87話 深淵の死闘 ジン
「ハァ、ハァ……っ、クソ……本当に、危なかった……」
ライトが、剛剣のαを光の塵へと変えた瞬間、力なくその場に膝をついた。身体はボロボロに砕け、魔力は完全に空っぽ。薄氷を踏むような、文字通りの限界を超えたギリギリの勝利だった。
その隣でも死闘が繰り広げられていた。
ジンが腰の二振りの鞘から、漆黒の魔力を帯びた二本の闇の刃を静かに引き抜いた。対峙するのは、六本の腕を持つ人型の駒『ν(ニュー)』。
不気味な駆動音を立てながら、六本の腕に携えた大剣、ハンマー、短剣、斧といったあらゆる武器をバラバラのリズムで打ち鳴らす。その破壊の手数には一切の隙がない。
ジンの背後から、闇の精霊が低く、冷徹に囁く。
『気をつけろ、申し子よ。相手は底が見えない化け物だ。あの男、六つの武器の軌道が完璧に噛み合っている』
「言われなくても分かってらぁ、精霊の旦那……!」
ジンが地を蹴り、漆黒の二刀を交差させて先制の十字斬りを放つ。鋭い闇の双撃がνの首筋と胴体を同時に捉えるかと思われた――。
ギギギガガガァァァン!!!
だが、νは二本の大剣と斧でジンの二刀を完璧に受け止めると、残る三本の腕でハンマーと短剣を同時に振り下ろしてきた。
「くっ……!?」
頭上と死角から迫る質量兵器の嵐。ジンは咄嗟に影に潜み、数メートル後ろへと飛び退く。しかし、νの追撃は神速にして正確無比だった。影から出た瞬間のわずかな隙を突かれ、ハンマーの衝撃波がジンの脇腹を猛烈に直撃する。
「がはっ……!?」
強烈な衝撃に息が詰まる。ジンは神殿の床を激しく転がり、壁に叩きつけられた。
「ジンさん!」
シンの叫び声が響くが、ジンは二刀を構え直してそれを制し、泥臭く立ち上がった。口元から流れる血を乱暴に拭うが、内臓へのダメージは深刻だ。
「へっ……流石は始祖神の直属だ。一発一発がとんでもねえな」
ジンは漆黒のオーラを爆発させ、修練場の床一面をドロリとした影の沼へと変えた。闇の精霊の力を用いて、敵のすべての武器を影で縛り、動きを止める算段だ。
影の沼から無数の『闇の腕』が幾重にも這い出し、νの足元と六本の腕に絡みつく。
「捕まえたぜ。この闇の中じゃあ、神の兵器だろうが指一本――」
――ピキィィィィン!!!
ジンの言葉は、冷徹な破壊音によって遮られた。
νの身体から放たれたのは、あらゆる魔力を強制的に拒絶する始祖神の「無効化」の余波。ジンの絶対の深淵たる闇の腕が、触れた先からパリンとガラスのように砕け散っていく。
「なっ……! 闇の精霊の力ごと、無効化の波動で破壊しやがった……!」
拘束を力ずくで破ったνが、六本の腕を風車のように回転させながら突進してくる。
それはまさに、あらゆるものを肉片に変える鉄の暴風雨。
ガガガガガガガガガガッ!!!
「クソがぁぁぁっ!!」
ジンは得意の二刀流で、怒濤のごとく押し寄せる刃の嵐を必死に受け流そうとする。しかし、相手は六腕。二本、三本を防いでも、残りの腕がジンの肉体を容赦なく切り裂き、叩きつける。
ジンの衣服は瞬く間に赤く染まり、その身体には骨が見えるほどの無数の裂傷が刻まれていった。
完全に防戦一方。そして、νの放ったハンマーと大剣の凄まじい連撃によって、ガキィィィンと甲高い音を立て、ジンの両手の二刀が同時に弾き飛ばされて床に突き刺さった。
「しまっ……!」
武器を失ったジンの胸元へ、νの四本の刃が容赦なく突き立てられようとする。
完全に追い詰められた、その絶体絶命の瞬間だった。
「……ハッ、かかったなマヌケが」
ジンは避けることを完全に放棄し、あえて自らの左肩を敵の短剣に、深く深く貫かせた。
肉が抉れ、骨が軋む激痛。しかし、ジンはその地獄のような激痛に耐え、血まみれの顔で不敵な笑みを浮かべながら、貫かれた左腕でνの本体をガチッと掴み取った。
「武器を失わなきゃ……テメェはこんな懐に踏み込ませてくれねえだろ……?」
「――!?」
νの無機質な目が、初めて驚愕に揺れた。
「旦那……! 俺の命も、使える魔力も全部持っていって構わねえ! 今の一瞬だけ、こいつの『無効化』を上回る、最大の闇を俺の体に引きずり出せ!!」
ジンの命を賭した執念の叫びに、闇の精霊が吼える。
ジンの左腕から、神殿全体を包み込むほどの、どす黒く、おぞましい『本物の虚無』が溢れ出した。それはνの無効化の波動すらも力ずくで圧殺し、その巨躯を完全にロックする。
「お前が六本の腕で器用に踊るなら……俺は残った右腕で、テメェを地獄へ引きずり落とす!」
ジンは自由な右手を伸ばし、床に突き刺さっていた二振りの闇の刃を、影を介して強引に手元へと引き戻した。
右腕一本で黒剣の一本の柄を強引に逆手に握り締めた。
残された全魔力、全闘気、そしてジンの寿命すらも削りかねない、文字通り限界のその先を超えた最後の一撃。ジンの魂が、漆黒の光芒となって爆発する。
「これで……終わりだぁぁぁっ!!! ――『深淵神殺・終焉ノ双斬閃(しんえんしんさつ・しゅうえんのそうざんせん)』!!!」
カァァァァァン!!!
神殿の光が、ジンの放った漆黒の一振りの線によって完全に吸い込まれた。
次の瞬間、静寂のなかで、νの六本の腕が全ての武器と共にガサガサと音を立てて崩れ落ちる。そして、その胴体へと真っ二つの巨大な闇の亀裂が走り、νは激しい黒炎に包まれて消滅した。
「ハァ、ハァ、ハァ……っ、ガハッ……! クソ……本当に、死ぬかと思ったぜ……」
νが消え去ると同時に、ジンは大量の血を吐き、力なくその場に膝をついた。
黒剣を床に突き刺し、それを杖代わりにしなければ倒れてしまうほど、その身体はボロボロで、魔力も完全に底を突いている。ライトに続き、ジンまでもが文字通り肉体を削りきったギリギリの勝利。
「ジンさん!!」
シンが駆け寄り、すぐにその体を支える。
「気にするな、シン……。ギリギリだったが、これで二匹目だ……。後は、頼んだぞ……」
ジンは荒い息を吐きながらも、やりきったような不敵な笑みを浮かべ、静かに目を閉じた。命に別状はないが、もう一歩も動けないほどの完全な戦闘不能。
先達たちの命がけの、泥臭くも尊い連勝が、シンたちの心にさらなる激しい闘志を燃え上がらせるのだった。
最後までお読み下さいましてありがとうございます。感想書いて貰えれば嬉しいです。 良い評価付けて貰えると励みになります。お願いします。




