9話 黄金の元・王様
陰陽合一ノ神殺し~二刀の聖剣が一本の絆へと変わるとき~
薄暗い霧が不気味に立ち込める、幻獣界の入り口。
世界の境界を見下ろす断崖の絶壁で、かつてこの世界の頂点に君臨した「元・幻獣王」ガイルは、静かに伏せていた。
その姿は、あまりにも巨大で美しい『キラーパンサー』。
漆黒の斑点が並ぶしなやかな黄金の毛並み、そして口元から鋭く伸びた二本の牙。彼が微かに息を吐くだけで、周囲の空間がビリビリと震えるほどの圧倒的な威圧感を放っている。
ガイルは、琥珀色の瞳をゆっくりと開いた。
遠くから、見慣れた二匹の小さな魔力と、それに伴う『人間の気配』が近づいてくるのを察知したのだ。
「……フン。あの悪ガキども、本当に連れてきおったか」
ガイルの喉が、低く、楽しげに鳴る。
そこへ、案内役の二匹に導かれたシンたちが、息を切らせて霧の向こうから姿を現した。
「はぁ、はぁ……ここが、幻獣界……!?」
足を止めたシンは、目の前にそびえ立つ巨大なキラーパンサー――ガイルの姿を見た瞬間、全身の毛が逆立つような衝撃を覚えた。
まともに息ができない。体中の細胞が本能的に危険を察知して叫んでいる。これが、かつて一界の頂点にいた伝説の元・幻獣王の力なのか。
緊迫した沈黙がその場を支配する。だが、シンは意を決して、懐から一通のクシャクシャになった封筒を取り出した。
「ガイル、さん……ですよね。僕の師匠のジンから、これを渡してくれって言われてます」
「……ジンだと?」
ガイルの片眉がピクリと跳ねる。巨大な前足で器用に手紙を受け取り、鋭い爪で封を切って中身に目を落とした。そこには、殴り書きでこう書かれていた。
『よぉガイル、元気にしてっか? 俺の可愛い弟子がそっちに行くから、暇ならちょっと手伝ってやってくれ。よろしくな!』
あまりにも軽すぎる内容に、ガイルは盛大にため息をついた。
「あの野郎、相変わらず人を便利屋か何かだと思っていやがる……」
ガイルは手紙をクシャリと丸めると、シンを品定めするようにジロジロと見定めた。そして、ニヤリと肉食獣特有の獰猛な笑みを浮かべる。
「まあいい。ちょうど退屈で死にそうだったところだ。ジンへの貸しもある。……暇つぶしに、お前たちの旅を手伝ってやろう」
「本当ですか!?」
パッと表情を明るくするシン。しかし、ガイルの言葉はそれで終わりではなかった。
「ただし、今のままのお前じゃ、この先の幻獣界では一歩進むだけで命を落とす。まずはその弱そうな身体に、本当の『波動』の使い方を叩き込んでやる。……ついて来い、小僧」
元・幻獣王による、最高に手厳しい特訓の幕が上がろうとしていた。
ガイルに連れられてやってきたのは、透き通った水が激しく流れ落ちる、幻獣界の巨大な滝壺だった。
シンは「さあ武器を抜け」と言われる覚悟をしていたが、ガイルが命じたのは意外な一言だった。
「そこに座れ。目を閉じ、呼吸を整えろ」
「えっ……戦わないんですか? 師匠のジンは、初日から死ぬ気でかかってこいってスタイルでしたけど……」
シンが戸惑うと、ガイルはフンと鼻を鳴らした。
「あのバカと同じにするな。ジンの戦い方は、己の負の感情や破壊衝動を爆発させる『暗黒闘気』だ。力任せにぶつける分には分かりやすいが、それだけではいつか限界が来る」
ガイルは大きな前足で地面を軽く叩いた。すると、彼を中心に目に見えない透明な波紋が広がり、滝の凄まじい爆音がフッと消えたような錯覚に陥る。
「『波動』とは、世界の息吹と己の精神を完全に調和させる力だ。そのエネルギーを凝縮して剣に纏わせれば、あらゆるものを断つ刃として放つことができる。逆に、身体の内側に巡らせて纏わせれば、どんな攻撃をも弾く絶対の盾となる。まずはその『調和』を覚えろ」
シンは言われた通り、平らな岩の上に胡坐をかき、静かに目を閉じた。
シンが滝の前で必死に体内の力と向き合っている横で、パチパチ、ピピッときょろきょろ動き回る音が響いていた。
見れば、モモンガのような愛らしい姿をした二匹の案内役が、楽しげにじゃれ合っている。
「こら、モカ! 修行の邪魔をしちゃダメだよ」
そう言って二匹を宥めたのは、ユイだった。
正義感が強くて少しお調子者のオス、モカは、小さな手を振って「僕だって強いんだぞ」と言わんばかりに威張っている。それを、面倒見が良いメスのココアが、「めっ」と嗜めるように優しく頭を撫でていた。
その様子を眺めていたガイルが、低く喉を鳴らす。
「ふん……。そのモモンガども、ただの案内役ではない。幻獣界でも滅多に目にかかれない、不思議な魔導の才を持つ『聖獣』の生き残りだ」
「聖獣……? モカとココアがですか?」
ユイが驚いて目を丸くすると、ガイルは静かに頷いた。
「今はまだ小さな二匹だが、片方は純粋な攻撃の魔力、もう片方は他者を癒やし高めるサポートの魔力を秘めている。……さっき魔獣に襲われてお腹を空かせていた奴らとは、到底思えんがな」
ガイルの言葉に、ユイは苦笑いしながら二匹を見つめた。つい先ほど、飢えと疲労で動けなくなっていたところを自分たちが助けたばかりだ。お礼を言うように胸を張るモカと、シンの服の汚れを健気に払おうとするココア。出会って間もないけれど、すでに愛着が湧いている。
「でも、この子たちが案内してくれたから、私たちはガイルさんに会えたんだもんね。……頑張れ、シン」
ユイの優しい応援の声が、瞑想するシンの耳に届いていた。
(そうだ……モカたちも、ユイも、僕を信じてついてきてくれている)
大切な存在を背中に感じた瞬間、シンの心から焦りが消えた。
暴れ狂っていたジンの暗黒闘気が、優しく温かい「守りたい」という波動の力によって、ゆっくりと包み込まれていく――。
「ほう……感覚を掴みかけたか」
ガイルの琥珀色の瞳が、感心したように細められた。
シンの身体から刺々しい黒いオーラが消え、代わりに透き通った穏やかな波動が立ち上り始める。
だが、ガイルが見つめているのはそれだけではなかった。シンの魂の奥底、その波動のさらに深くに眠る、誰も寄せ付けないほど強大で神聖な『二つの巨大な影』の気配を、元・幻獣王の鋭い感性が確かに捉えていた。
(……この小僧、ただ波動の素質があるだけではないな。その身に宿すあの悍ましいほどの熱量と雷光は、一体……)
ガイルは静かに立ち上がると、その巨大な身体をシンの前に進めた。地響きのような威圧感が再び周囲を満たす。
「よし、形だけは様になってきたな。……ならば、その波動が本物かどうか、我が直々に試してやろう」
ガイルの鋭い爪が、ギラリと陽の光を反射した。
「おい小僧、目を開けろ! 我の一撃、耐えてみせよ!」
元・幻獣王の苛烈なテストが、今まさに幕を開けた。
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