91話 不条理なる神威
吹き荒れる乾いた風が、荒野の砂塵を巻き上げる。
海底神殿を飛び出し、始祖神サマエルをこの何も無い荒野へと引きずり出すことに成功したシンは、二刀を構えたままじりじりと後退していた。
(目的はあくまで時間稼ぎだ。ヒミコさんたちが封印魔法を構築するまで、まともに打ち合わずに距離を取って――)
シンがそう思考した一瞬の出来事だった。
「……何を見ている」
「なっ――!?」
次の瞬間、サマエルはシンの目の前に立っていた。
予備動作も、魔力の揺らぎすらもない。空間そのものを飛び越えたかのような神速。
サマエルが軽く指先を振るっただけで、大気を切り裂く不可視の衝撃波がシンの胸元を襲う。
ガキィィィン!!!
「ぐ、ああぁぁっ!?」
咄嗟に交差させた二刀で受け止めたものの、その圧倒的な質量にシンの身体は数百メートルも吹き飛ばされ、荒野の岩盤を何重も砕きながら転がった。
ただの指振りの一撃。それだけで、シンの両腕の骨が軋み、口から鮮血が迸る。
「時間を稼ぐ、か。人間の浅知恵など、この我が世界の理そのものである我が前に通じると思うたか」
サマエルが静かに歩を進める。その一歩ごとに、荒野の地面が重圧で陥没していく。
まともに距離を取ることすら許されない。ヒット・アンド・アウェイによる時間稼ぎなど、この絶対神の前では何の意味も成さなかった。
「ハァ、ハァ……っ! クソ、化け物め……!」
泥にまみれ、血を吐き出しながらも、シンは再び立ち上がった。
衣服は破れ、全身に激痛が走る。しかし、シンの瞳の奥にある闘志の炎は、1ミリたりとも衰えてはいなかった。
(小細工は通じない……。時間を稼ぎたければ、俺の全力をぶつけて、力ずくであいつの足を止めるしかねえ……!)
シンは覚悟を決めた。生半可な攻撃では、時間を稼ぐどころか一瞬で消し飛ばされる。
シンは大きく息を吸い込み、限界を超えて陰陽の二刀に魔力を爆発させた。
「俺の、すべての力をここに注ぎ込む……!!」
シンの背後に、五つの異なる精霊の輝きが揺らめき、二振りの刃へと収束していく。特訓で得た最高峰の合一技、すべてを消し去る双極の閃光。
「――『五魂神醒』……!!」
シンの身体から立ち上る魔力が、荒野の夜空を二色に染め上げる。ここから『双極斬』へと繋げ、サマエルに一矢報いる――そのために、シンは地を蹴ろうとした。
しかし、シンの身体は硬直した。
「……ッ!?」
二刀を振り下ろそうとしたその瞬間、シンの全身の細胞が、本能的な死の危険を察知して悲鳴を上げたのだ。
目の前に佇むサマエル。
その構え、その佇まい、その視線。
あらゆる要素に、一切の『隙』が存在しなかった。
前に踏み込めば首を跳ねられる。
右から斬りつければ心臓を貫かれる。
左から仕掛ければ存在ごと消し飛ばされる。
大技『五魂神醒・双極斬』を放つためには、ほんのわずかでも敵の体勢が崩れる瞬間や、攻撃の合間が必要不可欠。だが、サマエルの前では、その技を発動するための「踏み込み」の一歩すら許されない。ただ静かに立っているだけの神の威圧感が、シンの最強の技を完全に封じ込めていた。
「どうした、特異点。全力を尽くすのではなかったのか」
サマエルが冷酷に、憐れむようにシンを見下ろす。
「くっ……ああぁぁぁっ!!」
隙がない。打つ手がない。それでも行かなければ、神殿の仲間たちが殺される。
シンは絶望的な構えの不条理を前に、歯を食いしばり、冷や汗を流しながら、二刀を握る手にさらなる力を込めるしかなかった。




