78話 深海の聖域
ゴォォォォォ……ッ!という激しい風の鳴動が収まると、シンたちは、仄青い神秘的な光に包まれた巨大な建造物の中に倒れ込んでいた。
「うっ……ここは……?」
シンが痛む体を起こして辺りを見回す。
頭上を見上げると、まるでガラスのドームのように、莫大な水の魔力の壁が周囲の深海を堰き止めていた。色とりどりの魚や巨大な深海生物がドームの向こうを泳いでいる。
「みんな、無事!? ……ここは、海の底……?」
ユイが周囲の気配を察知して息を呑む。人間界のどこの地図にも載っていない、圧倒的な密度の自然魔力が満ちる場所だった。
「ここは『精霊たちの神殿』よ。始祖神の執行者サマエルといえど、この世界の母なる海の底までは、そう簡単には手を出せないわ」
シンたちを連れて転移してきた風の精霊が、美しい緑の羽衣を揺らしながら着地した。その表情には深い疲労の色が滲んでいる。
「待たせていたな、風よ。――よくぞ若き調律者たちを連れ帰ってくれた」
神殿の奥から地響きのような重低音と共に現れたのは、岩山のような巨躯を持つ【大地の精霊】。
さらにその左右から、眩い黄金の輝きを放つ麗しい【光の精霊】と、影の中から音もなく現れた不気味ながらもどこか神聖な【闇の精霊】が姿を現した。
これで、ユイの胸に眠る『水の精霊』、モカとココアに加護を授けた『火』と『雷』、そして今ここに集った『風』『大地』『光』『闇』。世界のすべてを構成する上位精霊たちが、この深海に集結したことになる。
「四大精霊に、光と闇の精霊まで……! まさか、こんな場所が存在していたなんてね」
サーラが周囲の神聖な空気に圧倒されながら水晶玉を握りしめた。
「精霊の皆さん。僕たちを襲った、あの『サマエル』って一体何者なんですか……? サタンの闇とも、アデル様の光とも違う、すべての力を消し去るような不気味な力でした……」
シンが二刀を握りしめながら問いかけると、光の精霊が悲しげに瞳を伏せ、大地の精霊が重々しく口を開いた。
「あれこそが……この世界が創られるよりも前に存在した、絶対的なる最初の神――【始祖神】の意志の代行者だ」
「始祖神……」
シンがその名を繰り返す。
「遥か古の時代、この世界には光も闇も、生も死も存在しなかった。ただひたすらに、何も無い完璧な『虚無』だけが広がっていた。それが、始祖神の世界だ」
大地の精霊の言葉を引き継ぐように、闇の精霊が影を揺らしながら囁く。
「だが、ある時、その虚無の中から『意思』が生まれ、世界は分かたれた。光と闇が生まれ、神界と魔界ができ、その狭間に人間界と精霊が生まれた……。いわば、今あるこの世界は、始祖神という『完全な無』に刻まれた、最大の『歪み(不純物)』なのだ」
「じゃあ……サマエルが言っていた『世界の初期化』って……」
ユイが顔を青ざめさせる。
「その通りよ」
風の精霊が静かに頷いた。
「始祖神は、光と闇が争い、混ざり合い、独自の進化を遂げていくこの世界を『美しくない不純なもの』として切り捨てようとしている。すべてを消し去り、再び生命も概念も存在しない、完璧な『美しい無』へと戻そうとしているのよ」
「だから、サマエルはシンを狙ったのね……」
ソフィアがゴクリと息を呑み、シンの胸元のアザを見つめた。
「最高神アデルの光と、ジンの暗黒闘気。そして五つの属性……相反する力を無理やりその身に宿し、あまつさえそれを『調和』させて一つにしようとするシンの存在は、始祖神のシステムにとって、世界の『歪みの最先端』であり、最も排除すべき特異点なのよ」
精霊たちの言葉に、ライトはエクスカリバーを握りしめ、ジンは低く唸った。
「なるほどな。世界のバグを消去しに来たってわけか。道理で俺たちの攻撃が『最初から無かったこと』にされるわけだぜ」
「でも、裏を返せば、シンが目指すその二刀流の完成こそが、世界の初期化を止める唯一の鍵になるかもしれないってことですよね?」
カイルの言葉に、四大精霊たちは力強く頷いた。
「今のあなたたちでは、サマエルの虚無にすべてのエネルギーを吸い尽くされる。だが、もし……世界のすべての理を一つに束ねた『真なる調和の力』が完成すれば、虚無そのものを打ち破る光となるかもしれない」
風の精霊が、シンへと優しい眼差しを向ける。
すべての攻撃が通じなかった絶望の裏にあった、世界の創世に関わる真実。
追いつめられた海底の神殿で、シンたちの『世界を救うための本当の修行』が、ここから始まろうとしていた。




