の営みがある。約二十万の人口に、観光客を含んだ一時人口は数倍にも上り、中には、この島で出生した者も少なくはない。その際の戸籍や医療福祉に限らず、法令上では『特殊指定都市』とされたこの島での社会保障制度は、大半の観光客が知りもしない話だろう。

 だが、自分もまた、制度に疎い一人である。知った顔でつらつらと述べているものの、こちらの身の上、行政とは少々縁遠くしてきた為、情報としては知っているが、情報はあくまでも情報、実際に、この島で暮らしている人々が何を見て、何を感じて、どのような日々を過ごしているのか。それは、彼らにしか分からない。

 今回は、そんな話から始まる。


『だからね? 僕としては、青春というのは「どこにいたか」じゃなくて、「何をしていたか」に因ると思うんだよ。だってそうだろう? 学園という場所じゃない、そこに集ったみんなで作るのが思い出なんだから』


 昼下がりの休日。俺こと(かなどめ)修司(しゅうじ)は、寮の自室にて、椅子に凭れながら、携帯電話から聞こえるよく分からない主張にも、律儀に耳を傾けていた。通話相手の声は若々しくも、彼は既に五十を過ぎている筈だが、なぜか、青春についての熱い語りは衰えを知らないらしい。


「はあ……それなら、わざわざ学園に通う必要はないことになりませんか?」

『いやいや、舞台と演目は別ってだけさ。勿論、()()()()()という演目もありとして、まず君は、舞台に立たなきゃね。僕はその舞台を用意した。それが学園だったんだ』

「それは教育者としての定型文ですか?」

『というよりは、君の保護者代理としての勧告だよ』


 学校法人千万学園の久々原(くぐはら)源重(げんじゅう)理事長との議論は、先程から平行線を辿っていた。通話時間は、既に二十分に迫ろうかという勢いである。友達か。


『というか、()を納得させるのも苦労したんだからね。“被検体(きみ)”の学費だって僕の全額自費負担だし、かつ、体裁を整えるのにも手こずった。それだけの紆余曲折を経て獲得してきた君の学生という立場。そろそろ観念してほしいね』

「ですから、通うだけならまだしも、青春を謳歌しろと言われれば、そこには疑問を呈します。あと、そちらの苦労は俺には無関係です」

『そうだけれどさあ……君、外見は悪くはないし、性格は物静か、態度は常に落ち着いて大人びて、好かれる要素は十分にあるのに、二言三言で確実に台無しにするよね。宝の持ち腐れじゃないか』

「他人の宝を羨むくらいなら、自分の人生を少しでも良くする生き方を模索させるべきでしょう、教育者としては」


 そもそも、学園への復学は、こちらが望まない苦労である。それの何を察しろと言うのか。そうした勝手な押し付けがあれば、青春なんてものに、却って辟易するのも仕方がないだろう。


「まず、人の群れに放り込まれること自体、俺は適応出来るか疑問です」

『「群れ」って君ね』

「何かの拍子に“再生”が露呈したらどうするんですか?」

『まあ、君の不死性への懸念は確かにある』


 不死性。不死身。“再生”。それが、この身に宿る人智を超えた理論(オーバーセオリー)だ。どんな怪我でも瞬時に元通りにし、病に罹ろうとも病状すら現れない。仮に、首を刎ねられたとしても、溶岩に突き落とされようとも、この身は元に戻るだろう。試したことはないが。

 これは、魔素理論によって変容した現代においても、異常な現象である。当然だ。不死身の軍隊なんて作れれば、世界情勢がひっくり返る。従って、“再生”は誰にも知られてはならない。それが“被検体”と“管理者”の共通認識だった筈だ。


『まあ、いいんじゃない? 知られたら知られたで、その時はその時だ』

「……本気ですか?」

『不服かい? だとしても、訓練の一環にはなるだろう。君だって、一生を“被検体”として過ごす訳にはいかないんだから』


 “被検体”とは、“再生”を解明する為に用意された、特別な立場。報酬は得ているが、それは個人の能力への対価ではなく、“再生”への、言わば、投資に過ぎない。それが解明されたり、または、この身から失われてもお役御免となり、その際は社会復帰が待っている。

 なんて述べると、まるで病の一種のようだが、ある意味では、そうと述べられよう。

 魔術(マギア)。超常現象を人為的に引き起こす、想いの力。十年前であれば、何とも不可解に思うだろうが、これこそが、理論物理学の最先端。素粒子としても、量子としても異質な『魔素』という物質に基づく理論がもたらした、誰もが扱える訳ではない『力』の存在は、この人工島設立の原点ともなっている。

 彼ら、魔術師(メイジ)が引き起こす現象は、彼らの想いが引き金である。言い換えるなら、人の願いを現実にする力。目の前の人を助けたいという強い願いが、人を癒す力となるように、彼らの強い想いの結晶が、既存の科学を覆す超的現象を引き起こすのだ。

 しかし、この“再生()”は、想いを関せず不死とする。願わずとも全てを戻し、生を強制する。終わりを許さず、どうしたって続けさせる。生物の機能として、明らかな異常(イレギュラー)。死ねない、というのは、一つの病だ。


『君は、この島の別称を知ってるかい?』

「『鳥籠』ですか? 特別な力を持つ者を閉じ込める格子だと」

『それは「蔑称」の方だね。でも言葉は同じ。本来は違う由縁で、僕達は「鳥籠」と呼んでいた』


 恐らく、千万島の最高権力者の一人でもある久々原さんは言う。


『いつか扉を開けて、鳥達が元気に飛び立つことを願って、今は安全な籠の中から、自分の正しい姿を、飛ぶ姿を思い浮かべて、羽ばたく術を学んでもらう。僕達が考えていた「鳥籠」はね、安心出来る止まり木、という意味だ』

「教育者の言葉ですね」

『勿論。僕は教育者だから』


 彼の肩書きはいくつかあるが、やはり、その肩書きが最も似合っている気がする。


『この学園での生活は、君がこれまで経験してきた普通の……広く一般的な学生生活とは違うと思うよ。良くも悪くもね。“再生”は、それでも特別だとしても、魔術(マギア)を扱える子は少なくないし、みんな、相手を理解する力を持ってる。僕達はそれを教えてきたつもりだ』

「だからって、言い触らす訳にはいかないでしょう。それとも、そうしてほしい理由でも?」

『それは勘繰り過ぎ』


 彼は、笑みを含ませながら言った。


『いいかい? 誰しも多かれ少なかれ秘密は抱えていて、それと上手く折り合いをつけていくのが人生だ。でも、君は秘密(それ)に全部縛られてしまっている。それだけが自分の全てだとね。おかしな話じゃないか。秘密にしていることが君の全てなら、それは秘密足り得ない筈だよ』

「哲学めいた表現で煙に巻くつもりですか? 俺は人間足り得ないだけです」

『だから、そういうところ。君は、他人の中にある自分を全く分かっていないね』

「分からないものは仕方ありません。興味もないので」


 『個』というものがどうでもいい俺にとっては、きっと、この先ずっと分からず仕舞いなことであり、これといって、分かりたいとも思わない。今の自分で満足している。


『君が、いくらそうやって理解を拒もうとも、君は死ねない人生を生きるしかない。僕は、それが少しでも有意義であってほしい。一つのことに囚われる人生じゃなく、自由から一つを選び取れる人生であるように。人は、思うままに動けないことを、一生後悔する生き物だよ』


 そう言われたところで、やはり、乗り気にはなれなかったが、上司の言葉――実際には上司ではないが――には四の五の言わずに従う日本人らしき精神を発揮して、彼の言い分を受け入れることにした。


「ともかく、学園生活に溶け込んで、久々原さんが言うところの理解者を探す、という目標でいいですか?」

『うーん、どうにも堅苦しいけれど、君はそう言われた方が取り組めるか。ここは“管理者”からの命令にしておいてあげよう』


 付き合いの長さから、こちらの扱い方を心得ているらしい彼は、いつものように、人の好さそうな、優しげな口調だった。


『ああ、あとね。命令と言えば、()()からの依頼が来てるんだった。よろしくね』

「……了解です」

『ふふ、嫌そうな顔が見えなくても浮かぶよ』


 それも心得ているようだった。まあ、確かに苦虫を噛んだような表情で声を出したので、事実には違いない。


「学生は免除になったりしませんか?」

『いやあ、元から非公式だしね。直談判してみる分には僕は止めないよ? 勉学が大切なので勘弁してくださいって』

「それでやめる人だと?」

『いや全く。世界は弱肉強食だよ。時には鳥だって、翼のない動物に食べられてしまうものさ』


 面白そうに即答する久々原さんの、まるで他人事のように可笑しく楽しむ笑顔が思い浮かんで、俺は携帯電話を片手に項垂れる。まあ、そんな答えも分かりきっていたが。

 とはいえ、“被検体”の義務の一つみたいなもの。傍若無人な女帝から奴隷のような扱いを受けたとしても、それが仕事とあれば、俺は四の五の言わずに以下同文。


『明日の夜に迎えに来るそうだ。一応、用心しておくべきかな。荒事になるかも』

「あの人に連れ回されて荒事にならなかったことなんて、一度もありませんが」

『光栄なことじゃないか。あの彼女の無茶に付き合える、数少ない存在ということだ』

「替えの利かない存在でも替える必要がないんですから、そりゃあ便利でしょうね」


 すると、久々原さんは電話越しにくすりと笑った。


『僕は、ワトソンに必要だったのは、軍医としての能力ではなかったと思うよ?』

「ホームズってキャラじゃないでしょう、あの人は」

『ものの例えさ。君に求められているのは何か、という話』


 さて、どうだろう。不死身を抜いて、何かしらこちらに残るものがあるとは思えないが。


『そういうのも引っくるめて、人付き合い。君を理解してもらうには、君も相手を理解しなければならない。相互扶助。人は一人では生きられないんだから』


 教育者らしく、彼は言う。

 果たして、人が一人では生きられないとしても、死ぬことがない者は、どうなのだろうか。

 なんて、皮肉なことを考えてしまうのは、そんなに奇異なことでもないように思った。


「とりあえず、分かりました。善処します」

『うん、頑張りなさい。いいかい、他人に興味を持つこと。これが大事だ』


 獅子が子を突き落とすかのような試練である。まあ、大袈裟に述べて。


『さて、僕はこれから七区で会議があるから。君も、たまには外に出て日差しでも浴びるといい』

「外ですか」

『引きこもりも程々にね』

「誰の所為ですか」


 “再生”は、極秘。最も安全なのは、自室から出ないことである。秘匿を課したのは久々原源重だし、そうせざるを得なくしたのも久々原源重。いくら恩人であっても、忘れたとは言わせない。

 すると、満足したのか、彼は笑いを含ませて鼻を鳴らし、やがて、通話は切れた。


「さて、学園か」


 通話の傍らで操作をしていたノートパソコンには、『千万学園』の文字が表示されている。国内外問わず注目を浴びる学び舎の、整然としたホームページに記載されている胸襟秀麗な理念や校風は、理事長、久々原源重の人物像を表しているようだった。

 学校法人千万学園。設立からは五年余りの新しい学園である。所在地は勿論のこと、この人工島。だが、この学園で特筆すべきは、魔術師(メイジ)の在籍数であろう。

 世界唯一、魔術師(メイジ)の為の学園。

 考えてみれば、すぐに分かる。特殊な力を持った者達が、どのように思われるのかが。その答えは一つではないが、まあ、気持ちのいい状況にならないことが多い。

 千万学園は、そんな諸問題を解決することを目的の一つとして設立された。というより、引いては、この島の存在自体がその為と述べても過言ではない。要するに、この島国は、世界が超常に揺れる中で、それらと()()()()()()()方向へと舵を切ったのだ。

 そうした背景があるので、この学園を一言で表すことは、とても難しい。魔術(マギア)を脅威として考えれば、『軍隊』。国益として捉えれば、『国庫』。彼らを哀れむなら、『牢獄』。だが、人の好さそうな笑みを浮かべる彼ならば、きっとこう言うのだろう。


『ここは、普通の学園だよ』


 その口から出る『普通』ほど、勘繰ってしまう言葉は、そうそうない気がするが、それは置いておくとして。

 千万学園は、全寮制。まあ、海の上にあれば当然なのかも知れない。全校生徒、約二百人。人工島内とは思えない広さの敷地に、寮や学舎をはじめとする施設に加えて、食堂、小売店も併設されており、加えて、昨今隆盛の通信販売も利用すれば、早い話が、敷地から一歩も出ずに学生生活を送ることも不可能ではない。それはやはり、警備上の理由からだ。

 前述の通り、この学園の価値は学生、特に、魔術師(メイジ)にある。つまり、学園側が最も恐れているのは、存在が資本である彼らの損失。尤もらしく述べるなら、彼らの安全だ。勿論、他の学生を軽んじている訳でも、もしくは、他の学園が学生を疎かにしている、等と非難するつもりはなく、要するに、理事長さながら、千万学園は、抜きん出て過保護なのである。

 さておき、そんな学園の寮の中に、一人だけ部外者がいるとしたら。そう、俺のこと。寮への入居だけは、先日の事情から、なし崩し的に済んでいたのだが、転入に際しては関門が残っていた。

 筆記試験だ。


『ああ、当然だけれど、試験は受けてもらうよ』


 と、理事長の意向による転入でありながら、彼のコネを用いた裏口入学はさせてもらえず、正規の試験を受けさせられ、これには付け焼き刃も甚だしい必死の一夜漬けで、何とか突破している。試験後には死んだように眠った。

 その後、無事に合格の通知を受け取ったものの、とはいえ、この時点での立場は、千万学園生ではない。言うなれば、三月下旬から四月一日までの空白期間のようなものだ。厳密には、俺は休学していたらしいので、学生の身分であることに変わりはないのだが、千万学園に籍を置いていない、という点では相違ない。

 そして、現在。週明けに転入初日を控え、俺はこの寮の一室にいる。

 つまり、立場としては、部外者のままなのだ。既に四月も後半、同じ寮に住まう仲間の顔も見慣れた頃に、この厳戒体制下の学園にて、一歩間違えば、不審者と勘違いをされるという瀬戸際。これがどんなに危険なことか。

 仮に、部屋を出たとしよう。その瞬間を、別の学生に目撃されたら? 数日前までは空き部屋だった一室から出てきた、顔も知らない男。たちまち侵入者と誤解され、騒ぎになったとする。そこで、弁明の余地があればいいが、しかし、急速に事態が悪化し、混乱が広がり、収拾がつけられなくなった場合、苦労して手に入れた千万学園生の籍が取り消される、なんてことが、もしかしたら、万に一つあるかも知れない。挙句、暴力沙汰となり、“再生”が露呈したら?

 そんなことを、ここ数日、馬鹿みたいに危惧して、じめじめと引きこもっていた訳だ。長々と述べた割りに、気の小さい限りである。

 とはいえ、寮の廊下で他の学生とばったり顔を合わせる確率を考えてみる。すると、部屋を出る時間を十秒、同じフロアの部屋数が十四、うち、東側の部屋が残り六室、昼時の学食の稼働率を八割とするなら、単純な四則演算で、一パーセントくらいになるだろう。

 そう、一パーセント。大したことないと思われるかも知れないが、これは極めて高確率であると述べても差し支えない。魔素の発見は、トリノスケール『レベル10』相当の隕石衝突よりも稀有な出来事だったと主張する者もいるほどだ。そう考えると、一パーセントの危惧も、馬鹿には出来ない気がしないだろうか。

 まあ、何事も考え過ぎてしまう性分ではある。特に、こうした負の思考は悪循環するもの。俗に言う、オーバーシンキングである。大抵は取り越し苦労で、確証バイアスやバーナム効果、心理状態による思い込みだ。事実、ここ数日は問題なかった。この心理に何か理由があるとすれば、登校日が近付くに連れて、憂鬱に拍車を掛けているからだろう。

 日差しを浴びろ。なるほど、少しはリフレッシュをするべきか。それに、“再生”は空腹を戻せないので、餓死はしなくとも、食料の買い出しは必須事項でもある。自主的な外出は億劫だが、こうして必然的であると、自然と足が動くのだから、脳は不思議なものだ。ズーニンの法則によると、最初の四分間が大切で、それを乗り切ると継続性が高まるとか。思い立ったが吉日、とはよく言ったものだ。

 そんなこんなで、長きに渡る言い訳を自分でこじつけて、ようやく重い腰を上げて、俺は扉を開けたのだった。


「……よっす。おはこー」


 ギャルがいた。ここは男子フロアだが。


十八番(おはこ)?」

「万能の挨拶。おはようとこんにちはとこんばんわで、おはこ。ぴすぴす」


 彼女は表情筋を凍らせたまま、目元でピースサインを閉じて開けてを繰り返す。


「それなら『おはここ』じゃないか? それか、『おはこんこん』?」

「ん~、『おはこんこん』は可愛いけど、ちょっと長め? それに、おはここは語呂感悪いしょ。だから、おはこ。いえい」


 そう言いながら、ポーズを決める彼女である。金髪のツインテールを揺らし、アイメイクでキリッとした目は、やはり、無表情に貼り付いている。天下の千万学園にもギャルがいるのか。


「ってか、確かそこって空き部屋じゃなかったっけ?」


 ふむ、流せなかったようだ。痛いところを突かれた。俺は、しずしずと部屋へ引き返す。

 さて、落ち着け。まだ顔を合わせただけで、不審者の烙印を押された訳ではない。余計な誤解をされる前に、早急な牽制が待たれる。ただ一言、ここに住むことになった、とでも言えばいい。

 いや、果たして、それで十全か? 泥棒だって、自らを盗っ人とは喧伝しまい。部屋から出てきた場面を見られれば、家主の友人だ、親戚だと嘘を垂れるに違いないだろう。つまり、大事なのは無実の主張ではなく、無害の証明。どのような悪事にも理由がある。逆に、理由がなければ悪事を働かないのだ。金庫が空だと知っていて盗む者がいないように、動機がないことを示すことこそが最重要だろう。

 即ち、学園(ここ)で最も効果的な発言は、()()だ。俺は、再び廊下へと舞い戻った。

 

「実は、熟女派なんだ」

「えぇ知らんて」






――遥か世界のラタトスク――






 その後、話の流れで彼女と食卓を囲むことになり、学生食堂を訪れていた。


「じゃあ、あたしが泥棒と勘違いすると思ったから、あんなカミングアウトしたってこと? 何それおもしれー」


 けたけたと笑う彼女は、二乃井(にのい)乃亜(のあ)と名乗った。丈の短いシャツにぴっちりとしたデニムを履き、ピンク色のパーカーを半分脱いだように着こなしている、痩身で中背の女子学生。派手というよりキリッとした印象の格好だが、当人は気怠げな雰囲気。ただ、思ったより表情は豊かで、先程は彼女も緊張していたのかも知れない。

 聞けば、我が隣人、空上(そらうえ)たつみ(たつみ)の級友らしい。なぜ、彼女が男子フロアにいたのかと思ったが、どうやら、友人を訪ねてきたところで鉢合わせてしまった、という訳だ。


「ってか、あたし普通に転入生だと思ったよ? 不審者が男子フロアにいるなんて思わんしね。スパイとかならギリ来そうだけど、狙うなら寮じゃなくて職員室とかっしょ?」

「……言われてみれば」

「草。まーどんまい、切り替えてこ。ほら、奢りだから遠慮しないでたーんとお食べ」

「待て待て待て待て!」


 テーブルに肘を突き、気怠そうに、しかし、どこか優しげな雰囲気で食事を促す二乃井を、空上が慌てて制止してきた。


「なに空上うるさい。急に周りに迷惑じゃん」

「えっ、すみません……じゃなくてっ! 俺の奢りだろ!? 支払いしたのは俺だ!」


 そう、学生食堂は食券方式なのだが、その支払いは、全て彼に押し付けられていた。


「しかもここぞとばかりに和定食に惣菜サラダにスイーツまで回転寿司みてえな頼み方しやがって! ちったぁ遠慮しろ!」

「あー、あたし食べても太らないっていうか、動いて消化しちゃうタイプだからさ。別に気ぃ遣わんでいーよ」

「カロリー気遣ってんじゃねえよ、俺に気遣えって言ってんだよ!」


 ちなみに、本日の和定食は鰆の照り焼きを主菜とした、副菜二皿汁物一皿の完璧な献立。これでワンコインなのだから、恐れ入る学園だ。


「そもそも、何で支払い前に拒否しなかったんだ?」

「そりゃあ……」


 以下、回想。


『空上、支払いよろしく』

『はあ? 何で……』

『こういう時、ぽんと出してくれる方が女子は好きだと思うなー』


 回想、終わり。


「……って言われたら調子乗っちまって!」

「そのちょろさで、よく今しがたあれだけ怒れたな」


 思春期真っ盛りの空上辰巳は、軽薄そうな見た目に反して、今日も精一杯であった。


「ってか、その前に約束してたっしょ」

「約束? 何の。俺、女子と出掛ける約束があったら絶対スクショ撮って背景に設定してスケジュールの一番上に入れるけど」

「わおきっしょ」


 二乃井は味噌汁を啜って続ける。


「じゃなくて、あたしと賭けたじゃん。この前のテストで」

「……あ」


 何やら心当たりがありそうだ。


「テストって、まだ四月なのに?」

「ん、学年上がってすぐの実力テスト? が前にあって、その点数でどっちが奢るかって賭けてた」

「ああ、それで二乃井が勝ったのか」

「空上ごとき、ノアちゃんの敵じゃないのだ。あ、竜田揚げ食べていーよ。揚げたてで今日は当たりだ。もぐもぐ」


 鶏の竜田揚げ。五個入り。物足りない食べ盛りに。


「だとしても、普通牛丼一杯とかだろ!? かなっちの分まで全部出させんな!」

「別にメニューは指定してなかったし、ルール決めなかった空上のミスでしょ。嫌ならあたし、回らない寿司に行きたいなー」

「奢らさせていただきやすっ!」


 負けていた。これが空上クオリティ。


「次は俺が出すよ」

「ああ、いいって。ま、転入祝いとでも思えば安いくらいだしさ。これからもよろしくってことで」

「ほうほれ。あはひが言いはかっはのほれ」

「嘘吐け。つうか、口に入れたまま喋るのやめなさい、みっともないでしょ」

「うっさいばばあ」

「まあっ、せめてママとお呼び!」


 こちらとしては、前職(?)の稼ぎと、元々あまり金を使わない性格もあって、金銭的には全く困っていないのだが、祝い事となれば、金額よりも受け取ることに意味があるものだ。ここは貰っておくことにした。


「それにしても、テストか。そういうの、普通にあるんだな」

「そりゃあるだろ。どういうこった?」

「普通の学園っぽいってことっしょ? あたしも最初来た時は思ったなー。あれ、あんまり変わんないじゃんって。よっぽど成績悪くなければ何も言われないしね。あたしらみたいなバカでも」


 共感する部分がないのか、「ふーん?」といい加減な相槌で箸を進める空上に対して、二乃井は話しながらも、かなりのペースで食べ進めている。


本土(向こう)だとさ、ここは魔術師(メイジ)の為の学園とか言われてたけど、実際来てみると、ほとんどは一般枠の学生だもん。ちょっと授業が違うのと、あとは施設が立派ってことくらい。住んでると、海の上だってのも忘れちゃう」

「ああ、それはあるかもな。ネットで島の空撮写真とか見ると、そういえばここ島だったってなる時はある。一区なんて特に島の真ん中だし、部屋から海が見える訳でもねえしなあ」


 俺も、島での生活だけは長いので、同意であった。


「あ、ちなみに空上とあたしも魔術師(メイジ)ね。ってか、この学園でバカなのは大体そっちかなあ。たまに魔術師(メイジ)でも頭いい人もいるけど、成績いいひとは基本一般枠の人だよ」

「かなっちもそっちだよな。そういや魔術師(メイジ)の転入生は珍しくねえけど、一般枠での転入って初めて聞いた」

「そうなのか?」


 そうした内情はホームページにも載っていないので、よく知らない。


「というか、自分が魔術師(メイジ)とか、そんな開けっ広げなのか?」

「普通に授業で分けられるよ? あーでも、お前は魔術師(メイジ)か、なんて聞いたりはしない方がいいと思うかな。詳しく話したくないって人もいると思うから」

「ああ、それはここに来た時にも注意された」


 魔術(マギア)とは、想いの結晶。彼らが起こす超常現象は、彼らの心を映していることが多く、それを暴くことは、心に踏み入るのと同じ行為だろう。容易に踏み込まないのは、そもそものマナーだ。

 その辺りの認識については、もう少し聞いておきたいところだが、この二人に聞くのはやめておこうか。


「まあ、京くんなら平気っしょ。落ち着きあって大人って雰囲気だし。空上も見習ったら?」

「それはお前がこの空上辰巳の魅力に気付いていないだけさっ!」

「……うん、そっか」

「いや今のボケなんよ。納得すんの鬼かよ、なんかマジのナルシストみたいになるじゃん」

「草」

「いや草じゃないんだって」

「(笑)」

「何で女子ってたまに日本語通じなくなるの?」


 愉快な二人だが、そう珍しくもないようで、遍く活気に満ちている昼時の学生食堂では、特に目立つ様子もない。

 これが、久々原源重が築いた、普通の学園。特別な者を『特別』として受け入れ、共存を目指す鳥籠。箱庭の中の楽園とは、如何にも彼らしいではないか。まあ、悪い意味ではなく。


「あ、あとあれだ。別にこの学園限定って話じゃないと思うんだけど、最初に聞いた時にね、驚いたのはあった」

「へえ、何の話だ?」

「あれっていうか、人なんだけど。ほら、一組の。ホントにいるんだなって」

「あー、それなあ。確かになあ」


 それだけで通じたようで、二人は声を揃えて、こう言った。


「「学園の女王様」」






 翌日。

 今日は月曜日。つまり、転入初日の登校日である。ただし、時間は早朝。澄んだ空気だが、鬱屈した気分で浴びる朝日は、晴れやかな気分になるどころか、憂いに一層の拍車を掛けるだけの気がするのだが、考えてみれば、太陽も好きで人類を照らしているのではないだろうから、彼も大変だなあ、なんて同情を勝手に抱いていた。

 さりとて、あの天体の数億分の一という一瞬の生涯であろうとも、せめて、最期には誇れるような一生でありたい。だから、俺は今日という日を、正しく生きるのである。


「ここが特別教室棟です。通称は別館です」

「機材や設備が必要な授業は校舎じゃなくてこっちで行うんだな」


 千万学園の風景は、小さな街並みと言えるだろう。並木道に面した真っ白な外壁の校舎に、ガラス張りの洒落た食堂。多岐に渡る商品を取り揃えた購買部はスーパーマーケットのようで、路地を曲がれば、校舎とはまた違った表情の別館に、隣には厳粛な雰囲気の講堂、更には、整備の行き届いたグラウンドや、小綺麗な部室棟も、それぞれが調和するようにデザインされている。

 これが、この島の名を冠する学園の貫禄だ。


「こちらが体育館で、奥には武道場。グラウンドはあちらにあります」

「体育館はバスケットコートを三面展開出来る広さ。武道場は剣道と柔道で使うんだったな。グラウンドは人工芝フィールドとウレタントラックがあって、用途によって使い分ける。学園というか、公共の運動場くらいの設備だな」


 これだけの設備に、しかし、無駄な施設やスペースはないように思う。寧ろ、徹底して無駄を省いているからこそ、これだけ広々としているのだろうか。学園全体が、まるで一つの建築作品のようだ。


「……基本的に、学園の施設は夜七時前には閉鎖されますので」

「それまでには出なければならないんだな。ただ、購買部や学食はもう少し長いから、時間まで部活動をして、学食で夕食を済ませる生徒も多いとか」


 学園の敷地を取り囲む赤外線や接触感知型のセンサー類に、守衛室での二十四時間監視体制によって、この学園は、千万島内でも最も安全な場所の一つとなっている。

 従って、規則は厳守。ルール自体、そこまで厳しくはないからこそ、守れなかった際は、しっかりと罰を受けることになる。とはいえ、真面目な生徒が多い校風、特に問題はないらしい。


「……学園の外に出るには」

「守衛室で静脈認証と学生証による手続きが必要で、ここは夜九時が門限。ただ、バイトとかで事情があるなら、事前に申請していれば、多少は延長を認めてもらえるんだったか」


 千万学園では、学生を援助する制度が充実している。教材費や授業料も、国立研究所経由での支援があるので、他の学園と比べて割安だ。学生は学生らしく、勉学に勤しめる環境が整えられているのである。

 とはいえ、食費や生活費は別問題。勉学こそ第一だが、学生は学生らしく、嗜好品や服飾にも現を抜かす方が健康的なもの。社会勉強の一環にもなるだろう。ということで、学業に支障のないアルバイトは認められているらしい。バイト学生自体は、そう多くないようだが。


「……一つ、聞いてもいいですか?」

「何だ?」


 早朝の、まだ誰もいない学園の遊歩道を歩く制服姿の飛鳥馬(あすま)茜音(あかね)は、わざわざ足を止めてまで、改めて質問をしてきた。

 なお、こちらは私服である。


「君、何でそんなに詳しいんですか?」

「まあ、つい昨日、同じように案内されたからな」

「は? じゃあ何で私はこんな朝早くに、繰り返しになる案内をしているんですか?」

「『何で』も何も、飛鳥馬が一方的に電話してきて一方的に切ったからだろう」


 まだ六時にならない頃のこと。基本的には日付が変わる前に就寝し、翌朝六時頃には起きる習慣なので、その時刻に鳴り響く電話を取ることは難しくなかったのだが、通話ボタンを押せば。


『おはようございます。これから学園を案内しますので、十分後に寮の前へ来てください。それでは』


 と、それだけを伝えられ、ブツッと切られたのである。夢心地も寝惚け頭も漏れなく、一気に目が覚めた。


「だったら、会った時にそう言えば良かったですよね?」

「いや、言い直すのも面倒だったし、朝早くから不躾に呼び出された訳だから、別にいいかなと」

「……君、本っ当に性格悪いですよね」


 じとっとした目付きで睨んでくる彼女とは、先日、とある事件を共に解決した仲である。

 飛鳥馬茜音。長い黒髪にスレンダーな体型、顔は小さい上に、切れ長の鋭い目つきと、はっきりした目鼻立ち。人形のように端正な顔立ちは、誰もが目を引かれるほどの美人。正直、目が合う度に、顔がいいなあ、と思っている。口にはしないが。

 ただし、『綺麗な薔薇には棘がある』の通り、というべきか、性格には少々の難があり、無愛想で、遠慮なくはっきりと物を言い、毒を吐くこともしばしば。そんな態度から、こう呼ばれているらしい。

 学園の女王様。


『京君も見たらすぐ分かると思う。遠目でもオーラ感じるくらい超すご美人だよ』

『つっても、見た目の印象ってより、教師にすら物怖じしない、どぎつい性格に畏怖の念を込めて付けられた異名だけどな、女王って』

『ただの皮肉かよ』


 なお、噂には尾びれが付くものである。それだけが一人の全てを表すものではないことは確かで、彼女の知られざる一面を、俺は知っている。


「帰ります」

「待て待て悪かった! 違うんだ、暇だったし散歩するのも悪くないと思っただけで、決して悪気も他意もなかった」

「どうだか。酸素を吸った代わりに口から出任せを吐くような人ですからね」

「どういうメカニズムで酸素が出任せに……」


 訝しむ視線を受けて、俺は肩を落とす仕草を見せる。


「前の件では確かに悪かったよ。反省してる。そもそも、何でわざわざこんなに早い時間なんだ?」


 敷地内を一通り巡った今でも、まだ七時過ぎだ。朝に課外活動を行う他の学生を遠巻きにちらほら見掛けた程度で、一般の学生なら、まだ自室にいる頃合いである。


「この時間は何か予定が?」

「いや、予定も不満も特にないんだが、案内なら、それこそ昨日か、放課後でも良かったんじゃないか?」


 すると、彼女は少しだけ逡巡したものの、やがて、諦めたように口を開いた。


「……誰かに見られると、迷惑だと思ったからですよ」


 そう聞かされれば、確かに、妙な噂が立ってしまえば、彼女の迷惑になるだろう、と納得。

 飛鳥馬茜音の内にある超常、“呪い”。彼女は、それに周囲を巻き込むまいとして、自ら他人を遠ざける道を選んだ。その結果として、女王様とまで呼ばれるようになったみたいだが、その優しき真意を知る者は、ほとんどいないだろう。

 こちらとしても、進んで案内をしてくれる厚意に水を差す真似はしたくない。ましてや、相手が女王様であれば、不遜というものである。


「それもそうか。悪いな、無理をさせて」

「は? いえ、別に無理というほどでは……あっ」

「どうした?」

「あの、今のは違くて、そういう意味ではなくてですねっ」


 飛鳥馬がわたわたと慌て始めると、その黒髪の毛先が愉快に跳ねる。


「わ、私は別にその……君を迷惑だと思ったんじゃなくて、寧ろ、私の方こそ迷惑を」

「ああ、言わなくてもいいって。もし誰かに見られたら、下僕なりパシりなり道端の石なり、好きに扱ってくれ。飛鳥馬に迷惑は掛けないようにする」

「……君、実は人の話を聞きませんよね」

「そんなまさか。よく聞く方だと自負してるぞ」


 そう気楽な態度をとるも、飛鳥馬には大きな溜め息を返されてしまった。何となく、今は話題を変えるべきだというのは分かった。


「それにしても、案内を買って出るなんて、飛鳥馬にしては珍しいな」

「まあ否定はしませんが、君は私のことをどれだけ失礼に見ているんですか?」


 とはいえ、それは彼女にとっては軽口みたいなものだ。


「もしかして、久々原さんからの指示か」

「ご明察です」

「あー……そうか、飛鳥馬も大変だな」

「ええ、互いに」


 まるで、勝手に世話を焼いてくる親戚のような存在に、何の縁か、二人して覚えがあって、今度は二人揃って溜め息を吐く。彼には、あるいは、何か別の意図があるのかも知れないが、当の本人達は、ほとほと困るばかりである。


「それなら、無理して従う必要もない。飛鳥馬にも迷惑を掛けることだし、適当に口裏を合わせて解散に……」


 ……と、我ながら気を遣った提案をしたつもりだったが、なぜか、彼女は何かを言いたげにじっと見つめてくる。


「な、何だ?」

「……いえ、随分と見くびられたものだな、と」


 これは、怒っている……ような気がする。


「悪い、何か気に障ったか」

「分かってないことに謝られても気持ち悪いです。まあ、君が必要ないと言うなら、そうしましょう」


 そう言うと、そっぽを向いて歩き出してしまった。見るからに不機嫌なまま。そして、俺のなけなしの心が訴えるのだ。このまま放っておくと面倒になるぞ、と。


『……自分で言いますけど、私は面倒ですからね』


 出会ってから間もないが、飛鳥馬茜音という人間が面倒な性格をしているのは、なんと、本人からのお墨付きで理解している。それでも、俺は首を突っ込んだのだ。自分に誇れる生き方をする為に。

 言動から察するに、彼女は案内を続行するつもりだった。なので、黙って案内をさせていたことに対する怒りではない。では、何に対して不機嫌になったかと考えれば、こちらが勝手に取り止めようとしたことである。何だかんだで裏腹に優しい飛鳥馬のことだ。切っ掛けが久々原さんからの指示だとしても、当人としては、純粋な厚意だったのではなかろうか。それを、勝手に不要と吐き捨てた。この筋書きであれば、辻褄は合う。

 実は人の話を聞かない。その通りかも知れない。


「飛鳥馬」


 俺は、少し開いてしまった距離を詰めようと、小走りで追う。


「悪かった。今のは失礼だった。わざわざ案内させておいて、こっちが言うべきことじゃなかった」


 そう声を掛けても止まらないので、歩幅を合わせて、背中に続く。


「あー……あのさ、昨日はざっと聞いただけで、まだ慣れてないから、出来れば案内を続けてもらいたいんだが……」


 無言が続く。そんな気まずい沈黙を破ったのは、彼女の方だった。


「……ふふ。急に口下手になるの、ダサいですよ」

「慣れてないんだよ、こういうの。多目に見てくれ」

「そうですか。仕方ないので、そこまで言うなら案内してあげます」


 そこまで言ったつもりもないが、こちらの返答に満足したような雰囲気に、やれやれと安堵する。面倒ではあるが、退屈しないのも事実なのだ。


「まあ、もうほとんど回りましたけど……ああ、この学園と言えば、あの建物」


 道沿いに並ぶ木の間から覗く、異質な建造物。全面が黒い外観のビルらしきそれは、ただし、窓等は一切ないので、建物というより、遺跡か、巨大な物体が地面に突き刺さっているのではないかと思わせる。

 そして、俺は似た建物を知っている。


「魔素理論研究所にそっくりだな。あっちは“黒鉄の箱(ブラックボックス)”なんて呼び名があるくらいだが」

「役割も似たようなものです。魔素理論実験講習棟、通称は訓練棟。その名の通りと言いますか、魔素理論に関する授業は、こちらで行います」


 この施設を語るには、先に触れておく場所がある。

 国立魔素理論研究所。千万学園と同じく、一区にある研究施設である。それが黒鉄の箱(ブラックボックス)と呼ばれる所以は、濃い群青をした鋼鉄のパネルを接ぎ合わせたかのような外見だから、というのもあるが、内部で行われている研究を外からは窺い知ることが出来ない、という暗喩も含まれている。

 千万学園は、魔素理論研究所とは協賛関係にあり、誤解を恐れずに述べるなら、学生は研究対象である。魔術師(メイジ)は言わずもがな、そうでない者も、魔素理論を理解する為の特殊なカリキュラムを受ける。言うなれば、新たな教育法の試験導入校、といったところか。

 魔素理論研究が世界各国で加速している現代社会において、人材の確保は急務であり、それぞれの国で、様々な施策が講じられている。如何にして人材を育成するかが、国家間の優劣に繋がると言ってもいい。要するに、この技術競争で抜きん出るには、どの国よりも早く、どの国よりも多く、優秀な人材を育てるシステムを構築する必要がある。

 従って、ここで行われている授業も、見方によれば、研究機密だ。この学園に魔素理論研究所と瓜二つの黒鉄の箱(ブラックボックス)があるのは、そういう理由であろう。


「確か、カリキュラムも二種類あるんだったよな」

「ええ。魔素理論講習という一つの授業が、魔術師(メイジ)か一般かで変わるだけですけどね。実技内容がメインとなる魔術師過程(メイジ)、講義内容がメインとなる研究者過程(リサーチャー)で区別されています」

「……随分と、大仰な呼び名だな?」

「理事長の方針だそうです」


 なるほど、合点がいった。妙なところで童心の彼だ。恐らくは、こんな具合。


『呼び名? そんなもの、格好いい方がいいじゃないか。折角のこの学園なんだから、大袈裟なくらいでちょうどいいと思わないかい? これで希望者が増えるかも知れないんだ、ちょっとは拘らないとね』


 すると、飛鳥馬は自動販売機が並ぶ一画へと向かう。並木道沿いにあって、ベンチも並ぶ休憩スペースだ。


「訓練棟と呼ばれてるのは、あそこでなら魔術(マギア)を使えるからなのか?」

「由来は知りませんが、訓練棟内でも魔術(マギア)は許可が下りるまで原則厳禁です。学園内も同様ですね。ただ、そういう意味で唯一許可が下りるのは、あの建物の中だけにはなってます」


 ちなみに、魔術(マギア)は場所や地域によっては禁止されている場合もあるが、法律上では禁止されていない。それは、技能や()()と見なされているからである。

 だが、これは法整備が追い付いていない側面もある。魔素理論の発表から十年。翌年には国際社会が魔術(マギア)を認知したものの、然れど、九年。この島国は、各国と足並みを揃えるのは早かったが、細かな整備は遅々として進まず、現在も、首都では政治家達による審議が続けられている。

 万人が納得する法律というのは決して生まれず、誰かを守る法は、誰かを切り捨てる法である。人間社会は矛盾だらけだ。


「それでも、持っていても使えない、というのが一番つらいからな。多少手間が掛かってでも、使える環境があるのはいいことだ」

「まあ、許可も何も関係なく、勝手に無茶して勝手に“再生”する人もいるみたいですが」

「あー……それは、あれだ、止むを得ない事情でもあったんじゃないか」


 そんな苦しい言い訳に、じとっとした視線を向けてくる飛鳥馬の圧に耐えられず、俺は自動販売機へと手を伸ばしていた。口のように開いた読み取り装置の中に手を入れることで、二秒と待たず静脈認証が完了し、ガコンと音をたてて缶コーヒーが転がってくる。


「振り返ってみると、君、自分から傷を負う傾向がありますよね。あの夜も、わざと正面から炎に突っ込んだり」

「あれは一応戦略だからな? 勝手に被虐趣味扱いしないでくれ」


 しかし、本当ですか? と言わんばかりの疑惑の眼差しを向けたまま、飛鳥馬も同じように缶コーヒーを買う。ただし、あちらは加糖されてミルクも入ったものだ。


「一応言っておきますけど、わざと怪我をするような真似はしないでください。心配してしまうので」

「……そうだな、気を付けるよ」


 少し呆気に取られてから、その気遣いを理解する。

 普通なら、死なない奴の心配なんて、することがない。特に、“再生”は程度に関係なく発動するので、転んで擦り剥こうが銃で撃たれようが、どちらも同じ。こちらとしても、心配を願ったことなど一度もない。

 だが、それでも彼女は、怪我をしてほしくない、と、当たり前のように言う。そうした優しさこそが飛鳥馬茜音の本質なのだと、この前の一件で気付かされた。


「そういえば、君はどちらのカリキュラムに? “再生”は公に出来ないんですよね」

「だから俺は研究者課程(リサーチャー)……これ恥ずかしくないか? よく言えるな」

「私だって我慢してます。人を恥知らずみたいに言わないでください」


 ともかく、三日前か、転入試験を受けたのだが、この試験もカリキュラム同様に二通りあり、彼女の言った魔術師課程(メイジ)では、実技試験という名目での魔術(マギア)の実在確認が行われる。これに“再生”を使うなんて以ての外だった。

 よって、もう一方の単純な筆記試験を受けたのだ。


「……待ってください。まさか、本当に研究者課程(リサーチャー)をパスしたんですか?」

「そう言ったつもりなんだが、どうした?」


 あまり感情的にならない彼女が、珍しく驚いた表情を見せていた。


「……では、本当に頭が良かったんですね」

「何でそれで悔しそうな顔になる」


 ここで、両者を簡単に表してみよう。すると、魔術師課程(メイジ)はスポーツ推薦枠、研究者課程(リサーチャー)は一般入試枠に相当するだろう。

 魔術師(メイジ)とは、先の通り、貴重な人材。彼らの()()は国家としての指針であり、同じく国家プロジェクトの一つである千万島の、その名を冠する千万学園は、成績を考慮せずに彼らを受け入れる仕組みとなっている。何たらと鋏は使いよう、というのは表現として適切かは分からないが、そういうことだ。

 そんな一面とは別に、ここは学校法人であり、歴とした教育施設として、一般の学生も受け入れている。しかし、生徒数には上限が存在する。人工島という性質上、土地が限られるので、あまりな増員が見込めないのも一因だ。よって、魔術師(メイジ)を優遇した分だけ、一般枠が圧迫され、従って、入学試験が狭き門となっていく。それでも、久々原さんとしては、より多くの生徒を迎え入れるよう努めているそうだが。

 そんな背景から、この学園では、成績の良し悪しにかなりの落差があるらしい。彼女の成績は知らないが、言動から窺うに、悪くないのではと思う。


「何となくですが、君に負けるのは癪に障るので」

「負け犬の遠吠えか」

「な・ん・で・す・か?」

「待て飛鳥馬、知らないかも知れないが手首は構造的にそっちには曲がらないんだ。痛い痛いちょっと痛いちょっと痛いっ! 悪かったって!」


 どうやら、彼女は合気道を主とした様々な武道に心得があるらしい。そこらの悪漢程度であれば、武器を所持していても軽くねじ伏せるほどの腕前である。


「まったく……ああ、頭がいいからこその減らず口、いえ、口が上手いんですね、道理で」


 そんな皮肉を口にしながら、ぱっと手を放されると、痛みは長続きせず、じんわりと消えていく。これは“再生”の効果ではなく、そういうものなのだろう。


「そんなに褒められると、嬉しくて泣けてくるよ」

「……褒めてませんよ?」

「……知ってる」


 何でこちらの皮肉は通じないのだろう。


「というか、飛鳥馬だってそこまで頭は悪くないだろう?」

「それは、私の口が悪いと遠回しに批判しているんですか?」


 今のは裏を取るのか。なんて面倒な性格だ。


「じゃなくて、仕事のことを考えれば、多少なりとも魔素理論には詳しいと思うんだが」

「ああ、分室のことですか」


 特殊事象調査分室。それは、魔術(マギア)が当然となった現代社会において、治安維持を担う組織の一つである。彼女が属する組織だ。

 魔術(マギア)を説明するには、今のところ、魔素理論を用いるしかない。つまり、魔術(マギア)の対処に挑む過程で、彼女もそれは避けて通れない筈だ。理論物理学の最先端である以上、最低限の科学的知識は持ち合わせなければならない。


「白状してしまえば、私はそこまで詳しくありませんよ」

「そうなのか?」


 意外だった。医者が病気に詳しくないと言っているようなものだろう。


「分室内でも詳しいのは室長と、一部の職員くらいです。私達は指示を受けて動くのが役割なので」

「あー、医者が病気の治療は出来ても、病原菌に詳しい訳ではないのと同じか」

「そんな感じでしょうね」


 久々原さんのように、指揮する立場の人間が的確に理解していれば、現場は指示通りに行動すればいい。それが分室の指揮系統のようだ。


「まあ、君は違うみたいですけど。私よりもさぞ頭がいいようで」

「何なんだ、その当て擦り。自慢じゃないが、飛鳥馬と試合をするなら、開始早々に負けを認めるくらいには賢いつもりだぞ」

「本当に何の自慢にもなってないじゃないですか」


 飛鳥馬にじとっとした目を向けられるのも、慣れてきてしまった。俺は気付かない振りをして、缶コーヒーを傾ける。


「それなら、そちらは以前からあのようなことを?」

「あのような?」

「分室のアドバイザーというのが表向きの建前だとしても、実際に魔術(マギア)に臆することなく、立ち向かうことに慣れているのは、何か理由が?」

「それは……何と言うか、トラブルメーカーというか、トラブルを押し付けてくる人がいてなあ」

「はあ……?」


 そういえば、今日の夜にも迎えに来るらしい。思い出してしまった。忘れたまますっぽかしたかった。それが通用する人ではないにしても。


「ともあれ、“再生”との付き合いが長いと、滅多なことでもなければ驚きもしなくなるのはあるかもな」

「死なない、どんな傷でも元に戻す力……魔術(マギア)は、個々の想いが反映されることが多いそうですが」

「飛鳥馬の“呪い”みたいな例外もあるし、これに関しては心当たりが全くない。魔素理論があっても、何でも解き明かせる訳じゃないってことだな」


 そんな愚痴は、しんと静まり返った早朝の学園に消えていった。


「君は、いつからその……」

「不死身か? 死なないかどうかは別として、怪我が“再生”すると分かって、それが周りと違うことに気付いたのは、本当に子供の頃だ。多分、生まれつきだった」

「となると、魔素理論が出る前ですよね。“再生”は、原色の魔術(マギア)なんですか?」

「ん、よく知ってるな、『原色』なんて言い方。専門職くらいしか使わないぞ」

「まあ、私も自分なりに調べたので」


 態度には出ていないが、声は少し嬉しそうな飛鳥馬だった。

 原色(origin)とは、魔素理論が提唱される以前からあった超常の力に用いられる表現である。力の原理としては、以前も以降も違いはないのだが、科学者や研究者にとっては、一つの重要なパラメータとなる。


「確か、魔素理論が発表されたことで、魔術師(メイジ)という存在が世間に認識され、その人口は飛躍的に増加しました。ですが、それ以前にも魔術(マギア)は実在していて、私達が認識していないだけだった」

「特に隠されていた訳でもない、というのが量子論的に結構重要なポイントだった。超能力や神秘(オカルト)と言われていた頃は、存在を知る者の間でしか、()()()()()()()()()()()()()んだ。それが実在すると主張して、初めて科学的に理論化したのが魔素理論。どんな超常の力も、全ては魔素によって引き起こされるから、魔術(マギア)という呼称に統一した」


 すっかり魔素理論という言葉が浸透した現在では、例えば、『超能力』や『超能力者』は使われなくなり、『魔術(マギア)』や『魔術師(メイジ)』に置き換わっている。これは、国際的に定められた指針でもある。

 ただし、『魔術師(メイジ)』という言葉は、力を持つ者とそうでない者を差別する表現と考えられることもあり、公的には使われない。まあ、私語の内ではこんなものだが。


「その発表以前の魔術(マギア)を表す言葉が、原色。原色は、現象としては()()そうですけど」

「だな。学者内でよく用いられるのが『世代』という表し方で、今はおよそ第二世代にあたる。第一世代は、魔素理論提唱当時から三、四年間くらいのものを指すな。まあ、この辺は科学者によって見解が違うから、あまりあてにするものじゃないにしても、原色の世代は、どうしても小スケールになる性質なのは事実だ」


 簡単に述べると、あとに発現した世代の方が、規模や質等が強くなる傾向にある。これは、魔術(マギア)の仕組みとしての必然であり、しかし、現象としては同一である。

 また、既に第三世代に転じている、と語る者もいるし、第三世代に転じるには何かしらの特異点が必要だ、と述べる者もいる。それだけ曖昧な、ふわっとした話だ。


「ですが、君の“再生”は、今の魔術(マギア)と比較しても、類を見ないものだと室長は言ってましたよね?」

「そうだな。現象として実在している以上、疑いようはないんだが、第一世代や第二世代、当然、原色とも比べると、明らかにスケールがおかしい」


 なお、このスケールのことを、魔素理論では『魔力』と表現している。魔力が大きいほど、より規模や質の大きな現象が起きる、といった具合である。


「世代を経ていくと何が変わるのかと言えば、土台だ。|心理的土台《Psychological Basis》と呼ばれてる」

「土台ですか?」

「例えば、傷を癒したいという想いが“治癒(ヒーリング)”の魔術(マギア)として発現すると、自然治癒力を高めたりして、常識を超えた回復現象を人為的に起こせる」

「そのくらいは常識でしょう」

「ちょうどその『常識』が心理的土台だな。魔術(マギア)()()現象を引き起こす力だから、要するに、既存の魔術(マギア)が常識に組み込まれると、次世代ではそれを超える力が現れる。そうやって変化していく性質があるんだ」


 例えば、これまで治せなかったものを癒せた、という事例が、少なからず報告されている。人によっては、これを進化と呼ぶ。


「それは、でも、変じゃありませんか? 理屈は分かりますが、それだと、最終的には何でも出来ることになりそうなんですが」

「理論上はそういうことだな」

「……冗談ですよね?」

「いや飛鳥馬じゃないんだから」

「どういう意味ですか?」


 ともあれ、これで、世界各国が躍起になって魔素理論を研究する理由が分かっただろう。世界中で、どの国よりも、誰よりも、いち早く『何でも出来る』ようになりたいのだ。

 ちなみに、これは魔素理論における存在率《Potentialance》という数値に基づく。この数値が『1』に達すると、文字通り、何でも出来るようになると言われている。


「本当に何でも出来るなら……そんな事実が、なぜ知られていないんですか?」

「これも隠されてる訳じゃないぞ。何世紀か、何千年か、地球に氷河期が来るのが先か。少なくとも、遥かに先の話になるから、科学者と政治家くらいしか興味を示さないんだ。そこまで進めば既存科学も進歩しているだろうし、魔素理論だって、魔術(マギア)が世に出るまでは世間の注目をほとんど集めていなかった。多くの人間にとって、自分が死んだあとの話なんて興味ない、ということだな」


 こうして埋もれていく理説が、いくつあることやら。アインシュタインが唱えた数多くの理論も、彼に最高の理解者がいなければ、日の目を浴びずに消えていたかも知れない。


「いずれは、の話だ。常識はあくまで常識。身体の欠損とか、不治の病とか、心理的根底で無理だと思っているものが簡単に覆るほどの()()()()は起こらない。常識を超えることは出来るが、常識そのものが劇的に変わることはないって感じだ」

「……つまり、少しずつですが、魔術(マギア)が常識として浸透していくほど土台が積み重なっていって、相対的に、魔術(マギア)の発現に対するハードルが下がる。だから、世代を経るごとに現象は強くなっていく訳ですか」


 飛鳥馬は、自分では詳しくないと言っていたが、飲み込みは早いように思う。これも、超常と相対することで、彼女の中にある土台が変わっているからだろう。


「では、“再生”は原色どころか、その逆で、土台を積み上げた先の、何世代も先にある筈の魔術(マギア)である、と?」

「可能性としてはな。飛鳥馬の言葉を借りると、本来、魔術(マギア)は想いの強さでハードルを超えて、初めて生じる現象なんだが、土台がハードルと同じ高さになると、想いは不要だ。こうなれば、望んだことは望むだけでほぼ実現する世界になる。意志の有無に関係なく、無意識に“再生”して死なない化け物の誕生もあり得る」


 これはつまり、『人間』という種の思考力の限界を意味するが、ややこしくなるので割愛。


「だとしても、そんなものが、なぜ君に?」

「それが分かれば、長年の悩みは消えてくれるんだが」

「……ですか」


 “再生”の解明は、彼女を蝕む“呪い”の解明にも繋がる。こちらに手掛かりがないと判明した飛鳥馬は、思ったよりも消沈した。


「まあ、何事も積み重ねだ。魔素理論はそれをすっ飛ばしたから、少しばかり物理学とか世界が滅茶苦茶になったが、今の俺に出来るのは、分からないことを一つずつ減らしていくこと。そうすれば、いつかは辿り着くものだ。“再生”の秘密にも、勿論、飛鳥馬の“呪い”にも」


 自分の起源を知る為に。この際だ、学園だろうが何だろうが、利用してやろうではないか。


「……君は、凄いですね」


 飛鳥馬はぽつりと呟く。


「急にどうした?」

「いえ……詳しいのは、やるべきことが見えていて、きちんと向き合っているからなんだな、と。私は、自分がやるべきことが分からないというか、自信がないので」


 どこか自嘲するような言葉は、噂の女王様とは程遠い、繊細さを感じた。


「自信ね。俺には、誰かにこう思われたい、みたいな感覚がないからかもな。誰にどこで何を言われようがどうでもいいし、何をしてもされてもどうせ死なないから、不安を感じない。『自分がやりたいようにやってるだけ』が、多分、誰よりも忠実なんだ」

「……本当に、君って人畜無害そうな様子で、驚くほど図太いですよね。何か変な食べ物でも拾い食いしてませんか?」

「そりゃあ、別に毒林檎をかじっても死にはしないが、ちゃんと人の食べ物以外は食べてないぞ」


 こちらを悪食のように言う彼女に、呆れ半分で答えた。


「というか、何をそんなに不安に思うのかが分からない。俺が前向きになったのは飛鳥馬のおかげだぞ」

「……は?」

「『は?』じゃなくて。飛鳥馬がいるから、俺は学園に通おうとも思えたし、一層やる気になれた。自分が“呪い”に苦しみながらも、他人に優しくあれる飛鳥馬の力になりたいと思った。そんなに変か?」


 “再生”と“呪い”。方向性は違っていても、共通する点を持つ力の持ち主に出会った。そして、そんな彼女は、力強く生きる者だった。それは、モチベーションの向上には十分だった。


「これでも、そう易々と揺さぶられたり、意見を変えたりしないつもりだ。飛鳥馬は十分に立派で、俺は自信を持ってそう言える。それだけ他人を変えられる力がある。不安に思うことなんてないと思うが」

「で、ですかね」

「まあ、自分で自分をどう思うかは人それぞれなんだろうが、俺は、飛鳥馬が困ってたら必ず助けたいと思う。その努力なら惜しくないし、飛鳥馬の自信に繋がるなら、何だってしてもいいくらいだぞ」

「そ、そうですか。ちょっ、ちょっと話すのやめてもらってください」


 初めて聞く要求である。ここまでけったいな要求をされた者は、世界中を見回してもそういないだろう。


「そっちから振ってきた話題じゃないか」

「ですけど……こう、心臓が未知の感覚なのでっ、ちょっと待ってもらって、いいですか……?」

「未知の感覚?」

「これが、人間の、感情というもの……?」

「そんな機械知性の親玉みたいな感覚を」


 案外、余裕そうである。


「とっ、というか、君は私に興味なかったんじゃないんですか?」

「興味は特にないな。目の前に怪我をした犬でもいれば、犬に興味がなくても助けたくならないか?」

「……つまり、君にとって私は犬と同じ?」

「犬と同じというよりは、まあ、動物かな」

「動物……動物?」

動物(ホモサピエンス)


 言われてみれば、他人をどう思っているかなんて考えたことがなくて、表現に困った末の受け答えだった。言葉が正しいかは、自分でも不明だ。


「ああ、なるほど……そう、ですか」

「もう大丈夫なのか?」

「ええ……不思議と、胸のつかえが白けたように、それはもう、すっと消えました」

「そうか、なら良かったな」

「……良くないっ!」


 突如、なぜか声を荒げた飛鳥馬は腕を振りかぶり、空き缶を投擲する。それはこちらの頭に的中し、すこーん、と小気味良く宙を舞った。角が当たって痛かった。

 そうして、何が何だか分からない内に、彼女は寮へと戻ってしまい、一緒に戻るのは良くないだろうと考えた俺は、飛鳥馬が放り投げた空き缶をついでに捨てることにして。

 気付けば、転入初日への憂鬱な気分は晴れていた。存外、俺も影響され易いのだろうか。






「京修司だな。担任の鮫島康介(さめじまこうすけ)だ。とりあえず一年間、よろしくな」


 時間は幾分か過ぎ、午前八時過ぎ。俺は本館にある職員室を訪れていた。通り掛かった教職員に転入の事情を説明すると、紹介されたのが、彼である。

 第一印象、ドライな性格。頭髪、髭は手入れを些か怠っているようだが、服装は小綺麗。ただ、ブランド物ではなく、そこらの量販店で買える安物だ。年齢は三十代後半くらいか。担当科目は『政治経済』のようで、資料は机の上に整然と並べられている。パソコンのデスクトップ画面も整頓されており、潔癖ではなくとも細かな性格のようだ。左手の薬指には指輪が嵌められているし、緩めていても存在感を放つネクタイは、彼のセンスではない気もする。天下の千万学園の教師なら、相手に困ることはないだろう。既婚者か新婚か、どちらにしても、関係は良好らしい。

 いつものように、そんな感じでざっと観察をしていると、彼は手元のタブレット端末をコツコツと指先で弾いていく。


「ふむ、研究者課程(リサーチャー)で試験結果も優秀。転校前は本土の学園か。あっちでも成績が良かったのか?」

「いえ、前はそれほど」

「ん……? ああ、なるほど」


 ()()()()()()()を見て納得したようで、鮫島教諭は画面を消灯した。本人として、その内容は見ずとも察しがついたが、彼が黙ってくれたので、こちらとしても、わざわざ触れないでおく。


「じゃあ、説明だな。まず、これを渡しておく」


 そうして、俺は別のタブレット端末を受け取った。新品ではなさそうで、裏面には学園の校章が記されていた。


「これは?」

「学園専用端末だ。使わない科目もあるが、指示がない限り、毎時間必ず用意するもの思ってくれ。特に、魔素理論講習の科目では必須だ。そのデータが研究や今後のカリキュラムの改善に使われるからな」


 続けて、彼は「それと、端末の学園外への持ち出しは禁止だ」と付け加える。


「入寮時に話があったと思うが、この学園は研究所と提携していることもあって、情報管理や警備が徹底しててな」

「そう聞きました」

「最近は、写真や動画を簡単にネットへ上げられることもあって、授業中は携帯電話や類似の機材の使用禁止、他にも、授業風景や個人が判明するものの拡散行為なんかは、厳しく罰することになっている。この辺の話は、新年度には必ず一時間の特別講義があってな。全員毎年受講の決まりで、京も例外なく、放課後にでも追加で受けてもらう。今日は時間あるか?」

「一時間程度なら大丈夫です」


 これは久々原さんから聞いていたことなので、確かめるまでもなく頷く。

 つまり、コンプライアンスを遵守せよ、との講習だ。例えば、企業スパイが学生に近付いて、間接的に不法行為を働く、なんてこともあり得る、というか、未遂事件があったらしい。その際は、当該学生の友人から相談があって判明したそうだが。

 そうでなくとも、千万島が観光地化している影響で、多くの国から多様な人間が訪れる地にある教育機関。一般の学園よりは、学生が犯罪に巻き込まれないよう、細心の注意を払う必要があるだろう。


「あとは学園内のことだが……まあ、これは京にはあまり関係ないだろうが、魔術(マギア)の使用は禁止されてる。特に授業、テストにおいてはな。各教室や敷地内のいたるところには魔素光検出器があって、要するに、使えば分かるようになってる。京からすれば、勉学の公平性は保ててることは保証する」

「確か、魔術(マギア)の有無で授業内容が変わることもないんでしたか」

「魔素理論講習以外は、だな。聞いてるかも知れんが、この学園は魔術(マギア)を重視する傾向にあって、そういう生徒は、研究者課程(リサーチャー)の学力水準より低くくても受け入れている。これはお前達にとってはデメリットかも知れんが、見識を広めるとでも考えてくれ。授業内容は研究者課程(リサーチャー)に合わせてあるから、学力に関しては心配要らないだろう」

魔術師(メイジ)の方に科目の免除とかは?」

「それはない。まあ、よっぽど赤点を取れば話は別だが、その際は、補習なり課題なりで点を稼いでもらうだけだ」


 とすると、魔術師(メイジ)も大変だ。推薦枠で入学しても、待っているのは、一般枠に合わせたレベルの高い授業。いや、荒療治のように、案外成績が伸びるのだろうか。


「当然、進路にも悪影響はないから、そこは安心していい。ここの研究者課程(リサーチャー)を修了ってだけで相当な箔は付く。日頃の成績次第だがな」

「勉学には励みたいと思っています」

「なら大丈夫だ。あとは問題を起こさないでくれれば、将来、進みたい道には大体進めるようになるだろう」


 流石は天下の千万学園だ。特に嬉しくはないが。

 すると、職員室の扉がノックされ、「失礼いたします」との声がする。こちらには関係ないと思って視線を戻すのだが、鮫島教諭は、入室者を見て手招きをした。


四季小路(しきのこうじ)、こっちだ」


 入ってきたのは、一人の女子学生。分厚いレンズの眼鏡を掛けていて、制服は膝丈まできっちりと着こなした、淑やかな雰囲気。髪は毛先の方で一つに束ねられており、線の細さと肌の白さから、雰囲気は深窓の令嬢といったところか。

 レンズ越しでも分かるつぶらな瞳をこちらへ向けると、彼女は穏和な笑みを浮かべる。初対面の筈だが、まるで、こちらを知っているかのような素振りに思えた。


「おはようござまいます、鮫島先生」

「ああ、おはよう。すまんな、朝から来てもらって」

「いえ、いつも登校している頃ですので」


 彼女は気にした様子もなく、にこりと微笑む。


「京、こいつは四季小路。俺が受け持っている二組の学級委員をしてる。で、四季小路、こっちが話してあった京。今日からの転入生だから、お前からも気を配ってやってほしい」

「はい、承りました」


 四季小路は恭しく腰を折り、こちらを向いた。


(わたくし)、学級委員を任されております、四季小路(ゆい)と申します。至らぬ点の多い身ですが、よろしくお願いいたします、京さん」


 なんて丁寧な振る舞いだろう。仕草の一つ一つが優美で、気品を感じさせた。それに、『四季小路』は、どこかで聞いた名の気がする。


「うちは成績上位者だけ貼り出される仕組みでな。四季小路は前年度の学年首席。頼りになるだろう。四季小路、京も研究者課程(リサーチャー)でな。こいつが慣れるまでしばらくは、すまんがよろしく頼む」

「はい、かしこまりました。お任せください」


 学年首席。それはまた大物だ。千万学園の首席となれば、全国的にも指折りの学力ではなかろうか。


「それと、余裕があったら京に学園の案内もしてやってほしいんだが」

「ああ、それはもう済んでいます」

「ん、そうなのか? 準備がいいな」

「まあ、諸事情で飽きるほど」


 寧ろ、これ以上、連れ回されても困る。いっそのこと、三回も学園を案内された男として異名を馳せるか、同級生のガイド能力を比較するのなら話は別だが、そんな暇はない。


「それならいい。他に聞きたいことはあるか?」

「魔素理論講習は、具体的にどんな授業を?」

「ざっとになるが、魔術師課程(メイジ)は実技、研究者課程(リサーチャー)は座学だ。前者は言わずもがな、座学は量子論や魔素理論をはじめとした現代物理学がメインの講義になる。詳しくは担当教師に聞いてくれ」


 つまり、物理学の科目が一つ増えるようなものか。古典物理学と現代物理学がほとんど別物とはいえ、物好きが集まる訳だ。


「内容は専門的ではありますが、ちゃんと私達の学力に合わせてくださったカリキュラムになってますよ。魔素理論を学ぶ上での、地盤固めのようなものでしょうか」

「なるほどな。そう肩肘張るものではない感じか」

「はい」


 元より、千万島は研究都市。研究開発が最優先の島だ。その名を冠する学園もまた、研究の推進を促す存在であり、要するに、将来的な研究者の養成科目、といったところだろう。


「あとは……そうだな。うちは厳守すべきルールが多い反面、自由も尊重する。課外活動や学園生活でも、学園側は最大限の配慮と支援を掲げている。ルールさえ守ってくれれば、好きなことを好きなようにやっていい。最悪、勉学は後回しでもな」

「それは、自由というより緩いのでは?」

「まあ、教育機関としては快く思われない部分もあると思うが、一つくらいは型破りな学園があってもいいだろう。我慢も人生には必要かも知れんが、それはここですることじゃないってことだ」


 彼は、こちらの隣にいる四季小路にも時折、目線を向けて続ける。


「この学園には三つの理念があるんだが、その一つが、『生徒が自身の力を自覚し、育むこと』だ」

「自身の力」

魔術(マギア)に限った話じゃなくてな。知力や体力、コミュニケーション能力、何でもいい。自分で自信を持てる力を、ここで過ごす中で、自分で見つけること。それを大切にしている」


 だからこその、自由。放任ではないにしろ、随分と重たい自由のようだ。


「これからの社会は、力と寄り添わなければならない社会だ。魔術(マギア)と渡り合おうと新たな力が出てくれば、その力と張り合う為に新たな力が出ることもある。『限界時代』なんて呼ばれてる昨今、自分で自分を認めることは、この先、欠かせない武器になる。それが理事長の考えだな」


 如何にも久々原さんが言いそうなことだと感じた。そして、それはきっと事実なのだろう。俺には未来を予知する力はないが、きっと、彼は未来を見通して、この学園を創設した。


「当然だが、何でも許容する訳じゃないからな。遊びを優先して勉学を疎かにすることは、こっちも頑として承知しない」

「肝に銘じておきます」

「まあ、京は人生経験も豊富そうだし、その言葉を信じるとして、何かあれば声を掛けてくれ。授業内容に進路相談、答えられることは答えよう。とにかく、学生生活を楽しむことだ。この鳥籠でな」

「分かりました」


 続けて、彼は目線をやや逸らして。


「勿論、四季小路も」

「はい、ありがとうございます」


 そう教師らしく話を締めると、ちょうど予鈴が鳴り響く。席を立つ彼のあとを追い、俺達は職員室を出た。

 予鈴に伴い、廊下には俄に喧騒が満ちて、それはやがて静まり返る。千万学園、本館二階。片面がガラス張りの廊下からは、中庭がよく見えた。澄み渡る青空から注ぐ太陽光で、廊下は照明以上に明るく照らされ、パネルで継ぎ接ぎされたような壁と、特定の教室の前に設置された静脈認証の装置が、近未来的な雰囲気を感じさせる。開放的で、新鮮な光景だ。

 そんな場所に立つ、自分の姿がガラスに反射していた。黒いブレザーに腕を通した格好で、白いシャツにはネクタイだ。何年振りだったか、こんな格好は。


「どうかされましたか?」


 窺うように首を傾げている四季小路の姿も、ガラスに映る。制服姿の彼女にまで隣へ立たれると、実感する。


「何となくな。少しは成長したのかなと」

「ふふ。京さん、身長お高いですからね。制服、よくお似合いですよ」


 それは、こちらが考えていた意味とはやや違ったのだが、社交辞令に不義を返す訳にもいくまい。ありがとう、と口にすると、先を行く鮫島教諭に、二人して急かされた。






 千万学園の授業風景は、『普通』である。

 例えば、魔術(マギア)が飛び交うこともなく、例えば、名のある人物を講師に招くことでもなく、ただただ普通。強いて挙げるなら、渡されたタブレット端末に教科書が全てインプットされており、それを読み進めながら、時に書き加えながら進行していく近未来的な授業に、少し戸惑ったくらいだ。

 こちらが“被検体”として怠けていた間に、時代は進歩していたらしい。


「よっ、かなっち。授業どうだった?」


 昼休みを報せる鐘が鳴りつつも、端末の画面を眺めていると、空上が席にやってきた。


「ああ、気が抜けるくらいには普通だった」

「『普通』ってな、かなっちさんや。うちの学園、授業が難しいってのは知ってっかい?」

「俺もさっきまで受けてたからな。確かに、ただ教科書を読んでればいいって訳でもなく、面白い授業だったよ」

「そうか、それが勉強出来る勢の見てる景色か。遠いなあ……」


 たった数時間受けただけでも、この学園の教師のレベルの高さを思い知る、充実した時間だったと思う。

 いい教師は、臨機応変である。ただ教科書を読むだけなら、今時は機械でも出来る。必要なのは、他者の無理解を感受し、適切なアドバイスを行うこと。広い教室を見渡して、学生全員の顔色を窺い、何を話すべきかを瞬時に判断する。難しい仕事だとは思うが、千万学園の教師は、それぞれが見事に教鞭を取っていたように感じた。

 なお、こちらの学費は久々原さんが出しているらしいので、どちらにせよ、授業は真面目に取り組むつもりだったが、それも取り越し苦労に済みそうだ。


「よっす、おはこー。で、そこのアホはアホな顔して何アホしてるん?」


 やって来たのは二乃井。彼女とも同じクラスだ。


「二乃井さ、アホって十回言ってみ?」

「空上はアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホ」

「リンゴは英語で?」

「アッポォ」

「ネイティブゥー!」

「こいつクッソムカつくッ!」


 俺の席の前で取っ組み合いが始まった。賑やかな連中である。


「京さん、授業は大丈夫そうでしたか?」

「ああ、問題なさそうだ。ありがとう、四季小路」


 隣の席の彼女は、わざわざ身体をこちらへと向き直している。釣られてこちらも倣ってしまった。


「鮫島先生も仰ってましたが、何かありましたら、お気軽に相談ください。こうして知り合えたのも何かの縁です。私で良ければ、お力にならせてもらえると嬉しく思います」


 なんと律儀か。物腰柔らかで丁寧な印象なのだが、彼女といい、飛鳥馬といい、近頃は、同級生に敬語を使うのが流行っているのだろうか。

 ちなみに、クラス全体の人数は二十五人。特に成績や能力で分けられてはいないらしい。


「四季小路は、あれだ。慣れているな」

「二人とも、とても仲良しで素敵ですよね」

「……まあ、それでいいか」


 取っ組み合い、というより、二乃井による一方的な虐げが繰り広げられている光景は、仲良しの印だろうか。多分、彼女も変わり者。きっと、無垢が過ぎるのだ。


「そうだ、四季小路と言えば、もしかして、『フィリアネシス』の四季小路か?」

「あはは……その通りです。京さんはご存知だったんですね」


 『四季小路』とは、フィリアネシスという大手製薬会社の創業者一族の名だ。また、医療機器の開発、製造にも携わっており、こちらがその名を知っているのは、その一面によるものだった。

 魔素理論研究において、医療は特に盛んな分野の一つである。その繋がりで耳にすることもあれば、魔素理論研究所にあるいくつかの設備にも、フィリアネシスの銘が記されているほど。医薬品シェア率も高く、その名は国外でも有名で、企業としては、この国を代表していると表現しても過言ではない、正に一流の家柄。

 そう、お嬢様なのだ。


「授業で何となく財閥が思い浮かんで、それで思い出したんだ」

「えっと、家族経営にはなると思いますが、財閥では……それに、私なんてまだまだ若輩の身で、皆さんと同じ立場には違いありませんよ」

「それでも、わざわざ海の上の学園を選んだのは、将来的に後継者だから、とかじゃないのか?」

「いえ、そういうのとは無関係に、私は自ら望んでこの学園へ来たんです」


 てっきり、家柄から有名校に通っているだけ、といったイメージだったのだが、それは違うと言う。


「両親からは、学園も将来も、家に囚われず好きなことを目指していいと言われておりまして。ですが、私は私なりに、父や祖父が支えてきた事業のお手伝いがしたく。それに、これからの社会では欠かせない知識や経験が、この学園では得られる。そう思って、こちらへ来たのです」


 好きなことを好きなようにやれる自由。その中から、彼女は千万学園を選んだ。当たり前だが、来る前から自由な者もいる筈だった。


「とはいえ、知名度の高い学園という経歴に、将来的な影響を期待している部分は、やはりありますが」

「それで学年首席か。凄いな」

「いえ、学年末の試験で本当に幸運だっただけです。僅差でしたし、これに傲らず、まだまだ精進が必要だと感じました」


 謙虚な性格に加えて、育ちの良さと家柄を窺える立ち居振舞い。一方で、どこか箱入り娘のようにも感じたのは、その生まれからだろうか。


「それに、私より優秀な方、名の知れた方は他にもいらっしゃいますし、そんな方々や皆さんと同じことを学び、同じ学舎で過ごせることが何よりも心強く、とても嬉しく思うのです。勿論、京さんとも、ですよ?」

「そうか……四季小路、飴食べるか?」

「飴ですか? はい、折角ですし、いただけるのなら……?」


 きょとんとする彼女の掌に、個包装の飴を一つ渡す。考え事に糖分は欠かせないので、いくつか忍ばせていたものだ。年寄りが孫に菓子を与えるのは、もしかしたら、こんな気持ちなのかも知れない。


「あ、それバターのやつ? 分かる、ゆーちゃんってお菓子あげたくなるよね」

「二乃井も要るか?」

「やーさんきゅー旦那ー」


 空上を仕留めたらしい彼女にも飴を渡す。なお、学園内への嗜好品の持ち込みは、特に禁止されていない。


「頭いい人って、なんか飴とかよく持ってるイメージない? あとガムとか、コーヒー飲んでたり。京くん、そういうの似合いそう」

「そうですね。ノートもとても几帳面に取っていそうです」

「ねー。あたしはそういうの苦手でさー。色使ってカラフルにして、結局訳分からんくなるんよ」


 謎の期待を寄せられていた。どうしよう、ノートの取り方なんて忘れていたので、ほぼ教科書の丸写しだと言うべきか。写経であった。


「二乃井と四季小路は仲がいいんだな」

「まーね。今は親友ってやつです。いえい」

「はい。私も乃亜ちゃんと仲良くなれて、とても嬉しかったです」

「もーかわえー。守ってあげたくなる心がくすぐられますぜ」


 分かる。


「ふむ、ギャルと優等生ですか。互いを補い、尊重し合う部分にえげつない尊みを感じる」

「空上。生きていたのか」

「死んだと思ったなら、せめて墓くらい建ててくれや、かなっち」

「次からは気を付けるよ」


 とりあえず、飴を供えておいた。


「ところで、京さん。一つお伺いしたいことがごさいます」


 前置きまで仰々しいご令嬢である。


「期待に添えるかは分からないが、何だ?」

「あ、すみません。そんな大それたことでは。そう改まらないでください」


 慌てて両手を振る彼女は、特に裏のなさそうな無垢な瞳で、こんな質問をしてきた。


「京さんは、もしかすると、京垓斗(かいと)さんのご親族ではございませんか?」


 ()()()


「……いや、自分でも珍しい名字だとは思うが、親族にその人はいないな。悪い」

「そうでしたか。いえ、私の方こそ思い過ごしだったようで、失礼いたしました」


 努めて平静を装うと、彼女は疑いもせずに受け入れる。大企業の創業者一族としては、不安になるくらいの純真さだった。


「かいとさん? その人がゆーちゃんの知り合い?」

「私はほとんど面識はないのですが、昔、父が懇意にされていた方でして。確か、その方にはご子息がいらっしゃった筈で」

「それが京くんかと思ったってこと!? ドラマじゃん! 親の間で勝手に結婚の約束とかさせられてるやつ!」

「マジかよ。四季小路の許嫁とか、前世で死ぬほど徳を積まないとなれなさそうだよな」

「それはもう死因じゃないか?」


 どんな人物であれば、国を代表する大手医療会社の息女と結ばれるのだろうか。統計を取ってみるのも面白そうだ。


「あはは……実際はそんなことはなかったのですが……」

「ゆーてゆーちゃんは私のゆーちゃんなのだ。結婚なんてお父さん認めませんよ」


 そう言いながら、彼女は四季小路に覆い被さる。体重を掛けられた少女は、こそばゆいといった雰囲気で、和気藹々としていた。


「つっても、世界は広い方がいいだろ。四季小路は、その京さんとかなっちと、二人の京と知り合えたってことじゃん。いいことなんじゃねえの?」


 尤もなことを言う空上。


「……どしたの? 授業難し過ぎてバグった?」

「バグってねえよ! そもそもインプットで躓いてるわ!」

「それは、あまり声を大にすることではないような……」

「てか、俺いいこと言わなかった? 珍しくいいこと言った筈なんだけど」

「まー言ったかもだけど、空上、クラス替えで仲いい友達全員と分けられちゃって、先週までぼっちだったしなあ。そんな人に、知り合えた喜び? とか言われても」

「おい待てよ、俺がぼっち飯してたのを持ち出すのはすんませんやめてもらっていいっすか?」


 どうしても格好つかないのが、彼の性らしい。


「ふふ、皆さんとご一緒出来た方が、私は嬉しいですよ」

「うっ、ゆーちゃんの無垢な笑顔がっ」

「し、四季小路がそう言うなら、俺もそう思いますぜ、へへへ」

「……ああ、意外と四季小路が一番強いのか。この中だと」


 騒がしくも、当たり前のように平和な光景。これが、久々原源重の描く『鳥籠』の在り方。その中に放り込まれたことを、未だに実感出来ずに、どこか遠くから見ているような気になってしまうが、退屈は、意外としなくて済みそうだ。この場に馴染むことも、一つの訓練みたいなものだろう。

 さて、『馴染む』か。そういえば、その言葉と縁遠そうな、あの女王様は、一体、どんな学園生活を送っているのだろうか。






前編アフター 萌え燃え

「そういえば二乃井、制服でもそのパーカー着てるんだな」

「ん、これね。かわいくてお気にでさー。ずっと着てたら、逆にないと落ち着かないの笑う。あ、校則的にはいいやつだから。金髪もセーフだしね」

「乃亜ちゃん、その服いつも着てますよね。とても可愛いらしくて似合っています」

「あーとー。そだ、ゆーちゃんちょっと着てみない? 派手めなデザインだけど、ゆーちゃんの淑やかな感じと結構合うと思うんだよね」


 ……。


「えっと、こんな感じなんですけど、どうでしょう……」

「うんっ! めっちゃ似合っ」

「イイッ! 委員長的キャラが背伸びしてギャルファッションに挑戦しつつ! 恥じらいからの頬染めに萌え袖コンボがぐっは!」

「京くん、ちょっとゴミ捨てに行ってくる」

「多分燃えないぞ、それは」


 彼に友人が出来ない理由が、少し分かったのである。

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