80話 漆黒の極致(ジンと闇の精霊)
海底神殿の最奥。そこは、ガラスドームから差し込む仄青い深海の光すらも完全に遮断された、絶対的な暗闇の空間だった。
「……ハァ……ハァ……ッ!」
ジンは両手の黒剣をだらりと下げ、冷や汗を流しながら闇の空間の真ん中に立ち尽くしていた。
完全な漆黒の中で、ジンは自身の放つ『暗黒闘気』だけを頼りに、空間そのものと戦い続けていた。
「クク……どうした、暗黒闘気の鬼神よ。かつて神界の騎士団で『至高の光剣』と謳われ、サタンの影を追った男の牙が、随分と鈍いではないか」
ジンの影が不自然に伸び、そこから【闇の精霊】の冷徹な声が響き渡る。
『サタン』――その名を聞いた瞬間、ジンの脳裏に、忘れもしないかつての光景が鮮明に蘇った。
かつて神界の騎士だった頃、ジンが誰よりも尊敬し、憧れた先輩剣士――それがサタンだった。
サタンが神界の欺瞞に絶望し、闇に堕ちた時、ジンは迷うことなくその背中を追いかけ、神界を去った。ジンの放つ『暗黒闘気』は、サタンから直接学び、受け継いだ「絆の証」でもあった。
だが、サタンは次第に復讐の妄執に取り憑かれ、その闇は濁り、ただ世界を壊すだけの「くすんだ未来」しか描けなくなっていった。その狭い器に愛想を尽かしたジンは袂を分かち、魔界の隅でひっそりと暮らす道を選んだ。
(それでも……アデル様は、俺を信じていてくれた……)
『ジン、お前の根にある光は消えていない。シンを、お前に託す』
神界を裏切った大罪人である自分を、最高神アデルは最期まで信頼し、世界の希望であるシンを預けたのだ。アデルへの恩義、そして己が撒いた種でもあるサタンという因縁。それらを背負い、ジンはシンの師匠として今日まで戦い抜いてきた。
「――舐めんじゃ、ねえぞ……っ!」
思考を裂くように、ジンの足元から無数の影の触手が鋭い槍となって全方位から突き出された。
ジンは視覚を捨て、闘気の揺らぎだけでその攻撃を感知。二振りの黒剣を交差させ、爆発的な暗黒闘気を放って影の槍を強引に叩き折った。
――ズガァァァン!!!
だが、弾き飛ばしたはずの闇のエネルギーは霧散することなく、再び空間の闇へと溶け込み、ジンの背後から襲いかかる。
「ちっ……! 斬っても斬っても、キリがねえ……!」
「貴様の闇は『足し算』だ」
闇の精霊が、ジンの目の前の闇に静かに輪郭を現す。
「サタンから与えられた濁った混沌を、ただ魔力で膨らませて叩きつける。だが、原始の闇とは、そんなものではない。不純物を削ぎ落とし、ただ純粋なる一条の黒となれ」
「足し算、じゃなくて……削ぎ落とす、だと……?」
ジンの脳裏に、サマエルと対峙した瞬間の記憶が蘇る。
あの時、自分の全力の斬撃は、サマエルの前で頼りなく霧散した。それは、自分がサタンから受け継ぎ、肥大化させてきた闘気が、まだ「不純な混沌」に過ぎなかったからだ。
神界の騎士としての「無駄のない精密な型」。
サタンから受け継いだ「暗黒闘気」。
そして、アデルから託された「シンへの誓い」。
それら全てが、ジンの内側で美しく、静かに一本の線へと繋がっていく。
サタンの真似事をするのは、もう終わりだ。
かつて磨いた騎士の技術で、サタンの闇すらも極限まで細く、鋭く、極限まで密度を高めてコントロールする。
「ハッ……言うじゃねえか。憧れた男を追いかけて、その果てにすべてを捨てたこの俺に、今更『自分だけの闇』を見つけろってかよ」
ジンが自嘲気味に笑う。しかし、その瞳には狂おしいほどの意志の光が宿っていた。
「アデル様……あんたの目に狂いはなかったってことを、あの世で見せつけてやるさ。――この『闇』で、世界の初期化を止めてみせる!!」
ジンが深く息を吸い込み、完全に構えを解いた。
全身から立ち上っていた禍々しい黒いオーラが、騎士としての精密な魔力制御によって、刃先へと極限まで「凝縮」されていく。
「……ほう」
闇の精霊の目が、驚きに細められた。
ジンの周囲の空間から、禍々しい圧迫感が完全に消え去る。
だが、代わりに――二振りの黒剣の刃は、光を一切反射しない、まるでブラックホールのような不気味な『深淵の黒』へと変貌を遂げていた。
「ハァァァァッ!!」
ジンが地を蹴った。踏み込みに、以前のような爆発的な轟音は無い。完全な無音。
しかし、その一歩は神界の騎士としての極限の洗練、そして放たれる速度と刃の密度は、かつての宿敵サタンすらも遥かに凌駕していた。
「――『双魔・零式』」
交差させた黒剣を、闇の精霊の本体へと向けて一閃する。
放たれたのは、空間そのものを一瞬だけ「黒い線」で切り裂くような、極小にして極大の一撃。
キィィィィィン……ッ!!!
闇の精霊が放った絶対防御の影の壁が、その『黒い線』に触れた瞬間、抵抗することすら許されず、ただ滑らかに、綺麗に両断された。
「……お見事。サタンの闇すらも己の糧とし、アデルの信頼に剣で応えたか。見事なる『真なる闇の刃』だ、元神界の騎士よ」
闇の精霊が、自らの影を消し去りながら、満足そうに深く頷いた。
「サタンの親父……俺はあんたを超えて、さらに先へ行くぜ」
ジンは剣を鞘に収め、不敵にニヤリと笑った。
かつての因縁を乗り越え、アデルの期待に応えるため、ジンは完全なる「最強の師」として、圧倒的な高みへと到達した。
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